はてなキーワード: 爆弾とは
いまを遡ること20年ほど前、私がおむつを履いていたくらい幼かったころの話、
おじさんと私との関係はまあいろいろあって、ここで説明するのは割愛しますが
とにかくおじさんは、とある事情から一時的にうちに身を寄せていた人で、我が家の誰とも血縁関係はなく、全くの他人でした。
私が長じてから親に聞いた話では、当時おじさんは居候の費用を払う余裕がなかったため
家事をしたり私の面倒をみたりすることでその対価としていたそうです。
当時我が家は父だけでなく母も外で働いていたので、保育園で補うことができない時間はおじさんが格好のベビーシッターだったのでしょう。
私にもおぼろげながらおじさんと一緒に幼児番組をみたり公園に連れていってもらったりした記憶があります。
しかし如何せん遠い昔の話なので、印象的な出来事以外のことはあまり覚えていません。
長じてからの私は、赤の他人のおじさんとの共同生活、というぼんやりとした記憶を、なんとなく面白く感じていました。
話はがらりと変わりますが、私は中学校に上がる前からパソコンを買い与えられ、ネットサーフィンのうまみにどっぷりハマりました。
その年齢の子供の興味のあることといったらもちろん性に関することです。私も多分に漏れずネットに性教育を施されたようなものです。
2chような、男性の(あるいは露悪的になりすぎているほどの)本音が聞ける場所にも頻繁に入り浸っていたので、
レイプやロリコンなどといった一般的にはよろしくない性的嗜好も、ある種の冗談として何の抵抗もなく受け流すことができます。
彼等は、YesロリコンNoタッチ(YesレイプNo実行という文句があるかどうか知りませんが)を尊守する愉快な紳士だということを、私は知っています。
数年前、「おむつかぶれ」で検索すると幼児の陰部の画像が大量にヒットするという事実がVIPかどこかで面白おかしく紹介されていて、
これはやばいだろwwアグネス来るぞwwと私も草を生やして喜んでみたのですが
その、おむつにかぶれた幼児たちの尻や、小さな小さな局部の写真を見ているうち、
なにか今まで忘れていたものがいっぺんに頭の中に思い出されるような、思い出してはいけないような、思い当たってはいけないような、そんな恐ろしい気持ちに襲われました。
今まで海馬のどこに刻み込まれていたのか不思議なくらい膨大な量の記憶が、いっぺんに頭の中で再現されました。
父も母もいないとき、おむつを変えてくれるのはおじさんの役目でした。
おじさんはいつも、「カユイカユイになったら困るからね」と、私の陰部をおしりふきシートで拭いてくれました。
おじさんは指をつかって、私の陰部のすみずみまでシートをさすり込みながらマッサージしてくれました。
おじさんは「ここにアカが溜まると病気になるから」といって、ある決まった場所を特に念入りにさすりました。
それがどこなのかはよくわかりませんでしたが、おじさんの暖かくて太い指でそこをさすられると、
なんだか居心地が悪いような、でもなぜか落ち着くような、奇妙な感じがありました。
その感覚が不思議で、なんとなく面白かったので、私はおじさんの手がそのあたりにゆくと大人しくさすられるのを待つようになったようです。
「そんなに触られたいんか。ほんまはあかんねんけどな。ここはママやパパにはナイショのところやで。触り過ぎたら病気になるから、ママに言うたら怒られるからな」
そういってひとしきり秘密のマッサージを続け、最後はおじさんが「もうおしまい」と言って、おむつをペリペリと閉じて終わります。
あの感覚が終わってホッとするような、でも名残惜しいような、もやもやする感じが残ったことを覚えています。
一連の記憶を一気に思い出した私は、ドラマのようにすぐさま洗面所に駆け込んで吐くというようなことはしませんでした。
ただうっすらと体温が下がったような、背中に寒気が這い上がってくるような、不快な感じがしただけでした。
私はそれまで、フィクション上のレイプやロリコンといった嗜好は、「実際の被害者がいないから、悲しむ人が居ないから」よしと考えていました。
おじさんのしたことは、客観的に見ればペドフィリアに類されるような、幼児に対する性的いたずらでしたが、
実際の被害者であった当時の私は全く悲しんではいませんでしたし、拒否もしていませんでした。
おじさんの指の動きがなにを意図しているのか知る由もなかったからです。
即時的には悲しむ被害者がいない性的虐待というのもあるのですね。
不発弾のような性的虐待、あるいは地雷のような性的虐待というものがありうるなら、おじさんの所業はまさにそれだったと思います。
おむつかぶれの一件が刺激となって、それまで眠っていた爆弾が起爆し、おじさんとのナイショの記憶の破片が私の脳内に突き刺さりました。
やりどころのない、そして消えることのない、熾火のような静かな怒りと悲しみが、あの時以来私に刻み込まれているようです。
もし私が一生あの記憶を甦らせることがなければ、私は傷つかずに済み、おじさんのしたことも永遠にナイショのままだったのに。
おじさんがいまどこで何をしているのか私は知りません。
両親に聞けばわかるかもしれませんが、聞きたくありません。
いくら居候で家族同然とはいえ、父親でない男性に愛娘のおむつを変えさせて何の警戒もしていなかった両親に恨みも覚えています。
とりとめもないですが、以上吐き出しでした
あのさあ。自分の書き込みはちゃんと読もうよ。
それと一緒だ。
…と、いうようなことを、知り合いの男に力説してみたんだけどなんか話が通じてないっぽいんですよ。すげえ嫌な顔する。
いったい何が受け入れ難いのかしらん。
