はてなキーワード: ジョブズとは
温厚な眼に秘めたる決意。
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伝説となった男
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http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120207/1328600080
ハックルファンとして、最近の彼の記事の腑抜けぶりには強い憤りを感じていたが、これはもう限界だ。
おおハックルよ、最近の浮気性ぶり、他人の言葉を借りるだけで自分の言葉で語る不甲斐なさ、すべてがなさけない。
この頃から比べての劣化ぶりはどうしたことだ。全盛期を思いだせよ。
もっとご自慢の感性で、文章力で、はてなの駄目なところを抉れよ。それができないなら少なくともはてなはやめてしまえ!
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080611/1213162474
岩崎夏海という人の書いた文章と、はてな民によるツッコミが共振して、
ハックルさんに対する2ちゃん民の記事を取り上げる記事などを取り上げる事案が数件あったが、
彼のベストセラー作もしドラについては、ほとんど興味を持っていないことからもわかる。
よく知らない外部の人間からみたらただのキチガイにしかみえないが、
実際は高度なお約束から、作者と読者の強い相互理解成り立っている、ハイコンテクストな娯楽なのである。
時代こそ浅いが、歌舞伎のような伝統芸能の一種と考えるのがふさわしい。
現代風に言うならば、完成度こそ低いが、いや、完成度が低いからこそみんなに好かれる、
アイドルは、読者との間の関係の強さが全てだ。
ファンが求める虚像をどれだけ上手に演じられるのか、それが全てである。
その点、この岩崎夏海という人物は類まれなる才能を持っている。
彼は、精神科医の診断によると承認欲求の赤星巨星といっても良いほど承認欲求に飢えており、
周りなど気にせずマイペースに記事を書いているように見えて、
実際のところは強烈に読者を意識して意識して意識しまくっている。
ハゲって言われただけですぐに傷ついたフリをしてみせるなど、読者に媚を見せることに一切のためらいがない。
自己を見失ったり、自己イメージが磨耗して続けられなくなるのが、彼はそうならない。
いかなるメカニズムかはわからないが、彼の自己イメージは尽きせぬ承認欲求の供給によって常に明確に保たれており、
日本一のベストセラーを達成しても、常にむっつり不機嫌顔を絶やさず、負のレジリエンシーを維持し続けていた。
彼は、まさにアイドルとなるべくして生を受けたような、選ばれし存在だった。
ところが、最近の彼はちょっとおかしい。具体的に言うと、結婚の発表があったころからだ。
彼のアイドルらしさが薄れてきている。彼自身のスタンスが薄れてきている。
最近の彼の目は応援している観客の方をみておらずなにやら見当違いの方向を見つめているような印象だ。
ありえないことに、「彼が自分の頭で考えたことについて話をしようとしている」ようにすら感じられる。
彼が人気であるのは、彼個人の思考や目の付け所などは一切関係がない。まして文章力はゴミクズのようなものだ。
それでも人気があるのは、なぜか? 誰が彼を愛しているのか。
記事を更新したら30分以内にはてブを貢ぎに来る愚民どもではないだろうか。
その原点を振り捨てて、新しく進もうというなら、周りくどいことは抜きにして、堂々と宣言するべきではないか。
礼儀さえ尽くされていれば、我々は彼の変化を心から歓迎するだろう。
しかし今のようなつまらない記事でお茶を濁されるのは、絶対に許せない。
ピントのぼけたつまらん記事を書くくらいだったら、家族サービスに徹してください。
今のままだと50ブクマ越えられないと思うんで、しっかりしてください。
50ブクマ越えられないへっぽこ記事を書いてるハックルなど存在する意味がハゲくらいしか見いだせない。
ほかに気になるのがあったら、追加していただきたく思います。
http://blog.livedoor.jp/tabbata/archives/51228444.html
特にある程度ベテランの作家や出版社の多くが保守的なのは、アメリカでも日本でも変わらないと思う。
古い人の考えをいくらgdgdと批判しても、そこはどこの国でもたいして変わらんのだと思うよ?
問題はどちらかというと、新しい人の側にあるのだと思う。新しい人が、つまんねー。
日本だと、「作家や出版者を叩く人」には人気が集まっても、じゃあということで自炊代行を始めたり、独自のサービスを始めた人を応援したりはしない。
この田端さんという人も、これだけ作家の批判はするのだから自炊代行について何らかの援助になるかというと
そういう「責任」が生じそうなことは念入りに避けているのがわかる。
本当にただ皮肉を言ってるだけだ。
なにか提言をしているようにも見えるが、それも「自分以外の誰かが、そいつらの責任でやれよ」と言ってるだけ。
このあたり、どんな的はずれなことでもきちんと自分の言葉として発言し、
他人の批判も自画自賛や自分の行動のエネルギーに変えてしまうというハックルさんに慣れているはてなーとしては「つまらねー」としか言いようがない。
誰もが、「電子書籍の流れは止められない」「それに逆らうのは悪だ」というなんとなくの流れは読んで、遅れてるやつをバカにはするものの
じゃあその流れをつかんで自分は何をするか、っていったら何もしない。
むしろ、新しいことが始まらないのは古いやつがわるい、と古いやつの方ばっかり見てる。
古いやつを叩いたら、新しい何かを始めるための埋蔵金が手に入って何もかもうまく行くってな考え方が許されるのは、民主党支持者か記者クラブアンチか銀英伝世代までだよねー。
これからは奪い合いじゃない、シェアの時代だ、とかソーシャルの時代だ、とか言ってる人がなんとも身近な話題では
古いやつとか弱者からむしりとることばっかり考えてて、新しい何かを産み出そうみたいな感じに見えないのがすごく気持ち悪い。
特に記者クラブアンチの人は、まず最低限の職業倫理を規定して、そのマナーを守るまでは、絶対信用してはいけないゲス野郎だと思うわけですよね。
結論。
煽るのが得意な人は多い。特に仮想敵を立てて、スマートな論理で自分を正義に見せるような政治が好きな人は。それに無邪気に付き従う人も。
でも実行する人は少ない。 イケてるアイデアを思いついたら、不恰好でもいいから自分でやろうという人は。それを支えようとする人も。
結果として、とりあえずそれほどイケてないアイデアでも、実行したやつがベストセラーになったり、上場会社作ったりするらしい。
むしろ今の日本は、実行する人にはチャンスかも知れないねー。叩かれまくるだろうけど。
いくら詭弁で作家を叩いてもあんたらの見たい電子何とかは出ないよ。無いから自炊するんだと開き直るなら自分たちで出版社に掛け合え。そこまで作家に求めてどうするよ
紙の本に愛着がある人も多いのではないかな。頭のいい人には「ただの物理的な紙の束」に見えてもね
この人は活版印刷技術を貶めたいだけなのか?常に電源を気にする必要がある電子書籍にそれほどadvantageがあるとも思えないんだけど
コンテンツ業界の立場から見るとiTunesってコンテンツをデジタル化したら既存の流通は壊滅し、パブリッシャーは儲けが減るという失敗例だよね。そこを変えないと既存の権利者が変わろうとしない
彼らが今最高に「ダサいことを言ってる」という点については激しく同意なんだけど、電子書籍に直結できるか…とか、村上龍がまとも…とかについては無邪気すぎる
批判するだけだと、批判しながらも「その人が何とかしてくれるのを期待している」状態になる。
責任を自分たちじゃなくて、自分が無能だと罵っている作家に委ねてることになる。つまり、その人の力だけが強くなるってことになる。
結局のところ、いくら文句いっても、自分たちで何かアクションしなけりゃ、何も始まらない。むしろ文句いえば言うだけ相手が偉くなる。
このことを忘れてる人が何を言っても、アメリカの後追いしかできないということになる。
ここで終わり。自分で言うのも何だけど、なかなかゲスな記事がかけた。人のダメな点を見つけて、ぜんぜん違う話と結びつけてねちねちといびる。いいなこれ、楽しいな。実に増田的だ。
増田というのは基本クズだ。クズは自分の意見は何も言わない。意見とは自分の責任で何か言葉を発することだけれど私は徹底的に無責任なことしか言わない。
無責任に他人を批判して、「ああ増田はやっぱり口だけのゲスだな」と蔑まれるのが増田の義務。それ以上を望むならブログを持つべき。私はそれができないからずっと増田でやってる。
しかし増田をずっとやってるから、田端さんの記事の無責任っぽさがよくわかる。田端さんの記事も「増田でやれ」と言いたい。
まぁ無責任と思われるような記事をあえて実名で書く感覚は理解出来ないけど。仕事に差し支えないのかな。実名匿名ってよく論争になるけど、無責任な批判だけなら匿名で十分だろうに。
実名で何かモノを言うなら、自分の責任で何か書くのは当然でしょう?
