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はてなキーワード: 70年代とは

2010-03-10

そのうち日本ゲーム業界映画業界のようになるのではないだろうか

最近洋ゲー和ゲー論争やその周辺をみていると、そんな気になる。

http://www.eiren.org/toukei/data.html

これをみてほしい。映画の興行収入データの推移。かつて、映画は娯楽の王様だった。スクリーンの数は今の何倍もあった。黒沢、小津、溝口と世界的な評価を受ける監督がひしめいていた。世界的にも映画大国だった。

ところが、テレビの普及もあってスクリーンが急減する。70年代くらいからは入場者数も減っていく。単価の上昇もあって収入は増えるが、結局80年代に入り収入も減り、90年代には完全に下火になる。

一方で洋邦比率もみてみると、50年代60年代はまさに邦画全盛期だったが、70年代に逆転し始めて、90年代には何とも洋画が70%近くになる。僕はこの頃高校から大学で過ごしていたが、周囲の雰囲気を見ても「邦画なんて見るものじゃない」だった。この頃の人に映画について聞いてみると、好きな映画はことごとく洋画でしょう。個別の推移を見ると、飛び抜けて収入を稼ぐ邦画があるものの、全体としては洋画が中心。

例えば、入場者数が最低を記録した96年前後の洋邦比率はを見ると、

  • 1994 邦40.1 洋59.9
  • 1995 邦37.0 洋63.0
  • 1996 邦36.3 洋63.7
  • 1997 邦41.5 洋58.5
  • 1998 邦30.2 洋69.8

というもの。

実際の中身をみてみると、

という感じ。

その頃の邦画イメージなんて

なんてものだった。まさに今のJRPG批判と一緒。

あと10年もすれば、日本におけるゲームなんて「わざわざ一万も二万もする、ゲームしかできない機械なんて買わない、スマートフォンで良い」「和ゲーはありきたりでつまんない」「洋ゲーの派手な演出の方がなんだかんだで金かかっているし、面白い」という評判になって、ゲームをやるとしたら「とりあえず任天堂」か「洋ゲーローカライズ待ち」なんてことになるかもしれない。

だから、まさに映画70年代から80年代差し掛かっている今この時点で上を目指せないゲーム会社は、早晩ダメになるし、日本市場のためにも良くない。今は、宮本茂黒沢明堀井雄二小津安二郎でいてくれるけど、その後継者日本海外で成果をあげられなくなったら、衰退して、ジリ貧になるね。海外指向を非難するユーザーらも同罪。別につまらないゲームは無理にやらなくてもいいけど、非難するのは意味がない。

個人的な感覚では、iPhoneゲームが既にそうなっている。一部の大手が既存の資産を投入しているけど、やっぱりアメリカ会社で作ったゲームの方がよくできている。日本発もそれなりだけど、続けるだけのモチベーションのあるものが少ない。「日本ではiPhone市場が...」なんて言っている間にアメリカ発、場合によっては中国韓国発のゲームがどんどん質を向上させている。収益方法も無料スタートでその後利益をあげる仕組みも整っている。Facebookとか使って利用者を根付かせる方法も確立している。

これで仮にiPhoneがもっと普及して、市場として本腰入れたいと思った頃には、とっくに参入余地がなくなっているよ。まあ、既に日本でも100万台とは言われているけど。

なんで、ゲーム会社クリエイター、そして利用者も今の日本ゲーム業界が置かれている時代をもうちょっと自覚するべき。まあ、もしかすると、もう遅いのかもしれないけどね。

2010-02-17

今世紀に起こること(3)

2025年

2026年

2027年

2028年

  • 世界人口が80億人に達する
  • がん化の機構の解明に基づく治療が開始される
  • このころロシア月面基地が完成する(2028-32年)
  • 10/28 直径1.6キロの小惑星が地球をかすめる

2029年

2030年

  • 9/12 小惑星状物体が月までの距離の11倍にまで地球に最接近

2031年

2033年

  • インドの経済規模が、このころ日本を上回る
  • 中国の総人口が15億人に達する

2035年

  • ドイツ高齢者比率が人口の30%に達する
  • このころロシア火星の有人飛行を実現する(2035年以降)
  • 東アジアの人口が20億6300万人でピークに達し、その後は減少に転じる

2036年

  • この年までに南関東直下地震が70%の確率で発生
  • 黒澤明監督作品の著作権が、この年まで存続する(存続期間を死後38年間とする旧著作権法の規定)

2038年

2039年

  • 昭和時代に生まれた者が全員50歳以上に

2040年

  • 早ければこの年に夏の北極海に氷がほとんどなくなる可能性がある(米国立大気研究センター予測)
  • 東京都熱中症患者数が最大5000人に達する
  • 北極上空のオゾンホールが完治する(南極は2065年)
  • 中国の二酸化炭素(CO2)排出量が、この年までにピークを迎える(2030-40年)
  • 人口減少による貯蓄率の低下で、日本経済の潜在成長率がマイナスになる
  • この年以降、中国の1人あたり国内総生産(GDP)が3万ドルに達する
  • このころ葬儀ビジネスの規模が倍増する
  • 中国が人口ゼロ成長を達成する
  • 国内の年間死者数が166万人に達する(現在の1.5倍)

2041年

2042年

2043年

  • 10/1 日本の総人口が1億人を割る

2045年

2047年

2048年

  • 世界人口が90億人に
  • 乱獲と環境汚染による生態系の破壊が続き、食用になる魚介類のほとんどが地球上から姿を消す(対策がない場合の推計でFAO当局者は否定)

2049年

2050年

出典・参考資料

確定済の「予定」部分

Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/

未確定な「予測」部分

未来年表 : 生活総研

http://seikatsusoken.jp/futuretimeline/

調べたきっかけ

1901年未来予測

http://www.tanken.com/yosoku.html

みんなが望む方向に未来は変わっていくのかも、と思ったため。

2010-02-05

地方参政権:「日本帰化が困難」と嘘をつく在日は誰なのか特定する(重要

ttp://hibikan.at.webry.info/201001/article_178.html

帰化トップクラス重要度を持つ法手続きなので、世界中どの国でも手続きは面倒です。大量の公文書を揃えて提出し、ひたすら待たされます。数週間、数ヶ月で帰化できる国なんてありません。

日本帰化手続きは大変。やっていられない」とつまらない不満を述べている間に、さっさと必要書類を整えて役所の窓口に提出しておけば、数年後には帰化できます。ただし相手は役所ですから、兄弟で同時に書類を提出し、兄は3年で帰化、弟は5年かかったということはありえます。

毎年大量の在日韓国人帰化している事実があるのに、これら善良な元・在日韓国人らと同じ作業をできないという在日が多数いる。私は朝鮮問題にも国籍問題にも素人ですが、ピンときました。ある程度の年齢の日本人なら、同じ事を考えたはずです。

日本帰化手続きが、世界比較して間違っているのではない」

「そもそも必要書類を揃えることができない人たちだ」

「必要書類を揃えることはできるが、書類(=経歴)に傷がある人たちだ」

帰化国籍法第5条で規定されています。素人なりに法律を読んで、嘘を付いている一部の在日韓国人がどのような種類の人たちなのか特定してみましょう。



国籍法第5条の3「素行が善良であること。」

あれ?暴力団員または犯罪歴のある在日韓国人朝鮮人帰化できないみたいですよ。

あれ?税金の滞納歴のある在日韓国人朝鮮人帰化できないみたいですよ。

国籍法第5条の4「自己又は生計を一にする配偶者その他の親族資産又は技能によつて生計を営むことができること。」

あれ?生活保護を受けている在日韓国人朝鮮人帰化できないみたいですよ。

国籍法第5条の6「日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府暴力破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て、若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したことがないこと。」