君が「なんで話が通じないのか」「何が受け入れがたいのか」って書いたから。
そもそもの例が間違ってて、一緒じゃないから話が通じないに決まってるだろと。
ヘテロが「異性に対して性的魅力を感じる」と話をするのと、ヘテロが「異性がホモセクシャルで、他のホモセクシャルの異性と関係にあるのを想像するのに性的魅力を感じる」というのとでは違うだろ。
頭使えよノータリン。
当たり前だけど、男の理解があろうとなかろうと、共感されようとされまいと、わたしはわたしで好きに妄想しますよ。承認とか最初から要らないの。
だったら最初っから自分の説明がマズイせいで男に通じなかった話なんかどうでもいいだろ。
いいか、君が最初に「男に通じなかった」「何が受け入れがたいのか」と書いたから、
「それは男女の差ではなく、単純に君のあげた理論が理論として成立していないから通じていないだけです」
と教えているだけだ。
それと一緒。
…と、いうようなことを、知り合いのアメリカ人に力説してみたんだけどなんか話が通じてないっぽいんですよ。すげえ嫌な顔する。
いったい何が受け入れ難いのかしらん。
この説明で、納得できる奴が何人いるのか。
あれって誰もが受け入れたくないもんなんでしょ。爆弾リレーのAAみたいなさ。しかも沖縄の基地を100とするじゃない、その100を全部別の所に移すみたいな言い方しか見ないような気がする。100のうち10をどこそこが受け持って20を他のとこが受け持ってみたいなリスク分散みたいな発想はないんかしらね。
そういや護憲護憲うるさい政党だったかな・・・ああいうとこはアメリカのグアムになすりつけちまえって言ってるけど結局アメリカ側はどういう理由でそれを拒否してるのかがいまいち伝わりにくい。流れてくるのは沖縄県知事の愚痴みたいなもんばかり。
そういうことならいっそこのこと周りに有人島がない海のど真ん中に人工島建ててどこの都道府県にも属さない政府管理地みたいなのでも作ればいいんじゃないのとも思えてきた。つまり隔離よ。どこの都道府県もなすりつけられたって言わんだろうし米兵だけしか住まわせなかったら米兵どもが地元民に悪さをしたりもせんだろし。
うーんやっぱめんどいなぁ
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110906/1315294215
サバイバーとは、社会的に底辺に位置づけられながらも、自らの努力でその最悪の環境から抜けだした人
0.1%の人間はサバイバーのポジションをうまく活用して短期間で上に行く。
つまり下を絶対に攻撃せずに、むしろ努力すれば下から上がれるという夢を売ることで人気を得る。
そして、ある程度知名度を得たら、支持者の勢いを売って上に行く。
上流階級とのコネが出来れば、あとは目立つ必要がないから支持者を切り捨ててフェードアウトしていく。
実際は既に上位の存在でありながらサバイバーを装っているケースが多く、
普通のサバイバーには真似できないので決して見習わないように。
9.9%はサバイバーの地位に立ったときに、自分がサバイバーで有ることを認識している。
サバイバーとしてのセルフブランディングは諸刃の剣であることもよく認識している。
だから、この時点では何もアクションをとらず、成功して自分の地位を固めてから行動する。
FROMDUSKTILDAWN氏がこの類型に近い。というより世の成功者の殆どはこのパターンだ。
正直ブログ戦略としてアメーバーは実に正しく、はてなは根本から間違っていると思う。
人生の途中なのに自分が他取り付いた場所をゴールだと勘違いしてしまい、そこで上に登る努力が中断してしまう。
受験勉強頑張って東京大学に合格してはいいが、そこから勉強サボって就職もできなくなる、など。
たいてい自己顕示欲が高くなっているので、匿名やIDでブログを書き、自分の正しさや、サボってる人間を攻撃したりする。
下の人間は、上の人間が姿を見せないので、姿が見えるこのサバイバーと喧嘩することになる。
そうこうしている内に、自分のリソースを使いきってしまい、いずれ生きるために強いものに巻かれることになる。
その頃には弱者への恨みが募って、自らが一番苛烈な弾圧者になる。 監獄実験の看守役やね。
このタイプは、途中で天国への階段から滑り落ちる。少なくともグリードアイランドをクリアすることはない。
途中で「リープ(離脱)」のカードを手に入れられる幸運なプレイヤーもいるが、たいていは爆弾魔に殺される。
もったいないな、と思う。
という自分の立っているポジションを理解せぬまま、想定された通りの役割を演じている。
むしろ、自分がたてた論点にこだわっていれば有意義な議論もできただろうが、
自ら進んで人を分類し、対立構造を作り上げているのだから、この不毛な構造に巻き込まれてるのは自業自得と言える。
はっきり言って自滅型のパターンそのままなので、これ以上書く前にしばらく冷却することをオススメする。
・ダイエットに成功した人がいまだにデブの領域でとどまる人間を攻撃する
などと同じ。
こういう「サバイバー」は、下を戻ることを恐怖するあまりに、上よりも下を強烈に批判する。
結果として、上の人が手を下さずとも、自らが分断政策の執行者となって上への批判を防ぐ。
何回同じ事をやれば気がすむんだろうか。
この傾向が最も顕著だったのは1980年代に行われたフェミニズム論戦。
立ち上がらない女はクズだと言わんばかりの暴れっぷりに、みなさんドン引きだったのは懐かしい記憶。
で、運動から肝心の女がいなくなって、本来の敵だった男(ただしサヨクか非モテ)に運動が引き継がれるという構図も同じ。
