名前を隠して楽しく日記。
以前、左右固定・相手固定のいわゆる固定厨の人が「逆カプや別カプを見ただけで頭を抱えてしまう」
というのを見かけた。
頭を抱えるだけでなく、時にその逆カプという字面にすら殺意がわいてしまうという話も聞いたことがある。
これを一種の病気としてとらえるならばむしろシンプルなのかもしれない。
しかし、それ以外の話題ではスムーズに会話ができて社会的にも適合している人間が
どうしてその「二次創作のカップリング論」にだけ目をむき出しにして感情をあらわにしてしまうのか…
つまりそのカップリングすらも原作者には意図していない可能性もあり…?
相手固定でも左右固定でもない原作についてはどう思っているのか…?
原作者がその固定厨の想像するカップリング以外を描き始めたときその固定厨はどうなるの?
気になる。
別件かもしれないけれど、「カップリング決めてないのでA×B、B×A両方タグつけた」というのは
友情エンドではないということ?
それってリバカプではいけない何かがあるということ…?というのもまあまあ気になります。
カップリングのタグをつけるということはある程度ゾーニングするという意味でも
どちらかに転ぶ可能性もあり、つまり必然的に左右が生まれると思う。
(左右を表すのタグをつけているし)
ただ、例えばキスだけの関係で凹凸を必要としないのであれば、それもまた表記に困る。
アニメに限らず作品の作られ方は千差万別らしいから役職は同じでもその役職がどのくらい作品の質に寄与しているかは作品ごとに千差万別なのではないかな。
海外まで含めれば監督が主導なのかプロデューサーが主導なのかという相違点もあるし、実際、稀には脚本家が大きく主導している作品もあるようだ。
TV版エヴァのSF設定で1アニメーターが大きく貢献していたこともある。
小林靖子さんみたいに、何十年も特撮やアニメの有名作にチーフライターとして採用され続けていたような人は、脚本家として明らかに重要な働きをしているのだろう。
ヒット作品の脚本を担当したとなれば、基本的にその脚本家は優秀だと一旦はみなし評価されるべきものだろう。
いくらアニメが多数の関係者の力量に影響されているとはいっても、そこを否定しはじめたらフェアではないかなと思う。
確かに「この脚本家はヒット作が続いてる!」と特定の脚本家を持て囃すSNSの人たちの風潮にはなんだか薄っぺらさを感じ取ることはあるとはいえ。
おめでとう?
自転車持ってるなら一回やってみりゃいいじゃん
自宅から職場まで15キロ、まあ通えなくはないけど信号多くて小一時間はかかる
これまでの経験から、7,8キロならダメージなく気持ちよく走れるのがわかってる
やってるうちに体力がつく、とかそのうち慣れる、とかではないと思う
そもそもかつてはクロスバイクでしょっちゅう100キロ近く走ったりしていたから持久力は問題ないと思う
でもケツの痛さとか膝のダメージは体力とかポジションではどうにもならない
一昨日ここでドミノピザ半額キャンペーンの情報を見かけて、昨日ピザサンドを注文しようとしたんだけど、売り切れてるのかメニューにピザサンドが出てこなかった。
で、今日もどうせ注文できないんだろうなーと半分諦めつつサイトを見てみたらピザサンドが復活してたので、さっそく予約注文した。
はやく食べたいなー。わくわく。
はたまたただ自分が予約できなくなる事を防ぐ為なのか
なんとなく後者かな、という気がしているんだけど、どっちにしろ週イチ6時間とか出来るようになってからやってくれ、って感じだな