そりゃ単純に男社会では女の美醜を判定すること自体がエンターテイメントコンテンツとしてそれなりの需要があるけど、女社会では男の美醜を判定することがエンターテイメントコンテンツとして需要がないってだけじゃないのか。
雰囲気イケメンになるにはと質問したら、黒縁のおしゃれセルフレーム眼鏡がいいという答えが返ってきた
でも、別の人に聞いたら黒は似合わないからコンタクトレンズにしろと言われた
さらに別のところで聞いたら、フレームなしの眼鏡がいいとか茶色のメタルフレームがいいと言われた
おまけに表情や目つきが悪いから装飾品を変えても意味ないと言われた
一体、どうすれば雰囲気イケメンになれるの?
http://okwave.jp/qa/q7444297.html
あの手の発表は被疑者の言葉をそのまま伝えてるわけじゃないんだよ。
警察の供述調書のテンプレに加工して落とし込んだだけという可能性が高い。
「むしゃくしゃしてやった」とかそういうの。
いや、もう自分で言ってるじゃん。
お前の指示通りにした
お前の指示通りにしたんだからOKだよね?っていわれたら、NOって言わざるをえないでしょ。
だってそれ、なんで、旧案にしたの? 上司の指示通りだからです! > それはNG。
ってなるのは既定路線だと思うけど?
理由になってない。
旧案の是非じゃなくて、『作品に対する説明』ではなく、『社内政治』として通そうとするなら、それは通せない。
あと、気分の問題については
なんかすまん。代わりに謝っとく。 といったとおり。
そんなもん弁護側の常套手段だろ
いわゆる「当て馬」ポジションとかに個性的な美形(=一歩間違うと不細工)が出てくる作品はある
あとは知恵者・助言キャラにがり勉系非モテの毒舌屋を持ってきた作品とかあるよ(しかも名脇役に仕上がってる)
マンガのキャラの要素として見ると、不細工って美しくないからそぐわないというより
生々しすぎるとこがあって敬遠されてる感
今日さ、何か小学生の列に車で突っ込んだ事故が2つあったじゃん。
共に「ぼーっとしていた」が理由に挙げられているんだけれど。
これって仮に殺意があって意図的に突っ込んだ人でも「ぼーっとしていた」を理由にしたら、
刑が軽くなると思うんだよね。意図的なものか、そうでないかの差は大きい。
刑にしたら、4,5年は違うはず。
旧と新という言い方が最適かどうか解らないけど、
自分で提案しておいて没はないでしょ...
どうも、自分の案をないがしろにした事自体を怒ってそうな気がしてきた。
メンツを潰すなってことなのかな。
いつも、リーダーシップを取りたいがために部下からの提案にいちいち反論するタイプ。
以前と違う方針だけどな!お前の指示通りにしたのに反対するって何?
頑張って勉強とかして勝率の低い電子書籍やダウンロード市場に参戦するより、とにかく新しいものを叩いて否定して妨害して根回しして潰す方向に努力した方がコストパフォーマンスいいってことですね
これどうなんだろうねー
俺はコストパフォーマンス悪いと思うんだけど。
頑張って勉強とかして勝率の低い電子書籍やダウンロード市場に参戦するより、とにかく新しいものを叩いて否定して妨害して根回しして潰す方向に努力した方がコストパフォーマンスいいってことですね
もちろん永久にそんなことできないけど、定年までなんとか逃げ切ろうと思ってるのだろうな
なんかすまん。代わりに謝っとく。
http://game129.blog.fc2.com/blog-entry-389.html
諸君、私はドラクエ7が大好きだ。シリーズ最高傑作という確信がある。しかしながら、世の中の反応の一部は―いや、一部と言うにはいささか大きすぎるかもしれないが―ネガティブだ。さて、この中のネガティブな意見の代表的とも言える
に、私がいくらかのポジショントークや色眼鏡を交えながら答えてみたいと思う。
これは現在ではほぼ解決した問題である。というのも、このフリーズ現象はThe best!などの廉価版発売にともなって多くが解消されている。
ちなみに私はPS,PS2双方において、フリーズが多いとされる初期DISCを使っていたが、フリーズしたのはデスマシーン戦後の一度きりであり、それも一回だけなので多いという実感はない。
他のフリーズが多いとされるゲームでも同様であり、私はフリーズが多発しているプレイヤーの使用環境、ハードの状態が気になるところである。
