はてなキーワード: 朴正煕とは
http://anond.hatelabo.jp/20140224193549
いやいや、「普通に知られていたこと」みたいに済ませてるけど、海外で知ってる奴ほぼいないから。
慰安婦問題って国際的にどう受け止められるかってのをみんな気にしてるんじゃないの?だったら、海外で知ってる奴がいない、明らかな事実があったら、それを話題にすべきでしょ。
それが驚きだっていうの。なんで、海外で全く知られていない事実を「普通に知られていたこと」で済ませてしまえるのか。
ここら辺が右翼の人たちは、国際感覚を感じた上で広報活動した方がいいのにといっつも思う理由だわ。ズレまくり。
はっきり言って慰安婦問題で今国際世論の雰囲気を変えられるような「勝てる」ポイントはこの朴正煕の米軍慰安婦問題なのに、そこは「我々は昔から知っていた」とか言ってスルーして
「慰安婦とは売春婦だった」「狭義の強制はなかった」みたいな勝てないポイントにわざわざ突っ込んでいくのはなんなの。わざとやってるのかと。
ここまで書いて分かったわ!この「朴正煕の米軍慰安婦管理」っていう事項と「慰安婦とは単なる売春婦だった」「狭義の強制はなかった」ってのを並べて、同じくらい真実だと思ってるからか。
だから、前者をことさら取り上げないのか。だから、この朴正煕問題を慰安婦問題のワンオブゼムとして扱ってるのか。
全然間違ってるよ。
「朴正煕が米軍慰安婦を管理していた」ってのはハンギョレ新聞が取り上げるくらいだから、国際的に勝ち目がある日本が指摘すべき「真実」なんだよ。
対韓国を考えるうえでも、将校という意味で「親日派」だった朴正煕の嫌な過去をつくのは韓国の世論を二分する、圧倒的にクリティカルなポイント。
特に、その娘の朴槿恵が大統領である時期に、この問題の追求をするのが、日本の国益にとって重要。
彼女の任期が終わって数年経った後では「朴一族は親日派で、日本共々悪い奴らだった」でこの事項をスルーされる可能性がある。
一方、「慰安婦とは売春婦だった」「狭義の強制はなかった」ってのは、右翼は信じたくないけど、絶対に国際的に勝ち目がないポイント。残念だけど。
どう考えても、ここを突いても勝ち目がない。いい加減気づこう。
日本側としては、すでに賠償を行った「アジア女性基金」の成果を広報する一方で、この「朴正煕が米軍慰安婦を管理していた」という問題を「女性の人権問題」として徹底的に追求していくこと。
それしかないはずだし、逆に言えばそれをやれば、今の圧倒的不利な状況を変えられる。
今、圧倒的不利な状況にあるという認識すら、右翼の人たちが出来ているのか知らないけど。
やっちゃいけないのは、アメリカの新聞に意見広告とか言って「慰安婦は売春婦だった!」とかやること。こういうの見る度、負けたくてわざとやってるのかと思う。
つか朴正煕は当時旧日本軍の軍属だったわけで、管理していた人間の出身地が半島だろうが本土だろうが旧日本軍が強制連行したという事実は揺らがない。
…というのが向こうの言い分な。
とりあえず、これが事実だとして話進めるけど
相当びっくりするというか、慰安婦問題に対する見方が圧倒的に変わる事項だと思うんだけど。
だって、韓国自身がやってたなんて、驚天動地でしょ。普通に考えてよ。まじで。
なんか右翼はこれを韓国への攻撃材料の一つとしてるけど「洋公主を今更知ったのかよwww」みたいな感じで済ましてるし
左翼は「お前らもやってただろと責任逃れするのか」というケース(少なくとも日本はアジア女性基金を設立してるとは思うが)か、あるいは全然触れないかって感じなんだけど
そんな反応じゃなくて、もっともの凄いリアクションでこの事を受け止めるべきじゃないのか。
つまり、その時代における慰安婦の在り方を知る上で、最重要な事項じゃないのか。
韓国史上最も敬われている大統領であり、現在の大統領の父親にあたる人物が、慰安婦を管理していたということも当然絡んでくる。
これが事実であるのか、もっと大きく、というか何よりも最優先に扱うべきではないのか。
軽くググっても、英語圏で朴正煕と慰安婦の関連を述べているものが(プロパガンダっぽいの以外)ないので、おそらく全く知られていないだろうし
韓国でも虚偽だと今のところ言われている。でもハンギョレ新聞とかには出てる訳で。
で、それを信じれば、明らかに「(広義の)強制連行」にあたる管理の仕方な訳で。
なんか、左右のリアクションが薄いのも、海外でまったく扱われていないのも、これがやっぱりデマだってことなのか。
でも、そうじゃなさそうなんだよなぁ。謎。これから議論が広がるってだけかもしれないけど。
標準時の変更を 与党議員が発議=韓国 聯合ニュース 11月21日(木)19時22分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131121-00000045-yonh-kr
【ソウル聯合ニュース】韓国与党セヌリ党の趙明哲(チョ・ミョンチョル)国会議員は21日、日本の標準時と同じ韓国の標準時を韓国本来の標準時に変更することを柱とする「標準時に関する法」の改正案を発議した。
韓国標準時は日本標準時子午線の東経135度を基準とするが、これを韓国の国土の中心を通る東経127.5度に変えるという内容。その場合、標準時は現在より30分遅くなる。
韓国は1908年、東経127.5度を標準時子午線に定めたが、
日本植民地時代の1912年に朝鮮総督府の指示で日本標準時にそろえた。1954年に東経127.5度に戻した後、1961年に再び135度に変更した。
趙議員は、現在の韓国標準時子午線の東経135度は韓国の領土を通っておらず、韓国最東端の独島からも278キロ離れていると指摘。「標準時の改正を通じ、領土主権と歴史を再確立し、国のアイデンティティーと国民の自尊心を回復すべき」と述べた。
mgk1202@yna.co.kr
●韓国標準時 - Wikipedia、フリー百科事典(google翻訳)
http://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%95%9C%EA%B5%AD_%ED%91%9C%EC%A4%80%EC%8B%9C によると