あれ?破防法の適用を受け公安調査庁の調査対象となっている人たち、例えば日本赤軍革マル派オウムなどに属していた在日韓国人朝鮮人帰化できないみたいですよ。

(参考)破壊活動防止法

1950年代70年代に盛んだった左翼系の運動には、いろんなグループがあり、社会の下層出身者を主体にしていたから、該当する人口は結構多いと想像できる。)

次に、必要書類をチェックしてみましょう。(リンク先のページ中程)

「5  国籍を証する書面」

「7  外国人登録原票記載事項証明書」

あれ?韓国または北朝鮮本国が発行する公文書の記載と本籍、本名が異なる在日韓国人朝鮮人帰化できないみたいですよ。

(ちまたで噂されているところの、終戦後日本政府の混乱に乗じて、嘘の書類を使うことにより、本来なら得ることのできない「特別永住許可」を得た在日が、ここであぶり出される。)

あれ?韓国または北朝鮮本国の役所に出向くと逮捕される人(例えば犯罪逃亡者)は書類を入手できなさそうですよ。


【結論】「外国人地方参政権を付与する法案」の本当の目的は、

暴力団員であるか、過去犯罪歴がある在日

税金を滞納している在日

生活保護を受けている在日

日本赤軍革マル派オウムなど過激派の活動歴がある在日(おー恐)

虚偽の申請をして特別永住許可を得た在日(=許可剥奪の対象)

出身国で犯罪を犯したあと刑に服さず、日本へ逃亡してきた人

に対し、まとめてエイヤーっ!で地方参政権を与えてしまうことだと判明しました。

しかも、地方参政権の議論をこれから進めるにあたり、「法案に関する議論が前進しないのなら、在日に限定して帰化条件を緩める案はどうですか?」という話が、見識あると思われる政治家公務員学者、大手マスゴミから出てくる。

えーっ!結局、この人たちに日本国籍を与える方向で議論が進んでいるんですか?(目が点)

2010-01-27

強くなりたい新大学生が本当に読むべき本100冊

この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。

あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。

ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。

こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。

原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。

歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。

難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。

そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。

これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。

この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。

飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、

黙考はずいぶんと深くなるし、ブログネタに応用すれば必ず一目置かれる。

選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。

この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。

ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!

新大学生が本当に読むべき100冊

存在論的、郵便的東浩紀

動物化するポストモダン東浩紀

ゲーム的リアリズムの誕生東浩紀

アナーキズム浅羽通明

ナショナリズム浅羽通明

右翼左翼浅羽通明

構造と力浅田彰

『逃走論』 浅田彰

『反芸術アンパン赤瀬川原平

東京ミキサー計画』 赤瀬川原平

ギャルギャル男文化人類学荒井悠介

ディズニー魔法有馬哲夫

テヅカ・イズ・デッド伊藤剛

マンガは変わる伊藤剛

ヤンキー文化論序説』 五十嵐太郎

オカルト帝国1970年代日本を読む』 一柳廣孝

『寝ながら学べる構造主義内田樹

ゼロ年代の想像力宇野常寛

『二〇世紀の批評を読む』 大谷能生

『ぼくたちの洗脳社会岡田斗司夫

オタクはすでに死んでいる岡田斗司夫

アメリカン・コミックス大全』 小野耕世

教養としての〈まんが・アニメ〉大塚英志

おたく精神史』 大塚英志

サンデーマガジン大野

キャラクターとは何か』 小田切博

『よいこの君主論』 架神恭介

『完全教マニュアル』 架神恭介

映画は撮ったことがない』 神山健治

『ポケットは80年代がいっぱい』 香山リカ

戦前少年犯罪管賀江留郎

スペイン宇宙食菊地成孔

東京大学のアルバート・テイラー』 菊地成孔

おまえが若者を語るな!』 後藤和智

封建主義者かく語りき』 呉智英

賢者の誘惑』 呉智英

『現代マンガの全体像』 呉智英

『定本日本の喜劇人小林信彦

カノッサの屈辱小山薫堂

お厚いのがお好き?小山薫堂

虚人のすすめ』 康芳夫

『生き延びるためのラカン斎藤環

ニッポンの思想』 佐々木敦

『シミュレーショニズム』 椹木野衣

ロックミュージック進化論渋谷陽一

日本の10大新宗教島田裕巳

ヒーロー正義白倉伸一郎

『箆棒な人々』 竹熊健太郎

『定本気分は歌謡曲近田春夫

完全自殺マニュアル鶴見済

洗脳原論』 苫米地英人

スピリチュアリズム苫米地英人

苫米地英人宇宙を語る』 苫米地英人

『青いムーブメント外山恒一

マンガ哲学する』 永井均

チベットモーツァルト中沢新一

ベストセラー構造中島梓

嫌オタク流中原昌也

『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書西寺郷太

前衛の道』 根本敬

『花咲く乙女のキンピラゴボウ橋本治

アーキテクチャ生態系濱野智史

タイアップ歌謡史』 速水健朗

自分探しが止まらない』 速水健朗

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書ばるぼら

NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』 ばるぼら

ロマンポルノと実録やくざ映画樋口尚文

70年代日本の超大作映画樋口尚文

アダルトビデオ革命史』 藤木TDC

ワンダゾーン』 福本博文

『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』 ブルボン小林

ゲームホニャララブルボン小林

電波男本田透

喪男の哲学史本田透

世界電波男本田透

セカイ系とは何か』 前島賢

映画の見方がわかる本』 町山智浩

ブレードランナーの未来世紀町山智浩

『なぜ宇宙人地球に来ない?』 松尾貴史

貧乏人の逆襲!』 松本哉

サブカルチャー神話解体宮台真司

『14歳からの社会学宮台真司

『定本アニメーションギャグ世界森卓也

放送禁止歌森達也

職業欄はエスパー森達也

趣都の誕生森川嘉一郎

『興行師たちの映画史柳下毅一郎

殺人マニア宣言』 柳下毅一郎

『新教養主義宣言』 山形浩生

『たかがバロウズ本。』 山形浩生

訳者解説』 山形浩生

『超クソゲー箭本進一

戦後SFマンガ史』 米沢嘉博

戦後少女マンガ史』 米沢嘉博

戦後ギャグマンガ史』 米沢嘉博

漫画原論』 四方田犬彦

日本映画史100年』 四方田犬彦

日本文学ふいんき語り』 米光一成

恋愛小説ふいんき語り』 米光一成

2010-01-25

世界飢餓にまつわる12の神話

ttp://journeytoforever.org/jp/foodfirst/report/hunger/12myths.html

神話その1

膨張した世界人口を養うだけの食糧が足りない。だから食糧増産が必要だ。

事実

インドでは、2億人の国民お腹をすかせていたとき、6.25億ドル分の小麦・小麦粉と13億ドル分の米が輸出されていた(1995年)。

典型的飢餓地域バングラデシュでは、国民全員に2,000カロリー供給して充分な量の米が生産されている。野菜果物・豆類など他の食品を加えると、全国民を余裕を持って養うことができる量の食糧が生産されている。また肥沃な沖積土と水資源に恵まれたバングラデシュでは米だけで2倍も3倍も収穫量を増やす可能性があると推測されている。

