はてなキーワード: 22世紀とは
イギリス、BBCの受信料制度廃止するかもしれないってよ
うむ、公共サービスだからといってサブスク強制できる時代は終わっていってくれ
年金保険料も受信料も強制徴収という方式に頼らずに同じような成果を達成できる道を模索していくべきだと思うね
税金というのもある意味究極的な強制サブスクと言えるが、その形も変わっていく余地があるだろう
消費額や所得額などに対して一律に強制徴収して何かよく分からん事に使われるんじゃなくて
もっとこう技術とか駆使したら税金を投入したいプロジェクトごとに適切なところから適切なだけ寄進を半強制くらいの勢いで十分集められるようにできたりしないのか
クラファンとかふるさと納税みたいなのを進化させていい感じにリワードを設定すればイケると思うんだよ
しらんけどな
22世紀を見ようぜ
雑に生きろ~22世紀の俺たち~
大きな災害が起こるたびにいつも思っていたが、ドラえもんのドラえもん募金、あれはぶっちゃけどうなんだろうか
皆様御存知のように、ドラえもんというキャラクターは22世紀の未来から来た設定だが
仮にそれが正しいなら、それまでに災害がいつどこで起こったかも、彼は当然知っているはずである
キャラクターの設定からすれば、もはやあれは最悪に近いチョイスではないだろうか
しかし考えてみると、心優しいドラえもんが好き好んで人々を見殺しにしているはずはない
おそらく歴史の干渉だかタイムパトロールだかのせいで、事前に助けたくても助けられないのだろう
そういう文脈を読み取らないといけなかったようだ
社会保険関連の書類を見ていて、元号の略称として使われるアルファベットに思いを馳せる。
明治以降は、M、T、S、H、Rの5つ。
明治の前の慶応がK。その前は元治のG、その前は文久のB。ここまではかぶってない。
その前の万延がMで明治とかぶるので、文久以降かぶらないようにしてるものと仮定する。
調べてみると過去「い」から始まる元号は無かったけど、S50やH15のようにI11とか書かれると判別が非常に難しいので実務上使いたくない。Oも同様。
残ったのは、AUEと、N、Y、W、Z、D、P
「じ」あたりをJで表記するかどうかも難しいところ。ローマ字は難しい。ヘボン式だと「ふ」もFになる。
「う」から始まる元号も過去にはなかった。「う」自体は元号の読みとしては2音目や最後で最多出現なのに。
宇宙元年とか宇宙天皇とかどうだろう。22世紀くらいに。宇宙世紀。
べつに喧嘩売りたいわけでもないし正直どうでもいいんだけど、パラメーター取って逐次モデル変更できるほど20世紀~21世紀前半の組織運営って柔軟じゃないじゃん?
なんとなく上手くやってきたからお前もそれで上手くやってくれっていうのはアホらしいけどアホにも定性的に学習して積み上げたロジックがあるもんやで?だから君の会社は潰れてないし入社できたんや
なんか文体が学生っぽいし結局どうしたいのかわからんし、結局悩んでるだけで22世紀に解決することで今ぐだぐだ言ったって君が車輪や空飛ぶ自動車を発明できるわけじゃないじゃん?
まさか22世紀のそういうのを作りたい側として真面目に思い悩んでる?だとしたら煽り抜きでしっかりデータ取ってモデル化して組織還元して実行するリードタイムを短くするサイクルを続けてなんなら独立して投資を受けて3兆円くらい稼ぐ企業を作ってくれ
https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2020/10/01/222627
科学的考証の正しさについては正直どうでもいいと思っているんだけれど、「のび太の新恐竜」に腹が立っているという点は自分も同じ。
下記、ネタバレを回避しようとはしていないので未鑑賞の方はご注意です。
川村元気の脚本のレベルは高い。多少趣味に合わない「感動の押し売り」成分が混じっているとしても、本作はエンタメとして、かなりの完成度だと思ってる。観客の満足度が高いのも当然だ。
だからこそ。
「新恐竜」は、「恐竜」とほぼ同じ冒頭から始まる。某所でたまたま見つけた「恐竜の卵の化石のように見える石」にタイムふろしきを被せてみたら、恐竜が生まれる、そういう序盤。
ここで、生まれるのが「ぴー助」ではなく、「キュー」と「ミュー」だった、というのが新恐竜の展開。つまりこの瞬間に、ぴー助はパラレルワールドに飛ばされ、この世から消えた。のび太の記憶からも消えたことになる。
なんでこんなことができるのか。
「恐竜」に感動した、昔の子供の思い出はどうでもいいと思っているのか。
「新恐竜」なのだから、タイトルも違うのだから、ぴー助の記憶もある世界で、全く別の発端から始まるストーリーで何がいけなかったのか。川村さん、あなたなら十分それで、面白い話が書けるはずだろう。
それでいて、中盤では「ファンサービスです!」とでもいわんばかりに、ぴー助が謎のゲスト出演を果たすのだ。
ぴー助はのび太を知っている。でものび太の記憶にぴー助はない、ということが明らかな描写で。並行世界に飛ばされた者の悲哀しか、そのシーンからは感じられなかった。なんなんだこの仕打ちは。
別に川村元気に限らず、「ドラえもん」の元締めたちは伝統を大事にしていない。例えば、自分が最初に腹立たしさを感じたのは、世間では名作と名高い「ひみつ道具ミュージアム」だった。
同作では、ひみつ道具の数々が、未来の世界でも“選ばれた魔法使い”によって作られた“魔法のアイテム”であるということが明かされる。
これにより、22世紀では皆が当たり前に使っている日用品であり、未来では当たり前に量産化された技術だという、幼い頃に認識していた世界観はぼろぼろに破壊された。
今のドラえもんが、むしろ全盛期の人気を取り戻しつつあり、皆に好意的に受け取られていることは知っている。自分は二次創作に寛容な立場であり、気に入らない人は見なければいいだけだということは認識しているから、別に抗議の声を上げるつもりはない。
でも、年頃の子供がいる以上、自分にこの作品から離れて暮らすことは許されていない。その度に不快感は湧き上がるので、ちょっとだけ愚痴ってみてもいいかなと思った次第。