田端さん、古い作家さまをそこまで批判するなら、「こうしないのはバカとかダサイ」とまで実名をもって語りたいなら、ご自身で何かされたらいかがですか?
村上龍の電子書籍、正直、あんまり成功してないと思うんですが、そノ取り組みが素晴らしいと思うなら、何か推進のために活動されたらいかが?
先日「Flashエンジニアが今後10年食べていくには?」というテーマを元に
Flash に精通した Web 技術者達のディスカッションが行われる催し物があった。
http://www.publickey1.jp/blog/11/flash10.html
この記事だけでは内容が省略しすぎているため
時間があれば是非録画の模様もみていただきたい。前半初頭は音量が小さいので注意。
こういった催し物は面白いなと、私はとても楽しく見させていただいた。
http://www.ustream.tv/recorded/19073524
http://www.ustream.tv/recorded/19074357
ディスカッションでは Flash だけではなく HTML5 についても触れている。
ディスカッションの感想をディレクションや営業を行なっている知人に聞いたり、
ネット上の反応を見てみたところ以下のような意見がいくつかあった。
「『Flash が好きな人』だけではなく HTML5 派の人との対談もあればよかった」
「Flash 派の人の話だから HTML5 が使えないという話はいまいち参考にならない」
『Flash 派』『HTML5 派』という くくりで考えてしまう人は
まだまだ多いと実感する。
パネリスト達は
過去から現在までに様々なプログラミング言語を利用し、あらゆる技術に精通している。
Flash という表示媒体/環境開発がベター(時にはベスト)だと考え、
Flash をよく扱っている、という旨を話している。
最後の締めとして
Flash よりも優れたものが登場するのであればそちらに移行するでしょう、
とも言っている。
これだけの説明があったのに
ディスカッション内で触れた HTML5 に対する否定的な話は、
『Flash 派』とやらのポジショントークだと目に写ってしまったのだ。
Java やら C やら objective-c やら perl やら php やら
サーバサイドからスマホ用ネイティブ言語を用いてのアプリ制作まで
色んな事やってます、と言っても
現在世の中には HTML5 を推し、合わせて Flash を否定する記事が結構出回っている。
技術者が話す専門的な用語の飛び交う話よりも
HTML5 vs Flash 的な読みやすい記事に耳を傾けてしまう人はいる。
Apple 製品を好む人は「ジョブズがそう選択したのだから」と
なおさらこういった記事に目を向けてしまう。
「Flash vs HTML5 の話にのせられてしまうのは、よくわかっていない人だ。」
ディスカッション内では、
ネット上の煽り記事を読み不安に思ったクライアントから連絡を受け
きちんと状況をゼロから説明するハメになってしまった、という内容があった。
似たような状況になっている人もいるのではないだろうか。
当方周辺では、
「Flash は駄目だ」「Flash でなくても HTML5 ならできるはずだ」
「HTML5 は Flash の代わりになるものだと言われている」と
クライアント、あるいは仕事先の関係会社から耳にする機会が増えてきた。
技術者の及ばないところで
ベターではない技術が選択、あるいは勧められてしまう やっかい性。
その記事は世間の目には届かない。
TV CM でバンバン流れている iPhone や iPad では Flash を見ることができない
という状況に乗じた
勘違いを正すためには、今までよりもより一層
あるいはメッセージを発信するよう心がけていかねばならないと感じる。
パネリスト達のような
Flash を扱う事が可能な技術力を持ち合わせている人にとって
Flash が終わろうが、代わりの技術が HTML5 やらその他何になろうが
大した影響はない。
『プログラミング』についての話をしてみる事にする。
「世にあらゆるプログラミング言語があるが
「何か一つ言語を習得し
『Flash の事は全く知らないがプログラミングプロフェッショナルの人』
が近くにいるならば是非上記について伺ってみてほしい。
その通りだと答えてくれるはずだ。
他の言語で作ったものを Flash のプログラミング言語に移植することも容易いのだ。
ここで上記三行の「他の言語」を「JavaScript」に置き換えてみてほしい。
HTML の DOM 操作に必要な言語は JavaScript である。
言語は、Flash ならば ActionScript、HTML5 ならば JavaScript を用いる。
画面描画は
あるいは用意されている描画用 API を ActionScript で呼び出し、
あるいは用意されている描画用 API を JavaScript で呼び出す。
Flash と似たような技術として Java Applet や Shockwave があるが、
これらも一緒で
言語を変え、その技術に合わせた描画を行う処理を記述するだけだ。
Web 技術者が何かに属していて、何かには属していないかのような区別の仕方は
的がはずれている事を なんとなく感じていただけただろうか。
仕事に対し、あるいは表現したい事に対し、ベターな選択を行うだけの事なのである。
環境や表示内容に合わせ両方を採る選択もあるだろう。
パネリストの中に ActionScript が好きだ、という人がいた。
これは別に
Flash が好き(製品のファン)だから ActionScript が好き、と言っているのではない。
ActionScript が優れたプログラミング言語だと判断しての発言なのだ。
HTML5 を選択するだけの事であり、
その別の技術を選択し、
Flash より優れた技術が登場しなければ Flash を使い続ける、
ただそれだけの事なのである。
もう少し突っ込んだ話をすると
Flash のプログラミング言語である ActionScript(ActionScript 1.0)と
HTML 表示制御を行う言語 JavaScript は 実は同じ言語仕様である。
『ECMAScript』という単語で調べてみてほしい。
「Flash と HTML5 は対立するもの」と考えていた人、
あるいは ActionScript や JavaScript を触れたことがない人にとって
「え?そうなの?」と思う人もいる事だろう。
JavaScript は大規模開発に向いていない、という話は聞いたことがないだろうか。
同様の言語仕様である ActionScript 1.0 はこの問題を解決するため
ActionScript 2.0 から ActionScript 3.0 へと進化していった。
Flash は開発がし易い、という話がよく挙げられるが
その理由の一つがこれである。
現行の JavaScript と ActionScript 1.0 は ECMAScript 3 準拠に対し、
ActionScript 3.0 は ECMAScript 4 準拠である。
言語として進化しているものを Flash は採用しているので
開発は抜群にし易い。
ECMAScript 4 準拠の JavaScript も登場する日もあったかもしれなかったのだが、
ECMAScript 4 標準化が白紙、
ECMAScript 4 は無かったことになってしまったのだ。
ActionScript 3.0 で作成したプログラムが
ちなみに JavaScript は大規模開発に向いていない、という事に対し、
最近では Google が新言語 Dart というものを開発している。
位置づけとしては ActionScript 2.0 に近いと比喩した人もいる。
ActionScript 2.0 はコンパイル時 ActionScript 1.0 に変換されて出力される。
Dart も同じく JavaScript 変換機能を持つ。
先の事は誰にもわからない。
HTML5 が成長するとは必ずしも言えない。
技術者は身を持って知っている。
表示と動作の差異、技術者はずっと苦しめられてきている。
めんどくさい。コストがかかる。
HTML5 も同じ道を辿るのでは、と言われてしまうのも仕方がない。
実際に HTML5 の各ブラウザの実装具合はバラバラである。
Flash はといえば、
今でも 10年以上前のスクリプト言語 (ActionScript 1.0 よりも前の言語)で
Flash が動作するブラウザがいつまで携帯に搭載され続けるのか、
まだ誰にもわからない。