ブラジルでは、7,000万人の国民が充分食べられなかったときに、130億ドル分の食糧が輸出された(1994年)。

アフリカでは、2億1,300万人が飢えるサハラ地方の国々が盛んに食糧を輸出している。1960年代末から70年代初頭に西アフリカ諸国が史上最悪の干ばつに襲われたときも、12.5億ドルもの食糧が輸出され続けた。1982~85年の干ばつのときもこれらの国からの食糧輸出は続いた。

先進国アメリカでは、3,000万人が充分な食糧を確保できず、アメリカ子供たちの8.5%がお腹をすかせており、20.1%が飢餓に面している。一方、代々アメリカ政府農家は過剰生産に頭を痛め、1995年アメリカ政府は300万トン以上の穀類を海外輸送するのを援助している。

世界の食糧供給事情は「過剰」の一言につきる。今日世界では小麦や米などの穀類だけで全人口に毎日3,500カロリーを提供できる量が生産されている。野菜や豆、ナッツ、根菜、果物、草食の家畜肉、魚など他の食品も加えると、一人当たりに毎日4.3ポンド(約1.95キログラム)の食べ物がある。穀物と豆とナッツが2.5ポンド(1,133グラム)、果物野菜が1ポンド(453グラム)、肉と牛乳と卵も1ポンド(453グラム)ぐらい。毎日食べていると太ってしまうほどの量だ。問題は多くの人があまりにも貧しくて、食べ物が目の前にあるのに買うことができないこと。世界で一番「餓えた」国にも国民全員が満腹になるだけの食糧がある。それでも飢餓が続き、餓えた国々から食糧や他の農産物が輸出されている。

飢餓現実に存在する。しかし、食糧は不足していない。

(Hunger is real; scarcity is not.)

2009-12-25

日本ミュージシャンの死因は不明瞭過ぎる。

アベフトシにしろ志村にしろ、なんで日本ミュージシャンの死は不明なままなの。

佐藤伸治の死だって、沢山の噂はあるけど未だに不明でしょ。

海外ミュージシャン60年代70年代に相次いでクスリ絡みで死んで、死因は報道されて

「このクスリは危ない」という教訓が増えて、90年代はじめのセカンドサマーオブラブ

世代のミュージシャンファーストサマーオブラブと同じくらいクスリを摂取したのに、

亡者は少なかったよね(アシッドハウスなんてジャンル名だよ)。

日本クスリ絡みの死であっても、死因は公表されるべきなんじゃないか。

2009-11-27

作画を体系的に理解するための7作品

はじめに

最近アニメーター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の作画(特に90年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「金田伊功をどう思う?」と聞くと、「金田伊功って誰ですか?」という答えが返ってくる。「なかむらたかしの作画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の作画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「youtubeで流れていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、作画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作画ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてタイミングごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。作画は、もう長いこと(20世紀の遅い時期から)マイノリティ王者としてあらゆるオタクの上に君臨してきた。だから、作画を作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

作画は、絵コンテ・演出・レイアウト原画動画・背景・撮影など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、作画を見ずして現代のアニメは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、作画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、作画を包括的・体系的にとらえることによって、現代のアニメそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、ものを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔の作画をほとんど見たことがないという人や、あるいは作画そのものもあまり見ないという人のために、これを見れば作画を体系的に理解でき、現代アニメの成り立ちや実相までをも作画的にとらえることができるようになる、7本の作品を紹介する。

ここで紹介する作品は、いずれも後の作画界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、作画というジャンルのありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、作画というのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、作画的に理解できるようになる。そしてそれが、アニメの作画シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

作画を体系的に理解するための7本の作品

1本目『タイガーマスク』(1969年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、金田伊功前の作画をひとまとめにするところから始める。

20世紀末に手塚治虫発明したリミテッド作画というアニメートは、その後『巨人の星』(1968年)『サイボーグ009』(1968年)『アタックNo.1』(1969年)などの作品で次第にそのスタイル確立していき、東京ムービー東映動画が一大産業として発展させた後、『タイガーマスク』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

金田前の作画は、これ1本だけ見れば良い。この作画に、金田前の作画の全ての要素(魅力)が詰まっている。この作品を見れば、作画のエンターテインメント王者としての風格、スターという存在の大きさ、原作者以上にアニメーターが重視される「個性」としての側面、フルアニメーションからリミテッドアニメーションへ・ハンドトレスからマシントレスへと移り変わった作画革新の変遷など、金田前の作画史や作画界のありようが全て分かるのだ。

この作画の魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『タイガーマスク』の魅力を知るには、まずは見てもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも見れば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

タイガーマスク』を見て驚かされるのは、現在の作画と比べても全く遜色ないところである。作られてから40年の時が経過しているが、現代人の鑑賞にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえば作画というものは、今から40年前、つまりこの『タイガーマスク』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

タイガーマスク』は、作画というジャンルが到達した一つの極みである。それゆえ、作画史というものは、『タイガーマスク』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られた作画で、『タイガーマスク』の影響を免れたものはないからである。

2本目『無敵超人ザンボット3』(1977年

金田伊功が国内の作画史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに大きなものがある。アニオタというのは、「作画文化アニメに影響を与えた」というと、なぜか話半分で聞いてしまうところがある。「作画のカナダ」という言葉は聞いたことがあっても、「それって作画オタが過大評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかし金田伊功は、真に国内の作画史を塗り替えた人間の一人である。特に、彼の後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

金田は、国内のメインストリームだった虫プロが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたワンサくんすぐの時期、そんな虫プロに取って代わって、国内で最も輝いていた作画人であった。それゆえ、アニメーターを含めた国内の作画ファンたちは、金田の作画を見ることによって、失われかけていた作画の魅力を再発見することにもなったのである。

金田は、没落した虫プロに変わって作画の命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。戦後東映動画が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を受け継ぎ、後代へと引き継いだ重要リレー走者としての役割を、作画史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取ったアニメーターの若き作画人たちが、1980年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、アニメスタジオは鮮やかな復興を遂げる。だから、もし金田がいなければ、作画の様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんな金田の代表作はいくつもあるのだが、中でも特に多くの作画ファンを――取り分けアニメーターの若き作画人たちを魅了したのが、この『無敵超人ザンボット3』である。この作品の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたパースであろう。作画史において、これほど格調高く見事なディテールで構成されたパースは他にない。そのためこのパースは、これ以降無数に手本とされ、真似され、翻案されることとなるのである。

3本目『伝説巨神イデオン』(1980年

金田伊功の影響を受けたアニメーターの若き作画人たち――言うなれば「金田モドキ」――が頭角を現す直前のアニメーションで、作画史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の作画が誕生する。

この時期、作画技術進歩によって、作画にもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った映像、全く違った作画体験を生み出すことに成功したのが、この作品『伝説巨神イデオン』を作画した板野一郎である。

伝説巨神イデオン』は、作画史において最も革新的な作品の一つとなった。この作品に初めて触れた当時のアニオタたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのない映像がくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しい作画体験を、そこで味わうことになったからである。

板野の果たした一番の功績は、ミサイルカメラワークを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えば彼は、「板野サーカス」という新しい技術の動きと、それで作画された映像が観客に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しい作画体験を生み出すことができたのである。

この作品『伝説巨神イデオン』には、そうしたテクノロジーと作画との融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、作画はここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『うる星やつら』(1981年

