はてなキーワード: エスペラント語とは
そこで取り扱う「文法的な正しさ」というのは、矛盾なく日本語を構築できる体系を目指そうというものであって、「正しい文法と間違った文法」を振り分けるものではないでしょ?
いや、だとしたらそれは構造―構築主義者たちの学問で、「国語学」ではなく構造主義以降の範疇に入りますよ。
それは普通に「言語学」にも通じる、ネオ~系の学問。まぁ、その考え方は構造主義以後にプラグマティズム的な発想をした
研究者達のものでしょう。エスペラント語と発想は同じ。ごく普通の言語研究でしょ。
でも、「国語学」と敢えて名乗るならそれは当然そういうものではなく。
敢えて、『正しい国語』を追い求める学派なんですよ。だから、国語学(≠日本語学)で扱う文法には「正誤」がある。
あれは自国言語におけるキャノンを問題にする学問だから。何度も言うけど、神学なんですよ一種の。
これは文学研究にも言えて、「国文学研究」って言うのは未だに「作品に込められた意味」を探る意味論的批評をやるんですよ。
もちろん、彼ら自身もそれが時代遅れの学問であることはわかっている。しかし、「国家」というイデオロギーが有効に機能している
以上、それは必要とされている。だから存在するジャンルが、国語学であり国文学研究なんですよ。
「文学研究」や「言語学研究」と名乗れば済むところをさらに細分化しているのはそういう理由からです。
別に、研究者自身の思想が「保守」であるとは限りませんが、存在は完璧に「保守」ですよ。
いや、というか。
お仕事とか大学における英語ってのは所詮ツールに過ぎないわけで。
お互いの意思と意味が的確に通じて、かつそれが内容として評価されればぶっちゃけなんでもいいんですよ。
我々はお互いの専門分野をとりあえず英語というツールを媒介に交換・伝達しているわけで、
言うなればエスペラント語がないからしょーがねえなと思いながら英語使ってるわけで。
だから、誤読がおきなきゃなんでもいいし別に誰も笑わない。
それよりは中身が超大事で、それさえ良いものならぶっちゃけなんでもいい。
いつもそんな極端なんだよ?
「凶悪な少年犯罪が多くなってきたね、怖いね」
って言われて、
とか答えたら
「なんで私の話を聞いてくれないの!?会話を楽しもうとしてるのになんでそんなこと言うの!?」
無いだろ。これ。
なんでこんな極端な例ばっか出して語ってるんだかわかんね。(ああでも、極端だから、ネタに上がるのか?)
一般的な男女は(別に男女じゃなくてもいいけど)もっと普通の会話してんだろ。
俺「本当だー。でも温暖化って実の所怪しいとかいうよな」
彼女「温暖化は二酸化炭素が原因ではないとかは近頃結構言われてるよねー。本も結構出てるし。でも結局どれが正しいのだかイマイチわからないよー」
俺「確かになー。前そんなような本俺も読んだけどなんかよく…」
彼女「氷が解けて水位が上がるっていうけどそれは嘘、水に氷浮かべて、その氷がとけたって水位は上がりませんよ!とか言われてたけど、さらに、いやいや、陸上の氷がとけるのだからやはり水位はあがるよ、とか言われたりして結局どっちだよと」
俺「wわかる。もうよくわからん、実の所」
彼女「でも実際温暖化自体はしてるみたいだね?その原因が二酸化炭素じゃないってだけで」
俺「いや、温暖化自体否定してる人もいなかったっけ?」
彼女「そうだっけ?温暖化はしてるけど、それは、地球の気候の循環的に必然の流れだよみたいなそういう……」
俺「それもあるけど、あれ?ほかになかった?」
彼女「だってウィキペディア楽しいもんよwあれ調べ出すととまらんよ。この間はエスペラント語について延々と調べてしまったよ……」
俺「なんでエスペラントなんだよw」
とかこういう感じの会話が普通だろ??(上は実際俺と彼女がした会話だが)
お前らの言ってる会話ってものすごく作為臭がする。
無いだろ、実際あんな会話。あってもかなり稀だろ。
あんな急に切れる女とか見たことねえよ。お前ら一体どういう環境に住んでるんだよ…
実際一番上のような会話があったら「え、何で急にあの人あんな反応を……」「何かイライラしてるのかな」って皆思うだろ男女問わず。
そういう「おかしい人」を例にあげて話すなよな。
日本語を話せない人々とのコミュニケーションに有用性を感じる人々のために書きます。
つねづね考えてきたんだけども、日本は英語の勉強をするのに国際語の勉強をしない。日本人が英語を話せないと世界で揶揄されるのは、英語が話せないからじゃない、国際語が話せないからだ。いま日本人が必要なのは英語ではなく国際語の能力だ。TOEICとコミュニケートしてどうする?