今後も当面携帯向け Flash を作り続ける事になるのかもしれない。
携帯向け Flash は一つの容量が小さいというのが救いである。
IE6 対応 HTML サイト制作にせよ、携帯向け Flash 制作にせよ
状況に応じて何を選択するかを判断できるほどの技術力を身につける事
選択する技術に何ができて何ができないのか、
どの技術を組み合わせるとよいのか、
自ら判断できるようになった時、一人前の Web 技術者になったと言えるだろう。
一つ何かをモノにしてしまえば前述の通り移行は容易い。
それを極めるくらいまでとことん勉強してほしい。
続けていくと見えてくるはずだ。自信という名の悟りの道が。
気になった点をいくつか。
現状の HTML5 の実装具合のバラバラさに対し、
「(HTML5の)表示の差分を埋めてくれる何かが登場するかもしれない」
と言う発言があった。
言った当人も会場にいる人達も、きっとこう思っただろう。
「それってなんて Flash Player?」と。
「あれはやめたほうがいい」という発言があった。
勝手に注釈するのであればこの発言は
「Flash で作られた重たい Web を HTML5 でまた再現するつもりなの?」
という皮肉であろう。
http://www.youtube.com/watch?v=MGt25mv4-2Q
このCM動画だけど、Googleがミクを取り上げたとかで、一部で話題。だけど、僕にはこれがGoogle衰退の一歩に思える。
Googleは、ご存知の通り、ウェブサイトに配信する広告収益で非常に大きな利益を出している。これは、開発者にとって、夢のような環境をもたらした。収益部分と製品開発が分離することで、顧客の要望に煩わされることなく、収益性を考慮することなく、コンピュータサイエンスの粋を尽くせばそれでいいという環境ができた。ぶっちゃけ、広告を貼るスペースを出しておけば、何を作っても良かった。そんな単純でないけど、例えばGoogle Docsなどは、未だに広告がない。Gmailにも、昔風な広告フッタがない(作成画面にはあるけど)。こういう環境のおかげで、ユーザも開発者も誠意だけで仕事ができた。
そこで出て来たのが、先のCMだ。これはミクが世界に広まる様子を表現したものと思っていい。でも、これ、Google ChromeのCMだって知ってた? アカウントがChromeになっているの、気づいた? このCMからChromeの良いところって理解できた?
僕はわからなかった。スキンとかアプリとか出てくるのかと思ったけど、全然出てこなかった。要するに、焦点がぼけているのだ。
僕にはこれは怖い気がする。だって、Googleは、自分たちが何をしたいのか、何を売っているのか、理解してないんだぜ? 個人のお遊びならともかく、会社の名前でCM作って、何も伝えられなかったんだぜ?
ここでひとつ思考実験する。「もしGoogleが広告収益以外で利益を得る必要が出て来た時に、どうやって収益を得ることができるのか」。検索アプリを有償化するか? 無理でしょう。無料で獲得した利用者が、いくら不可欠だからって、有償化でついてくるとは思えない。一応有償アプリの販売プラットフォームになるよう努力しているけど、結局広告収益のほうが良すぎて、力が入っているとは思えない。いわゆる「イノベーションのジレンマ」というやつだ。収益の上がりすぎている事業があるために、次なる収益探しに力が入らないのだ。現にYouTubeは広告がベタベタだ。
奇跡的過ぎる例だけど、アップルはそれをやってのけた。アップルは、元の名前を「アップルコンピュータ」と言って、要するにパソコンを作る会社だった。それで一度大当たりをして、その会社として20年パソコンに力を注いだ。で、最初の10年はともかく、あとの10年でどんどんだめになった。でも、恐らくはアップルコンピュータでパソコン以外を自分たちのコア事業にしようだなんて夢想した人はいなかっただろう(Newtonとかあるのは知っているけど、結局コアにならなかった)。そこで、ジョブズがやってのけたのは、「アップルコンピュータを パソコン以外の会社にすること」だった。音楽プレーヤーを始め、今ではモバイルの先進となっている。だから、社名から「コンピュータ」を消した。
このように、Googleが、もし広告がダメになった時に、どういうことをするのか。それをGoogleは考えていないのではないか。特に日本法人。僕には、先の焦点のボケたCMが、そういうことを考えてない、ダメなGoogleの象徴に思えてならない。
http://anond.hatelabo.jp/20111209095945
ライフハックとか自己啓発とかの記事の中には、単に昔から上司が部下に教えてきた「普通の仕事の常識」のポイントをまとめたものにすぎないものも多くって、それって、どこが啓発でどこがハックなんだよ、単なる新入社員教育じゃん、みたいなところがある。
fromdusktildawnさんのこれは名言やなぁと思う。
というわけで、ライフハック好きの人たちのために「色々漁るよりまず基礎固めしろ」ということで新入社員をターゲットとした自己啓発書をおすすめする。
良書に特徴的なのは「上司の単なる言いなりのロボットではなく、会社から必要とされる人間になるためには何が必要か?」という問からスタートしていること。
それに対して、「まず会社という環境で自分の居場所を確保せよ」「まず存在を認められる何者かになれ」ということを目標に掲げ、そこから応用していく仕組みになっていく。
この2つについて、読んで満足して終わり、のスローガンではなく、実際にステップを踏んで実践方法を書いてある。
新入社員だけでなく、未だに会社で居場所がない、何者にもなれない、と感じる人間は大勢いて、そういう人はライフハックを求めているのだと思う。
難しいやつは読んでも実践できないだろうから、まず「ライフハック入門編」「ライフハックを実践できる自分の確立」を目指してこういうところから読んで行かれると良いと思う。
自己啓発目的なので、考え方やコミュニケーションを中心にして、「マーケティング」や「会計意識」などについてはあえて削除してます。
http://www.amazon.co.jp/dp/4480878181/
新人にとって最初にぶつかるであろう社内コミュニケーションに関する話が中心の本。
自分の立場をしっかりと確保するための戦略について述べられています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4478015422/
酒井譲さんの「リーダーシップでいちばんたいせつなこと」とどっちかで迷ったけどこちらをチョイス。
ちょっと要求レベル高いです。自己裁量で動き、成果を挙げるところまでについてのアドバイス。
http://www.amazon.co.jp/dp/4479300554/
この本でなくても良いです。なんでもいいので、最低1冊はコーチングの本を読みましょう。
書いてる内容が直接役に立つことは少ないでしょうが、
自分の心に問いかけ、気持を開示することによって、自分の意識を変えうることは知識として持っておきたいところ。
自分だけでUnlearningが出来るかどうかは人によりますが、他人やツールの力を借りればだれにでも可能です。
行き詰まったときなどに、このことを知っていると必ず力になります。
「自分がやるべきこと」と「自分のやりたいこと」の区別、すりあわせなどもコーチングの得意分野です。
http://www.amazon.co.jp/dp/4422100513/
定番ですが、本当に本書に書かれていることを実践すれば効果があるのだから仕方が無い。
これは新入社員の時にこそ読んでほしい。力がないからこそ真剣に読めるはず。
Wikipediaとかで項目だけ読むのはNG。ちゃんと本に挙げられている実例とともに読もう。
「人を動かす三原則」「人に好かれる六原則」「人を説得する十二原則」「人を変える九原則」とありますが、新入社員にとって重要なのは前の2つ。
まず「人を動かす三原則」だけを10回くらい繰り返し読むべし。これが身につくまで先に進まないほうが吉。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4766416244/
あえて「学問のすすめ」ではなくてこちらを。実際こっちを先に読むべきだと私は思う。
新入社員である自らを、「列強国に囲まれた日本」「他国と対等に語る手段や言葉を持たぬ日本」といったイメージにあてはめて読むと心にグッときます。
危機感が足りないと思ったらこの本読んで喝入れましょう。
http://www.amazon.co.jp/dp/4569571182/
新入社員にとっての最終関門。
一言で言えば社内で「会社人生におけるメンター」を獲得するための戦略について書かれている。
