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2018-02-19

小説"火花"が素晴らしい文学作品である理由

火花出版されてから3年近く経ったようだが、読んでみた。

結果、素晴らしい文学作品だと感じた。その理由文章にしたくなったので、筆をとってみる。

まず、僕が思う"文学"という言葉意味を紹介したい。

文学という言葉は広く使われていて、人によって認識が異なる。

また、文学意味定義認識していないのにも関わらず、「文学香りがしない」などという人がいる。

自分スタンスを明らかにせず、批評するのは誠実ではないと思う。

僕は"僕の文学"を明らかにして、火花を絶賛したい。

僕の文学定義は「個たる人間の根源においてその社会世界宇宙とのつながりを全体的に把握しながら、人間であることの意味認識してゆこうとする言葉作業」だ。

ゲド戦記 影との戦い岩波少年文庫)のあとがきから頂戴した。僕が思う文学を一番的確に表す言葉だ。

この言葉の補足をしよう。

文学に置いて、個人主義思想は最も重要トピックの1つだ。

夏目漱石私の個人主義を読んだ事がない人は読んで欲しい。定義では、「個たる人間」で表現している。

個人主義思想を得た人間社会世界と衝突する。

文学の1ジャンルである教養小説において、それは顕著だ。

教養小説は、簡単にいうと若者社会の壁にぶつかりつつ、自我に目覚め、他者を認め赦していく小説だ。自己形成小説とも言われる。

社会世界とのつながりを全体的に把握」「人間であることの意味認識してゆこうとする言葉作業」とは上記のような事を指している。

宇宙との繋がり」は説明が難しいので、省略する。

"火花"は「個たる人間の根源においてその社会世界宇宙とのつながりを全体的に把握しながら、人間であることの意味認識してゆこうとする言葉作業」にあてはまるだろうか?

答えはYesだ。

実例を出して説明する。

文章文庫火花文庫版が手元にあるので、ページ数はそちらを参考にして欲しい。

・21P

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まりな、欲望に対してまっすぐに全力で生きなあかんねん。

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神谷さんの生きる理由。そして人間である意味を表す言葉だ。

堕落論坂口安吾)では、"生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか"という言葉がある。

神谷さんは"生きよ堕ちよ"を実践した人だ。

社会の通例に囚われず、自己を見つめた人だ。

・60P

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確固たる立脚点を持たぬまま芸人としての自分形成されていく。

その様に自分でも戸惑いつつも、あるいは、これこそが本当の自分なのではないか右往左往するのである

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夏目漱石私の個人主義やそれに関する作品群を思い浮かべた。

火花徳永自己形成物語だと思った。

その自己形成に、神谷さんが深く関係している。

・153P

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神谷さんから僕が学んだことはことは、「自分らしく生きる」という居酒屋の便所に貼ってある様な単純な言葉の、血の通った劇場実践編だった。

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徳永個人主義思想を得た事を示す言葉だと思う。

・155P

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もし、世界漫才師自分だけやったら、こんなにも頑張ったかなと思う時あんねん。

周りに凄い奴がいっぱいいたから、そいつらがやってないこととか、そいつらの続きとかを俺たちは考えてこれたわけやろ?

