あの時点で出たての、それも運営の調子も到底よいとは言えない姉妹コンテンツに対して何をしとるんじゃ、ってみっともなさが割と凄かったが
今になってみると、あの時ミリシタにマウント取るのに使ってた、具体的には縦ライブとかのクソどうでもいい機能開発に投じてたリソースを、それこそNの自動売却とかSSRの被り救済とかに投じていれば今頃もっとマシになってたよな
というか、あの頃からデレステ開発の目標がミリシタに勝つというか、マウントを取ることになってしまってて、ゲームの改善・改良、つまりユーザーのためじゃなくなってしまってたのかもしれん
そりゃあ、ミリシタのいいところはデレステにも積極的に取り入れていくべきよ。でもそれは、それをすることがユーザーのためになるからやるんであって、ミリシタにマウントが取れるからやるんじゃないんだよなぁ
ミリシタはデレステのことなんか何も気にせずに、ただユーザーのため、自分のやりたいことのために地道に開発し続けて、今やデレステに追いつき、追い越すところまで来てしまった
なんでシンデレラガールズは衰退したのか、やれサイゲのせいだバンナムのせいだって言ってる増田もいたけど、すまんが自分としてはデレステ開発が自爆しただけだと思うよ
2周年の頃は別にオラつかなくても普通にミリシタには勝ってたんだ。なんであそこで浮足立って無駄なことにリソースを投じてしまったんだろうな
そのリソースを自らの足元を固めるのに使えてりゃ今頃も普通に衰退なんて言われてなかったろうに
というか、ミリシタのデレステの殴り方、放置艦隊が野放しになっている現状に対してオートライブとか、アイドル全員に声を付けるなど到底無理な現実に対して今回の全員参加の周年イベとか、マジでクリティカルなところをぶん殴ってくるので辛い
よくないよ。そのために声を上げるわけでしょ。言い続けていくの。
まあ確かにそれで他人を叩くのはポリコレ自体への矛盾であるといえるだろうね。
でもその線引きは難しいんだよ。
そんな常識は無いが
残念だけど償うというのは金銭でのみ行われるもので償いという行為は法的に存在してないよ
気の毒だからその分計量できない何かを求めて気が済むというやり取りは取引としても存在してない
右腕をなくした痛みを知れとか言って腕の切断を求めますとかいう刑がないことくらいわかるでしょう
何々をもって償うとかテレビの見すぎだと思うので今すぐテレビを窓から捨てたほうがいいと思います
求めるのは勝手だし遺族が求めたかどうかしらないけれどもどっちのほうがよいかは個人の感想を述べたまでで
遺族がなにを思っているのかなど知らないよ
個人の感想など聞いてないというだろうけども個人に個人の話を聞く以外個人に対して何を聞いているのかこっちが
昼飯買おうとコンビニに行ったらアトピーがレジ打ちしてたああああああああああああああああああああ
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイ
やったこともないくせに。
実際やればわかるけど、そんなうまく精度出ないよ。
あなたが耳学問でかじってきた事例はたまたまうまくいった成功例。しかも成果はかなり盛られている。
その周囲には死体が転がってる。
我々はその死体めざして一直線中なの。
結局最終的には虐殺文法に行きつくわけだけれど、虐殺文法の厄介なところは
最終的な末端に所属する当事者に責任(感)が全く生じないところなんだよね。
母体保護法の話で言うと、ダウン症だろうがなんだろうが生まれるだろう胎児を下ろしたことは殺人以外の何物でもないんだけれども<母体が健康であるために><生まれた子が不幸せにならない為に>下ろしたことそれ自体が良いことのように書き換えられてしまているっていう所なんだよな。
だから、日本には水子みたいな概念はあるにしてもすげーカジュアルに堕胎は行われている。
ルワンダ内戦やナチスのユダヤ弾圧にしたってそう。「駆除した」「取り戻した」に言葉を挿げ替えて殺人の事実や罪悪感を希釈化させる。
殺人の意義が希釈化された世の中において個々の殺人に正義を求めることがナンセンス。正義かそうでないかという観点でそれらは行われていないんだから。
お前1人に該当することが世の中の全体と同じとは限らんのと同じ程度には限らんな。
マイノリティが「ペット的何か」という形でしか救われないとしたら、
結局マジョリティの気まぐれで救う・救われないが決まることになる。
それどころか、奈落に突き落とすのもマジョリティのお気持ち次第になるが、それでいいんか?
お前1人に該当することが世の中の全体と同じとは限らんだろ?