この本の要求をクリアできれば会社で成功するのはほぼ約束されると思う。
ただ少し古い本なのでアレンジも必要。今は社内にこだわらずWeb上に目標となる人やメンターを見つけるのもよいと思う。
http://www.amazon.co.jp//dp/4561233857/
この本じゃなくてもいいですが、セルフアセスメント(自己評価)のためのツールは何か持ってるといいと思います。
3年ほど前に「さあ、自分に目覚めよう」のストレングス・ファインダーがブームになりましたが、コミュニケーションのきっかけとしても便利なのでお勧めです。
定期的に「客観的な基準で」(社内の基準ではなく)自分の棚卸をする習慣がないと、会社の中で腐る危険があります。
http://www.amazon.co.jp/dp/4904336275/
セルフアセスメントとのバランスとして、組織のアセスメント手法も学んでおくとなおグッドです。
ジョブズを絶賛しているような人はアップル社は客観的に評価するとどういう会社なのか、などがわかって楽しいでしょう。
ただちょっと値が張るので、組織文化の分類にどんなものがあるのか、とチェックシートだけを立ち読みするくらいでいいと思います。
一方、読むべきでない本
タイトルからはわかりにくいですが採用活動に関するアドバイスの本です。
悪いことは言わないから読むのやめておこう。確実に胸糞悪くなります。
この人も中小企業のオーナーであり、また採用活動のアドバイザーです。つまりきれいごと理想が高いです。
自らの採用スキルの高さを強調し、自社のブランド価値を高めたいのはわかるけど、基準に満たない学生の扱いがひどいことになってます。
ただ、一般に上の人は新入社員をこういうふうに見ているということは嫌というほどわかるでしょう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20111201/224762/
民主主義は、そもそも「豊かさ」の結果であって、原因ではない。つまり、民主主義は豊かさをもたらすわけではないのだ。
若い人たちは、民主主義と市場原理を同じひとつの社会システムだと考えているのかもしれない。
それらは、似ているようでいて、まるで違う。ある場面では正反対だ。
民主主義は、少数意見を排除するシステムではない。むしろ、少数意見を反映する機構をその内部に持っていないと機能しないようにできている。だからこそそれは効率とは縁遠いのだ。
原理的に競争的な職場では、市場原理が、怠慢を駆逐し、より高い労働へのモチベーションを生むことになる。多少の軋轢があるにしても、競争は、全体の発展につながる。
まるで内田樹の文章を読んでいるような。あの人は語りと誇張が激しくて吐き気がするほど嫌いだけれど、この人くらい抑制されていたら納得できる。
しかしそんなことより、この記事についてはてブ欄でなぜか銀英伝トークが盛り上がってることに刺激されたので書いてみる。
銀英伝もいいけどローマ人の物語の話しようぜ。橋本さんは共和政ローマ末期の政治でいうならどこまでいけるだろうかねー。
ポエニ戦争勝利以降の話ね。
とりあえず橋本さんを彷彿とさせるような要素がある人間を並べてみた。
知ってる人は説明読まなくてもわかるだろうから、適当に選んでください。
スルピチウスとかも入れるときりがないから省きましたが「あとこいつが足りない」と思う人がいたら入れてください。
<ホルテンシウス法>
スキピオ・アフリカヌス :ハンニバルに勝ったヒーロー。しかし権力持ちすぎて元老院の保守派、というか大カトーさんに嫌われ
すげーささいなスキャンダルで失脚させられる。哀れな末期。
ティベリウス・グラックス:ええとこの坊ちゃん。格差をなくそうとして護民官としていろいろやろうとするけど時期尚早すぎた。
アンチグラックス派の元老院の戦略で独裁者のレッテルを貼られ、最後民衆にリンチで殺される。
ガイウス・グラックス :ティベリウスの弟。兄ちゃんの失敗を踏まえて、独裁でもいいや、民衆が認めるほどに圧倒的な支持を得た上で改革にとりかかる。
ただし彼も執政官ではなく護民官として改革を実行。元老院とは対立的な構図になってしまう。
「市民権」問題で富裕層の支持を失い、留守にしている間、元老院に買収された仲間に裏切られて失脚。
メンタルの弱い支持者が暴走した結果自分まで反逆者扱いになり、逃亡の果てに自殺。生存中に行った改革はすべて白紙に戻された。
マリウスたん(民衆派) :家門名を持たない二等市民。高等教育を受けず教養がなかったが、問題解決のエキスパート(優秀な軍人)として声明を高める。
軍制改革により常備軍をつくりあげたことが失業対策となり、戦争の勝利もあって貧困層から一般市民まで圧倒的な支持を得てトップに。
しかし政治や外交能力に乏しく、護民官と元老院の紛争を調停する能力がなかったので政局不安を招き、支持率急低下→失脚。
あげくスッラさまのクーデターで国外追放とか、くやしいのうくやしいのう。
スッラさま(元老院派) :敵との戦いに行ったと思ったらそのまま子飼いの軍隊を率いてローマを占拠。マリウスさんを追い出す。スッラさまのクーデターまじぱねぇっす。
ただ、お出かけしてる最中に仲間に裏切られて国外で孤立。スッラさまの運命やいかに。
逆襲のマリウス :スッラさまがお出かけ中に裏切り者の内通で戻ってきて、自分を追い出した元老院のやつらを皆殺し。エゴだよ、それは。
暴れまくってる間に寿命が来て終了。
<ヴァレリウス法>
スッラさまMKⅡ :マリウスが死んだ後復帰。ローマ史上初の任期無期限の独裁官に。 ちなみにジョブズばりの恐怖政治。
後の歴史家が言うには「時代の流れに反する」元老院強化、護民官の弱体化などを推し進める。
反動的なやり方だけどスッラさま在任中はうまくいった。スッラさまのカリスマまじ最高。
任期無期限の独裁官だったのに、途中で退職し悠々自適の生活を送った後病死。
ルクルス :スッラさまの忠実な部下。スッラさまの死後に執政官に。
優秀な軍人だったけどエリート臭が強く金に汚かったためすごく不人気。ものすごく不人気。大事な事だからry
スッラさまの遺志をつぐべき立場だったけどあんまり頑張らずに引退。
ポンペイウス&クラッスス:超金持ち出身&超優秀な軍人。ローマの勢力範囲を過去最大にする。
「俺強くね?イスカンダルより優秀じゃね?」ということで、
スッラさまが修復・強化しようとしたローマ共和制のルールをことごとく破壊しながら若くしてトップに立つ。支持率も多分80%超えるレベル。
このあたりで「もうやめて!ローマ共和制のライフはもうゼロよ!」状態に
ガイウス・ユリウス・カエサル :スッラとポンペイウスを足して2かけたレベル。きたみたかったー。ぶるーたすおまえもかー。
※ちなみに「ローマ人の物語」において、このあたり「ポエニ戦争後からカエサル前」までの記述は、
塩野七生が、大好きなカエサルを絶賛するための前説部分として扱っているようで、
むちゃくちゃ結論ありきで語られています。 特に塩野節がきつくて正直鼻につく人がいるかもしれません。正確性にも疑問が大きいところです。
そんなに偉そうに言うならお前は今回の大阪市選挙で何が正しいのか言えるんかい、と突っ込みたくなるレベル。
ただ、偏ってるということは、一本筋が通されているということでもあり、それがむちゃくちゃ面白いです。個人的にはこの時代の話は、全体通して二番目に好きです。
特に、彼女がポピュリズムや独裁についての考え方を開陳する部分は、昔銀英伝にはまった人間には非常に刺激的な部分だと思うのでおすすめ。
※私自身は橋本さんについては批判的な立場です。こういうときハイエクとかわかってたら格好良く批判とかできるんだろうかね。
私は職場が大阪にあるんで、やっぱり色々気になりますけれど、肯定的なところがほとんど見いだせない。
独裁者は必要かもしれないけれど、個人的には一番独裁者にしたら駄目なタイプだと思っていて、そこの評価をマスコミが全くできないことには恐怖を感じます。
スティーブジョブズの受け渡しは、予期しない方法ですべての人の影響を受けており、実際そのとおりです。は彼の天才、顧客が何を望むかを確認するために彼の能力、そしてAppleは正確に彼らが何を望むかそれらの顧客を明らかにしなかったない製品を販売しないという彼の不撓不屈の需要を否定することはできない。ジョブズCEOはなくなってで、焦点はAppleがその天才なしで前進運賃する方法になります。
私はスティーブジョブズのないアップルについての憶測から宿泊しているが、私はAppleが危険にさらされていると思うどこに私は昨日持っていた会話は家運転した。これは(おかげでパトリックムーアヘッド)優秀な人々との会話に何ができるかです。