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神谷さんの社会世界との繋がりを認識させてくれる言葉だ。

そして、文学的意味での繋がりを感じさせてくれる。

彼は実生活ベースでの繋がりについては、きちんと認識できない人だ。

生活ベースでの繋がりとは、社会ルールなどを差す。

物語後半、神谷さんはジェンダー論を刺激する様な行いをして徳永に怒られる。

火花は、文学的意味人間的だが実社会に馴染めない神谷さんや、芸人社会を中心とした現代日本社会を通して徳永自己形成する物語だ。

ここでいう自己形成とは、神谷認識していた文学的な繋がりと、実社会における繋がりどちらも差す。

現代日本舞台社会と折り合いをつけつつ「自分らしく生きる」事を示してくれた。

そんな価値提供をしてくれる傑作なんだ。

2016-05-29

夏目漱石の「私の個人主義」について

読書会夏目漱石の「私の個人主義」を紹介するための、原稿です。

<コ:ミ <コ:ミ <コ:ミ

夏目漱石の「私の個人主義」という本を持ってきました。

漱石といえば、「吾輩は猫である」や「こころ」が特に有名な小説家です。

彼は日本代表する小説家というわけで、

書簡集。つまり手紙文語本になっていたりします。

私の個人主義」は講演をまとめた本です。

169ページなんですが、5つの講演が収録されています

1つの講演は30P~40Pですので、ページ数から考えると、

比較的読みやすい部類に入るかと思います

タイトルの「私の個人主義」というのは、大正3(1914)年11月25日学習院で行われた講演のタイトルです。

漱石1916年12月に亡くなったので、亡くなる2年前程前の講演です。

5つのから、「私の個人主義」について、内容をご紹介します。

学習院で行われた講演ということで、若い学生対象にしていたようです。

彼の反省と学びについて、紹介しています

漱石学生だった頃、卒業する直前までどんな職業につくのか決められなかったそうです。

たまたま学習院教師に推薦してもらえる事になるのですが、

結局、他の人が採用されます

漱石は「今と違って就職は大変楽でした」と語っているのですが、

高等学校と高等師範から、同時に声がかかります

彼はどちらにも半分承諾するような事を言いました。

いい加減な事をしたわけです。

呼びつけられて、怒られるのですが、結果高等師範に行く事になりました、

行ったはいものの、「自分の不向きである」という思いがあり

一年松山にある中学校に赴任します。

が、松山にも一年しかいませんでした。

以降、熊本に落ち着く事になります

熊本教師を続ける中、文部省からイギリスへの留学を勧められます

彼は断ろうと思いました。

なんの目的も持たずにイギリスに行ってもしょうがいないと思ったわけです。

結局、教頭先生に勧められ反対する理由がないということで、イギリスに行くことになりました。

「そんなあやふやな態度で世の中へ出て、教師になったというより教師にされてしまったのです」と言っています

彼の心境は非常に苦しいものでした。

「腹の中は常に空虚でした」とか

「この世に生まれた以上何かしなければならん。といって少しも見当がつかない」

色々な言葉を使って繰り返し苦しさを訴えています

彼はイギリスに行った以上は!と努力しました。

そして、今までは他人本位で、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事に気が付きます

彼は自己本位という言葉を手に入れました。

この喜びを

「そのとき私の不安は全く消えました」や

「ようやく自分鶴橋をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです、」など

色々な言葉で繰り返し嬉しい気持ち表現します。

そして、学生に対して、同じような悩みがあるのでは?と強く訴えます

貴方がた自身幸福のために、それが絶対必要じゃないかと思うから申し上げるのです。」などと言うのです。

自己本位必要なのでは!?という漱石の熱い語りは、もしかしたら彼のイメージと異なるかもしれません。

彼が人に流されて生きてきた。

その腹の煮え切らない不愉快気持ちと、そこから解放された実感は私にはよく理解でき、感動すらしました。

ここまでが第一部の内容です。

個人主義自己本位というと、自分勝手にふるまうような事をイメージされるかもしれません。

漱石はその事を否定します。

自分自我尊重するのであれば、他人自我も認めなければならないといいます

講演を聞いている学習院学生というのは、今よりも強い意味を持っていました。

お金権力を持つ事になる人たちでしたから、

気に食わない相手を懲らしめるために人を買収したり、妨害する事が可能なわけです。

彼は所属する団体立場に基づき判断せず、理に適っているかどうかで判断する事が必要だといいます

彼の考えは、自分存在尊敬し、他も同じように尊敬する。

団体を作って、権力お金のために盲動しない。というものでした。

素晴らしい考えだと思いますが、漱石は淋しい気持ちがある事を吐露します。

理に適っているのかで行動を決める事、そして他を尊重する事から

ある時は、人がばらばらになってしまうと言います

漱石の中期~後期の作品個人主義の目覚めとこの淋しさを書いたと理解しています

特に、後期の作品にあたる「こころ」は淋しさががよく出ていると思います

淋しいというしこりが残る形ではありますが、個人主義という考え方を

論理だけでなく、感情をまじえて教えてくれるというのが私の個人主義漱石の魅力だと思います

以上

2016-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20160322161349

いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。国が強く戦争の憂うれいが少なく、そうして他から犯される憂がなければないほど、国家観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。今の日本はそれほど安泰でもないでしょう。貧乏である上に、国が小さい。したがっていつどんな事が起ってくるかも知れない。そういう意味から見て吾々は国家の事を考えていなければならんのです。けれどもその日本が今が今潰れるとか滅亡めつぼうの憂目にあうとかい国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。火事の起らない先に火事装束しょうぞくをつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈かけ歩くのと一般であります。必竟ずるにこういう事は実際程度問題で、いよいよ戦争が起った時とか、危急存亡の場合とかになれば、考えられる頭の人、――考えなくてはいられない人格の修養の積んだ人は、自然そちらへ向いて行く訳で、個人の自由を束縛そくばくし個人の活動を切りつめても、国家のために尽すようになるのは天然自然と云っていいくらいなものです。だからこの二つの主義はいつでも矛盾して、いつでも撲殺ぼくさつし合うなどというような厄介なものでは万々ないと私は信じているのです。

