もう帰る!絶対帰る!と職場で叫びながら仕事していたら、同僚達に「帰りなー」と言われ有り難く定時で上がらせて貰った。
お前等、お疲れ様。後は頼んだ。
みんな疲労がこびりついて取れない。
なんだろうかこの異常な疲労感は。
世間がコロナでステイホームしていたから余計にそう感じるのか。
そんな風に思えればいいんだが。
2期目は無いだろう。
さて。次は何を見るかな。
やっぱり楽に見られるやつがいいな。
ということで、同居人はひざ、時々、頭のうえ。を見ることにする。
猫は良い。
うちには3匹猫が居るが、私を愛してくれているのは一番年かさの子だけだ。
17歳。
「わぅ!!」と怒ったらしいが、体の為だ。我慢だよ。
どうか長く長く生きておくれ。猫又になるほどに。
なんなら私が先に死にたい。
これは愚痴だ
ここ数年で人文系のリアルイベントに触れる機会が増えて実際に参加したりTwitterでもフォローしていた
わりと先進的な社会規範を大半の人が備えていて、未知のことに興味を示してくれる場があるのはうれしかった
それまで専門知というか、自分の好きな知識や疑問に思うことを語ったりすることなんてなかったから、本当に新鮮でこんな世界があるのかと感動した
だが次第に嫌な面も見えてきた
それは多様性を謳う割に自分たちの規範に沿わない人間をひっそりと排除したり、遠回しに叩く姿が見えてきたのだ
面と向かって話すことなく、いつの間にか梯子を外されるのである
また、いつしかTwitterアカウント=主催個人の主張へと変わっていった
これはどうやらアカウントの持つ役割に関して界隈のトレンドみたいなところもあったらしい
違和感を覚えつつも、参加して楽しいという気持ちがあったのでそこには目をつぶっていた
主張はわかる、だがあらゆるアカウントがまるで判を押したようにアベガーアベガーを狂ったようにリツイート
それまで見え隠れしていた、自分たちの規範が通じない保守的な人たちを格下として見下す顔が表立ってきた
Twitterのフォローやイベント参加者を自身のパワーとでも言わんばかりに増長する
自分も元来の思想は同じ向きだったのだが、こういった経緯もありかなり真ん中に寄ってきた
それやる気かじり虫に感染してるよ
流行らなかったんじゃなくてお前が爪弾きにされただけだろ
google photoが自動的に過去の写真を定期的にお知らせしてくる。2年前、あなたはこんなことをしていましたよ、って教えてくれるのは、昔のアルバムを開いているようで、デジタル保存された写真を自分から見返すことがなくなる問題をうまく解決していてすごいなと思う。
2年前に西アフリカの農村でツルハシ持って炎天下の中農作業していた俺が、今はウィーンでITベンチャーに就職してAWS上でPythonのライブラリを開発するようになるとは思いもよらなかった。