まぁコメント欄の時からそういう記事を書くだろうなとおもってたけど、まんまと罠にはまった感じ。
「上」に攻撃を向けることを恐れず、
「囚人の立場から抜け出すのを怖がっている人たちなんだろう」くらいの想像力が働かせられる程度の知識は欲しかった。
この人は狭い世界にこだわりすぎて、より大きなパターンが全く見えてないので非常に残念だ。
まとめ。
サバイバーの人に言いたいこと。
下の人間と関わってないで、もうちょっと上を目指すといいと思う。
上の人間は、下からはいあがってきた後、さらに上を目指す人間を好む。
下の人間に言いたいこと。
サバイバーは敵ではない。ちょっとだけ上にいるかも知れないが、
もともと下にいたのだし、君たちの苦労をよく知っている。
サバイバーの人から学び、自分も努力して下から抜け出し、今度は自分が下にいる仲間を救おう。
今下にいる仲間に気兼ねして、一緒にサバイバーに石を投げつけるようなことをしてはいけない。
普通の人に言いたいこと。
サバイバーは仲間だ。下からはいあがってきた分ハングリー精神や闘争心が強くて
君たちの穏やかな生活にさざなみくらいは立てるかもしれないが、
それを暖かく受け入れるくらいの度量を持たなければ「普通」は守れない。
上の人に言いたいこと。
どうせ今回の記事をニヤニヤしながら眺めてるんだろうね。
でも、誰か一人でいいから、この問題について「○○ができてもバカはバカ」って言ってあげてください。
あのね、ホントにこの問題は構造が大事なのであって、細かい言葉尻とか文章力とかどうでもいいんだよ。
不毛な争いは今すぐやめて解散したまえよ。
どうせその「母と子のどっちが正しいか」みたいなクズみたいに小さな論点は決着なんて出ないんだから。
賢い人は「問い」だけもらって答えは自分で考える。
ちょっとそういう雰囲気になると、いつの間に?というくらいすっくと立っている。
でも、つけっぱなしのTVから、付き合いのある会社のCMが流れて、お互い気づいて「あっ」てなったりして雰囲気が変わると、すぐ萎えたり。
はえてる人たちからすると当たり前なのかもしれないけど、私にははえてないので当たり前ではない。
女だって濡れるじゃないかと言われそうだけど、あの反応が性的興奮度合いときれいにリンクしてるかというと、なんか誤差はあるよなあと思うし、
タイムラグがあるし、なんつーか可視化され度合いが弱いと思うのよ。
ちんちんの状態のほうがより、今日はあんまりしたくないなあとか、もっと爆弾投下になるけど相手に飽きちゃったなあとか、
そういう気分が目に見える形であらわれてしまうと思う。
相手を傷つけるかもしれないから見せたくないと思っても見えてしまう。どうしようもなく、やっかい。
これからも付き合っていくとそういうこともあるんだろうな。マンネリ化しちゃって彼がたたないとかさ。
私が太っちゃったり老けちゃったりした結果、そうなることもあるかもしれない。
怖いなあ。私、傷つくんだろうなあ。必死でダイエットしたりLCとか見てそうw
でも、私の性的な部分での気持ちが彼に丸わかりになるよりはマシだと思ってしまうんだ。
男に生まれるって、後輩におごってやらなきゃいけなかったり、ニートだと全方位からフルボッコにされたり、
痴漢やセクハラ(冤罪も)で人生が簡単に終了してしまったり、他に色々大変なこともあるだろうけど、
やっぱり一番「男じゃなくて良かった」と思えるのはちんちんが無いことなんだよね。
あーほんと、はえてなくてよかった。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/sp/movie.cgi?das_id=D0001410387_00000
朕深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲(ここ)に忠良なる爾(なんぢ)臣民に告く
朕は帝國政府をして米英支蘇四國に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり
抑々帝國臣民の康寧を図り万邦共榮の楽を偕にするは皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々(けんけん)措(お)かさる所
曩(さき)に米英二國に宣戰せる所以も亦実に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾するに出て他國の主權を排し領土を侵すか如きは固(もと)より朕か志にあらす
然るに交戰己に四歳を閲し朕か陸海將兵の勇戰朕か百僚有司の励精朕か一億衆庶の奉公各々最善を尽せるに拘らす戰局必すしも好轉せす世界の大勢亦我に利あらす
加之敵は新に残虐なる爆彈を使用して頻(しきり)に無辜を殺傷し惨害の及ふ所眞に測るへからさるに至る而(しか)も尚交戰を継続せむか終に我か民族の滅亡を招來するのみならす延て人類の文明をも破却すへし
斯の如くは朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや是れ朕か帝國政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり
朕は帝國と共に終始東亞の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せさるを得す帝國臣民にして戰陣に死し職域に殉し非命に斃れたる者及其の遺族に想を致せは五内爲に裂く且戰傷を負ひ災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)する所なり