夏目漱石私の個人主義」より

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

2014-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20141207214956

夏目漱石私の個人主義

私のようにどこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴みたくっても薬缶頭を掴むようにつるつるして焦燥ったくなったりする人が多分あるだろうと思うのです。もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、また他ひとの後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが、(自己安心と自信がしっかり附随しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。

こんなことを紙幣に載るような人間も考えていたんだなと、

自意識こじらせてもいいんだと思わせてくれました。

富野由悠季機動戦士ガンダムF91クロスボーン・バンガード 上・下」

ガノタというより、禿信者になった最初きっかけ。

シーブックF91活躍するラノベを読むつもりだったのに、

冒頭からしばらくずっと政治家の爺さんの話で、

中二ごころに「なにこれ違う」という感じを味わいました。

D・A・ノーマン「誰のためのデザイン

あらゆるデザインに通じる基礎的な教養が載ってる。

これがなかったらいまご飯食べられていません。

2009-04-22

漱石の「私の個人主義」を読み返した。

私は始終中腰で隙(すき)があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。

 私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧(きり)の中に閉じ込められた孤独(こどく)の人間のように立ち竦(すく)んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射(さ)して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条(ひとすじ)で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢(ふくろ)の中に詰(つ)められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐(きり)さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥(あせ)り抜(ぬ)いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝(いんうつ)な日を送ったのであります。

 私はこうした不安を抱(いだ)いて大学卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越(ひっこ)し、また同様の不安を胸の底に畳(たた)んでついに外国まで渡(わた)ったのであります。しかしいったん外国留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然(いぜん)として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦ロンドン)中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足(たし)にはならないのだと諦(あきら)めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。

 この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念(がいねん)を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟(さと)ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめに漂(ただ)よっていたから、駄目(だめ)であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似(ひとまね)を指すのです。一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審(ふしん)がられるかも知れませんが、事実はけっしてそうではないのです。近頃流行(はや)るベルグソンでもオイケンでもみんな向(むこ)うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬(しりうま)に乗って騒(さわ)ぐのです。ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従(もうじゅう)して威張(いば)ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴(ふいちょう)して得意がった男が比々皆(みな)是(これ)なりと云いたいくらいごろごろしていました。他(ひと)の悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人が甲(こう)という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑(ふ)に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触(ふ)れ散らかすのです。つまり鵜呑(うのみ)と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔(わがものがお)にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞(ほ)めるのです。

 けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀(くじゃく)の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華(ふか)を去って摯実(しじつ)につかなければ、自分の腹の中はいつまで経(た)ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

  • 「霧の中に閉じ込められた孤独人間
  • 自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似

100年後も色あせない漱石先生の表現力には恐れ入谷鬼子母神

 
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