1912年 1月1日:東経135°UTC +9に変更。朝鮮総督府官報第367号(告示第338号)。
1954年 3月21日:解放後、大韓民国の標準時間は、再び東京127.5°UTC +8:30へ変更。大統領令第876号(1954年3月17日)。
1961年 8月10日:国家再建最高会議の決定に基づいて東経135°UTC +9:00へ変更。法律第676号(1961年8月7日)。法律第3919号(1986年12月31日)。
となっていて、詳しいことはわからない。
少し詳しく調べてみると
●日本が奪っ朴正煕がまた奪った '韓国時間' [走る鉄道で見た世界] (17)時間をめぐるいくつかの物語 インターネット紙 「プレシアン」(Google翻訳)
http://www.pressian.com/article/article_facebook.asp?article_num=10131025141140
1945年になるとすぐ時間を取り戻してくるとは、努力があったが、韓国の統治を務めた米軍政は、操作利便性という単純な理由で東京標準時をまだ守った。韓国標準時を再訪れたのは韓国戦争が終わって遠征きた米軍の撤退が行われた後の1954年3月だった。21日午前0時30分部大統領令によって再び東京127度30分を標準子午線とする大韓民国標準を指定します。1954年3月21日、大韓民国は0時30分を二回経験することになる。一度は東京標準時に一度ソウル標準時。しかし、このソウル標準時は長続きしない。7年後にクーデターを起こした朴正熙を筆頭とした軍部勢力は国家再建最高会議で、韓国の標準時間を東京標準時に戻って変えてしまった今まで続いてきている。
もう少し詳しく調べてみると
●良い名前の研究所は標準時を韓国の基準東京127度30分を適用しています(Google翻訳)
元韓国が使っていた標準を日本が強制的に日本のものに変えたし解放が
れた後一歩遅れて1954年に韓国基準の標準に還元したこと以上にも
1961年5月16日の軍事クーデターが起きたすぐ後の1961.8.10から再度東経135度を
標準時に変更したことをご存知ですか?
東京127度30分には大韓帝国官報第3994号(勅令第5号)に基づき、1908年4月1日から
それが、日本の日韓併合策の一環として、朝鮮総督府官報第367号に基づき、1912年
光復後、1954年3月21日、李承晩政権は日帝残滓清算の一環として、標準時を
変更して、時間を30分遅らせました。 しかし、当時、米軍は、作戦指揮権を東京
米極東司令部の関係で標準時の変更に従うことができないと頑強に反対した
します。
ところが、1961年8月10日、朴正煕の軍事クーデターが起きた後席月もされていない、
軍事政権は、法律676号(標準子午線変更に関する法律)に基づいて時間を30分
繰り上げ日本と同じ東経135度基準の標準時を使用する法案を可決した。
その時の理由は、国際的に30分差が出る標準時がないことを国際的
習慣と一致させるというものでした。 (これはとんでもない論理です)
国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについては、これまで知られていなかったが、
最近入手した1961年8月4日、国家再建最高会議第27次常任委員会の議事録による
面が会議に参加した某人が在日米軍と在韓米軍、韓国軍との連合作戦のために
統一された時間が必要だと標準時の変更を要求してわずか数分で通過させたとされて
ています。
米軍の軍事作戦の便宜のために国の時間を無理やり日本時間に合わせるとんでも
国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについて、どうしてわかったのか。
[緊急提言]韓国時間30分ずらす "いい加減"風土消える 金基德 キム·ギドク 建国大研究教授·韓国史
東京127度30分採択は、「時間の光復」! (Google翻訳)
http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2005/05/25/200505250500029/200505250500029_2.html
http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2005/05/25/200505250500029/200505250500029_3.html
1961年に国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについて、これまで知られていることがほとんどなかった。 ところが、
2004年8月KBSがソクジェの事件ファイル "光復59年、時間は解放されなかった"という番組を放送した。 KBSは1961年8月4日、国家再建最高会議第27次常任委員会の議事録を入手して、次のように報道した。
「光復」と「不快感」の間
「この会議に出席した関係者は、米極東軍司令部(在日米軍)が、在日米軍と在韓米軍、韓国軍との連合作戦のために統一された時間が必要だと標準時の変更を要請してわずか数分で通過させたと証言した」
結局、国民の代表機関ではなく、軍事クーデターで成立した「国家再建最高会議」は、米軍の要請があろうクーデターの承認を受けるために、1954年に標準時変更後わずか7年ぶりに東経135°を基準にした時間に変更したものである。 以降の夏時間(サマータイム)の導入根拠を用意するために、1986年に「標準に関する法律」に一回変更しただけで、現在までに我々は、1961年に改正された東経135°基準の標準時をそのまま使用している。
参考資料
http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=tyahnstein&logNo=100194115583
韓国語で標準時は現在より30分遅くなる利益・不利益をまとめて書いたエントリー。