先に述べた「金田モドキ」がアニメーション復興をもたらすのは、1980年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、北海道生まれのスタジオNo.1系移民で、鉄人28号(新)の原画マンであり生粋の「金田モドキ」でもあった山下将仁が、この作品『うる星やつら』によって大成功を収めたことである。

この作品は、単に演出的に成功しただけではなく、作画的な意味においても、アニメーターの力を広くアニオタに知らしめることとなった。この作画の成功によって、アニオタの人々は、金田系作画の魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて金田系作画が作画のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように見る状況を育んでいくのである。

またこの作品は、金田系作画そのものにも大きな影響を与えた。この作品の成功に刺激を受けた才能ある若きアニメーターたちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名作画を生み出していくからである。

それらが相まって、やがてアニメーションは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『うる星やつら』なのだ。

5本目『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(1989年

うる星やつら』で繁栄の足がかりを築いたアニメーションは、この作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたアニメーターも、金田モドキの一人であり、また『Gu-Guガンモ』を作った井上俊之の友人でもあった、磯光雄であった。

この作品は、史上最もエフェクト的に成功した作品となる。そのためこれ以降、この作画にならってエフェクト的成功を当て込んだ作品が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きなエフェクト的成功を収めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの爆発は、やがてちょっとハリウッドに煙でも見してやれ、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この作品がきっかけとなってアニメーションにもたらされたエフェクトは、作画という産業を変革させていくことになるのだが、それに伴って、作画そのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬ磯の手によってなされた。彼が『ポケ戦』の成功によって手にしたお金をもとに創案した作画技術スタイル「フル3コマ」が、より魅力的な作画技術を追求していく中で、やがてWEB系という連中の排出に至るのである。するとそれが、これまでの作画を一変させたのだ。

フル3コマは、作画に魅力的かつ効果的な特殊映像を、中割り不要でしかも手軽にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に個性出したがりアニメーターに広まっていった。そのため今では、フル3コマの使われていない自己主張作画を探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『ポケ戦』が作画界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『クレヨンしんちゃん』(1992年~)

70年代以降、繁栄を謳歌したアニメーションは、しかしその栄華の大きさゆえ、90年代に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な作品はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が10年続いた90年代の末期になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代の作画人たちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代の作画人とは、大平晋也や森久司、吉成兄弟らに代表される、「実験的な手法」を得意とするアニメーターたちであった。

彼らに共通するのは、作画にまつわるものなら全て――とるに足らない破片的なものまで含めて――残らず愛そうとする「作画オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだった作画の些末な要素にスポットを当て、それを前面に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った作品を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として90年代の初めに登場したのが、湯浅政明だ。

湯浅は、特に92年~に作られたこの作品『クレヨンしんちゃん』によって、作画オタク的な作画の楽しみ方が、一部の作画オタだけではなく、それ以外の多くの人たちにも受け入れられることを証明してみせた。この成功が、作画オタク的なアニメーターたちにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けた末吉裕一郎や西見祥示郎といった、次世代のアニメーターたちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『THE八犬伝』(1990~94年)

最後は、アニメーター黄金期の集大成ともいえるこの作品である。

THE八犬伝』は、作画史においては『タイガーマスク』と同じような意味を持つ。つまり、それまでの作画の要素が全て詰まっているのだ。この作品を見れば、それ以前の作画の歴史というものが全部分かる。

THE八犬伝』には、作画のあらゆる要素が詰まっている。ここには、『タイガーマスク』のような歴史的な作品としての「総合性」があり、『無敵超人ザンボット3』のような「パースの大胆さ」がある。『伝説巨神イデオン』のような「カメラワークと作画の融合」があり、『うる星やつら』のように「作画の魅力を全アニオタに知らしめ」た。また、『ポケットの中の戦争』のように「エフェクト的に成功」したのはもちろん、『クレヨンしんちゃん』のような「作画オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこの作画は、『タイガーマスク』と全く同じ意味合いを持っているのだ。作画史というものは、『THE八犬伝』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られた作画で、『THE八犬伝』の影響を免れたものはないからである。

まとめ

以上、これさえ見れば作画を包括的・体系的にとらえることができる7本の作品を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、作画的に重要な作品は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「タイムシートの分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた作品は、いずれも「見ることによって他の作画にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『タイガーマスク』を見たならば、戦後東映動画自然と興味がいくだろうし、『ザンボット3』を見たなら、金田のそれ以外の作品も見たくなるだろう。板野についてもそれは言えるし、『うる星やつら』を見たなら、この作画を生み出す土壌ともなった「スタジオZ」というアニメスタジオにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『ポケ戦』はエフェクトオタクになるきっかけになるだろうし、『クレヨンしんちゃん』はその他の「作画オタク的なアニメーター」の作品も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『THE八犬伝』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこの作画は、統一度があまりにも低いために、これを見た後に他の作画を見ると、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの作品を見ることによって、作画をさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの作品を見ることによって、作画を包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな妨げとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた作品への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「作画を体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

ニート時代に読んだこの本によって、「作画とは何か」ということを、ぼくはを知った。

「作画は技術の集積だ」ということが、この本を読むことでよく分かる。何気なく見ていたシーンでも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

アニオタ金田の何に驚かされたかといえば、それはやっぱり大胆に歪まれたパースにだ。金田パースには、作画の本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くのスタジオで多くの作画に、翻案されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、大塚宮崎が作画というジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた作品のいくつかは、この本に書かれていた大塚の評価を参考にしたものでは別に無い

この本を読めば、どんな作画が素晴らしく、どんな作画がそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あの大塚の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。

元ネタ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980

※「伝説巨人イデオン」になってた所を「伝説巨神イデオン」に修正

※一部改訂してます

※ほっとけよェ・・・・>金田に偏りすぎ>本文でなかむらたかしに触れてない

ブクマ200突破で一言、こんなんで「勉強になる」とか言ってっからおめーらいつまでも作画ニワカなんだよ!!死ね!!

2009-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20091114213339

アメリカ人口増加率より実質成長のほうが高いから一人当たりで見ても明らかに増えてる。

そうだよ、毎年2%程度ね。

ネットとかITの普及を考えたら明らかに70年代と生活も変わってる。

質は大きく変わった。しかしそれに伴うGDPの絶対額の増え方はあまりにゆっくりに思うんだ。

中国がのびてるといっても水準としては明らかに先進国より低いし今の成長率でも一人当たりで先進国に追いつくのは数十年後のはず。

中国に限らない。台湾はもはや日本レベル。実効為替レート低く抑えてるから、GDPの絶対額が低くなってるけど。韓国にも相当追いつかれてしまった。

どちらにせよ、途上国は発展し先進国が伸び悩む構造は変わらない。そしてそのうち途上国先進国に追いついて伸び悩むだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20091114212535

