はてなキーワード: うじゅとは
In 2002, the USPS handled roughly 202,8 21,900,000 pieces of mail. In 2004, that number was 206,105,600,000 and in 2006, it was 213,137,700,000
「つーおーつーびりおん、えいとつーわんみろん、ないんじろじろさざんど」って読んだらダメですか?
ルールは下に書いてる通りだとすると、
http://allabout.co.jp/gm/gc/59745/
http://allabout.co.jp/gm/gc/24838/
ちゃんと
つーはんれっつーびろん、えいはんれっとうぇにわみりおん、ないはんれっさざんって読まないとだめ?
日本語だと
にせんにじゅうはちおくにせんきゅうじゅうおく
でおわりなのに。
http://anond.hatelabo.jp/20111201230748
そんなコミュ障の私でも、生きてる。
もう32才になるけど健康に生きてる。
分かってる分かってる。すごくよく分かってます。
親は悪くない、普通、あたりの部分は全く賛成できませんが、あとは特に反論するつもりはありません。
親は親で悪いと思います。 私はこの親を普通だとか正常だとは全く思いません。
ただ、このくらいで不幸だとか言うつもりもありません。人生ダメに成ったとか泣き言言うつもりもない。
実際、少なくとも経済的には恵まれていたのは確かですしね。 私より不幸でも立派な人はたくさんいるんでしょう。
このくらいは耐えて、がんばらなきゃいかんのが現実だというのは理解しています。
どうせ泣き言言った所でだれかが助けてくれるわけでもありませんしね。
ただ、今はほんまに辛いです。その視点まで自分を引っ張り上げる体力がないです。
まず負の感情吐き出して、そのあとで客観的に整理して、現状を受け止めて、前に進む。
いっぺんに出来ればベストなんでしょうが、なかなか難しいです。
まずはこういう感じで吐き出させて下さい。整理したり自分を引っ張り上げる作業は別の時にやります。
そういう意味で、この記事では吐き出しの部分だけお見せして申し訳ないです。
親の事はそんなに嫌いではありません。全く好きではありませんが。多分1年もすれば恨みも消えるでしょう。
今後縁を持たなくて済むならば、いますぐ恨むのをやめても構わないくらいです。
本気でそこが分からずに親を憎んでるとかだったら「親が習い事に行かせてくれた」みたいな書き方をしません。
外から見たら、ある程度のサバイバーからみたら甘えに見えるんだろうなーみたいなことはじゅうじゅう承知してます。
おそらく貴方くらいの年齢になったら、多分そう言う風に思えるようになってるとも思います。
そういう意味で、将来に渡って絶望して、それを親のせいにするとか、
いつまでも親のせいにして、いつまでも自分に停滞を許すとかそういう甘えたことを言うつもりはありません。
あなたの親に非はない。
経済的な理由で習い事なんかさせてもらえない家庭もあれば、経済的理由で高校にいけない子供もいる。
もし仮にそうだとしても、それが私がつらいことをいささかも軽減してくれないことを理解出来ないのであれば
非常に重要なところを読み飛ばしてた。 >世界中には(日本国内でも)明日の飯さえままならない奴が大勢いるってのに、俺は何をのんびり生きていたんだ、とか、 >そんなことを考える必要なく死んでいきたい。 すばらしいと思います。皮肉じゃなくてね。 つまり、飢餓を減らしたいって事だね。 他にも戦争をなくしたいとか、色々あるよね。 君の意見を見てて思い出したけど、たぶん俺らって、物質的には、もうじゅうぶんなんだよね。 だから車とか家とかに君は反応しなかった。 そういう願望はダサイとすら思ってるかもね。 (そういう願望と「俺はその他大勢じゃない」ってのは根は一緒なんだけどね) >うん「その他大勢より、俺すごいって思いたい」って事以上の何かは無い意見だね。 とか言ってごめんね。取り消します。 でも「どうせ死ぬから無意味だ」は克服出来てないとは思う。 目をそらしたまま生きて行くのもアリだけどね。
私は始終中腰で隙(すき)があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。
私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧(きり)の中に閉じ込められた孤独(こどく)の人間のように立ち竦(すく)んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射(さ)して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条(ひとすじ)で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢(ふくろ)の中に詰(つ)められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐(きり)さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥(あせ)り抜(ぬ)いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝(いんうつ)な日を送ったのであります。
