いいだろう、答えよう。
現状ではその二つには違いはない。
機能や遺伝的相性ではなく、容姿や人格での差別を「選択」と言い換えてるだけだからだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/koshian/status/1144789684687499264
このツイートとブクマ読んでセーラームーンのこと思い出していた
放映当時小学校低学年の女児だったのでリアルタイムで観ていて(漫画の方は後年思春期になってから読んで色々びっくりした)
服のかわいさとか髪型やその他の表現のおしゃれさなんてまだ実生活ですらぼんやりとしかわからなくて
そういうものに関する感情や感覚の言語化も全然できない頃だから「どこがおしゃれか」みたいなことはハッキリわかっていたわけではないけど
子ども心にときめいたのはセーラー戦士の「足元」がキャラクターによってそれぞれ違っているところだった
みんな学校が違うので制服が違うのは当たり前なんだけど、それよりももっと個性が出てるのが靴だった
制服のカラーリングやデザインに合わせてみんな違うものを履いていて、どれもそのキャラクターの性格に合っているような気がした
変身前の制服姿でもそうだし、変身後のコスチュームの足元の方がより顕著で
今ちょっと検索してみたんだけどこの画像見てもらうとわかりやすいんだけど
ほんとにそれぞれ違いがあってでもそれぞれそのキャラクターの外見や性格にぴったりな靴が選ばれているな!と思っていた
そこのところをとにかく女児の私は「めちゃくちゃおしゃれ!」だと思っていて「おしゃれ」ってつまり
「それぞれ一人一人違う事」と「その人にぴったり合う事」なんだなあってセーラームーン見てすごく思ったの覚えている
この辺の女の子の心のくすぐり方というかそうそうそうなんだよな!ってところの表現が
当時からしてもとてもよくできていたんじゃないかなって気がする
とりわけレイちゃんの素足にハイ(ピン)ヒールとまこちゃんのきりっと結びあげた編み上げのショートブーツが好きで
ここで「かっこいい女の子」という姿に対する理想を思いっきり叩き込まれた気がする
そんな二人の「かっこよさの質」が靴に象徴されるみたいに違ってるとこもすごく好きだった
セーラーヴィーナスこと美奈子もハイヒールなんだけど、レイちゃんよりはちょっと甘さがあって
それで足首にストラップがあるんだなあと思わせるこの絶妙さが私の小さい女の子の心をすごく楽しませてくれていたと思う
こういうの分析してみたり言語化してみたりはもう相当あとのことなんだけど、
小さい子が目で見て一発でそのキャラクターのことがわかるようなアイコンとしてのコスチュームの表現なんかみるとやっぱり
セーラームーンは「おしゃれ」なアニメーションだったんだなあと今更ながら思う
7.4追記
当時カードダスも流行っていてたくさんの女の子が集めていたけれどまこちゃん人気のない扱いで寂しく思っていました
私はまこちゃんが出るとうわー当たりだ!と思っていた子供だったのですごく嬉しい バラのピアスも本当にすてきだった
両端が切れてない画像を貼って下さった方ありがとうございます
ほたるのブーツもこんなにかわいかったっけ!と思ってどきどきしました
あと「みんな学校が違う」はちょっと雑なまとめ方すぎたなって思いました、すみません
>そして、#KuTooと正反対の解放された感覚をも多くの女性に持たせたということか。
カッコイイおしゃれとカッコよくない強制を、外から見た人が判断できるのかね。できるなら超能力者じゃね。
今現在大人の私はどんな種類の靴であろうとそれらを選ぶことがどんな理由からであろうと
その人自身が選んで望んでおしゃれに履く自由、またラクに履くことの自由と#KuTooの運動は全く相反しないと思っていますが
これはヒールもパンプスもまだ一度も履いたことのない小学生女子の頃の、個人的な楽しい鮮烈な気持ちの思い出話で、それだけです