はてなキーワード: 孔雀とは
家に帰ったらゴリラがいた。
生きているゴリラを見るのは久しぶりだった。
とりあえずバナナを買っていたので一房あげたら懐かれた。
ゴリラは少し震えていた。本来は熱帯に住むので、寒いのは苦手らしい。仕方がないので近所の店に行って、コタツとベッド一式を買った。それ以来、ゴリラは私の部屋に住むようになった。
それから毎晩、私とゴリラは隣り合わせのベッドで眠っている。気持ちよさそうに眠るゴリラの長大なイビキを聞きながら、私は眠れない夜を過ごしている。おかげで寝不足気味だが、不思議と不満はない。
私が仕事から帰ってくると、決まってゴリラはコタツでボーッと暖かそうにしている。私が「ただいま」と言うと少し嬉しそうにする。おかえりとは決して言わない。ただ嬉しそうな表情をする。
ゴリラは私が作った食事をとても美味しそうに食べる。コタツの対面に座って夕食を頬張るゴリラを見ていると、二人で暮らしているという実感がある。
ずっと一人で暮らしてきたので、誰かのために食事を作るということがこれほど楽しく満たされるものだということを、私は初めて知った。そのことを教えてくれたゴリラにはとても感謝している。
最近、ベッドに入ってから、ゴリラについて色々と考えるようになった。どこからやってきたのか、なぜウチに来たのか、そしてどこへ行くのか。
ある日突然家に来たように、また忽然と居なくなってしまうのではないか。最近の私はそんなことをよく考える。
ある日、仕事から帰ると、コタツはもぬけの殻で、部屋のどこを探してもゴリラはいない。一緒に暮らしていた痕跡さえ見つからない。私はとても悲しむだろう。
そして一人暮らしに戻った私は、しかしもう以前の私ではない。ゴリラとの、あの満ち足りた日々を過ごしたことのある私なのだ。
一人になった私はきっと、その寂しさに耐えかねて一緒に夕食を食べてくれるものを探すだろう。
それが今度は孔雀であれ、キリンであれ、またはただの人間であっても、私はゴリラと暮らしていた時と同じように、帰宅して「ただいま」と言い、夕食を作る。そして心が満たされる。
それが、私とゴリラが確かに暮らしていた証拠になるのだ。ゴリラがいなくなっても、私の心の中にゴリラは確かに存在しつづけるのだろう。きっとそうに違いない。
ただ、願うことなら、このゴリラがずっと家にいてくれればいいのに、と思っている。
眠れない夜に、隣のベッドから聞こえる大きなイビキを聞きながら、そんなことを考えている。
新春絵画「酉展」の開かれているミュージアム中仙道に行ってきましたわ。
昨年は300週年で各地で催し物が開かれた若冲の絵が目玉です。
細かい足の鱗の描き込みと鎧の札のように規則正しく並んだ羽根の表現が
作者の鷹に掛ける強すぎる思いは伝わってきました。
藤田嗣治の飛び魚を獲る海鳥の絵が、鳥と植物の基本を押さえた日本画の中で
ひどく異色でした。植物がないうえに、とても躍動感が溢れています。
海鳥が水面に突入した後を示す水滴の表現も写真のようで見どころですわ。
絵画の他には地歌舞伎と陶磁器、甲冑・刀剣の展示室がありました。
陶磁器コーナーでは仰韶時代のとても古い土器から始まる中国陶器の歴史を
追うことができます。
ここに展示されている水色で縁取られたバウムクーヘン型の水滴がとっても素敵で、
私は20年このスイッチのどれが廊下でどれが階段なのか覚えられずにいる。
両方一度につけて両方一度に消している。それがもっともストレスがない。
とべとべはばたけ紅孔雀
それがあだ名になるにいたったけっこう長めのストーリーがあるのだが