私はこうした不安を抱(いだ)いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越(ひっこ)し、また同様の不安を胸の底に畳(たた)んでついに外国まで渡(わた)ったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然(いぜん)として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦(ロンドン)中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足(たし)にはならないのだと諦(あきら)めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念(がいねん)を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟(さと)ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめに漂(ただ)よっていたから、駄目(だめ)であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似(ひとまね)を指すのです。一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審(ふしん)がられるかも知れませんが、事実はけっしてそうではないのです。近頃流行(はや)るベルグソンでもオイケンでもみんな向(むこ)うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬(しりうま)に乗って騒(さわ)ぐのです。ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従(もうじゅう)して威張(いば)ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴(ふいちょう)して得意がった男が比々皆(みな)是(これ)なりと云いたいくらいごろごろしていました。他(ひと)の悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人が甲(こう)という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑(ふ)に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触(ふ)れ散らかすのです。つまり鵜呑(うのみ)と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔(わがものがお)にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞(ほ)めるのです。
けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀(くじゃく)の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華(ふか)を去って摯実(しじつ)につかなければ、自分の腹の中はいつまで経(た)ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。
http://anond.hatelabo.jp/20080826233030 を書いた元増田です。
これを書いてからまたいろいろ考えたんだ。
あれを書いたとき、自分は自分のことを冷静だと思ったんだけど、でも今思うと冷静じゃなかった。
「異常」って言葉を聞いてかなり動揺してたっぽい。
ブクマのコメントで書いてくれた人もいたけど、おとんも吐き出したくなったんだろうな。誰かに聞いてもらいたくなったんだな。
おいらがここで、誰かに聞いてもらいたくて書き込んだのと同じように。
結局さ、自分では変えられない、変わらない現実に折り合いをつけようとしているんだろう。おとんもおかんも。それぞれ自分なりに。
考えてみれば、10歳だったにーちゃんが30歳になったように、おとんにもおかんにも20年の歳月が流れたんだ。
おとんもおかんも年をとったよ。子どもの頃はあんなに大きく感じたのに、2人ともずいぶん小さくなった。
「20年、何してたんだよ」とか思ったけどさ。それはおいらの傲慢だよな。
おとんもおかんもずっと苦しんだり悩んだりしてたんだよな。辛い思いをしてたんだよな。
それでも日々生活して、にーちゃんとおいらを育ててきたんだもんな。
20年。長いよな。
「にーちゃんがいなくなるのかもしれない」という恐怖だけを感じていた7歳児だったおいらがいっぱしに社会に出て働くようになるくらいだもんな。
だからさ、もうあれこれおとんとおかんを責め立てるのはやめるよ。
おとんの世界、おかんの世界はそれぞれ違うけど、対立するものかもしれないけど、おいらなりにそれぞれを尊重してみようと思う。
二人の心配、心労、苦しみを引き受ける…のは無理だと思うけど(だっておいらは親でもないし、夫でもないし)、尊重したりいたわったりすることはできるんじゃないかと思う。
おいらも、そんなできた人間じゃないから思ってるだけで現実は上手くできないかもしれないし、しかもこれじゃ何も変わらねーぞってつっこまれたらそれまでだけど、でも、できることからやってみる。
ダメだったらまたここに吐き出しにくるよw
今までおいらの書き込みを読んでくれた人、ブクマしてくれた人、トラバしてくれた人。どうもありがとうございました。
20年間上手く言葉にできずにいたことやぼんやり考えていたことに対しておいらなりに向き合うことができました。
皆さんのおかげです。ありがとう。