惟ふに今後帝國の受くへき苦難は固より尋常にあらす爾臣民の衷情も朕善く之を知る然れとも朕は時運の趨く所堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に太平を開かむと欲す
朕は茲に國體を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し常に爾臣民と共に在り
若し夫れ情の激する所濫に事端を滋(しげ)くし或は同胞排擠(はいせい)互に時局を亂り爲に大道を誤り信義を世界に失ふか如きは朕最も之を戒む
宜しく挙國一家子孫相傳へ確く神州の不滅を信し任重くして道遠きを念(おも)ひ総力を將來の建設に傾け道義を篤くし志操を鞏(かた)くし誓て國體の精華を発揚し世界の進運に後れさらむことを期すへし爾臣民其れ克く朕か意を體せよ
<てきとうに現代風にしてみた>
世界の情勢と日本の現状をよくよく検討した結果、ありえないと思われる方法をあえてとることにより、この状況を収拾したい。常に私に忠実であるあなたがた日本臣民の皆さんに、今から私の決断を伝えよう。
私は日本政府担当者に米国、英国、中国、ソビエト連邦の4カ国に対して、日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると伝えることを指示した。
そもそも私たち日本国民が穏やかで安心な暮らしができ、世界全体と繁栄の喜びを共有することは、歴代の天皇が代々受け継いで守ってきた教えであり、私自身もその教えを非常に大事なことと考えてきた。最初に米英2カ国に宣戦布告した理由も日本の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、ほかの国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることが、私の目指すところであったわけではない。 けれども戦争はすでに4年も続いており、我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、そして1億人の庶民の奉公、それぞれが最善を尽くしたにも関わらず、戦況は必ずしも好転せず、世界情勢を見るに、日本に有利とはとても言えない状況である。その上、敵は残虐な新型爆弾を使用して多くの罪のない者たちを殺傷し、その被害の及ぶ範囲は、測ることもできないほどに広がっている。もしもこれ以上戦争を続ければ、最後には我が日本民族の滅亡にもつながりかねない状況であり、 ひいては人類の文明すべてを破壊してしまいかねない。そのようなことになれば、私はどのようにして1億人の民を守り、歴代天皇の霊に顔向けすることができようか。これが私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由である。
私は、アジアを(西欧列強から)開放するために日本に協力してくれた友好国にたいして大変申し訳なく思う。また、日本国民であって戦地で命を失った者、 職場で命を落とし、悔しくも天命をまっとうできなかった者、そしてその遺族のことを考えると、 心も体も引き裂かれんばかりの思いがする。戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者たちの暮らしについても、非常に心配に思っている。この後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないであろう。みなさん臣民の悔しい思いも、私はよくよくそれを分かっている。けれども私は時代の運命の導きにそって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい。私はこうやって日本の国の形を守ることができたのだから忠誠心が高く善良な臣民の真心を信頼し、常にあなたがた臣民とともにある。感情の激するがままに事件を起こしたり、もしくは仲間同士が争って世の中を乱したり、そのために道を誤って世界からの信頼を失うようなことは、最も戒めたいことである。何とか国全体が1つとなり、子孫にまでその思いを伝え、神国日本の不滅を信じ、任務はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、将来の建設に向けて総力を結集し、道義を守り志と規律を強く持って、 日本の力を最大に発揮することを誓い、世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意を持とうではないか。私の臣民たちよ、ぜひともこの私の意思をよくよく理解してもらいたい。
レスが遅れてすいません。
ううむ。理系と文系の対立みたいな残念な方向に流れてきてしまいました。仕掛けたのは私のほうかもしれませんが。
京都弁?なのは一向にかまいませんが、大元の記事よりもレトリックが雑になってきているようです。
最初はそれなりにいい線いっていたのに、ここにきてもう投げやりというか、反論のための反論というか、急速に劣化ウランしてます。
オウム真理教の信者は人間。燃料棒はモノです。人間相手なら断罪するのは慎重さが必要だと思いますが、燃料棒相手にそこまで遠慮する必要はないでしょう。あそこで遠慮したことで、「メルトダウン隠蔽説」の発生という大損をしたわけです。これは表現の細部の問題で、後でいいますが、こういうのが信頼を作りだすにあたって重要なんです。
(本論と直接関係ありませんがオウム事件のくだり「化学薬品が大量に見つかった時点でもうほぼ真っ黒」という発言は気になりますね。そうやって河野さん一家も冤罪で酷い目に遭いました。人間相手にはくれぐれも慎重に頼みますよ。モノ相手はバッサリやっちゃってください。)
