知り合いが突然死した。買いたてほやほやの家と配偶者とちっちゃい子供三人残して。
普通に横になっていたのが二時間後に亡くなってたとかいう話で。
持病持ちとは聞いてたけどそんな乳幼児みたいに突然死なんでも、と困惑した。関わってた人全員困惑してた。
以前その人に助けてもらって、「命拾いしました」って言ったのがなんか、ごろごろっと、心で転がってて、私が拾ったように思えたその命はその人が捧げてくれた最後の一機だったんじゃないかと思うとあああーあああーあああーてなって、でもそんなん誰にも言えなくて、みんな大体何機くらいストックしといてるもんなんだろ。あああー。
忙しさにかまけたり、暇なときは先送りした結果、40代後半になり、いよいよ結婚も風前の灯火となった気がする。
不謹慎だが、いっそのこと、このコロナウィルスに巻き込まれて、という人生の選択肢もありかな、とも思う。
結婚して、自分の遺伝子を受け継ぐ子どもを授かり、家庭に稼ぎの大半を注ぐ人生とはどういう気持ちか。
それだったら、自分で稼いだ金は、自分の好きに使うほうが幸せじゃないか。
自分のコピーに、なんだかわからないが、自分の思いを託したくなる気がしないでもない。
なんだろう、子どもの話をする人と自分の大きな隔たりを感じる。
自分は、自分をどう納得させれば、安心した毎日を過ごせるのか。
どなたか教えてほしい。
もしも育児専用スタッフにパワハラモラハラ変態リーダーがいたら
心愛ちゃん虐待死みたいな地獄が大規模発生するんですけどそのリスクは考えないの?
「受験」「受検」の誤字。
・全角と半角の混在。
https://www.city.naha.okinawa.jp/child/education/kyouikugakukyou/kyukou.html
https://www.city.naha.okinawa.jp/child/education/kyouikugakukyou/kyukou.files/kyukou.pdf
https://www.city.itoman.lg.jp/docs/2020022000046/files/tuuti.pdf
結婚してからの4年間、子供が生まれるまで良いことが何もなかった
度重なる様々な不幸の連続の中、誰にもこの苦しみを理解してもらえることもなく
お前が支えろだなんだと、あるべき姿を押し付けられてきて
もうまっとうに生きることに疲れてしまった
歳を重ねるにつれて、色々な人の気持ちを理解できるようになってきたが
今はメンタルをやってしまう人の気持ちまで理解できるようになってしまった
辛いという自覚があって、やっとのことで言語化して苦しみを伝えても
育休が取れる最終期限まで残り二か月になってしまったが
自分が何をしたいのか、どう生きたいのか、何ができるのか
今更ながら自分探しの旅をして考えようと思う
さけていいのはチーズだけだ!
一次創作するほど作ることが好きでなく、だが鑑賞だけでは物足りなかったオタク。
安易に二次創作に手を出してみた。が、自分の妄想の仕方が他と違うことに気付く。
他の二次創作をしている人は、いかに原作を尊重して表現するか苦心している。
たとえば原作でツンデレなキャラがいる。それをツンデレのまま動かすのが一般的な二次創作だ。
あれだ。『普段ツンデレなあの子が、僕の前では淫乱素直っ娘に!?』
こういうのが好きだ。世間ではキャラ崩壊と呼ばれるものらしい。単なるギャップ萌えだと思っていたが違うらしい。
どうやら「理想の推し」を表現するために二次創作をしている人が多いようだ。しかし自分は先に「理想」があって、そこへ推しを寄せている。力業なので多少の破綻も辞さない。
ちゃんと設定に沿って作っている人にとっては、「オリジナルでやれ」とはまさにこのことだろう。
でも設定を1から考えるのは面倒である。前振りの部分から想像するよりは、最初から好きな推しを原作の設定を元に再構築する方が簡単ですぐ萌えられる。
ここで大事なのは、「だったら最初からそういう作品を探す」というまっとうな意見を封殺することだ。
原作で読者に共有されたキャラ・世界観を「自分の手」で弄ることに価値があるのだと思う。個人的には同じ設定の同じような作品に出会うと喜んで消費したあと、すぐ冷めるからだ。
それを語ると別の話になってしまうのでこれ以上の言及は避ける。