Appleは優れた製品を生産し続けるために才能のある多くの人を持っていることは間違いありません。スティーブジョブズのようにうまくつながったことを同じ人々はまだそこにいる、とのTim Cookがすべてのアカウントによる効果的なリーダーです。パトリックとのこの議論しながら一つのことは、将来的にアップルに影響を与える可能性のあるその私を襲った。
Appleの製品開発を監督スティーブジョブズ"多くの強みを、彼の期待に応えていない製品をリリースする彼の拒否は、伝説的です。ジョブズCEOは、直前に起動するように製品を殺し、再び開始するために振り出しに戻ってチームを送ることについて言わ物語があります。ジョブズCEOは、完全に顧客のニーズを満たしていない製品をリリースし、その後、後でそれを修正するの標準的な業界の慣行に従っていないでしょう。これはAppleの製品は顧客のため好評を得ている理由ですは間違いありません。
そうしないと、流れ流され、自分でも不本意なところへ漂流してしまうかもしれない。
もう、万人に通用する幸せのモノサシが与えられる時代じゃなくなったんだと思う。
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良い高校に入って、良い大学に入って、良い企業に就職して・・・
サークルに入ってる間は、サークルの目指す価値に身を捧げてきた。
でも、これも自分で考えついた目標ではなく、与えられた目標だったように思う。
良い企業に就職して、というのには失敗してしまったかもしれない。
もちろん、このご時勢に仕事にありつけるだけ、ありがたいことだとは思う。
でも、今すごく危機感を持っている。私は、目指すべき指標を失ってしまった。
来春からの仕事は、私の中では「食うための仕事」として納得された。
やってみないと分からないが。でも、今の段階では生きがいとか、幸せ、とは結びつかない。
そもそも、仕事に過剰に「自己実現」だの「自己成長」だの言うのが変なんじゃないか。
多くの人にとって、おまんま食うための手段だろうし、それでもいいと思うんだ。
みんながみんな、ジョブズやら、孫正義のように、リーダーになりうるヴィジョンを持ってるわけじゃない。
「お前が消えて喜ぶ者にお前のオールをまかせるな」
誰かのモノサシによっかかって、『自分は不幸せだ』と嘆くよりも、
個人の時代なんだな。辛いけど、強い個人であらねば。
おまい、スマフォと言って本当にスマフォしか想像してないのはヤヴァイぞ。今、スマフォと言ったらスマフォ+iPadやandroidタブレットも含めての事とされる。特にゲームなら、同じゲームがスマフォにもタブレットにも配信されてることが多い(ゲームロフト系はほとんどそう)。
俺はコンソールでWASD操作のFPSを「人間以外がやるモノ」と思ってるからもちろんCoDとかはプレイしてないんだが、そういう層にとって、スマフォ向けだったりタブレット向けだったりするそれらのゲームは非常に優しいんだよ。インターフェースがわかりやすく、かつ確実にチュートリアルが付いてくる。
ということは、初心者にとっての入り口が非常に広いと言うことであり、「親しみやすさ」は半端ないわけだ。逆に、WASD操作に慣れてる人には不評だってのは分かるけどな。でも、そいつらは俺ら(タブレットユーザ)らから観ればむしろ少数派で、今のタッチパネルにおける操作の方がより人類に馴染むのではないかとは個人的に思っておる。
だって、数年もしないうちに人々は物理ハードキーを捨てることが可能だったわけだろ?
ともかく、スマフォorタブレットユーザは膨大かつそんなに情報的に弱いということも無いわけで、しかしCoDやりたいユーザはきっと多く、でもコントローラやキーボードを握りたくないと思ってる人は結構な人数がいて、だからこそ今の市場が成り立ってるんだろうさ。今までのコンソールを遊んでる人とは別の人種かもしれないけどな。
しかしながらその人数はジョブズが言うには2億人オーバーらしいぞ? そのビッグウェーブに乗れないと、いづれ世界的な潮流に乗り遅れてしまうのではないのか?角度とか。いやもう遅いけどな。
長くなったので、先に結論だけ書いておきます。
もしドラには2つテーマ性を感じた。(作者的にはもっとあるのだろうけれど力を感じたのはこの2つだけ)
・人間の出会いや出発点を描く、という意味では素晴らしい作品だと思う。
・社会からズレてしまっているor適応する振りをして生きている人の生きづらさとその解放を描く、という意味では中途半端。もったいない。
というわけで、「小説の読み方の教科書」の次に「もしドラ」の感想を書こうかと思ったけど、
この不思議な「小説」については、単体で語りにくいので、「少女不十分」という「小説」を補助線として使わせてもらいたいと思う。
ちなみに、西尾維新の作品を読んでない人にはわけわからん話ですがご了承ください。
◆ものすごく読みたくなる西尾維新「少女不十分」感想文 http://zeark969.blog38.fc2.com/?no=2968
私はこの感想読んで、少女不十分よりもむしろむしろ「もしドラ」を読み返したくなった。
(というか少女不十分の内容としては不適切だと思っている。少女不十分は「難民探偵(白)」のようなものなので、こっちも読んで見るよろし)
はてなベテランが小説家としては新人として「少女不十分」を書いた結果がもしドラなんじゃなかろうか、と。
僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
西尾維新にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
西尾維新という安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。
そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど
数々の言葉遊びを仕掛け、自分の小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。
これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。
↓
僕は本作以外に岩崎作品を知らないが、岩崎夏海の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
岩崎夏海にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての岩崎夏海の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
岩崎夏海はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
もしドラが新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
ハックルという安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど数々の言葉遊びを仕掛け、
自分の自尊心を支えてくれたはてな村住民に精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
少女不十分に対する批判と、もしドラに対する批判って、文章力「以外」ではほとんど同じだと思う。
ご都合主義だとか、作者の自慢だとか、作者のこと自体が気に入らないとか、これが本当だったら俺の人生は何なんだ、とか色々。
テーマも似てると思う。
少女不十分の少女はみなみであるし、少女不十分の主人公は岩崎夏海であり、
あるいは、少女不十分の少女は岩崎夏海であり、少女不十分の主人公はドラッカーである。
(この「混在」のせいで、読者からすると「ドラッカー」の価値がわかりにくいを通り越してドラッカーなめてるような小説に見えるのはご愛嬌。)
そういえば、岩崎夏海がめずらしく西尾維新の化物語をほめていたのが結構印象的だった。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111006/1317885951
しかし読めばわかるが、彼はその褒め方について化物語の面白さを全然語れていないと思う。的外れもいいところだと思う。
多分、それはもっと本質的な部分で感動させられたのだろうけれど、猫物語(白)の羽川翼のように、
化物語が自分の本質を付いているということを、それにゆさぶられることによって見えた自分の核の部分を見つめることを避けたのかも知れない。
彼はジョブズについても的はずれな分析とか論評を書いているが、
意外とブログに書いているとぜんぜん違う部分で本当にジョブズに救われたような部分があるのではないか?