反原発派が物理的限界を超えて放射能が拡散する可能性を語ったせいで「だまされた」ことを批判されていましたが、今度は、逆に、物理的限界を超えて炉心の水位が保持されなかったことについては、裏付けが取れるまで断定しないことを良とする。せっかく「物理的限界」についてのあなたのロジックをもとに議論を展開しているのにスルッとかわされてしましました。なんともやりきれません。
「あいつらの中に悪い奴おるんちゃうか、だからあいつら悪い奴や」とは言っていません。「推進派が嘘をつきましたか?否。」と言いきるのは極端ということです。この点はあまり突っ込みたくなかったので、控えめに「かもしれない」で終わらせたつもりですが、もっとハッキリ言わせていただくならば、九電が今回やったことっていうのも、ウソじゃないんですか。流通していないから大丈夫って、今になってセシウム基準値オーバーの牛だって流通したことが出てきたじゃないですか。あれもウソじゃないんですか。と言いたい。それが意図的かどうかとか、実害があるないかないかは関係ないんですよ。あの船場吉兆だって、あんなの食っても到底死にませんよ。でも信頼失ったらオワコンになるんです。信頼というのはそういうもんです。推進派は、そこがまるでわかっていないんです。かわいそうなくらい。だから原発を自動車と比較したり、死者の数を出して、どうだ安全だろといったりするんです。ずっとこの調子なんですから。そんな議論で到底信頼は得られませんよ。
誤解のないように言っておきますが、わたしは原子力だけを特別扱いしているわけではありません。たとえば、メキシコ湾を汚染した油田だってああいう事故起こすのは許されません。自動車だって、免許は持っていますが、自分は下手くそなので(制御できる自信がないので)運転はしません。
広瀬隆の著作が「だまされようがありません」というのは、(あなたレベルなら)だまされようがないということです。
まあ、一読をお勧めしますね。賛否はともかく、それなりに楽しめると思いますから。私にしても全部同意するほど無批判な読み方はしていません。
「原子炉時限爆弾」の冒頭で出てくるのは、1960年、政府が原発事故の影響を試算したの極秘文書で、これが日本列島をすっぽり覆う被害予想になっているんですが、これなんか、あなたをミスリードしたナイーブ系反原発派をミスリードしたのは実は政府そのものというネスト構造だったのではないかと思えてきますよ。原発の「安全神話」もその崩壊も、推進派と反対派の弁証法じゃあないでしょうか。
まあ、私が極端な「理系」コンプレックス濃厚なのはご覧の通りですが、私にこんなにもコンプレックスを与えている、あなたを含む「理系」エリートは凄くあってくれなくては困るわけで、それが凄くないもんだから、もうプンプンですよ。上から目線などとんでもない。どんなにパニクっても、おが屑突っ込むみたいな無意味なことを弁護するのはやめてほしい気持ちでいっぱいです。あと、文系の連中ごときに手足縛られて、安全対策ができないっていうのなら、団結して職場放棄しろといいたい。「理系」には、モノを握っているという、そういう力が有るはずです。そういうのが「理系」の良心でしょう。原子力を制御できても、文系のアホ連中は制御できないって情けない話じゃないですか。
その2極の間の無数の中間。
結局、ナッシュ均衡で決まるんじゃないでしょうか。
私は皆が「情報空白」だとか「隠蔽」だとかいうのが一体なんの話なのかまるでさっぱりわかりません。「メルトダウン」隠蔽説なんてのはその最たるものです。全くもって意味不明です。
全電源喪失が発生してから、東電が炉心溶融を(可能性があるではなく、ほぼ間違いないという形で)認めたのが5/12だったが、3/11の夜の時点でわかっていたはずではないかという話です。私は、分かっていたと思いますね。
だって、2010年6月17日(2011年ではなく、2010年ですよ)、福島第一原発2号機で、作業員のオペミスで30分間の電源停止が発生して炉内の水位が2メートル下がった冷や汗ものの事故がありましたが、たった30分で2メートル下がったんですよ。現場の関係者なら、たとえ計器がぶっ壊れて確認できなかったにせよ、冷却停止してからあれだけの時間が経過していれば、「物理的限界を超えて」水位が「保持される」ことがありえないことなどはっきりしているはずですよ。水がなければ炉心溶融することが確実なのも実験炉で実証済みのシンプルな物理の話です。ですから、3/11の日付が変わる前には、「炉心溶融が起きている可能性がある」ではなく、「炉心溶融が起きていることは確実」が表現として正しかったのでしょうね。そう言わずに、だいぶたって5/12にデータと共にあらためて認めた時に「メルトダウン隠蔽説」というのが生まれてしまった。
まあ私はこれは「隠蔽」ではなく単なる表現下手なだけだと思いますが、「意味不明」というもんでもありません。
「騙す」というのは「意図的に嘘をつく」ことです。推進派が嘘をつきましたか?否。反対派が嘘をつきましたか?ついた。どちらが「騙した」のかは明らかです。そもそも推進派にしたって「絶対安全」なんて言っていないんだから「騙された」なんてのは自己欺瞞も甚だしいです。まして「絶対安全と言われた」なんてどの面下げて言うとんじゃと思いますね。
もちろん原発も人間の作った代物ですから「絶対安全」など求めていませんが、普通の「安全」ですらないですよ。
「安全」でない状態を「意図的」に放置して「安全」だと説明すれば「騙す」ことになると思いますが。