それも何回か尋ねているけど、聞くなり忘れてしまうのでいまだに覚えてない。
ただ、なんとなれば顔も名前も今や全く覚えてない彼女のあだ名が「はばたけ」ということだけ記憶に残っている。
それと同じでここのことを増田というのはまったく覚えられずにいる。
ネットでよく見かける「増田」って一体何なんだ!? :教えて君.net
http://www.oshiete-kun.net/archives/2008/10/post_194.html
ああなるほど。でも、たぶんまた忘れる。
動物愛護だのなんだのと叫ばれているが、田舎ではそんなものは通用しない。
猫はネズミのようなもの、とっ捕まえて殺す。保健所に引き渡すとかではなく、その場で殺すのだ。
猫を飼っている人もいるが、飼っているというより勝手に家にいるという方が感覚的に近い。
子供なんか産んだら、ジャガイモでも詰めるかのように袋に詰めてどこかに持っていく。
その現場を小学生の頃、友達の家で見たが、その後どうなったかは知らない。
猫に子供を産ますと野良猫が増えるということで、極悪人扱い。村中から白い目で見られる。
鹿なんかも動物園や奈良公園でみたらかわいいものだが、田舎ではただの害獣だ。
たまに車に引かれて死んでることがある。
たまに逃げ出し村中大騒ぎになる。
窓なんか開けていられない。が、慣れる。家に遊びに来た奴らが耐えられないだけ。
犬は若い人も増えているので最近では酷い扱われ方をされることはあまりない。
子供の頃は、まさに犬の扱いをされていてずっと鎖でつながれていた。室内犬でも関係ない。
餌は基本的に残飯だ。しかし、犬も残飯の方が好きなようで、ドッグフードはあまり食べない。
うちでは祖母が米ぬかまで食べさせていた。ほとんど虐待だが、祖母は普通のことだと思っていた。
吠えても苦情がこないが、村で少し浮いた存在だったら、だまって村八分にされる。
あとは平気で放し飼いにしていて、追いかけられたり、むしろ番犬として追いかけるようにしつけられた犬なんかもいた。
鶏や孔雀を飼っている家もある。意外だが孔雀の鳴き声はサイレンのようにうるさい。
こいつらは明け方に鳴きはじめてうるさい。酷い奴になると午前2時くらいから鳴きはじめる。
たまに逃げ出し、みんなで捕まえる。
全身の羽をむしられ絞められることもある。その後、食卓にのぼる。
農薬をヘリかなんかで村全体に撒く。その時間は家からでてはいけない。
学校にも少し早く登校させられる。そして農薬が入ってるかもしれないプールで泳ぐ。
これは単に男の求愛行動だと思うんだ。
ほら、孔雀とか。
メスの前で、羽根を広げてすこしでも自分を大きく、魅力的に見せようとするでしょ。あれと同じだ。
自分を少しでも大きく見せたい、かっこ良くみせたい、そういう本能に基づいた言動なんだと思う。
自分の好きな男だったら、心の底から「きゃーすごーい!」って思えるだろうけど、そうじゃない場合、なんか下心だけ透けて、そのうえ、自分を大きく見せたいときの言動ってたいてい「上から目線」でもあるから、ただひたすらイラッとすることになる。
まあでもそんなときは、ああ、この人はいませっせと求愛ダンスを踊っているんだな、と、羽根を広げた孔雀とか、胸をふくらませたドバトあたりを想像してると、なんだかおかしくなって心に余裕がでてきて、ちょっと楽しめる。
あとは機械的にモテル女のさしすせそ「さすがー! 知らなかったぁー! すっごーい! そうなんですね!」(「せ」は割愛)でもリピートしておけばやり過ごせるよ。
こんばんは。
>>天野月子とか久しく聞いてません。博士と孔雀が聞きたくなりました。
