はてなキーワード: 都々逸とは
結婚相手に求める譲れない条件って、せいぜい二つまでで事足りるんじゃね?
一、「生活に関係する重要事項に関して話し合って決める」ということをすることができる
・自分の欲望や価値観と他人のそれとを天秤にかけリソースを割り振る際の「割り振り方」の感性が合う
・「話し合いで決める(落としどころを作る)」スキルがある
をクリアしていなければできないこと。
「生活に関する重要事項」とは具体的には「子どもが欲しいか否か、欲しい場合に必要なカネ・時間・労力をどうするか」「仕事と家庭維持労働の分担配分」「介護労働の分担配分」など。
落としどころを作るのはかなり高度なスキルで、ビジネスでは「一般論から方向性を決定しようとする」「とにかく自分の要望を通すため、または自分の負担を減らすためにはなりふり構わない」「話し合いの席につかない」などの逃げを打つことを許容する向きがしばしばあるが、これを多用しがちなタイプはNG。
→「あの人のどこがいいかと尋ねる人」に、都々逸の通り「どこが悪いと問い返す」を素で行けるか、「ここが良いだろうが!!」とマジギレし返せるくらいが理想。
そこまでじゃなくても、「全体としては生理的に無理ってわけではない」は満たしたい。
「相手からやられたらストレスなムーブ」が発生したときに、なんだかんだで惚れてる方が比較的耐えやすい。あばたもえくぼ。
以上。みたいな。
そして、この一つめを満たすのには実はかなり出来た人間でないとならない。
例えば思考が侵されるほどの依存症患者や、ネットで他人を叩くことにハマっている正義中毒者には満たせないし、話し合いができる精神状態を保ち続けるためのカネや睡眠時間に余裕が必要がないタイプ、即ちワープアやライフワークに全精力注ぎ込むような天才系変人または変人系天才にも難しい。人と会話できない(意志疎通行為自体に難がある)コミュ障も論外レベルで厳しい。
足切りとしては上々だろう。
ゲームが、酒が、タバコが、ギャンブルが、芸能ニュースが、アイドルが、ダメっていうのは、要するに「自分からしてみれば、何がいいのかわからないからダメ」なのだ。
しかしそれは足切りラインに設定するべきじゃない。というのも、上記の一番を満たしていそうかどうかを察知するために非常に有用な話のタネになるからだ。
自分には良さがわからなくても、相手方にすれば「ここが良い」ポイントがあるかもしれない。或いは「確かにメリットがないから、やめるよう心掛ける」という譲歩もあるかもしれない。
そのどちらにせよ、そういった反応を相手方から引き出そう、そういうコミュニケーションを持とうと自分が思えるかどうかを検討するべきなのだ。
思えないのなら、その結婚は無理がある。
中学のとき夏休みの宿題に短歌があって、ちょうどそのとき自由律俳句かっこいいと思っていた私は、何をとち狂ったか八八七八五の「短歌」を出し、あろうことかそれが市のコンクールで入選に選ばれてしまったものだから、妙に粋がっていたのだが、後に思うのは、やはりあれはだめだったなと。
少し前にも「『型破り』と『形無し』」「守破離」の話が出ていたが、守を修め破を成して初めて離に至るものであり、その過程をすっ飛ばした自分の自由律もどきなど、型を成す努力を放棄した怠慢を、粋と履き違えた滑稽以外の何者でもなかったのだ。
NHKのラジオ文芸選評を聞いていても、字余り、字足らず、都々逸での三四・四三・三四・五破りなど、投稿者の「型破り」を選者が型に戻すだけで、内容は同じでありながら驚くほど趣深いものが生まれたりする。
型はただ決まりとしてそこにあるのではない。先人たちの連綿たる工夫の粋を極めた最も美しい形、それが型なのだ。
ところで冒頭の、自由律に影響され「形無し」の短歌を作っては粋がる話、これはいわゆる「中二病」の典型的な症状なのだろうか。