彼が的はずれなことを書いている記事ほど、彼がその対象に本当に揺さぶられてるんじゃないかとおもう。
この人は結構こういう「出会い」の体験を何度もしている人なんじゃないだろうか。
ぎりぎりの所でなにかと出会って救われたり、出会いが自分を飛躍的に変化させる、ということを、体験から、理屈を越えたレベルで信じているのだと思う。
(この部分に思いを馳せないと、この作品には、つながりとして「?」を感じてしまうことになると思う。)
ブログを読んでいても、この人は「真の教師」を求め、自分も誰かにとってのそれでありたいんだろうな、という点はよく伝わる。
もしドラの成功後は、デュルケムの言うところのアノミー的自殺に対抗するためだろうかその傾向を加速している印象だ。(あまりにも空回りしている印象があるが)
「もしドラ」も、正直ドラッカーについてすべてを理解できているようには感じなかった。
ただ、その必要はないんだ、と思う。それは学者の仕事で会って読者の仕事ではない。
むしろ化物語のヒロインが阿良々木暦に出会うことで、生まれ変わりを果たすように、
みなみもドラッカーにコミットしていく過程で自分をみつめ、劇的に変化する。その部分が大事なんだと思う。
経営学者としてでもなく、社会生態学者としてでもなく、一人の人物としてドラッカーに出会い、
そこから何でもいいから自分の物語に必要な何かを学び取り、自分を自分で救い、クソッタレた世界の中で生きていく。
そういう「一人の人間の、出発までの話」を書こうとした部分はすごいと思う。
私はそういう意味で、この本は「ドラッカー入門書」という言葉は正しいと思う。まぁドラッカーに限らずの「出会い入門書」と言いたい。
先に感想を書いた「小説の読み方の教科書」は少し茶化したような書き方をしたけれど、もしドラは本当に「小説との出会い方の教科書」と読んでもいいと思う。
(もちろんもしドラは「出会い方」しか教えてくれないので、その後の「斬り結ぶ」方法や「深める」方法などは別の書物を参考にするべきだが)
「成長ではなくて出会いを描く物語」「劇的な結末ではなくて出発点を描く物語」「恋愛や友情以外でも人を変える出会いはある点を語った話」という点に絞ってみれば、この作品はかなり素晴らしい作品だと思う。(逆に前者側の評価指標で見るとすごい低評価になる)
作者がもしドラで成功した後すぐ別のところに興味が移ってしまうあたりを見ると(的はずれなことも多いけれど)
おそらくこの人はそういう「出会い」や「出発」を求めてやまないタイプなのではないかと思う。
正直アニメでもなんでも、ありきたりな結末には飽き飽きしているので、むしろこういう「強烈な出会い」や「強い動機の出発点」を描ける点を大事にしてほしいなと思う。
時代的にも、大人が語る将来や成功といったものにはネガティブなイメージがつきまとう。
今大事なのは、そういうつまらないゴールを目指してごちゃごちゃやる話とか、決断主義もののような、義務感で戦うみたいな話じゃないと思う。
ゴールはよく分からなくても、スタートせずにはいられないような強烈な出会いを描くことなんじゃないかと思う。
大人が読んだら無責任で、危険な話かもしれなくても、まずワクワクさせられるスタートをこそ、読みたいと思う。
ここまでわかってた上で、要するに結末部分はおまけだ、というのはわかっていても、まぁラストはひどい。笑えない。
あれは物語をカスにする要素であったと思う。蛇足どころの話ではない。この結びによって、この話そのものが茶番になっている。あまりにも若者を馬鹿にしている。
出版社がダイヤモンド社でなければこの部分は書かなかったのではないかと今でも信じたい。
もちろん、作家としては新人の彼が、出版社の意向を無視して好きな様に書けるわけではなかっただろう点は承知している。
だから、この作品については特に序盤については高く評価しつつも、次回作以降の期待を込めて全体としては低い評価を付けたいと思う。
そういうわけで、私は序盤と中盤以降で、別の作品とまでは言わないが、作者の本質は序盤にあると思っているため、
作者がその「結末」を持って、「序盤」部分の書店員の行動を正当化したあれは、全く理解できなかった。 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
作者自身が、序盤と結末をつないでしまうこの感覺が私には今でも理解出来ない。どういうつもりなんだろうか・・・。
結論 うまくここに接続出来なかったのでやや唐突ですがご了承ください
良くも悪くも40歳のこれはオッサンでないと書けない、40歳のオッサンの感性で書かれた話だと思う。
この作品を理解する上でドラッカーの知識は全く必要ないが、ある程度の人生経験というか前提を共有できることは必須だと思われる。
「少女不十分」が、西尾作品を読んだ人でないとほんとうの意味で感動出来ないように
(彼の10年の積み重ねや作品傾向を知らないと、作品の芯の部分に心から共感できず、ただのお話に読めてしまうのと同様に)
次はfateかPersona4の話をしたいと思います。zeroじゃなくてstay/nightの話ね。
本当はもしドラのもう一つのテーマであろう「生き辛さ」について書きたかったのだけれど、
正直もしドラはコレについて十分に描き切れた作品だとは到底言いがたいので、それはPersona4とfate stay/nightにまかせる。
なんつーかジョブズについては
だが、ほんとうのジョブズは、もっと冷酷な人間だったそうです。
妹はさすが作家だけに、事実を美しく描くことに長けているけれども、たとえば、
というエピソードの実態は、
Macintoshの開発中にもスタッフらのガールフレンドや妻たちを酷評することは日常だったという。
誰だって自分の彼女や女房の悪口など他者から言われたくはないが ジョブズは他人の思いなどに気持ちが向く人間ではなかったようだ。
だったとしたら、笑えませんか?
ぜひ、ジョブズの妹の弔辞を読んだ後に、このブログ記事を読んでください。
(元の文は長いため、所々を中略している)。
スティーブ・ジョブズの陰の部分に光を当てる!
