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■北村紗衣先生はオープンレター署名水増し疑惑の話題を把握している?
古谷経衡が「オープンレターに賛同した覚えも無いのに、勝手に署名人の一人として自分の名前が使われている」とツイートしている。これを把握しているならば、北村紗衣先生はExcel作業を中断してでも事実関係を説明して欲しい。
呉座は批判されて当然だと思うが、それとこれとは別問題である。だから、北村紗衣先生は可能な限り説明責任を果たして欲しい。
自分は、北村紗衣先生と仲間のことを、高須クリニックの人と同レベルと思いたくない。
オープンレターに記された「誰もが参加できる自由な言論空間を作っていきましょう。」の言葉を紛い物にしないで欲しい。
>のブコメ:既に法曹関係者が動いている事案に、よくイッチョカミする気になったな、って思いました。
元々のオープンレターが発起人たちによって、その内容を広く周知して議論するべきものとして発表されたのだから、それを読んだ一般人が何らかの考えを述べるのは当たり前のことです。まるで、オープンレターの話題を周知されたら困るかのようなコメントですね。
>のブコメ:泣いていて精神的に不安定なら他の16人が対応すべきだと思う
そう思います。しかし、元々のオープンレターが、最終的な文責が誰にあるのか不明確な書き方ので、名前を連ねた人たちに当事者意識が無いのかもしれません。
追記その2
オープンレターの発起人の氏名は「あいうえお順」に並べてあります。それとは対照的に賛同者の氏名は、五十音・アルファベットの何れでもない、バラバラの状態で並べてあります。この違いには、何らかの合理的な理由が有るのでしょうか?バラバラの配列では、賛同者の氏名が何処にあるのかを確認し難いと思います。これでは古谷経衡も彼自身の名前が有るのに気づかなくても、不思議ではありません。
追記その3
2022/01/18現在の北村紗衣先生は「単なるイタズラにそれ以上何の説明が要るのかよくわかりませんけど、現在、名簿ファイルを管理している方々が対処してくださっているところですよ。」と仰っているようです。オープンレターに賛同する方々の氏名を列挙したのは「これだけ多くの人が賛同していることから分かるように、自分たちの主張には妥当性・正当性がある」とアピールする狙いがあったはずです。本人の身に覚えの無い賛同者の署名が偽物によるイタズラだとするならば、真っ先に非難されるべきなのが犯人なのは確かですが、きちんと確認・検証をせずに氏名を掲載・公表をしていた管理者の管理責任が問われる/批判されるのは当然です。
2022-01-18
■さんへの公開質問
北村紗衣先生のオープンレターに対する賛同者として、著名人になりすました偽物が署名していた件について文章を増田に投稿したところ、さんが次のようなブコメをなさいましたので引用します。
「既に法曹関係者が動いている事案に、よくイッチョカミする気になったな、って思いました // 内情を知らずに口を挟むと名誉毀損になりかねないので、直接の関係者でもなければ「黙っておく」一択かと存じますが。」(元の増田anond:20220117210112に付けられたブコメです。)
(1) あなたが女性差別問題に対してブコメなさった時(あなたが常日頃から女性差別問題についてブコメをしてらっしゃることは、自分も存じておりますし、それらの多くは御尤もだと思うことが度々あります)、他の誰かから「直接の関係者でもなければ『黙っておく』一択かと」と言われたら、あなたは黙ってその言葉に従いますか?
(2) 私は、自分が「これは変だ/おかしい」と思った問題に対して「弁えない」「沈黙しない」「疑問を投げ掛ける」ことこそ、フェミニズムが「大切なこと」として主張し続けてきたことだと思います。違いますか?
(3) あなたの「弁えろ」「黙った方が身のためだ」という旨のブコメは、あなたの日頃の姿勢との整合性が有るとご自分ではお考えですか?
(4) 北村紗衣先生には事実関係を説明して欲しいと書いたことが名誉毀損になるとしたら、それは何故ですか?
