> 他人が言う「僕頭悪いんですが」との前置きと何が違うんだ?
どちらが田舎なのかプレゼンし合う、どっちの田舎ショーを開催したら、プレゼンされる地域の人から激怒されそう。
田舎度合いを測るには、人口密度や納税額といった定量的側面と、風景や観光地の少なさ、交通の不便さといった定性的な側面があるから審査で揉めそう。
ブコメ読んでなんか違和感あって調べたら、引っ越したら車庫証明とって車検証の住所変更してなんなら新しいナンバー取得になったりするのね!びっくり!!めんどくさ!!
車所有して以来10回くらい引っ越してる転勤族だけど、全然知らなかった。免許証の住所は引っ越してすぐ近所の警察署に書き換えに行くけど、今まで一度も車庫証明とか言われたことないし、郵便局の転送の手続きしてるから新住所に届いた自動車税の葉書で住所変更したらそのまま翌年は新住所宛てに届く。「車検証の住所も変更しろ」なんて言われたことない。車検の時にディーラーから勧められたこともない。
まだまだ知らないことたくさんあるなー。知ったからってこれは絶対この先もやらない手続きだと思った。仕事持ってたら無理でしょ!でも、増田さん、書いてくれてありがとねー。
昼食おうと思って会社出ようとしたらお偉いさんっぽい知らねえおっさんに書類を事務所まで持っていくよう言われたけど今からランチなんで無理ですすんませーんっつったら物凄い顔したwwwwwwwwwww
楽しいな 今後もやろう
それはともかく、ワイはさすがに日常会話が技能検査ってレベルではなかったから、逆に今更腹も立たないという境地は想像つかんわ。
だいたいワイは人にものを説明してわかってもらうという作業自体が決してスキではないし上手いわけでもないねん…やらんと最悪やから頑張ってるだけやねん…
ビーカーのメモリまで水入れる作業みたいに「ここまでちゃんと分からせた!」って目に見えるわけでなし、「この人にはちゃんと説明したぞ」と思ってても実は必要なところが伝わってなかったり「なんでそこ引っかかるん??そこキレてる場合ちゃうのでは??」みたいなところで怒られが発生したりするし、字で全部書いても読み飛ばされたり想定外の受け取り方されたりするしな…
発達ちゃんだからかワイ個人がアレな人間だからか知らんが、ワイはやりたないことはやりたないんや。
ホンマはやりたないのを頑張ってやっとるんにいきなり「俺は頭良くないから」たびたびゆわれたら「ねえ今そんな話してなくない?話聞いてた??」ってめんどくさいカノジョみたいなメンタルにならんか?
「ワイだって『説明ド下手なんやすまんな』言うて予防線張りたいが??」っていうキモチがつい溢れてまうんや。
それは置いといて、IQ147てホンマにすごいな。
本とか読む?最近読んでおもろかったの何?
なんか娯楽とかオススメ教えて欲しいわ。
子供の頃私はともかく他人が目に入れないようなものを面白がる子供だった。
例えば身体的な操作感覚である、ただ坂を登るという行為においてもモリモリ登る、いつまでも登って行けるという興奮があったし、他人が見向きもしないような当たり前の道具をみて、こんなに便利なものがあるなんて楽しい、と嬉々としていた。
それを見た他人の温度は低かった。なんでそんなつまらないものを、という冷水を容赦なく浴びせかけてくる。そんなふうに言われても空は世界と繋がっているし、もしかすると今吸っている息は名も知れない孤島の少女が吐き出したものかもしれない、そう考えていた。情報量の少ない土地に生まれたことも心象を作り上げる要因になっていたのだろう。周囲はなぜこの一つのアイテムに、あるいは情景に素晴らしさを感じることができないのだろうと疑問に思っていた。1ポイントしかダメージが与えられない武器を、1ポイント確実にダメージが与えられるのだ、それ自体凄いことではないのか、という思いを巡らせていたことまで思い出した。
しかしこうした感覚は周囲の肯定が必要であり、悲しいかな私の周りには否定的で打算的、物体を物体、情景を情景としてしか考えられない大人が大勢であった。その背後になにかのストーリーがあって、人々が暮らしていて、生産していて、と考えるものは皆無だった。かくして自分の感じていることはつまらないことなのだと思うようになり、やがてその感覚は忘れさられていった。そして、こうした感覚が忘れ去られるに従って、どういうわけか、というよりも必然的に他人の痛みに涙を流したり、共感することがなくなっていった。
思えば自分自身、周囲の面白みや好きという感情を否定していたりする。そんなものは焼き直しだ、見たことがある、繰り返してるだけだ。しかし個々人が焼き直しの中に唯一無二の何かを感じられているとすれば、それは否定されるべきではないとも思う。マッチポンプではあるが、たとえ私が対象を否定してもである。
見捨てられたものの中から見つけ出される小さな発見は、往々にしてイノベーションと呼ばれる原動力につながる。侮るなかれと思う。