2024-06-27

参政権求める女性団体戦争協力していたというのは知らなかったけどググったら本当なのね

https://manabisha.com/06_jyugyo/06_jyugyou_01/01_pdfdata/jyoseiundo.pdf

日中戦争が始まると、女性運動指導者たちは、大政翼賛体制の下でさまざまな委員会理事などになり、戦争協力を押し進めた。戦争協力によって女性の力を示し、戦後女性参政権を得ようとしたのである侵略戦争惨禍に苦しむ他国女性たちに思いを寄せられなかったことは、今日も考えるべき課題となっている。

>そうした戦前女性運動の行き着いた先をふまえるならば、大正デモクラシー期を輝かしい時期とだけとらえるわけにはいかない。

https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900119885/S24332291-43-P001.pdf

戦争の拡大に伴って婦人参政権を認める法案議会に提出されることは無く、また市川房枝自身も従来の不戦の立場から戦争協力への運動戦略の変更を余儀なくされた。それから戦争遂行国策に協力することで女性政治地位向上を目指すようになっていった

平塚らいてうなどの有名フェミニスト所属していた「新婦協会」は、メンバー戦争のことも含めた思想的決裂、病気療養、海外移住などで解散

女性参政権を求める尖ったフェミたちはバラバラになった結果、一部は「良妻賢母」をうたうような全く質の違う女性団体と結びつき、市川房枝という人はかなり大きな変遷を見せた

軸としての「なにがなんでも女性参政権自体はブレておらず、戦後活動を続けて実るも、「お前戦争煽ってたよな」と、反戦貫いてたフェミからは叩かれたという

平塚らいてう反戦平和主義運動をずっとやっており、かつて仲間だった市川バチバチにやり合い続けたそうだ

そこらへんをまとめた『市川房枝婦人参政権獲得運動: 模索葛藤政治史』って本を読んでみたいな

https://manabisha.com/06_jyugyo/06_jyugyou_01/01_pdfdata/jyoseiundo.pdf

これは面白かった

男女平等を求めたフェミたちは、朝鮮人虐殺が起こった当時に人種平等差別もしなかったのかどうかの研究

あくどいことを書いている人はおらず「なにか騒動が起きていると聞き怖いので武器持って家の中で震えてた」みたいなもん程度だが

差別されて殺されて可哀想」という強い憐憫の文はなく、ある平等を求める人でも別の部分では泣けないんだねという

市川は後に、撤去されて話題となった朝鮮人犠牲者追悼碑の建立に携わっていたそうだ

  • そして男女平等を求めていた女性団体が優生保護法とか作るわけですね。

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