むかし、付き合っていた人が創価学会員だった。
その影響で会館へ行って同時中継(通称:同中)に連れて行って貰ったことがある。
盛り上がったところで登場する、池田名誉会長のありがたい言葉の中に
同中に出てくる幹部も同じように言っていた。
学会やめた奴は臆病者だ、というのはわかるのだが、
飲酒運転はやめろ、ってのが引っかかっていた。
これは21世紀初頭の話で、今はその人と別れ会館すら行っていない。
それどころか、名誉会長も出てくることはなくなり、
同中すらなくなったと風の噂で聞いた。
「飲酒運転はやめろ」と執念のように言っていたのか、
気になって仕方が無い。
あれやばくない?
Amebaの3D回転広告とかFC2ブログの上から出てくる広告とか。
明らか誤クリック狙ってるじゃん
メディアの信頼性とかそこら辺をクリーンにしている動きがあるならば
ぜひ広告のやつも炎上を通してユーザーに使いやすいように変わってほしい。
燃えて、どうぞ
最近は最強主人公が減り、オタクが感情移入しやすい主人公が増えてきてますね。
そんな現在のアニメの傾向に、僕はオタクに媚びすぎでは?と思ってます。
SAOや劣等生、ノゲノラに代表される、いわゆる俺tueeeストーリー。
(正直この言葉自体インターネットの気持ち悪い部分が出てるのであまり好きではない)
この手のストーリーでは視聴している最中、視聴者が主人公に感情移入し、気持ちよく視聴することが出来ます。
実際、僕も中学生の頃はこの手のアニメにドップリハマっていた時期もありました。
しかし、この感情移入が生み出した負の遺産があります。それは「中二病患者」です。
古代の文化「萌」を嗜むオタクであれば、俺tueeeではなく、ヒロインに目が行くので中二病にかかりにくかったはずです。
しかし、問題は、俺tueee時代からオタクになり始めた世代です。オタクになり始めた初期は特にストーリーに影響されやすいため、インパクトの強い「俺tueee」で人格が形成されていきます。これが「中二病」に繋がっていくのでしょう。
しかし、中二病というのは一時的な病気で、熱が冷めると突然今までの自分の行動が「黒歴史」に変わっていきます。この世代の感情の変化が現在のアニメの傾向につながっていると僕は考えています。
エロ漫画先生、俺ガイル、冴ヒロ2期、これらのアニメは現在のアニメの傾向を良く表していると思います。
中二病を卒業すると流石に「俺tueee」が「痛く」思えてくるので、アニメの好みも変わってきます。
そこで制作側は次のジャンルに切り替えてきます。それは「主人公がオタク」という新たなジャンルです。
表面的なアニメとしてのジャンルは変わりませんが、主人公のキャラクターが大きく変わっています。
中二病患者はSNSで群れを作り、様々なオタクとコミュニケーションを取っているため、オタクの特徴を熟知しています。
その中二病時代の感覚をくすぐり、感情移入しやすい「オタクキャラ」は一定層のオタクに好評でした。
また、この頃からオタクの定型句のようなものが固まってきたためそれをアニメ側が使う様に成りました。
これが気持ち悪い
オタクとアニメの間には明確な壁があり、両者が客観的な視点で互いを見るべきだと僕は思っています。
オタクがアニメに近づこうとしたり(中二病)、アニメがオタクに近づくと(主人公オタク化)現実の世界観やアニメの世界観に大きな影響を与えてしまいます。
そのため、純粋なストーリーとしてアニメを見ることが出来なくなってしまうと僕は感じています。
互いに不干渉であった「萌」はその点今よりも良かったのでは無いでしょうか?