1つ目、見つけた。
PC何とかしましょう。自分で治してもいいけど、面倒なら、修理に出すなり、ダメそうならいっそ、買い換えちゃえばいいよ。
そのうち新曲とかも出るかもしれません。じりじりしながら待ちましょう。
・・・とりあえず、箱庭までには暗くなくてよかった。
>>身近な人様にはあまり聞かせられない感じのごちゃ混ぜ感です。
そんなもんです。嗜好って。
2つ目、見つけた。
ただし頻繁に食べ過ぎると、飽きて悲しいことになる可能性があるので注意。
これも新商品の発売をうずうずしつつ待ちましょう。
これで足りないなら、自分で作ってみてもいいかも。cookpadとかのレシピサイト参考に。
ただ、物を作るのって結構、精神的なエネルギーがいるので、大変。
可能なら、家族恋人に作ってもらったら楽じゃないかな。その月の仕送りとかプレゼントを奮発すれば、まあ問題ないでしょ。
>>最近性欲ないんですよね。
あー、性欲って、いく・いかないないだけじゃないと思うけど。
べたべたするだけで気持ちいいよ。・・・それすらやりたくない場合は、まあ別のにしましょう。
>>なんか、自分の遺伝子が入ると障害を持って生まれてきそうなきがして…。
それはないです。親戚縁者に遺伝病その他がいる場合はあり得るけど。
あ、女性側が年を取っていると率は上がるそうです。初産はお早めに。
周りが大変なのはその通りですね。
不運と不幸を一緒くたにはしたくないですが、残念ながら一定の相関関係はあるんでしょうね。
人生、天からどれだけ「与えてもらった」か、ではないと思うんですけどね。
あばばばっっっb。
書いたこともないのに、ふやふやしてる人だと思って説教したのにーorzアナガアッタラハイリタイ
テレパシー能力がないから仕方ない、ということにします。異論は認めない。
というか、自分の読み直すと全体的に恥ずかしい。
うん、大丈夫。大丈夫だ。匿名だから、実生活に影響はない。うん。全然大丈夫。orzウアアアアアアアアア
気を取り直して。小説書くなら、題材となる経験知識が必要なのでは?
食べ物を描写するなら、食べる経験が必要。おいしい物ならなお良し。
これは旅行に行くしかない。・・・無理ならまあ、
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-487.html
とかで満足しましょう。インターネットは偉大です。
・・・まあ、相変わらず創作活動はエネルギーが必要ですが。消費活動は楽だ・・・。ごろ寝しながら出来るから。
>>いっそ転職したらなおるのだろうか。鬱って。
新しい話題が出ましたね。
とりあえず、自分のしたいことをするには、たいがい時間と体力(と精神力)とお金が必要になります。
私生活の時間と体力(と精神力)が捻出できない仕事なら、あなたには重すぎます。
転職しましょう・・・と言いたいですが。が。
スキル無しに転職するとお金は単調減少するらしいです。ここは考慮する必要が。
さらに、労働条件が悪くなる可能性もあります。転職は計画的に。というか、日本終わってる。
・・・それにしてもSEか・・・。ITってやっぱブラックだったのか。まったりしたとこはないもんなのかね。
ところで、疲れている原因がはっきりしてないけど。
人間関係なら、神経すり減るのはどこでも似たようなものかも。
業界によって激しさは全然違うけど、どこも1人で仕事をしてるわけじゃないから。
1人である程度動けるだけのスキルをもった後なら、多少の先輩に嫌われても大丈夫だけど。(上司はアウト)
労働時間なら、先輩とかでさっさと帰ってる人とか、いない?
