体を動かすことが嫌いだけど、目的があれば動かせるのでなんとか。
自分の場合は旅行が好きなのである程度のウォーキング力は保っておかないと旅行に行っても不完全燃焼になってしまう。
なので天気が悪かったり体調が悪かったり暑すぎないときは一駅歩いたりしてる。
ちなみにリングフィットも少しやったけど疲弊してしまい途中でやめてしまった。
なんのために体を動かすのか、という目的を探すことから始めるのがいいのかも。なんもないなら生きる目的もないんだろうし体壊しても別にいいんじゃね?
ウロンな話や
某博物館のクラファンへのこの手の反応を見ていると、なんだかなぁと思うものの、
少なくとも霞が関ではこういう雑な議論は通らないし(そういう人がいないとは言わないが)、学術界から出て来て欲しい反応もこういう議論じゃないよね、と思ってしまいますねぇ。(>_<")
これに人文系の研究者が大挙批判して炎上しているけど、はっきり言ってひどいの一言だと思う。
予算の獲得や維持のために日々脂汗を流している人たちを罵倒し続けた結果、現在のような状況になっていることを、いいかげん学んだほうがいい。大学の研究者はエリートのくせに、いつも被害者面で官僚や企業を批判し、公共財のための負担を「自分たちを含めた国民が」どう分かち合うか、という議論を異様なほど嫌う。まるで政府の財布が無限であるかのような、あるいは巨大な無駄遣いが潜んでいるかのような、馬鹿馬鹿しい前提をいつまでたっても崩そうとしない。
そもそもこの手の人文系の研究者は民主党政権時の「事業仕分け」に好意的だったよね?自分は忘れていないよ。少しは当事者意識を持って欲しい。
最低だよな。
舎密っていうとなんか密教みたいだもんな
やっと理解してきたわ。
これらが一切ないと年齢を重ねるたびに失っていくものしかないんだ。
プライドを持てる仕事なら「俺もこの業界で◯年か……」となれる。
金だけでも稼げれば「貯金が◯円溜まってきたな……」が少なくとも残る。
俺さ、何も残らなかったよ。
ダラダラ流行り物追いかけて何となくアイドルのライブ行ったりゲームやったりしたけど、なんか全部虚しくってさ。
今やってる仕事も金稼げるわけでもなければ人の役に立ってる感じもなくてただただ生きるための最低限の金を得るためってだけだ。
家族とか恋人とか友人とかとの付き合いもなんかコレといったものがなくて、生存政略としてやってるだけって感じだ。
少なくとも子供が育っていればなんか残した気になれる。
老いた自分の体と、もう大して好きでもない結婚相手ぐらいしかなかったら、もう狂うしかないんじゃないのか。
辛いな。
何かが残ればよかった。
筋トレとかも素人が雑にやったら5年ぐらいで頭打ちになるじゃん。
なんか最近は何も残った感じがしないんだよな。
緩やかな低空飛行を少しマシにするので精一杯。