2022-01-19
■北村紗衣先生とオープンレター偽署名事件・途中経過※追記有り
北村紗衣先生及びオープンレター発起人は、2022/01/19現在、誰も古谷経衡に対しての謝罪をしていないようです。
(1) まず北村紗衣先生の昨日2022/01/18のツイートから引用します。
「名簿を管理している人たちで相談して、削除後にツイート等でお詫びを出そうという話をしてたとこですが。あと「誰かを責める前に」って、処理中なのにまるで故意に悪いことをしたかのようにほのめかしてくる人に反論して悪いわけはないと思いますけど。」
「なんでツイッターとかネットで見られないものは全部存在しないみたいに思ってるのかな、この人たち。昨日の夜遅くにイタズラ署名の件に気付いてから、差出人でずっと対応とかおわびとかを協議して処理してます。」
(2) 次に、古谷経衡の今日2022/01/19のツイートから引用します。
「今に至るまで無いです[※引用者注:オープンレター関係者から謝罪などの連絡はあったのか?という質問に対する回答]。というかオープンレターの首謀者がだれなのかもわからず、訴状の送達もできません。」
「オープンレターで私の名前が無断使用された件、無断使用した人間の氏名が判明すれば、千葉地裁で民事訴訟(損害賠償請求)を行います。なにせ私の名誉に対して、および私の政治的中立性毀損という看過できない問題ですから。去年の4月からずっと掲載されていたとかありえないですから。」
北村紗衣先生の発言は、どうやら事実と異なるようですね。オープンレター発起人の誰かが、北村紗衣先生に対して「きちんと対応しているから」と嘘を吐いていて、北村紗衣先生は騙されているだけの被害者なのかもしれませんが、確認はした方が良いと思います。
基本的なことですが、オープンレター賛同者の中に有る"古谷経衡"を名乗る偽署名が、偽者による成りすまし行為だとしたら、その偽者が一番に非難されるべきです。これは当然の話です。
しかし、古谷経衡から見れば、オープンレター関係者もまた「確認・管理を怠った過失による加害者」です。呉座に酷いことをされた被害者であることは、古谷経衡に対して誠意ある対応をしないことの理由にはなりえません。
北村紗衣先生及びオープンレター発起人は、当事者意識と責任感に欠けていると言われても仕方が無いと思います。
さんのブコメ(書換前)「オープンレターの内容を踏まえると、ありうべき対応としては「無断で名前を使われたのは遺憾だが、趣旨には賛同する」と表明する程度か。そして揉めれば揉めるほど、呉座勇一のアカデミア復帰は遠のいていくわけで」
さんのブコメ(書換後)「オープンレターの内容を踏まえれば、「無断で名前を使われたのは遺憾だが、趣旨には賛同する」以外の対応だと、別の問題を招きかねないのでは。そして揉めれば揉めるほど、呉座勇一の社会復帰は遠のいていくわけで。 」
このさんの"忠告"(書換で変化していない所である『そして揉めれば揉めるほど、呉座勇一の社会復帰は遠のいていくわけで。』に肝が有るのは明白です)こそ、これまでフェミニズムが批判してきた「騒ぎ立てるのは君のためにならないよ?」という、アドバイスの形式を取って「弁えろ。口を噤め」と、違和感を表明する者の声を抑圧する手法だと思います。
ところでさんの忠告は、私の目的が呉座のアカデミア復帰でなければ無意味だと思います。
追記その2
2022/01/20、さらに3人目の「署名した覚えが無いのに、名前を使われた人」が発覚しました(ノンフィクション作家・高野秀行)。
一審千葉地裁の公判で、巡査を取り押さえた乗客は「向かいの席に座っていた巡査のチャックが開いていた。近づいて見下ろしたら陰部が見えた」などと証言。他に目撃者はおらず、
つまり
・チャックが開いてた
・目撃者=取り押さえた男
・チンコは外にでてなかった
・近づいて見下ろさないと見えなかった
自分の認識だと「チャック開いてますよ」と声かけるだけで済むレベルの出来事。
しかも「見えていたかどうか」は目撃者一人の主張であって、相当に怪しい。
「外出時にズボンのチャックが開いていただけ」で取り押さえられ、在宅起訴、二年の裁判、その間仕事は休職。
これほどひどい話はないと思う。