アメリカ人口増加率より実質成長のほうが高いから一人当たりで見ても明らかに増えてる。

ネットとかITの普及を考えたら明らかに70年代と生活も変わってる。

中国がのびてるといっても水準としては明らかに先進国より低いし今の成長率でも一人当たりで先進国に追いつくのは数十年後のはず。

http://anond.hatelabo.jp/20091114204140

アメリカだって一人当たりのGDPは伸び悩んでいるんだが。

70年代から生活の質は変わってないって言われたりしてるよ。移民グローバル化

GDPの絶対額は増えてるけどね。

あと個人所得は2%程度の成長+貨幣インフレな。能力低くても途上国は伸びてるよ。中国に限らず。

2009-10-24

吾妻ひでおの思ひで

俺は三十歳なんだが、吾妻ひでおといえば、私の記憶小学校高学年の頃(1989年ごろ)に読んだ新井素子SF作品の挿絵を思い出す。

当時、それはすでに図書館に格納されて5年以上経った古い書物であり、新井素子の「絶句……」や共著「ひでおと素子の愛の交換日記」に挿絵を描く吾妻ひでおは、例えば萩尾望都楳図かずおと同じような「70年代という過去」の作家だった。手塚治虫藤子不二雄横山光輝ちばてつや歴史に残るような過去漫画家で、高橋留美子鳥山明ゆうきまさみ過去に1作のヒットがある実績のある漫画家で、冨樫義博青山剛昌椎名高志が気鋭の新人だと思っていた頃のことだ。ロードス島戦記リプレイはやってたけれど、テーブルトークRPGはさほど流行しておらず、カードゲームといえば「モンスターメーカー」しかなく、ライトノベルという分類はまだなく、スニーカー文庫が創刊されたかどうか、富野由悠季ガンダム小説を書いていたのが唯一アニメ小説だった頃。おれら小学生が争ってドラクエ3を遊んでいた頃の話だ。

それから二十年経って、あのころ新井素子を読んでいた俺は、「サマーウォーズ」を見てぼろぼろと泣く微妙な大人になったけれど、吾妻ひでおは相変わらず二十年前と同じようなスタンスで「けいおん!」を見ていて、俺はそれがすごく嬉しいのだった。

今回の騒動は、海のトリトンを見て育ち、イデオンとかダンバインが好きだったうちの母(幼稚園に入る前の頃に俺は毎週イデオンを見せられていたらしい。記憶してなくて本当によかった)が、俺が中学の頃にはまっていた「ぼくの地球を守って」を読んで、「なんだ。こんだけ長いのに、ただの痴話喧嘩じゃない」と言い放ったのに対する反発みたいなもんかなあと、なんとなく思う。その後母が俺に勧めてきたのは「百億の昼と千億の夜」であって、まあなんだ、昔はものを思わなかったことであるなあ。

なんか、日記を読むと「俺は吾妻ひでおは知らないけど、「けいおん!」に関するコメントは分かるぜ」とか「むかつくぜ」みたいなのばっかりなので、ちょっと気になっていた。俺よりあと十歳年上の人なら、こんなすれ違いのような世代の話としてじゃなく、吾妻ひでおの最盛期を知る人の話として語れるような気がするんだけど、その世代の人はたぶんカジュアルに「けいおん!」を見てはいないんだろうなあ。

そういう「オタクもすでに2~3世代を重ね、ファンの世代がすでに分断されているのに、作家本人はその断絶を乗り越えた場所にいる」という意味でも、吾妻ひでおの今回の発言は「すげえな、おっさんいくつだよ」と思ったわけだが、そういう「長い時間感覚」はどうしても若い人には伝わりづらく、そこが非常にはがゆく感じるので、俺はこうして増田に描いたわけだ。

2009-10-21

そらのおとしもの岬めぐり

数日前から「岬めぐり」が脳内ヘビーローテーションしており、いささか困っている。

70年代ヒット曲だそうだが、定番というほどでもない。70年代生まれの自分にとっては、聴いたことがあるようなないような曲だなという感じだ。下の世代ではどうだろうか。

それにしてもなぜ「岬めぐり」なのだろうか。

今回の騒動を少しまとめてみたい。

まず、発端となったのは2009年10月12日

そらのおとしもの 第2話の “パンツ” が2ちゃんねるで大絶賛!!!:【2chニュー速VIPブログ(`・ω・´) 」

http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52044960.html

多くの人がこのまとめエントリで「そらのおとしもの」第2話EDが大変なことになっている事を知った。

はてなー達は、無論、はてブ経由でこれを知ることになる。

ここに貼られたYouTube映像

そらのおとしもの 第2話EDHD)」

http://www.youtube.com/watch?v=6pgJ3K0-qpo&feature=player_embedded

は、残念ながら公式のものではないのだが、再生数はハンパない

ニコニコ動画では、例によってMAD動画が作られたりするわけだが、過去に投稿された、

初音ミク - 岬めぐり

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4078495

が、「ぱんつからきました」などというコメントと共にぐんぐん再生数をのばし、「風評被害タグがつけられた。

ニコニコ大百科には、即座に、

岬めぐりとは (ミサキメグリとは) 」

http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%B2%AC%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8A

という項目が書かれた。この記事では、「そらのおとしもの」第2話EDテロップには間違いがあり、作詞山上路夫(代表作「翼をください」ほか)である、という指摘がある。作詞者が「翼をください」と同じ人であったことになにがしかの意味を見いださずにはいられないだろう。

山上路夫

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E8%B7%AF%E5%A4%AB

山本コウタロー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%BC

ちなみにWikipediaには、現時点では「岬めぐり」の項目はない。

そらのおとしもの」第2話EDの「岬めぐり」はカバー曲である。歌ったのは「美月そはら」こと美名(みな)という声優さん。かなりの歌唱力をお持ちのようだが、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%90%8D

Wikipediaなどを見る限り、どうも出演作はあまり多くないようだ。

短い記事であり、ブクマ数も少ないが、

「大反響そらのおとしもの第2話EDテーマ岬めぐり」を歌った美名さんからのコメントが到着したぞ」

http://www.animecenter.jp/jp/200910/15103401.php

にて、そもそもレコーディング自体が初めてだったことを明かしている。

一方、ニコニコ技術部尻P氏は、

「【そらのおとしもの】空飛ぶパンツのようなもの【実体化】」

http://www.nicovideo.jp/watch/sm8528485

にて、パンツを空に飛ばせてみせた。BGMは前述の「初音ミク - 岬めぐり」である。

さらにその解説記事、

「空飛ぶパンツのようなもの」

http://d.hatena.ne.jp/nojiri_h/20091019/1255916165

において、「パンツが空を飛べば、世界平和になると思うからだ。私は結構まじめにそう思っている。」

と書き、はてなーの心を打った。

また、この記事のブクマで、id:y_arim氏は「墜落したハインドの残骸とムジャヒディンたちの上をパンツの群れが飛ぶ映像意味がないはずがないのであって。」と書いたが、この一言にハッとさせられた人は多かったようだ。

そらのおとしもの」はアニメNewTypeチャンネルにて公式配信されているので、未見の方はED以外も観て欲しいと思う。

http://anime.webnt.jp/product/antc/K23/

というわけで、中途半端でもうしわけないけど、とりあえずまとめ終わり。

あとは「オトナアニメ」などに書いているライターさんあたりにお任せしたい。

2009-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20090815002745

70年代までは宮司皇室に近い人で、そのあたりの政治的な部分にも配慮していたわけ。A級戦犯合祀をしようという動きは常にあったけど、この人がストップさせていた。その後の宮司があっさり合祀させた。合祀は単に慰霊とか追悼と言う意味合いじゃなくて、太平洋戦争祖国防衛戦争だ、A級戦犯の人たちはよくやったと、太平洋戦争正当化させたい人たちによる政治イデオロギーに基づいたものだったんだよ。そこを突っ込まれてるんだから、靖国側の自業自得だと言われても仕方がない。中国あたりにつっこまれるだけならともかく、天皇敬遠するってのは本当に自業自得で、これで御親拝をとか言っても、何言ってんだとしか思えない。こうなったのも、すべて靖国側が悪い。