スティーブ・ジョブズ氏はいまや世界でもっとも有名な経営者でありそして大金持ちのひとりである。
アップルの共同経営者でLisa、Macintoshは勿論 iPodやiPhoneといった世界的ヒット商品を生み出したというだけでも歴史に名を残すのに十分だが、瀕死のAppleに復職した後の活躍たるやまさしくスーパーマンである。
しかし彼は常に負の部分を多く持つ人物としても知られている。
(中略)
彼の負の部分、陰の部分とは 誰の人生にもあるであろう例えば青春の一時期…粗野で他人を顧みない言動をする…といったことではない。
私が最も忌み嫌うことは 信頼している人たちを裏切るというその一点にある。
筆者は、ジョブズが人を裏切る例として、まずは、比較的よく知られた、ジョブズの詐欺話を紹介している。
アタリ社からブロック崩しのゲーム機の設計を頼まれたジョブズ。彼は親友のスティーブ・ウォズニアック一人に仕事を丸投げし、ウォズニアックは48時間で設計を完成させた。
ところが1,000ドルという報酬額を隠し、「600ドルをもらったので折半しよう」と言って、400ドルを懐に入れてしまった。
親友を裏切ったジョブズ。後日それを知ったウォズは、泣いたという(多分ほんとうだろう。ウォズは感激屋で、ジョブズが亡くなったときのインタビューでも、泣いている)。
しかしジョブズは、親友を裏切ったことを「覚えていない」で済ましたそうだ。
また、1978年5月にジョブズの娘・リサが生まれたものの、ジョブズは実子であることを決して認めず、その頃は億万長者だったのに、養育費もまともに払わなかった。
1979年の夏、ジョブズはやっと父子鑑定テストを受けることを承諾したが当時はまだDNA鑑定はなかったものの結果はスティーブ・ジョブズがリサの父親である可能性は94.97%と出た。
しかしそれでも彼は自分の子供ではないと主張し続け養育費を払おうとはしなかった。
リサの母親はやむなく生活保護を受け、裁判沙汰となりようやく養育費を支払うことや医療保険を与えることなどに合意したものの、当の子供に会うことを拒絶し続け父親であることを認めなかった。
暴君として振る舞う彼のエピソードもある。
また有名な話のひとつにApple社のストックオプションの話題がある。
すでにジョブズはAppleが株式公開を果たしたことでアメリカ有数の金持ちになっていたが、自身の力を見せつけるためか 創業期から苦楽を共にしてきた社員たちの多くがジョブズのひとことでストックオプションを与えられなかった。
なにしろ従業員第一号だったビル・フェルナンデスにも恩恵はなかったというのだから酷い話だ。
見るに見かねたスティーブ・ウォズニアックは「ウォズプラン」と名付けたプランを実施する。
こういう威圧的な専制君主ぶりのためか、ジョブズはよくハシゴをはずされるが、彼は、はずされたハシゴの代わりに他人を踏み台にして上を目指すのがお得意なようだ。
それは「宇宙をへこましてやる」と豪語までして開発を進めていたLisaプロジェクトから外されたことだ。
この決定は社長のマイク・スコットによるものだが、マイク・マークラらも賛同していたという。
会長というポジションに祭り上げられたジョブズだったが目標を失っていたものの、翌年ジェフ・ラスキンが細々と進めていたMacintoshプロジェクトに目をつける。
そしてCPUをモトローラの68000にするよう圧力をかけるなど大幅な路線変更を命じ、様々な口出しをするようになるが ジェフ・ラスキンはなすすべもなかった。
そのMacintoshプロジェクトでのエピソードが、冒頭に挙げたもの。
Macintoshの開発中にもスタッフらのガールフレンドや妻たちを酷評することは日常だったという。
誰だって自分の彼女や女房の悪口など他者から言われたくはないがジョブズは他人の思いなどに気持ちが向く人間ではなかったようだ。
そして開発スタッフらと外食に行けばスタッフらはジョブズの態度に目を伏せ恥ずかしさに震えなければならなかったという。
なぜならジョブズには出てきた料理を突き返すという癖というか習慣があったからだ。
自分の権力を見せつけようとするかのようになんだかんだと難癖をつけて料理を突き返す。
間違った料理が運ばれてきたわけでもないのに…である。マナーも思いやりも彼にはないようだった。
さらに大金持ちなのに払い汚いことでも知られていたという。
先日ジョブズが通った寿司屋のインタビュー記事を読んだが、TBNというニュースサイトの主は、そういうジョブズを「海原雄山」みたいだと指摘していて、笑った。
記事にはこの後、彼がアップルに返り咲いて、彼を引き上げてくれた恩人たちをどのように追放していったかも書かれている。
この辺り、講談社の最新の伝記には、どう書かれているんでしょうね……。
さらに、彼の恐怖政治の実態について。
とにかくAppleの体制を立て直し業績を上げるという目的のためには恐怖政治さながらの雰囲気を社内に作ったことでも知られている。
よく話題になることだが、この頃Apple社内ではジョブズとエレベータに乗り合わせるのを怖がり階段を利用する社員たちが目立ったという。
エレベーターでいきなり「お前はクビだ」といわれる恐怖。
ヤダヤダヤダ。
考えたくもない。
こんど私が社長と一緒にエレベーターに乗ったら、この話を思い出して、オシッコをちびりそうだ。
さてAppleに復帰しAppleを盤石の体制にした功績は間違いなく彼にあるし最近ではジョブズも丸くなったという説もある。
まあ、こんな憎まれ口をたたいても何の得もないわけだが、世間にはAppleの躍進を追い風にし諸手を挙げてスティーブ・ジョブズを素晴らしい人物と評価する傾向があるのが些か気になるのだ。
確かにビジネスで成功することや金持ちになる…有名になるということが人生の目標であってもそれが悪いわけではない。そしてAppleという企業や魅力的なプロダクトも無くなっては困るわけだがスティーブ・ジョブズという人物は正当な理由も無く、理不尽きわまりないことで立場の弱い人はもとより、信頼すべき周りの多くの人たちを不快にし傷つけてきた男であることも忘れてはならない。
( 引用元 http://www.mactechlab.jp/from-mactech-with-love/11840.html )
なお、こういう文章をはてなに転載すると、「筆者乙」などと書かれそうだけど、違いますよ~。
そして、こんなに立派なジョブズが、リサの母親と別れた理由は何かを「ジョブズ」「離婚」「理由」などの言葉で検索するうちに、一年前以上前のこの記事をみつけたのだ。
妹の弔辞を裏打ちする、面白い記事だと思うけど、どうでしょう?