推進派が嘘をつきましたか?否。と言いきるのは極端ですよ。地元民を前にして「絶対安全」と言った人もなかにはいるんじゃないでしょうか。
まあ、それは置くとして、私が「だまされた」というのはこういうことです。
私は、「ナイーブ」に「原子力というものは人間には制御しきれないしろもの」と思っていますが、いやいや任せろ、制御してみせるぜ、と頼もしいことを言ってくれる「理系」の頭のいい方たちがこれまでやってきた原子力発電が、いざ事故が起きて、建屋が吹き飛んでからは、ああ、果たしてどういうアイデアでこの事態を収拾してくれるんだろうね、文系のオレには想像もつかないやと思いきや、ヘリから海水ぶっかけるだの、おがくずと新聞氏と水溶性ポリマーで汚染水を止めるだの(これは海外のネットユーザから、かぶと虫でも飼うつもりか、髪の毛でも入れて詰まらせたらどうだと揶揄されましたね)もう次から次へとアホくさくみえる案を繰りだしてくるんでガックリきたわけで。なんだ。口ほどにもない奴らだな。そんな程度の技術力で火遊びやっていたのか。もう玩具ぜーんぶ取り上げだ。という気分でしょうかね。そしたら、今度はこれまで電気使ってた恩恵を受けときながら黙れ黙れというようなむちゃくちゃな詭弁で反論してきたりするオマケつきですよ。もう失望したというか、「だまされた」ということです。まあ、これが今の日本のムードなんじゃないでしょうか(価値判断は別として)。
逆にあなたが批判している「ナイーブ系反原発派」が私にはそれほど悪質には思えないんですね。むしろ原子力推進派が「想定外」のヘタレだったことがショックです。もっと骨のある奴らだと思ってました。
ちなみに、別のツリーで「ナイーブ系反原発派」に広瀬隆せんせいを入れられてしまっているのは残念ですね。広瀬隆の著作を読むと、事実部分と創作部分との境界が一目瞭然なので、だまされようがありません。むしろ広瀬隆は、震災・津波による原発事故という恐怖、原発建屋の吹き飛ぶ姿を、事故前に描いた想像力は称賛に値すると思います。「原子炉時限爆弾」はまだお読みでありませんか。是非お読みになられてから批判されるとよろしいかと思います。
最近では、原発に関する書籍もかなりたくさん出揃ってきましたので、それらも新聞、テレビ、ネットとはまた違った情報が得られて面白いですよ。
それなら、政府・東電が把握できていないのに、結局あなたが避難する上で採用した情報源は把握していたのですか。
政府・東電よりも現場の状況にアクセスできた情報源などそう多くはないと思いますが。
その情報源にしたって、すでに公開されている情報などから、必死に知恵を絞って類推してある被害イメージを描いたのではないでしょうか。
情報発信しなかったほうを責めず、情報発信した方を責めるのはよくないと思う。
政府・東電にしても「情報空白」を作ったことは、「デマ」を垂れるのと同じくらい悪いと思います。
あと、もうお忘れかもしれないけれど、3/19までは状況はどんどん悪化して、誰にも先が見えないムードだったでしょう。
あの状況で東京から脱出しても何ら異常な行動だと思いませんよ。
むしろ、あの状況で居残ってどや顔している人がいたら、そっちのほうが欺瞞だと思う。蛮勇かも知れないが、賢いとは到底思えない。
まあ、きわめて理念型に単純化した話になるけれども、実際に起きたことは
原発反対派が「想像」※するほど事故は大破局にならなかったということで、どちらに「だまされたか」といえば、原発推進派ですけどね。
傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。
至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。
あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。
家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまったかのようだった。
なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。
梅雨空の下、わたしは沈黙したまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。
それは先生が子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。
わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。
声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉の意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき、意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中を押し出してしまった。
よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。
本当に、その程度の思いつきだったのに。
わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。
それも、そうだな。
ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。
わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。
今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。
にっ、とAが笑った。
何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。
絶対だぞ。
念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。
蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。
かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしから水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。
ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。
十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。
狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。
それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。
わたしは右手に傘を左手に水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。
雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。
どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園の入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。
Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルーの長靴だけが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。
たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。
やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。
がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。
点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。
わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。
やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。
シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。
口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。
乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。
べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。
べちゃり。
わたしは隣に佇むAに眼を向けた。
彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。
ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。
ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。
蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。
途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。
惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。
わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。
水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。
とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。
その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。
わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。
その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。
翌日。Aはどこにもいなくなっていた。
あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。
けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。
梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。