結局、自業自得というのがこの問題の本質で、靖国純粋追悼施設として生まれ変わるチャンスはいくらでもあったんだけど、自分たちで放棄しちゃったし、今でも口では「追悼施設だ」みたいなこともいってるけど本音は違うから。麻生さんが言っている「特殊法人化」?は、靖国神社という形を維持したまま、難しい問題を解決できる唯一の方法なんだけど、ウヨクサヨクとも支持がないみたいだし。

若い人たちはこの問題の背景をよく知らずに、戦争で死んだ人に頭を下げることの何が悪いのか、としか思わないみたいで、それはもっとも。A級戦犯と言っても悪人ばかりでないのは承知しているが、こんな議論を毎年繰り返すのはかなり不毛だ。とっとと追悼施設を作っちゃえばいいんだよ。どこの国だってそういう施設はある。これから、自衛官だって海外で戦死するようになるだろう。21世紀にもなって、もう靖国神社の出番はないと思うね。

2009-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20090810113704

クラブDJやってたりする者です。

悪いけど、あなたのその「キメている」についての言及は何の意味もないような気がします。

もし、「キメる」という言葉が「暴走族」という言葉のかっこよさ?に憧れて真似する若者が云々・・・

という切り口と同じ話にするのであれば、ありきたりだけど、多少の意味はあるかもしれない。(つまらない議論だけど)

ただ、ノリピーの関係者芸能界の「闇」はあっても、クラブ音楽クスリ間になんか「闇」なんか存在しない。

あるのはクスリがないと楽しめない人、それを食い物にする人間がいるという構図だけ。

きわめてシンプルであって、海外でも大して変わらない。

日本人クラブ文化に対する知識の無さがただ大げさに物事を見ているだけ。

(もちろん、のりぴーという大物がやったという意味では大事件?なのかもしれないけど)

そもそも、

70年代とか80年代空気しか感じられない。』

と言っているけど、日本には70年代80年代には「クラブ」はなく「ディスコ」しかなかった。

(「キメている」人々が全くいなかったというわけではない)

クラブディスコの違いを認識しているのならともかく、十把一絡げに得体の知れないものに「闇」があるとか、

安易な発言は控えたほうがいいんじゃないでしょうか。

ブリブリにキメてるな。

何なんだ、このセンスは。

ブリブリって。他に言葉の選びようがあるだろうに、よりによって

ブリブリである。

酒井法子がどっかのクラブやらでDJをやってる様子を見た、という人が

当人の様子を見て

ブリブリにキメてるな」って言ってたらしいという記事を読んだ。

清純派アイドルで売って来たものの、本来はこういう文化のほうが好きだったんだろう。

個人的には音楽にのって踊り狂うことの何が楽しいのかちっともわからないが、

それは人の好みだから関知しないし、否定するつもりもない。

薬を吸っていることを「キメている」と言うようだが、この言葉からは

70年代とか80年代空気しか感じられない。

なぜそんな言葉で表現するようになってしまったのだろう。

もうすこし洗練された言葉を選ぶわけにはいかなかったのか。

もしくはこの頃から時間が止まっているのだろうか。

その理由を追っていくと、暗くて深い闇が見えてくるのかもしれない。

いろんな意味で。

2009-07-23

佐野元春の「ザ・ソングライターズ」Vol.1 「小田和正・1」(1/3)

こんにちは佐野元春です。

毎回、音楽文学に興味がある学生達が参加します。

テーマは歌詞。つまり、音楽における言葉一体どのように産み出され多くの人に届いていくのか、学生達と探求していきます。

ぼくは、ポピュラー音楽のソングラーターこそが現代の詩人なんだと思っています。

記念すべき第一回のゲストは、シンガーソングライター小田和正さんです。

(始業のチャイムの音)

ポップソングは時代の表現である。時代を超えたポエトリー。ぼくはそう思っています。

佐野元春の「ザ・ソングライターズ」、それでは開講です。

(生徒達の拍手の音。ジングル

佐野:こんばんは。「ザ・ソングライターズ」、今日は第一回目ですけれども、一回目に相応しいゲスト今日は呼んでいます。紹介します。小田和正さんです。

学生達から拍手

小田:こんばんはあ(と言いながら登場)

佐野:こんばんは。どうですか、大学の雰囲気は?

小田:いやあ、緊張しましたね。

佐野:そうですか。

小田:はい。

小田和正の曲をバックに、プロフィール紹介)

ナレーション:…小田和正さんのソングライティングの世界に、佐野元春さんが迫ります。

佐野今日は集まってきてくれたのは大学生ですので、小田さんを紹介するのにまずここからぼくは紹介したいなと思ったのですが、神奈川県横浜市出身、東北大学工学部、その後早稲田大学理工学部建築修士課程卒業、なんですね。ということは、若かりし頃は建築勉強をなさっていた?

小田:そうですね。ぼくは建築科になる予定でしたね。

佐野:そうですか。

小田:うん。

佐野:ぼくちょっと単純に思うんだけれども、建築デザインっていうのは、音楽デザインと共通するところがあるんでしょうか?

小田:まあ何もないところから作るっていうのは、まあ一応共通しているけれど、やっぱ最終的にディテールを決めていかなくちゃいけないいっていうところ、具体的に言うと、ぼくは、音楽は、たとえばサビへむかっていくときはこう盛り上げてってサビにはいるみたいのが、そこは最後に決めばいいじゃんみたいにほっとくことが多かったんだけど、その、建築課題で、トイレ階段を必ずつくらなくっちゃいけないって。

佐野:ああ。

小田:で、階段とか面倒くさいじゃん? で、そこを最後に描いて、で二階に繋がっていく感じとか、そこがずごく「トイレ階段」に似てるなと思って(笑)それで、最終的にそういう規格に入れてやるとき(?)「ああ、後はトイレ階段だ」って自分に言い聞かせてやったりしてたけど、だんだん、もう30年もやってくるとそういう感じもなんかなくなってきたね。

佐野:うん。ぼくと小田さん関係は、だいたい小田さんがぼくの10歳くらい年上、そうすると、60年代末から70年代、そのころの時代背景はよく言われるところの団塊の世代、ですよね。そうすると、政治の季節、世代はその中でもスチューデント・パワーなんて言ってずいぶんと荒れていて授業なんかできる状態じゃなかった、と。学生達が理想を強くアピールした、まれな時期だったと思うんだけど。そう考えると、歌の、取るべきテーマがたくさんあるような時期だったと。

小田ストライキとかやってた時期だったからね。大学立法もあったり。でもそれは歌にならなかったね。

佐野:そもそもぼくたちが詩をかく、曲をかくっていうのはきっかけがあると思うんだけど、最初に曲を作る、詩をかく、作曲をなさるのは、いろいろと苦労しました?

小田;しましたねー。

佐野:ぼくも。

小田:しましたか。

佐野;はい。

小田:ぼくらは、その、オリジナルを書く、ということを、ようやくまわりがスタートしだした時期だったから、まあ拓郎さんが出てきて、なかなかこう神秘的なね…。それでね、実はぼくは早稲田に行ってるころ、そこのすぐ近くに千歳橋、っていう交差点があるでしょ、あの近くのアパート借りて、そしてそっから早稲田に通ってたんだけど。で、学生しながらそんな仕事をやってたり。で、バンドで部屋に集まってオリジナルを書こうって話になって。

佐野バンドっていうのは初期のオフコースメンバー

小田:はい。で、曲なんて書いたことないからどうかいていいかわかんない。でも作ろうって言って。でね、まだ覚えてるんだけどね、「いーつでもー♪」って、いうの、作って、「おうできたじゃん」って。で、その後なんにもできないで一日終りました(笑)

佐野:あー(笑)

小田:どうにもにっちもさっち(笑)コピーすることと作ることは全然違うじゃない? 