エスペラント語なんかじゃなくて、結局英語のことです。ええ。しかし、僕らが学ぶ英語とは少し違う。国際語を英語で言えば、International Englishだ。一つの文や単語を使うだけ。しかし、そのレベルには幅があるので、もちろんながい文章でも国際語である。誤解しないでほしいことは、国際語には長い文章が作れないから恥ずかしい、という概念がないことである。関係ないのだ。なぜなら、コミュニケーションが目的であって、文章をすらすら言うことが目的ではないから。もちろん、英語のレベルとコミュニケーションのレベルに少しの関連性はある。しかし、面と向かって話す場合ではそんな関連性よりも、どれだけアクティブに話すかということのほうが大事だ。国際語はその最初の一言を引き出す手助けとなる。一度の100点満点が英語ならば、10点を10回が国際語である。例えば、
英語
国際語
He do not play soccer.
英語
He didn't play soccer yesterday.
国際語
He don't play soccer yesterday.
(He not play soccer yesterday でもok)
簡単に言えば、テストでバツになるような重箱の隅をつつく文法ミスは意識しないということ。
もっとも重要なことは、世界中のできるだけ多くの人とのコミュニケーションだ。国際語はそのための「ツール」。だから、文法なんて適当でよい。過去形なんて使わなくてもいい。yesterdayやbeforeという中学生レベルの単語をしっていれば、「意味が通じる」=「コミュニケーション」がとれる。日本語を話せない人とコミュニケーションとれることがいったいどれほど有用なのか?それを有用だと感じない場合は、国際語を学ぶ必要はない。
国際語とはいえ、必要とされる能力はオーソドックスだ。国際語習得に必要な能力は、
- 聞き取り
- 話し
- 読み
この三つである。しかし、その要求レベルは驚くほど低い。TOEIC700点なんていらない。英検3級すらいらない。どれほどの能力が必要か。
- 聞き取り
一度で全く聞き取れなくてもよい。PardonとSorryの二語を覚えておけばいい。それを繰り返す。
- 話し
文章を作る必要はない。Soccer, do you?でよい。それがサッカーをするのか、サッカーをみることなのか、それは後から付け足せばよい。WatchとかPlayとか言えばよい。
- 読み
上の二つは幼稚園児レベルだが、読みだけは高度なレベルが必須である。英字新聞が辞書片手に読める程度の能力が必要だ。なぜなら、どうしても通じない場合、文章で説明する必要があるから。
再度いうが、これは英語ではない。国際語だ。そんな英語じゃ通じない。と言う人。正しい。そんな「英語」じゃ通じない。しかし国際語であるならば、通じる。相手が英語と認識するか、国際語と認識するか、その違いで通じる通じないが決まる。
想像してほしい、日本語が通じない人とコミュニケーションをとることが目的である状況と、国際学会ですらすらと英語で発表質疑応答する状況と、あなたはどちらの状況にでくわす可能性が高いか?希有な後者のために英語を勉強するよりも、前者のために、簡単にみにつく国際語をトレーニングしたほうがいいではないか。
こちらが国際語を用いれば、相手も国際語だと認識する。文法上のささいなミスを指摘することはない。
もちろんたくさんの問題点がある。
しかしこれは、相手も英語もしくは国際語のレベルが低いことが要因である。
しかしこれは、相手の性格の問題である。そういう人間とはこちらが英語ぺらぺらでもどこかでトラブルが発生する
これも、言葉の問題ではない。むしろ国際語を用いて頻繁にコミュニケートしたほうが、少しだけの英語よりも遥かにだまされたり誤解される危険性は減る。
まず重要なことは、国際語は英語と違うということをしっかり認識すること。文法や単語の間違いを恐れない。まず使う。日本語が出来ない人と、コミュニケートする。都会に住んでいれば、どこかでみかけるでしょう。アジア風ではない容姿の人々。話しかけよう。Hiといえばいい。そこから習得が始まる。仕事相手に外国人がいたらもっとチャンスだ。学校に外国人の先生がいてもチャンス。いくらでも機会はある。それを利用するかしないか、、、それだけで、あなたの可能性が大きくなったり、小さくなったりする。
国際語を学べば、外国人アレルギーが減る。海外にいっても気軽に話しかけられる。楽しめる。そして、相手の反応から、あらたな単語、語彙を、リアルに感じる。教科書の説明ではない、日本語では説明できない、生の言葉を学ぶことができる。話す言葉が増える。単語だけだったのが、文章になる。一文が複数文になる。話すスピードが速くなる。。。。ある日、友達に言われる「どうやったら、そんなに英語がぺらぺらになるの?」