いやさ、お前らさ、その「絵かき」とか言う集団、そんなにでかくないから。
狭い世界だけで生きてるんだからみんな知りあいみたいなもんでしょ?
勝手にやっててくれよ。
外のことは知らずにお前も幸せじゃん?
勝敗を平等にルール通りに決めるための勝負を行う、なんてことはかなり文化レベルの高いことだろ。
簡単な勝負事ならじゃんけんなんかよりもくじ引きみたいなもの(先に花がついてる草とかなんでもいいから)のが
先にあったと思うけど。
売れないっつーか、しょぼいエロ漫画を書いていた人。
で、スカイプとかで話しをしたりしたんだけど、すっかり疎遠になった。
5年くらいまえか。その人の同人誌に絵を載せてもらったこともあるんだけど。
で、ピクシブを見たら、見覚えのある画風だなあと思って作品をまじまじ見たら。。。
画風は似てる、しかも、名前もちょっと変えただけで面影のある名前。
で、作品の中の登場人物にその当時モデルにしていたであろう人物の描写がでて、ほぼ確信した。
この人だ。
うれしくて速効フォローしたが、
この人も大人になったんだなあと思った。
持病も増えて、性格も悪くなって、職もやめた。
対して、その漫画家は楽しそうだった。
辛かった。
成長していない自分と、成長している(絵とか生活とか)その人と。
その人、精神病で、どうやら付き合ってる相手も頭おかしい人だった。
がしかし、今は楽しんでいるらしい。
うらやましい。
すごく、心が病んだ。
そのエロ漫画家の楽しさと、
現状自分がずーっと苦しんでるのとの差で少し落ち込んだ。
相手の頭を思いっきり木の棒や石で殴る。
なあ、お前と飲むときはいつも白木屋だな。一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。
俺が貧乏浪人生で、お前が月20万稼ぐフリーターだったとき、おごってもらったのが白木屋だったな。 「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから」お前はそういって笑ってたっけな。
俺が大学出て入社して初任給22万だったとき、お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。 「毎晩残業で休みもないけど、金がすごいんだ」「バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」 「社長の息子も、バイトまとめている俺に頭上がらないんだぜ」そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白木屋だったな。
あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白木屋だ。 ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。 別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。 油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、 本物の酒と食べ物を出す店をいくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?
でも、今のお前を見ると、お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、 俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。 お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。お前が体壊したのも知ってたよ。
新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う、20代の若いフリーターの中に混じって、 使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。十年前と同じ白木屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。 そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。
それでも、フリーターになりたい。
ヒャッハー!陰気な人間だー!根暗タイプがきやがったぜー!みんな仲良くの先にあるものだぁ?
うっせーんだよ!何が多様性だくそが!おれら地獄のMSD軍団だぜ!でも仲良くできない強敵(とも)がいてもいいって多様性は容認するぜ!ヒャッハー!
先日、イジメをなくそうという趣旨のテレビ番組で、子供たちがしきりに「みんな仲良くできればイジメなんてなくなると思う」「私はイジメをなくすために誰とでも分け隔てなく仲良くしようと思う」とのべていた。これ自体は、純然たる善意から出でた考えであって何らとがめらるべきものではあるまい。しかし、このような「誰とでも仲良くすべきだ」という社会通念は、本当に疑いなく受けいれてよいものなのだろうか。この「善意」は、容易に「悪意」に変ずる可能性を秘しているのではあるまいか。
たとえば、クラスの中心人物が「イジメをなくすためにクラスみんな仲良くしよう」と主唱したとする。しかるに、筆者のように陰気な人間は、あまり同級生とかかわりたがらない。そのため、同級生たちは「みんなで仲良くしようとしてるのに、おまえ最低」という美名のもとにイジメを開始する。このようなことが実際にあるかはわからないが、十分にありうることではあろう。
イジメをなくすためには、「みなが仲良くする」ではなく、「仲良くできない人がいてもよい」という多様性を容認する考え方の周知が必要だと思う。
昔の人は突発的に勝敗を決しなければならない時に何をしてたんだ?
三すくみの仕組みを利用した何かしらの勝負を利用しては居なかったのか?
ところが、実はそうでなく、三すくみというアイディア自体は普遍的だったとしてもじゃんけんという形で実装されたのはごく近代の事なので、知的生物が絶対にやってることとは考えにくい。
年齢関係ないしただ1回失恋しただけのこと。相手のコンプレックスを刺激するような捨て台詞を残して最低の女だな。くらいに思っておけばいいよ。
言葉を話すかだとか文字を書くかだとか
そもそも肉体を持っているのか居ないのかだとか
この宇宙ではなく2次元だとか4次元だとかの別世界なのかもだとか
色々あるだろうけど知性があるかぎり
絶対に「じゃんけん」だけはしてると思うんだ
お前の糞記事が何かは知らないけど、ひとこと言いたくなく様なクソ記事ほどそういう感があるな。
そりゃ、新着に載れば見る人が格段に増えるし、
さらに拡散の質として、「ブクマをよく使う人」向けに配信されるわけだから、
新着に載るか載らないかで極端な2段階になるのはどこでもいっしょ。
最近スターが増えた、ってことは、今まで知らずにブクマつけてお前の糞を垂れ流すのに貢献してた人達が、
気づいて、あ、この糞は読んだことにしときたいけどブクマつけちゃいかんな、って学んで
糞の排出抑制に貢献してくれてる、ということだろう。
正しいじゃん?
何がいけないの?
http://www.ustream.tv/channel/momoclotv
2012年4月のライブで歴代最高ライブの声もあるやつ。多分DVD映像の垂れ流し。最後まで見ればももクロ人気の理由がわかるよ。最後の締めの挨拶まで全部見れば、だけど。
人付き合いでの単純なミス。 あと一言伝えれていれば余計ないざこざも起きなかったんだろうけど。 実際に形として見えるいざこざではなかったのだけれど、相手をフォローするためのたったあと一言ってとても大事だなと。
こういう人間関係の言動に限らず、ちょっとした、普段やらないようなミスをやってしまうと相当にへこむ。
体調が悪いせいといえばそれまでなんだけど、今までの人生でそういう事は誰でも経験するだろうし努めて頻度を減らすようにしてたんだけど、実際にやってしまうと激しい後悔の念にかられてしまう。 逆に減ってきたがゆえに一回一回が目立つようになったのだろうか?
まぁやってしまった事をあれこれ考えすぎても仕方がないから、またそういった失敗を別の言動でフォローしていけるようやっていこう。