佐野:はい。

小田:全然違うんだよね。アマチュアのときはうまくコピーできればできただけウケる、みたいな。まあ、プロっぽくなったときに、どんなに洋楽をうまく演っても全然ウケないんだよね。

佐野:初期は、小田さんが独占的につくるというよりは、4人による共同作業?

小田:けっきょくね、同級生がひとりいたんだけど、そいつと二人で手分けして作っていくっていうのが最初のスタイルで。で、基本的には、歌いたいことないから、

佐野:そうだったんですか?

小田:全然なかったですね。で、コピーしてきた曲は、まあ、たわいのない愛の歌か、それからまあ当時の反戦フォークみたいな。で、戦う相手みたいなのがはっきり見つかる時代じゃなかったから、戦争もないし、だからなかなかメッセージソングっていうのは…。それでもまあ泉谷にしても拓郎にしても、青春ののたうちまわっている感じを歌にして。でもなかなか無理があって…。で、そのときいつも意識にあったのは同級生のことで。

佐野:あー。

小田:同級生が聞いたらどう思うだろうって。あいつ、建築やめてまで何やってるんだろう、って思われるんじゃないかってね、脅迫観念みたいのがあるから、それも書けない。じゃあ何を書いたらいんだろう、みたいな。それで…。今は聞いてくれる人がいるじゃん? その人たちに対して書くっていう、なんかその横暴性みたいなのが。当時は聞いてくれるやつなんていないわけだから。だから、同級生がどう聞くんだろうみたいなことが大きなテーマだったね。

(続く)

2009-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20090530053301

中部圏の地方都市で30万人っていうと、愛知県春日井市三重県津市とかだらぁ。

これをもとに、どんな状況か書いてみる。まず、愛知県人口は、750万人で、うち名古屋市が突出して225万人。続いて、豊田45万人、豊橋37万人、岡崎37万人、一宮36万人、春日井30万人、ってな具合だ。


愛知県春日井市(70年代からの名古屋ベッドタウン、老人多し)

駅前は、夜になるとさみしい状況。住民の普段の足は、自動車自転車くらいか。駅前もこれといって何もないし、スタバとかもない。コメダは近くにあったかな。いずれにしても、ちょっと距離がある。


三重県津市(県庁所在地)

駅前は、ちょこっと商店街ぽいのがあるが、あまり活発な感じはない。だべる場所とかもない。

..


あ、やっぱし、うまく説明できないけど、スタバとかドトールとか、マックファミレスで長時間勉強したりするのはないわ。移動はクルマになるし、自転車移動して、よそで長時間占有ってのも迷惑な話で。勉強するなら図書館やろ。地方図書館もどえりゃぁとは、いいおらんけど、すいとる。


それこそ、春日井図書館もよく通ったが、コメダで長時間占有して、勉強するとかいうのもなかったな。それ、迷惑ですから!

2009-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20090419022815

外国人参政権を認めることが即外国人スラムがそこかしこに出来ることを意味するとも思えんし。

70年代移民推進した欧州のあちこちでイスラム系のスラム街や、同郷人以外は立ち入れないようなエリアがそこかしこに生まれてるんだけどな。警官も近寄りたがらないような区画。

日本もいずれはそうなるだろう。毛沢東批判した知識人がある日突然川に浮かんでたり、コーランを批判した学者が首無し死体で見つかったり。

2009-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20090401165159

本当に、カッコイイ車に乗ることがカッコイイ、という価値観は、21世紀に入ってからどんどん崩れていったと思うよ。

「いつかはクラウン」の時代(1960年代?)→スーパーカーブーム(1975年ごろ)→バブル景気で無茶な車を作れた(1990年ごろ)、の次の手を打てなかったんだと思う。文化の継承に失敗した感じ。

いま乗りたい車がないという感覚は、70年代前半生まれの自分にはよくわかる。ファミリーカーばかり作ってるホンダに用はない、みたいなね。

自分中古車に抵抗はないから、好きな車、乗りたい車を中古で探して乗ってます。

でも次は、フィット系の無難な車にしちゃうかも。

結婚したら妻の免許オートマ限定だったからマニュアル車を手放した、オートマ車は味気ないけど仕方ない、なんて話は周囲でも聞くしね。

不景気下での生活防衛を考えたとき、出費を見直す項目の上位に車が挙がるようになった(挙げてもいいと思われるようになった)いま、自動車メーカーには個性のある車を出す余力がないんだろう。

ホンダtodayもかわいくていいと思うなあ)

2009-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20090319231515

第二次世界大戦の敗北から、国土を復興し、先進国に追いつくという目的を達成するのに、規制・許認可による制御された競争が必要であり、利権を独占したい企業・団体と、利害関係が一致していたという事である。

これは違うだろう。高度成長期のころは規制はゆるかった。そのせいで公害とかの問題はあったけど。70年代以降に業界保護目的規制が増えだして低成長になった。先進国に追いつくための役には立ってたとは言いがたい。官僚統制で成長したなんかただの都市伝説

2009-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20090211101716

流動性を高める方法の一つとして、労働力を必要とする分野がよりよい待遇を用意する、というやり方もあるんだよね。つーか、過去においてはこっちが主流だったわけで。ヘッドハンティングってのもつまりこれだよね。今よりも良い条件を用意するんで是非来てくれってこと。

60年代から70年代頃は比較的好景気が続いていたこともあって、物価もどんどん上がっていたけれど賃金ガンガン上がってたって時代。労働力が恒常的に不足していたから待遇に不満があればすぐに辞めるって事がザラだったそうだ。

今は全く逆だよね。介護にしろ農林業にしろ、金欠分野が奴隷を欲しがっているようにしか見えない。

なんつーか、派遣を切られて困ってる人にクソみてーな待遇仕事を持ってきて、選んでいられる立場か?四つんばいになって拾えよオラって言ってるようにすら思える。

2009-01-27

ディーター・ラムス展 感想

http://www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_2263/pid_2.html

・かつて、「家庭電化製品の“かたち”」が大きなメッセージを伝えられるメディアである、デザイナーにとって幸福だった時代があった。'60~'70年代中期までの話だ。

当時と現代では、そもそも生活家電だけではなく、「生活道具」と人との関係が違っている。

・この人のデザインは、我々工業デザイナーにとって喉に刺さった骨のようなもので、これこそが「正しい」デザインと教えられてきたし、自分もそう思ってきた。間違いなく現代デザインの大きな源流(原泉)の1つだ。常に脳の片隅に、これこそが正しいデザインなのであって、我々は日々、間違ったものを作っているのだという意識が、引け目がある。

・実物を観察してみた限りでは、結局、これはこれで1つの時代の主義・主張・イズム・メッセージであって、

人とモノの関係というものに「正しい」「間違った」ということは、その時代の価値観に照らして決定する、相対的なものでしかないということ。

すさまじいほどの醜い製品が氾濫していた当時と、低コスト品でもそれなりの質感を持つ現代では人とモノとの関係も全く違ったものとなっている。

・「工業デザインとしての正しさ」自体はあらゆる時代に通用するものであっても、そのプライオリティは時代によって違っており、結果、常に「工業デザインとしての正しさ」が優先されることはなくて当然、ということ。