93歳の夫が体の痛みを訴えていた妻に頼まれて殺害したとして、嘱託殺人の罪に問われた公判が千葉地裁で開かれている。夫は「今でも愛しております」と語り、2人の娘は「父は追いつめられていた。ごめんなさい」と悔やんだ。(朝日新聞デジタル)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150618-00000012-asahi-soci
頭おかしいんじゃないのか。
尊厳死には条件がある。
①現代医学では治せない傷病で、死が近づいている場合に、単に死を引き延ばすためだけに延命するのはやめてくれ
③植物状態に陥ってそこからの回復が望めない場合は生命維持装置を切ってくれ
というのが尊厳死だ。
今回の事件はせいぜいが骨折からきている慢性疼痛にすぎず、尊厳死の適用案件には程遠い。尊厳死が法的に整備されていたとしてもこのケースで妻を死なせることはできないし、あってはならない。
これはただの殺人だ。人の尊厳を尊重する行為じゃなく踏みにじる行為だ。
検察が「軽率」と称したのもそこから来ているのだろう。不治の病でもないものを殺して救ってやろうとするなんて傲慢以外に当てはまる言葉はない、というのが本来の司法のスタンスであるはずだ。そこを「軽率」と称したこと自体相当叙情酌量してる。
「軽率なんて言わないでほしい」ってバカか。判決ならまだしも検察側が「軽率などとは称せない、壮絶な苦悩があった、追い詰められていたし仕方ない」的なコメントを出してみろ。
今後いったい何件の殺人事件がそうやって美談に祭り上げられるかわかったもんじゃない。
これは殺人事件で、人を殺すというのは悪いことなので徹底して回避されなければならないことだ。それが社会というものの目指す姿だ。
※懲役5年に執行猶予を狙ってるだろうという意見があったが俺もそう思うしその線を狙うのは妥当。物の本によると、こういう「追い詰められて最愛の人を…」系の殺しで無罪放免にすると裁判後に罪悪感で自殺したりするそうなんで、執行するかは別として刑を科すのは意味があると思う。
※話が飛ぶが、逆に裁判長は「どうすれば良かったですか」とか聞いてんじゃねえよと思う。俺が被告だったら「俺が聞きたいわ」って逆ギレすると思う。いや、反省の度合いみたいのを見るために聞いてんだろうとはわかってんだけど。
例えば安楽死センターみたいな施設を作って死にたい奴はみんな受け入れるようにしていたら?
それは社会的な自殺強要でしかなく、自発的に死にに行ける状況を提供することで逆説的に「そんなだったらもう死ねばいいのに。なんでまだ死なないの?」というプレッシャーを正当化するだけに終わるのは明らかだとは思わんか?
条件を設けると尊厳死に行き着くんで、安楽死センター要らないよ? あとこの事件の妻みたいな人はたぶん利用できなくなるよ。
この妻みたいなパターンが利用できるような利用者条件って相当ゆるい。「苦痛から逃れたいと思っている人」ぐらいの感じにしかならない。
これはわかる。気持ちとしては痛いほどわかる。
だって殺しを依頼して実行してもらっちゃったことで最愛の夫は妻殺しになっちゃったし、娘たちはそれこそうつ病のひとつやふたつ発症してもまったくおかしくないくらいに傷つけられている。
その点では妻もやっぱり追い詰められていたというのがよく分かる。冷静になれるだけの余裕が(精神的にも、体力的にも)あったら、「迷惑かけたくないから殺してもらう」がどんだけ矛盾してるか気がつけただろう。
これだけぶうぶう言っといて何だけど、この事件は社会制度とか公共福祉とかそういうレベルでしか解決は図れなかったろうと思う。
自分の身内がこういう状態になって死にたいと言い出したとき、できることってのは「殺してあげる」か「それでも殺さない」のどちらかを選ぶことしかないと俺は思ってるってことだ。
そして、自分でも、「『それでも殺さない』一択だろアホか」と、その状況になってみても言えるかどうかは自信がない。言えなくてもまったく不思議じゃない。だからこそ今は言っとくわけだけど。
鎮痛剤の適用について言及したコメントがあったが、そういうアプローチはもっと追求されていいだろうと思った。あと介護ロボか?
介護サービスを嫌がってたというが、その辺のニーズ(助けが必要なんだけど人様に助けて欲しくない的な)に応えられるのはもうロボくらいしか思いつかん。
あと自己防衛として「人に助けてもらう上で生じる抵抗感をいかにして減らすか」ってことだけど、貧困文学『アンジェラの灰』で示されたように、尊厳があるってことは他人に借りがないってことだから、抵抗感を減らすとかそういうベクトルの努力はどうしても焼け石に水でしかない。