周りが残ってる中で帰ると、会社での評価は良くないと思うけど、何とかなってると思う。
簡単にクビにはできないから。(だから雇用もしにくい。駄スパイラル。)
>>明日もがんばらなきゃ。
もういい・・・! もう・・・ 休めっ・・・! 休めっ・・・!(AA略 というのが良いらしいんだけど。
残念なことにがんばらなくて大丈夫な環境じゃないっぽいので。禁句らしいけど言っとくよ。
今週もがんばって。
おやすみなさい。
では、また。
いっそ転職したらなおるのだろうか。鬱って。
http://anond.hatelabo.jp/20090712003205
負担ではないのです。
うれしいなど、とんでもない。
ありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20090712172113
天野月子とか久しく聞いてません。博士と孔雀が聞きたくなりました。
しかし、MP3プレーヤーの中身を入れるためのPCは調子が悪く、
身近な人様にはあまり聞かせられない感じのごちゃ混ぜ感です。
そうなのです、人生長いのです。でも、せめて三年は生きようかな、というくらいの意識しかないです。
>甘い物だとどーゆーのがいいですか?
>風俗
なんか、自分の遺伝子が入ると障害を持って生まれてきそうなきがして…。
障害を持っている人が不幸だとはいわないけれど、
やっぱり周りは大変なのだなと小学生のときの特別学級を見て思ってるので。
>ところで、本ってどういう種類?小説?新書?教科書?絵本?自伝?
自分と同じようにSEをしながら作家さんになった人とかは、どういった生活をしていたんだろう。
すごいなあ。
明日もがんばらなきゃ。
がんばろう…。
私は始終中腰で隙(すき)があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。
私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧(きり)の中に閉じ込められた孤独(こどく)の人間のように立ち竦(すく)んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射(さ)して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条(ひとすじ)で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢(ふくろ)の中に詰(つ)められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐(きり)さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥(あせ)り抜(ぬ)いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝(いんうつ)な日を送ったのであります。
私はこうした不安を抱(いだ)いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越(ひっこ)し、また同様の不安を胸の底に畳(たた)んでついに外国まで渡(わた)ったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然(いぜん)として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦(ロンドン)中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足(たし)にはならないのだと諦(あきら)めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念(がいねん)を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟(さと)ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめに漂(ただ)よっていたから、駄目(だめ)であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似(ひとまね)を指すのです。一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審(ふしん)がられるかも知れませんが、事実はけっしてそうではないのです。近頃流行(はや)るベルグソンでもオイケンでもみんな向(むこ)うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬(しりうま)に乗って騒(さわ)ぐのです。ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従(もうじゅう)して威張(いば)ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴(ふいちょう)して得意がった男が比々皆(みな)是(これ)なりと云いたいくらいごろごろしていました。他(ひと)の悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人が甲(こう)という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑(ふ)に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触(ふ)れ散らかすのです。つまり鵜呑(うのみ)と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔(わがものがお)にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞(ほ)めるのです。
けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀(くじゃく)の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華(ふか)を去って摯実(しじつ)につかなければ、自分の腹の中はいつまで経(た)ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。
ポケモン映画最新作「ガラパゴス超克の離島」の封切りを前にの総合研究大学院大学教授長谷川真理子(進化生物学)が18日、
異例の記者会見を開き、進化論研究について誤解をしないよう訴えた。
進化とは、生物が世代交代によって個体群中の遺伝子の頻度が変化していくこと。
より多くの子孫を残せる形質をもたらす遺伝子が、世代交代を経て増えていくことを正の自然選択という。
映画は「究極の生物兵器」をつくるため、ガラパゴスのダーウィン研究所(CDRS)から 新種のポケモンが盗まれるという筋書き。
湯山邦彦監督、松本梨香主演で、7月18日に世界同時公開される。
CDRSでの進化研究に実際に参加している長谷川教授は会見で研究の歴史などを解説。
「生物が一生の間に新しい種へ進化することはなく、現在の科学ではオスの孔雀の羽の説明ですら確かな説明ができない。兵器をつくるのは全く不可能だ」と強調した。
記者会見を開いた理由については「映画はエンターテインメント。科学性を論じるのはヤボなことだと 承知している。ただ、最近、進化研究は危険ではないかという問い合わせが相次いだので、 正しく理解してほしいと考えた」と話した。