→オモチャ強めに使って相手がそれを止めようとする手を「ダメだよ」と言ってまずはタオルで縛る
→さらに(相手の)快楽追求しようとオモチャ店へ、いい感じのオモチャと、この前の流れで手錠も買う
→以上の流れの間も相手を褒めたり、拘束独占している喜びをきちんと表現する
→首輪や縄で縛る流れへ
同じように段階を踏めばコスプレもいけるでしょ
めんどくさがってはいけない
手順と段階を踏むことと、相手を慮ること、そして常に奉仕することです
結局SはサービスのSなのです
ふと思ったんだけど、表現の自由って減ったことはあっても増えたことってなくないか。
こういうことは今後も続いていくだろう。
署名を集めてクレームを突っぱねれたこともあったけど、よくよく考えると、それって単にマイナスをゼロにしただけじゃないかしら。
欧米の、言っていることは美しかったり、正論だったりするわけだが、
袖の下で利益があることに対して、何やってるかわかりにくい。
国家レベルでもそうだし、組織や組織に属する個人レベルでもそう。
個人レベルだと、口ではポジティブなことを言ってるが何考えているのかわからん。
日本人がニコニコ笑っていて何考えているかわからないと昔から言われているが、欧米人もわからん。
最近だとテクノロジーとも結びついていて、裏で何してるかってのがある。
よく言われるFacebookもそうだが、Google、Appleもレベルが違うだけだ。
東京五輪といえば、渡辺直美は過去に外国人に扮するコントをしてたり、江上と一緒に豚の格好をしてたような気がするけど、結局は無傷のままくぐり抜けたね。
芸人の物議をかもすネタというのも、無傷の浜田もいれば瀬戸際まで追い詰められた岡村もおり、更には出禁になったばかりかテレビ局まで再発防止に取り組むことになった弱小芸人もいたりと、キャンセルカルチャーの風向きを読むのは難しい。
寒すぎて腹減ってるのに飯作りに行けねンだわ
RAMM:ΣLL:ZΣΣ
ちんこでかくすればいける
かつて西太后が絶大な権力握った清は男社会だったし、強権がキャンセルされないのと社会全体の男女差はあまり関係ないと思う。
男女差の例として石原を挙げるのは適切じゃない気がするけど。
指摘してくると思った。
三国人発言は差別語を使っただけであって、本人としては差別的な意味で使ったわけではないというのが微妙。
文脈上もド直球の差別にあたるかどうかは微妙。配慮のない発言ではある。
まあ石原はわざと使ってるあたりが悪質ではあるけど、昔は普通に使われていた本来的には差別的な意味のない言葉が
歴史的経緯で差別語として扱われるようになり、常識をアップデートできずにそれを使ってしまうのは老人あるあると言える。
右脳が発達した。おめでとう。
石原慎太郎に対してはいつもいつも上野先生が擦られるけど、上野先生もマザコン少年の本が絶版に追い込まれたり、移民に関する発言で謝罪に追い込まれたりと、決してキャンセルとは無縁ではないんだけどな。
フェミニズム的言説にポリティカルコレクトネスが力を貸せるのは、あくまで弱者である女性を守り、強者である男性に対抗するときだけ。
勢い余って障碍者、外国人、性的マイノリティといった別の弱者に言葉の刃を向けた日には、さすがのフェミニズムもポリティカルコレクトネスに見放されるんだよ。
人類が終わろうとしている