アニメの制作方針として、視聴者を掴むための「主人公オタク化」はとても上手い方法だと思います。
しかし、それで世界観を曖昧にして、作画で誤魔化すのでは本末転倒ではないでしょうか。
うん、わかる。大好きな旦那の世話は喜んでやる。やりたい。
子どもは……子育てでぐったりした母親を、自分の母含めたくさん見てきたからなぁ。
うちも旦那が激務で、子どもが産まれたら自分がメインで育児することになる。
実家はあてにならない。
世間体は最高にいいから「里帰り出産でしょ?」と言われるけどね……
いつでも仕事に逃げられる激務男性の子ども欲しいは、「(勝手に産まれて育ってくれる)子ども(と子どもを持つことで親や職場に一人前と認められる父親の立場が)欲しい」だったりするからなー
会社とかで夜中まで仕事をしていて「やっと終わったね!」「やりきった!」みたいな達成感。
これをまったく共有できないからなんだなって思った。
むしろ夜中まで仕事してるときって大抵どっかでつまずいてるわけで、「あそこがネックだったよな」とか「突然違うこと言い出すクライアント死ね」とかそういうことしか考えない。
たぶん熱狂に乗れないんだろうなと思う。
学生時代も学園祭の狂騒とは無縁だった。あの「大変だったけど頑張ったよね、私たち」という感覚を共有できない人間は一生社会不適格なのだと思う。(少なくとも今の日本社会において)
ある事に関する2chのスレがまとめサイトに取り上げられると、話題だの流行りだのネットの意見だのと捉えられがちだけど、
大抵まとめに上がってるの1スレだけで何スレ伸びてるかも分からないよね。
1スレ=1000レスがまともな意見で埋まってるはずもなく、有効な意見なんて100件くらいだったりするし、
でも閲覧者数が多くて周知な内容になるから信じちゃうし話題だと思っちゃうし、自分も同じ意見でないと行けないと思っちゃうんだよね。
ネットで知った情報でテレビの裏を暴いている感覚になってる人が多いけど、結局は同じだね。
早くみんなが目をさまして欲しいな。
なんという女子力でしょう。
「顔も好みじゃなかった主人とは見合いで、話も合わないし、さみしかったの。」と言ってることは同じ。
先日ついに夫と別れた。嫌な面は山ほどあった。私にもいたらない部分があったんだろう。
高校、大学、社会人と思春期からずっとともに過ごしてきても終わるときはあっけないものだ。
最後の会話は短かった。
「まあ……いろいろありがとな。じゃあ元気で」
それだけ残して夫は玄関を出ていった。
家の片付けはわたしがひとりでやった。台所には灰皿替わりのペットボトルとタバコ、100円ライターが残されたままだった。そういうところが本当に嫌いだった。
でもそんなタバコ一式を見ていたら思い出したことがある。
あれは高校三年の冬休みだった。まだ夫ではなく彼氏という存在だったときのことだ。
その日彼とわたしは渋谷で飲んでいた。そして店を出てふたりでブラブラしているうちになんとなく路地裏のほうへと足を向けていた。
気づくと「空室」のランプがともっているお城が目の前にあり、人目を気にしながらこそこそと入っていった。
ふたりともそういった場所へ足を踏み入れるのは初めてだった。鏡張りの浴室や足を包み込む絨毯より、ベッドの白さがなぜか印象的だったのを覚えている。
わたしは鞄もコートもソファに放り出すと勢いよくベッドの上に乗った。
「ねえ、ねえ、すごい跳ねる。うちのと全然違う」
そんなことを言いながら飛び跳ね、部屋中を見渡していた。彼はソファに腰掛けながらタバコに火をつけ、煙で輪っかを作る練習をしていた。
ふたりとも枕元の避妊具からは意識的に目をそらしていた。わたしたちは無邪気さと冷静さを演出し合うことで、互いに緊張を見破られないようにしていたんだと思う。
そのうち飛び飽きたわたしは彼の隣に腰を下ろし煙を眺めていた。目が合うと、彼はふっと輪っかを私に向けて吐き出してきた。
「うざいし」
私は顔をしかめると鞄から香水を取り出し仕返しとばかりに彼に吹き返した。彼も顔をしかめていた。
ふたりをくるんでいる羽毛布団の中でのことはよく覚えていない。ただ彼の腕の中で眠るのが幸せだったのは確かだった。
翌朝、寒さで目を覚ますと彼はひとりで先に朝食サービスのパンをかじっていた。わたしがベッドから這い出すと
「寒くない?」
と言ってわたしをベッドに押し戻し、布団の上から抱きしめてくれた。そういうところが本当に好きだった。
お城を出たわたしたちは、パン1枚じゃ足りないのでマックに入っていった。わたしがハンバーガーを食べていると彼はまたタバコの輪っかを投げかけてきた。
「うざいし」
わたしは笑いながら顔を背けると香水瓶を掴み彼の鼻先に向けてプッシュした。
煙と香料の入り混じった匂いに包まれながらふたりでけらけらと笑いあった。
書いていて恥ずかしくなるくらい甘ったるい思い出だ。今となってはもう下らない思い出だ。
何を知るか?
何を考えるか?
何をするか?
知ること、考えること、すること
やったから、知る事ができる。あるいは考えることがある。
考えるから、知ることができる。また、やってみたくなる。
知ったから考える。もしくは、やってみる。
何を知るか?
何を考えるか?
何をするか?
おばあちゃん認知症だから・・・って本人に言ってる例はよく耳にする
そう言っていれば、理不尽でもコミュニケーションが取れなくてもなんとかやっていける
生活の知恵
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1340887073
手書き漢字の省略について。