マッキンゼーやJPモルガン出身ということをもてはやされて、年収10倍アップやら断る力といったビジネス本を多数出版。
当時は、いかにもな弱者の見方のふりをして、弱者相手にビジネスをするタイプの人間のように思えた。
いわゆるテレビのコメンテーター枠に居座る、なんちゃって知識人・文化人枠タイプの人間だ。
バカみたいな量の出版数を減らし、プロ麻雀を目指し始めたあたりからよくわからなくなった。
金持ちの道楽か、キャラ立ての迷走か、話題集めかなにかはわからんが、なぜ麻雀?と思った人は多いのでは。
そこから、はてブロの開設などを経て、現在のオタク的な人間性がかいまみえて、
このひとはビジネスのモンスターから人間になれた(戻ってこれた)稀有な人なのだなぁと思うようになった。
もちろん同性愛の告白や今回の失恋の話など、そこまで赤裸々に自分の人生を切り売りする必要があるのだろうかと思うことがあるが、
なんというか、偉そうなエコノミスト枠から、たまにくよくよ悩んでる、面白い知り合いのおばちゃん枠まで
http://katsumakazuyo.hatenablog.com/entry/2019/11/11/090000
こういう人間的な人がブログで書いていたのに、有名になるにつれて、
読者をただの金稼ぎの一要素にしか考えなくなる人というのは多くいる。
一方で、勝間和代のように、どんどん人間的になっていく例というのは本当にあまり見たことがない。
自分がなんとなく好きに思えるのはこういうところだ。
お前がそう思うというだけで何の根拠もねえじゃんそれ
まともな読者はゾーニングに従って入手することに特段の不便を感じていないという話
たとえば書店が「雑誌コーナー」と「漫画コーナー」を分けるのもゾーニングだし、
コンビニで「棚の上のほうにおにぎりを置いて下のほうに弁当を置く」みたいなのもゾーニング。
これはむしろ「違いが分かるようにする」ということであって「違うものを隠す」とは逆の発想だ。
混乱を防ぐために、増田が言う「見たい人にしか見せないこと」を「マッチング」と呼ぼう。
まず一つは「正確なマッチングが困難」ということだ。というか、ほぼ不可能だろう。
世界の最先端をいく大企業が全力を挙げてマッチングしてるはずのネット広告でもあのザマだ。
人の好みは千差万別だし、何かを見たときの感じ方も人それぞれ。
「見たくないものを見ないで済む世界」なんて実現できるわけがない。
たとえば生まれてからずっと「性器や乳房が露出しているイラスト」をいっさい知らずに育った人がいるとしよう。
この人にとって最大限にエロいイラストは「谷間が見えてるイラスト」とか「生足が見えてるイラスト」などになる。
となるとこの人は「このイラストは生足が見えているからエロすぎる、規制しよう」と感じてしまうわけだ。
よくフェミが「オタクは感覚が麻痺している」というがそのとおり。
「同じ基準を常に保ったままセーフかアウトかを判断する」のは極めて難しい。
というか「基準」を作ることそのものが難しいのでこんなに紛糾しているのだ。
わかったかな?
読者は作者にまわればいいでしょ
棘のが話題になってるのを見て知人の命名にもやもやしてたのを吐き出し。
異性みたいな名前を付けてるんだけど、どうも異性に間違えられたい感じがひしひしと伝わってきてもやる。オタクなのは趣味だけにしとけよと思う。
SNSでも間違われたいみたいな話をしてしてるので意図的なのは間違いない。髪型も異性に寄せてきてるし。
異性みたいな格好をさせてやだまた間違われたー!って嬉しそうに書いてるのを見ると、大きくなってから子どもが写真とか見てどう思うかとか考えないんだなと思い徐々に距離を置くようにしてる。(よその家庭のことなので私は何も口出しはしていない)
子どもがしたくてそういう格好してるとか、自覚してる性別と生まれた性別が違うとかなら良いんだけどまだ歩き始めたばかりなんだよな…
なんかレズビアンの人ら婚約とか結婚とか発表してから解消の流れ早すぎない?法的に認めろだの人権だのなんだの言いながら結局お前らで法的な拘束や保証が必要ないこと証明しちゃってんじゃんみたいな。『結婚ごっこ』にしか見えないんだよな。