真理を言えばいいってもんじゃねえぞ
THEってつけるあたり、おっさんなんだろうな。
それはあざなえるなわのごとしだ。
文章を書くセンスや個性に自信がないおまえらはブログをはじめる前にあざなえるなわのごとしというブログを参考にせよ。ただしあざなえるなわのごとし自身は文章のセンスもあるし知識量もあるし更新量も半端ない。そのあたりは真似しようと思ってもお前らには無理だ。俺が言っているのは記事を書く姿勢だ。
あざなえるなわのごとしの記事の半分でも真似できればお前は来月から勝ち組ブロガーである。しかも燃えない。必要以上に目立つこと無くかつしっかりとPVは稼げる。無理に逆張りや煽りで炎上して目立つ必要もない。無駄なキャラ作りも要らない。あざなえるなわのごとしは誰にでもできることをきっちり丁寧にやっているだけで、個性がなくても毎月30万PVを余裕で超えている。いろんな分野についてそういう方向性で頑張るはてなブロガーが増えてほしいものだと私は私を棚上げにしておまえらに上から目線でそう告げる。
とにかくだ。twitterやmixiやLINEやFacebookなど身内とのコミュニケーションしかやったことのないやつはブログを書くということその延長で考えがちだ。そういうことでははてなではやっていけない。むしろmixiやFacebookで中途半端に友達を増やす技術ばかり培っているものだから同じノリで友達増やして同じノリでブログをやろうとすると怖いおっさんたちが脂ぎった顔を顔真っ赤にして押し寄せて家を踏み荒らされて泣くはめになる。そうならないうちに何か手本を持つことをおすすめするわけだがあざなえるなわのごとしはその最高の教科書であると断言するにいささかのためらいもない
贅沢な悩みのは分かっているし、歩みを止める程に致命的なことではない。
だけど、最も自身に近い人が自分の仕事を全く理解してくれないというのはそれなりに虚しい。
私は、例えあまり予備知識がない人でも、職業名を聞けば大体が「へーすごい!」と言うような特殊な仕事についている。
同僚、上司、後輩、そして同じ業界の人から良い評価も貰っている。大学や学生からも声がかかる。
そして何よりも、自分がずっとやりたかったことを、やりたいところで、やりたいようにやっている。
在学中も就職後も、遮二無二学業、仕事に励み、30歳が見えてきた現在、それなりの成功を収めていると考えている。
仕事と責任は増えるばかりで、これからのことが楽しみで仕方がない。
今の仕事の内容も、何をしてきたのかも、これからのことも聞かれないし、こちらから言い出しても反応が乏しく話が止まってしまう。
LINEでのやり取りや帰省した際に私が聞かれるのはひたすら年収と結婚のこと。
一番に話を聞いてほしい、認めてほしい人が数字と世間帯にしか興味も理解もない。
名声も金もその他全部、後から勝手に着いて来たしそれに気がついたのも最近のこと。私にとって重要なのはそこではない。
仕事内容を全て理解しろといは言わないが、せめて何をしているかくらいは聞いてくれないのか?
年収を聞いて私の何が分かるというのだ?結婚していないことは重篤か?
仕事も、自分の信念にも何一つ興味も理解も示されない虚しさよ!
あと2、3年で年収は一千万円を越える。好きなことを好きなようにやってこの数字は、私は十分以上だと思っている。特に節目となるものでもない。
だが家族が評価するのは「一千万円」という数字だけだ。家族にしてみれば誇らしい息子、兄弟なのだろう。
聞かれなければ言いたくないが、それも無理な話だ。
仕事の拠点が日本国外に移ってしばらく経つ。周りは理解のある人ばかりだし、出会いもある。生活は何不自由ない。これからやりたいことばかりだ。
20代前半では考えたこともなかったが、ここ数年になって上記のような虚しさを感じるようになった。
「今さら聞けない」から始まるタイトルの記事たくさんあるし結構昔からありそうな風習だけど、あれどういう意味なの。
今さらかどうかは読む側が決めることだと思うが、見出しにあると「これくらい知らないと恥ずかしい」みたいな心理で読む人増えたりするんだろうか。
ドラクエ7がPSで発表されたときと同じように、一気に衰退していくんだろう。
それが死んでしまうのかと思うと、自分が空っぽになってしまうようだ。
金儲けと、客集めの宣伝ばかりのゲームデザインで、ワクワクするものが何もなかった。
遊んでいても、ひたすら金をくれと言っているようにしか思えなかった。
一ミリも楽しさが無い。
ああ、悲しい。むなしい。
という妄想。