(もしもブログ主の筆者にとって不愉快ならば、すぐに削除するのでご自身のブログにてそのようにお書きください。すぐに指示に従います。)
そして、それとかけ離れた、彼と仕事をともにした人々から見た、ジョブズの姿。
異なるエピソードならともかく「スタッフの恋愛に関心を持つジョブズ」のように、まったく同じエピソードですら、正反対の評価になるのだから、なにが正しいのか、よくわからなくなる。
食糧以外に言うべきことがないならその時点でダウトで間違いない。
それはTPP全体について論じているのではなく、「TPP的な何か」について論じているだけだ。
自由貿易とTPPの違いがわかってない大学教授がなにか言ってるが、命題そのものが間違えている。経済よりまず国語能力に問題がある。
まるでアップル社の時の栄光しか知らずにジョブズを語るどこぞのベストセラー作家と同じくらいど阿呆である。
というより故意だろう。
プロとして語る以上、最低の品質を保証できないのは失格を通り越して別の思惑を疑われても仕方がない。
TPPにより影響が出ると言われている項目は24だっけか。
全部を考慮するのは無理としても、最低でも3つ。可能であれば10の分野で同じ理論が成り立たないことをドヤ顔で語る訳がない。
つまり、オリンパスに依頼された会計士と同じように最初から特定の目的に向かって捏造を行なっているとしか思えない。
もしこれが過失であったとしても、看過しがたい重大な怠慢によるものであり、業務遂行に必要な能力なしとして扱わざるをえないだろう。
「情報提供機能」において最低限の品質を保持できない悪貨は非常に危険である。
こういう人間が影響力を大きい場合、重大な虚偽表示の危険があるとして、積極的に批判、修正することが必要である。
メディアとしての特質に汚染され、最低限の品質を保持できないようであれば、またそういう教授に監督機能を果たせないようであれば
教授やその大学は公的機関による排除を自ら招いているとしか思えない。そういう人には望む処置を与えるしかない。
とりあえず、TPPについてどういう理論展開をしたかは、今いる経済学者(経済学、ではない)の存在価値と信頼性を測る大きなな基準になる。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111028/1319793383
なんかジョブズの話し始めてからだんだんずれてきて、そろそろ笑えなくなってきたので早急に元の路線に戻っていただきたいと思う今日このごろ。
最近の彼は、なんだか勝手がよくわかっていない同人入門者、みたいな感じなんですよね、例えばこの記事。
こういうのは感覚的に、グレーと言うか真っ黒が許容される同人業界でも禁じ手に近い行為だと思うんですけどね。
1 同人ゴロのやり口を「マーケティングの教科書」とかいっていたいけな学生に売りつけるようならさすがに問題があると思う
彼の最近の記事はまことに同人ゴロじみてきている。しかも王道。
つまり人気のアニメキャラを自分が万能の夢の世界に取り込んで、(自分のチンコに自信がないから)触手を使ってネチョネチョするに相当します。
彼の場合は人気の実在人物(ドラッカー、ジョブズ)を、俺最強の論理空間に取り込んで、自分の文章に自信がないからRPMさんという言い訳を利用してパロディ化する、と。
まさかと思いますが、これがあなたが「マーケティング道場」でやりたいことなんじゃないだろうかと今から危惧しています。
そして、もしそうだとするなら別に止めはしませんが、あまりにもずさんと言うか初心者じみていてわろえないので二点ほど指摘しておきます。
2 シンプルなスケベに応える作品は、シンプル故に、それに特化したセンスがある人以外がやってもうまくいかない
私は上の同人屋を批判してるわけじゃないですよ?むしろ積極的にそういう供給を求めてるくらいでね。
絵が上手い人が、好きなキャラのエロを描いているのであれば消費者側は細かいことは気にしない。むしろエロが目的って割り切るその姿勢に賞賛すら浴びせるでしょう。
他にもギャグに特化したり、いろんなサービス精神から、顧客の望むものを提供できるなら、それもまたよしです。
そういう目で見てみると、
岩崎さんは、並の事柄、たとえば自分の矮小な葛藤を大げさに語るであるとか、
凡俗のはてなを相手にマヨナカテレビを気取ってみせるというテーマであれば、十分な文章力をお持ちだとは思います。
しかしジョブズの二次創作を行える程の技術があるとは思えないのでやめといたほうがいいと思います。
ジョブズのファンは作画厨とかデザイン厨が多いです。まず作画がプロレベルでないとおよびでない、と思うんですよ。
ドラッカーはともかくジョブズのアニメみてないよね? アニメみなくても描けるという人多いけど、意外と難しいですよ?
結果として現状では、あまりうまく言ってませんよね。
例えば絵も話も下手な人が「なの○の陵辱本」を作って即売会持って行ってもフルボッコですよ。
「これ、なんの本?」「えと、一応、なの○の陵辱本です」「ツインテールしか共通してねぇじゃねーか。な○はを汚すな!」となります。
(謎の白い液体でどろどろにするのは良くても、キャラへのリスペクトが足りない奴の同人は「汚れ」と違ってゆるさない。それがファンというものです)
現状岩崎さんのエントリはそんな感じです。某隊長にも「岩崎とジョブズ?・・・ハゲしか共通点がねぇや!」とか言われちゃってますよね。
みんなはジョブズに関する同人誌を求めているわけであって、ジョブズに似せた別物をジョブズとして売る行為は一番嫌うわけですね。
で、そういう「嫌い」でもあまりにひどい場合は逆の意味で1回か2回くらいなら話題になると思いますが、そのうち表紙切り、サークル名切りが発生します。
こうなると二度と浮上できなくなる諸刃の剣なのでやめたほうがいいんじゃないでしょうか。
※「蛸○屋」さんや「きみ○ぶち」さんのような、キャラや世界観を解体して再構成するような高度な二次創作も存在しますが、なおさら初心者にはオススメできない。
というかさ。ぶっちゃけ、リアリティのある二次創作が書きたいなら、秋元師匠を書けばいいじゃん。吉田兄貴を書けばいいじゃん。
なんでジョブズなの?馬鹿なの?保身なの?ミジンコハートなの? ここを避けて別の人を書いてる限り、あなたの二次創作に魅力は生じないと思いますけどなぁ。
3 実在の人物に対する二次創作は、いろいろとややこしい問題を引き起こす
1の問題は、単に売れないよ、売れなくなるよ、という自己責任の問題なので別に構わないのですが、2はもしかしたら法的社会的に問題あるかも知れません。
つまりネタはネタとして構わないんだけれど、適当なことを言ってドラッカーとかジョブズを脳内で陵辱する読者におっぴろげるのは名誉毀損になるんじゃないか、と。
大物であればあるほど、本人は笑って許したり、岩崎とか言う虫けらのことは最初から無視してくれると思いますが、
周りの人間はそうでもなかったりします。特にジョブズに関しては、今喪中のようなものですから、岩崎さんのやってることは信長気取りの蛮行だと言えるでしょう。
ベストセラー作家でなかったらかるく打首になってもおかしくないレベル。
そろそろ、「自分のネタが面白いから反応してくれている」と「尊敬する人を汚すのが不愉快だからしばらくは注意してあげている」を区別しないと
唐沢なんちゃらさんと同じカテゴリに放り込まれると思いますよ?
1の最後に「なんで秋元はんの話しないの?」などと書いてみましたが、よくお分かりみたいですね。
ここで中途半端に岩崎さんが知恵を回してるのがわかるのが感じられてまたつまらなく思えるんですよね。
はてなーみたいに善良というか卑小なものを相手にして自分を大きく見せることだけは得意だけど、
本当にでかいものに立ち向かう勇気なんてないって全身で表現してるようにさえみえてしまう。
(もちろん個人の感想で、事実がそうだと言うつもりはないですが)
ついでに蛇足。
二次創作に頼り続けると、多分一時創作のために必要ないろんなモノが衰える場合が多い
これは私がそう思ってるだけで、反例はたくさんあります。岩崎さんにも当てはまらないかも知れません。
同じ分野の最前線にとどまり続けるためには、徐々に上がっていく期待のハードルを飛び越え続けることが必要。
そのハードルを超える力を鍛えることを避け、別のもっとひくいハードルにのりかえ続ける、という思考は
まさしくビジネスや同人作家には適していると思われますが、作家としては致命的な性癖だと思われます。
ドラッカーもそんな安易な乗り換えは推奨してません。 画力なり筆力を鍛えるのは当然それと別途必要です。
まさかRPMさんとベストセラー作家のご自身のハードルの高さが同じだとか本気で思ってるわけじゃあないと思いたいわけですが、
いや、今日そういう奴を見かけたので。
他人を参考にするのは悪いことじゃないのだが、あんまり受け入れる幅を広げすぎて
自分を引き裂くようなマネをして欲しくないな、ト心配になった。
生きてる限り矛盾は生じるけれど、その矛盾を高いレベルで両立させられる人は
多少分裂症的な部分がひつようというか、要するに天才だと思う。
自分が天才だと思わないなら、少なくとも習慣レベルでは一貫性を持っていたほうが生きるのが楽だと思う。
いや、本当余計なお世話だとは思うんだけれど。
特に「マインドマップ的読書感想文」と「ライフハッカー」ってサイトが好きなんだよね。
あそこ前者はイケイケで雑食のような気がするけれど、いわゆる癒し系のライフハックとかは扱わないんだよね。
後者は逆にあんまりジョブズを一押ししていない。実践可能な、身の丈にあったレベルってコンセプトを感じる。
で、最近みかけた「なんちゃら紹介しちゃいます」みたいなサイト、あれはダメだ。ろくなコンセプトがない。ああいうのは嫌い。