名前を隠して楽しく日記。
昨今の増田のブクマ推移を見ていると東京に関連する増田のブクマが多く、そりゃまぁ東京は人口が多いんだから東京の話題にすればそれだけ多くのブクマが集まりやすいのは当然のことなんだけど、納得しつつ納得しきれないようなモヤモヤのようなものもあるというか、よくもわるくも利用されてる感あるなぁと思ってしまいました
どこまで行っても人の量が国力である以上、国としては産んでもらわない事には困るのよね
参政権求める女性団体が戦争協力していたというのは知らなかったけどググったら本当なのね
https://manabisha.com/06_jyugyo/06_jyugyou_01/01_pdfdata/jyoseiundo.pdf
>日中戦争が始まると、女性運動の指導者たちは、大政翼賛体制の下でさまざまな委員会の理事などになり、戦争協力を押し進めた。戦争協力によって女性の力を示し、戦後に女性参政権を得ようとしたのである。侵略戦争の惨禍に苦しむ他国の女性たちに思いを寄せられなかったことは、今日も考えるべき課題となっている。
>そうした戦前女性運動の行き着いた先をふまえるならば、大正デモクラシー期を輝かしい時期とだけとらえるわけにはいかない。
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900119885/S24332291-43-P001.pdf
>戦争の拡大に伴って婦人参政権を認める法案が議会に提出されることは無く、また市川房枝自身も従来の不戦の立場から戦争協力への運動戦略の変更を余儀なくされた。それからは戦争遂行の国策に協力することで女性の政治地位向上を目指すようになっていった
平塚らいてうなどの有名フェミニストが所属していた「新婦人協会」は、メンバーの戦争のことも含めた思想的決裂、病気療養、海外移住などで解散
女性参政権を求める尖ったフェミたちはバラバラになった結果、一部は「良妻賢母」をうたうような全く質の違う女性団体と結びつき、市川房枝という人はかなり大きな変遷を見せた
軸としての「なにがなんでも女性参政権」自体はブレておらず、戦後も活動を続けて実るも、「お前戦争煽ってたよな」と、反戦貫いてたフェミからは叩かれたという
平塚らいてうは反戦平和主義運動をずっとやっており、かつて仲間だった市川とバチバチにやり合い続けたそうだ
そこらへんをまとめた『市川房枝と婦人参政権獲得運動: 模索と葛藤の政治史』って本を読んでみたいな
https://manabisha.com/06_jyugyo/06_jyugyou_01/01_pdfdata/jyoseiundo.pdf
これは面白かった
男女平等を求めたフェミたちは、朝鮮人虐殺が起こった当時に人種平等で差別もしなかったのかどうかの研究
あくどいことを書いている人はおらず「なにか騒動が起きていると聞き怖いので武器持って家の中で震えてた」みたいなもん程度だが
俺がガキの頃は55億人と教えられたのに