参考までに私の部屋は埃っぽく、ゲームもケーブルに繋いだまま放置ということもザラで、いい環境ではない。DISCに細かな傷が付いているものも多い。
いわゆる「種返せ、ブス女イラネ」である。これを持って「ドラクエらしくない、ドラクエは王道でなければならない」とさえ言うものもいる。この「王道」というのはドラクエに結構重要な意味を持っている人も多いようだ。
さて、ドラクエらしさとはなんだろうか。私は天空以降のシリーズでは「離別と喪失」に見出したい。
なぜ天空以前と切り分けるかといえば、ロト三部作は主要人物に近しい人間が「作中で」離れるということはないのだ。2のムーンブルクは作中ではない。3のオルテガもゾーマ城で主人公の前にて息絶えたが、それまでに殆どの情報がないため、思い入れある人が多いとは思えない。
ところが4になると作中で主人公の町は滅ぼされ、エドガンの弟子とは生き別れ(しかも選択次第では死ぬ)、サントハイム城はもぬけの殻になり、ロザリーは人間に殺されたり、人間関係を露骨に描き出してくる。これは当然容量の都合で出来ることが増えたのはもちろんだ。4で王道らしいのは実質第一章のみであり、何も失われていないのはトルネコぐらいのものだ。
5では主人公の父母が死に、主人公夫妻も子孫を遺して仮死状態になるなど、近しい人間が失われる。モンスターを仲間にするというコンセプトも影響してか、前作よりは少ないが、親が死ぬことを強く見せたのは後にも先にもこの作品のみである。
6は毛色が変わり、「喪失したものを取り戻す」ことが強く打ち出されている。そして、失ったものを取り戻すことによって別のだいじなものが失われることを描くことに成功している。この作品のバーバラとターニアの立ち位置は象徴的である。この作品が悲愴的なのは、プレイヤーは喪失したものを取り戻す過程で、これから失われるだろう別のだいじなものに感情移入していることだ。
さて、7である。私はキーファの離脱に強く反発する理由を見いだせない。というのも、これだけさんざん人との別れを描き尽くしてきたのに、なぜ反発するのだろう。推し量れば、前作のバーバラの別れはシステム上そうなることが予見できていたうえ、エンディングの出来事だから気にならない人が多かったのではないか、そして、パワータイプで「「使い勝手がいい」」キャラが物語の途中で「「勝手に」」抜けることに不快感を覚えた人が多いのではないか。
まあ、これは発売前、当時の雑誌に掲載されていた開発中場面の写真にも問題あると思うが。
いわゆる「石版」と「序盤の物語」と「ゲームバランス」と「擬似3D」である。
前者2つは物語の根幹だが、軽視されがちだ。というのも、結局ゲームとはどこまで行っても作業だ。その作業を作業と思わせないことが重要なのだが、前半の探検部分はとりわけお使いでもないのに作業だという意見は多い。これは私にとって意外だったのだが、最初の神殿の謎解きが分からないから投げたという人もいた。
また、今作最初の戦闘導入はシリーズ中一番だと思われる。多くのRPGは魔物がいる世界が当たり前になっているなか、こういうシチュエーションは新鮮だ。
石版システム、私は楽しんだが、「コレクトの強制」を冗長かつ不快に思う人がいるのは当然だと思う。似たようなので言えば「ゼルダの伝説風のタクト」あたりが同じ理由で批判されている。
一部のボスキャラが職業によって難易度が大きく変わるというのは、しかたがないこととはいえ問題である。山賊やヘルクラウダー、オルゴ・デミーラなどはよく取り上げられる。
今作からは世界が3Dっぽくなり、視点移動が可能になった。視点を変えないと見つけられないところがあるというのは私にとってプラスだったのだが、不評の声がこれも多い。7のようなタイプで天空シリーズはすべてリメイクされたが、どれもこれも視点を変えずにクリアできる以上、立体化する意義はないと考える。
他にも雑多な不満不平は見受けられたが、割愛する。
いずれにしても私からすればドラクエ7はシリーズ最高傑作であるのは間違いない。今のところ、10は買わない予定だ。9は買ってひと通りクリアし、すれ違ったが、どうも受け付けなかった。たとえドラクエでも、毎月1000円も払ってられないというのが10を買わない理由だ。モンスターズ3Dは買うつもりでいる。