2014-01-31

「みんな仲良く」のさきにあるもの

先日、イジメをなくそうという趣旨テレビ番組で、子供たちがしきりに「みんな仲良くできればイジメなんてなくなると思う」「私はイジメをなくすために誰とでも分け隔てなく仲良くしようと思う」とのべていた。これ自体は、純然たる善意から出でた考えであって何らとがめらるべきものではあるまい。しかし、このような「誰とでも仲良くすべきだ」という社会通念は、本当に疑いなく受けいれてよいものなのだろうか。この「善意」は、容易に「悪意」に変ずる可能性を秘しているのではあるまいか。

たとえば、クラスの中心人物が「イジメをなくすためにクラスみんな仲良くしよう」と主唱したとする。しかるに、筆者のように陰気な人間は、あまり同級生とかかわりたがらない。そのため、同級生たちは「みんなで仲良くしようとしてるのに、おまえ最低」という美名のもとにイジメを開始する。このようなことが実際にあるかはわからないが、十分にありうることではあろう。

イジメをなくすためには、「みなが仲良くする」ではなく、「仲良くできない人がいてもよい」という多様性を容認する考え方の周知が必要だと思う。

  • ヒャッハー!陰気な人間だー!根暗タイプがきやがったぜー!みんな仲良くの先にあるものだぁ? うっせーんだよ!何が多様性だくそが!おれら地獄のMSD軍団だぜ!でも仲良くできな...

  • 「みんな仲良くできればイジメなんてなくなると思う(小学生並みの感想)」 「私はイジメをなくすために誰とでも分け隔てなく仲良くしようと思う(小学生並みの感想)」 普通にい...

  • そういうイジメをなくそうみたいなハードル高いこと言う前に 次善の策として物損のイジメなら弁償、身体的損傷なら停学だとかガイドラインを先に決めればいいのに

    • その考えはとても賛同したくなる。 この国では「子供に犯罪歴をつけること」をまるで悪魔の所業ででもあるかのような空気があるのが俺は大嫌いなんだ(日本以外の国がどうなのかは知...

    • 同じく。 悪いっていう認識が生まれにくそうだ。 謝れば済むみたいな。

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