人づてに聞いたので話半分で聞いてほしい。
あるカウンセラーが「よくわからない人」によくわからない理由で責められたようで。
私をいじめた。
私を責めた。
これ、カウンセラーなら何て返すのだろうか?
「何のこと?そんなこと言ってないよ」だろうか?
「まぁまぁ落ち着いて。どういうことか詳しくいってごらん」だろうか?
それとも危ない人ということでスルーだろうか?
もちろん正解はないのだが、
そのカウンセラーの返した内容はこうだ。
「こんなんきちゃったよ。参ったな」
そのカウンセラーの味方が
「サ○コ」だとコメントし、多くの味方の賛同を得る。
「パンチ効いてる」とコメントし、賛同を得る。
他の味方も次々にカウンセラーを擁護し賛同を得る。
「よくわからない人」は完全に悪者扱い。
自分の奥さんが、
私をいじめた。
私を責めた。
と言ってきたら同じことするのだろうか?
人の本当の心を聞かずに参ったな扱いするのだろうか?
「よくわからない人」は
しかも一般の人が見えないところで。
こういうカウンセラーにはなりたくない。
これ文脈考えたら、
任意の三角形ABCに対して、角Aのn等分線が辺BCをn等分するならばAB=AC
の意であることは明らかでは。
正三角形とか言ってるひとは変なところ気にしすぎだと思う。
ところで、nが3以上ならば角Aのn等分線が辺BCをn等分することはあり得ないよね
デブ専すぎて生きるのがつらい。
デブでしか興奮できないけどデブじゃない人と付き合ってきたし、今も付き合ってる。
セックスするならデブがいいけど、連れて歩くのは細い人がいい。
なんか好かれる人には好かれるキャラにかろうじてなってる
通じてるんじゃなくて周りが察してお前という存在をその程度の糞野郎でもう要らないわ、関わってくんなよ糞野郎が、
と思ってるだけなんだが?
お前よっぽど人から嫌われるんだな。頑張っていきてけよ?
>なんだか名誉に対する重さみたいな欲求が感じられる
そりゃ山本一郎さんは今やフジテレビの情報番組「とくダネ!」にコメンテーターとして出演する方ですから、もう立派な文化人ですよ
文化人としては重さが求められるのですよ
タイトルが全てを物語っているのだが,とりあえず前段を書く。駄文で申し訳ない。
3人ってのは「できちゃった」ではなく,計画的に産んだ結果である。
僕ら夫婦とも3人兄妹の中で育ったせいもあり,「3人は欲しいよね」と話しあった,という経緯がある。
(それ以上はさすがに経済,健康上困難であると思い,子作り以外の時はコンドームつけてた)
で,昨年末に娘が生まれたのでもうすぐ1年,記憶をたどると妊娠が発覚したのが5月頃,少なくとも1年半はしていない。
その間,性処理はオナニーのみ。いや,この前ソープに行ったか。
娘が産まれて数カ月は痛いだろうし,と納得し(週一でオナニーはしてたけども)半年以上経った夏の終わりに誘ったものの「もう嫌」とのこと。
それじゃあどうしたらいいのか?と尋ねると「エロ本買ってオナニーすればいいじゃん」とのこと。
エロ本代は出すが風俗は絶対嫌で,浮気したら離婚,と言われた。
ここに署名する我々は,グラフィックデザイナー,写真家,そして学生である。我々は広告技術・機構こそがもっとも有利で,効率的・魅力的な我々の手腕の活かし方だとされる世界に育った。キャットフード,胃薬,合成洗剤,毛生え薬,縞模様のついた歯磨き粉,髭剃り後ローション,髭剃り前ローション,痩せる食品,太る食品,におい消し,ソーダ水,タバコ,伸縮下着,ゴム入りズボン,スリッポン。こんなようなものを売るために技能と想像力を売り飛ばす人々を賞賛し,広告こそが正しいと主張する出版物に我々は責め立てられてきた。このような,この国の将来にほとんどないしはまったく貢献しないどうでもいい目的のために,広告産業に従事する人々の途方もない時間と労力が無駄になっている。
市民社会の拡大とともに我々はある飽和点に達しており,もはや押し寄せる消費者向けの販売攻勢は騒音以上のなにものでもない。我々は我々の技能と経験を活かすより価値のある仕事があると考える。例えば道路標識,看板,書籍,定期刊行物,カタログ,取扱説明書,工業写真,教育補助のためのツール,映画,テレビ番組,科学・工業出版物,我々の産業・教育・文化,そして世界の人々の意識に貢献するすべてのメディアがそうだ。
我々は消費者向けの激しい広告を廃止せよと主張しているのではない。そんなことは不可能だ。楽しい仕事がしたいというのでもない。より有用で持続的なコミュニケーションのために優先順位の反転を提案しているのだ。我々は販売のためのギミックやセールスマン,悪辣な隠し広告,そういったものに人々が辟易とし,そして我々の技能が有用な目的のために活用されることを希望する。この考えの下,我々は我々の経験と考えを共有し,関心を持つ仲間や学生等に供することを提案する。
簡単な解説:この宣言はイギリスのグラフィックデザイナ-,ケン・ガーランドによって63年11月29日に起草され,翌年4月,22人の署名とともに発表された。発表後400人以上のグラフィックデザイナーやアーティストが支持を表明し,デザイン雑誌を中心とした多くのメディアに掲載された。また,共感した英国議員トニー・ベンによってThe Guardian紙にも掲載された。当時,グラフィックデザインは経済成長に後押しされた広告産業の拡大によって急速にその主とした職域を広告産業へと移行しており,その形態・質が大きく変化しつつあった。ガーランドを始めとする一部のデザイナーはこの変化に危機感を持っており,ある種のバランスのとれた世界を目指した。この宣言は「グラフィックデザインは伝達されるメッセージに対して常に中立的であるべきなのか。あるいは中立的であることが可能なのか」という今日まで続く議論を引き起こした。後にこの宣言はカナダのAdbusters誌に再度掲載され,2000年に改訂版が各主要デザイン誌上で発表された。