・現代においてこのメッセージは、経済性やパワーへの希求など、現代人の価値観に優先され得ないであろう。つまり、マスとしては受け入れられないだろう。

・たとえばデザイナーに衝撃を与えたオウムの「サティアン」。あれは「目に見えるものには価値がない」「中身にこそ意味がある」とするあまりにラディカルな思想を体現していたわけだが、あそこまで極端でなくても、「実用に耐えれば外見は問わない」といった考え方は、醜い中国製の筐体を使ったデスクトップPCや、100円ショップ製品でかまわない、とする現代人に通底するものだ。

・丁寧に作られた製品は、持っているだけで幸福を与えてくれる。それはクオリティブライフ、その人の人生価値そのものである。そういった製品がほとんど量産されず、ごくニッチになってしまっている現状は、人にとって間違いなく不幸な状態である。

・しかし、実用品は「とりあえずないと困る」ものでもある。醜い製品でも用が足りれば、とりあえずその「力」は手に入る。現代の多くの人が求めるのは何よりその「力」である。

良い、悪い、以前に、そのような時代だということだ。

近代工業デザインの始祖、モリスは、あまりに醜い量産化された食器や壁紙生活家電などのコンシューマ向け製品(生活品)のありかたに憤慨し、「アーツアンドクラフト運動」で、たとえ工業的にでも「丁寧に作る」というクラフトマンシップを大切にする考え方と、工業時代の新しい美の価値観...シンプルイズムを創造する、という2つの提案を行った。

・それらの主張は、このデザインドイツの超絶的な加工精度で市場に出た時点で完成を見、その後衰退していったものと考えられる。

・この人のデザイン本質は「禁欲主義→形の単純化・ミニマリズム」と「形のバランスリズム」と「質感の高さ」である。

・今では不可能な質感の高さ・加工精度がシンプルな形状を支えている。たとえばラジオ筐体のプラスチックの肉厚は2mm以上ある。このような製品は成形時間の短縮・材料費節約などの要請で、現在では作れない。

また、ラジオ他のスピーカー穴も「切りとばし」形状になっているが、安全性や金型作成の作業性などの問題で、これも現代では作れない。

・そのために犠牲にしたものも多い。直線で構成された食器などは明らかにバランスや機能が劣り、日用品・生活品としては失格である。

・これはよく言われたことだが、本当に筐体の裏面の金型まで磨いてある製品は初めて見た。

裏面の加工をしない事が、日本製品コストが安い要因であり、ドイツ製は間違っている、という言い方がされたが・・・今見ると、それこそがドイツ製品の「ありよう」の要であることがわかる。

・たとえ壊れたとしても飾っておきたい風格のある日用品が現代のどこにあるだろうか。

現代ではドイツでさえそういった製品は作れない。一種のオーパーツのようなものになってしまっている。

SONY製品の、特に初期のデザインは、この人の直系、ぶっちゃけモロパクリである。

・参考:TV番組NHK美の壺」-「民芸

 http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20090116.html

・参考:書籍:Yanagi Design―Sori Yanagi and Yanagi Design Institute

http://www.amazon.co.jp/Yanagi-Design%E2%80%95Sori-Design-Institute/dp/4582620442/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1233064510&sr=8-1

・参考:展覧会柳宗理-生活のなかのデザイン

 http://www.momat.go.jp/Honkan/Sori_Yanagi/index.html

2009-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20090107195409

でも表面上では元に戻ってるように見えるし、現状では熱しやすく冷めやすいの域から脱していないようにも見えるんだけど。

もう少し現実に打撃を与える事を考えた方がいいんじゃないかな?

70年代じゃないんだから一つ大騒ぎして改革って時代でもないだろ

サヨクだって50年かけてのさばってきたわけだし

まったりいこうぜ

2009-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20090102151101

安心しろ。単なるマスコミのラベルだから。

ダンスミュージック + ボーカルってのは、昔小室がやっていたけど、その時は「小室サウンド」で、小西康陽がやったときには「渋谷系」だったけど、Perfumeについてはそれがなかったので、自分たちの知っている「テクノポップ」という語を割り当てただけだよ。70年代 - 80年代テクノポップと今の中田音楽は全然違うしね。Perfumeアルバムオリコンで一位になったときに「テクノポップユニットとしてはYMOに続く快挙で...」とか言い出したときは唖然としたけどね。

なんで、あれを「エレポップ」だと思う人は、普通に「エレポップ」と思えば良いと思うよ。

2008-12-30

押井守インタビュー2004年

midnighteye.comより。

雨宮ねいさんがチラ見してくれたようなので脊椎反射してしまいました。

みなさん、よいお年を!

押井守 インタビュー 2004. 9. 23

ニコラス・ルッカ(Nicolas Rucka)

様々な風景を見せるようになった日本アニメにおいて、押井守は彼独自の場所を築き上げるに至った。SFエンターテイメントという枠に捉えられる事もしばしばだが、彼の仕事はその要件を遙かに凌いでいる。押井ジャンルという括りに疑問を投げかけ、SFと現代の生活との間にまっさらリンクを構築してみせた。彼のこうした姿勢は、アニメーションという体裁の境界を拡張するアプローチスタイルと結びついている。それは「攻殻機動隊」のすばらしい続編である「イノセンス」に見てとれよう。

ルッカ: あなたの作品第二次世界大戦前後ヨーロッパの様式、とりわけ東側諸国の影響が大きいかと思います。それはどのように培われたのですか?そしてこれまでの作品で表現されてきたあなたの世界観にどのような位置を占めていますか?

押井: 若い頃からヨーロッパ映画を見て、楽しんできた。古典的で、古いスタイルの様式、雰囲気といった東ヨーロッパ的なものは静謐で美しく、そしてノスタルジックで、ひどくそそられたね。

ルッカ: もうちょっと続けますけど、あなたの映画で言及される70年代終わりから80年代にかけての欧米サイバーパンク小説映画ウイリアムギブソンの「ニューロマンサー」やリドリー・スコットの「ブレードランナー」などは日本の街並み、風景、そしてテクノロジーの影響を強く受けています。で質問なんですけど、こうした話法を引き続き採用するのか、それともより高位のゴールでこれら要素を取り入れるかって事なんですけど?

押井: 僕の作品サイバーパンクに分類される事が多いけど、個人的はそうじゃないと思う。「ブレードランナー」みたいに本当に楽しまされた映画があって、映画作りの上である程度役に立っている部分もあると思う。でも僕以外にもっと影響を受けている人ってたくさんいるんじゃないかな?人間サイボーグを題材にした映画を作るなら、「ブレードランナー」にふれないわけにはいかない。このテーマに関する先駆けだからね。こうした話法を採用するか、それともしないのかなんだけど、僕のゴールは未だかつて誰も見た事のない新しい映画を作る事だからね。それは「イノセンス」で証明できたと思ってる。

ルッカ: あなたの作品、とりわけ「アヴァロン」なんですけど、タルコフスキーを偲ばせる要素が多く見受けられる。そうした影響は?

押井: 今はそうでもないけど、昔はすごい好きだった。でも「ストーカー」や「惑星ソラリス」、「鏡」は今でも好きだね。

ルッカ: 押井さん、これは私見なんですけど、犬との交わりを人間より優先させているかと。こうした傾向は主題的化身の選択、それとも人間という形態はもはや必要ではないという人間意識のあり方のどちらと結びついています?

押井: 僕個人的には犬との結びつきを優先させる。でもそれは人によってまちまちだと思う。人間が「主体」の一部を失い出すと、己が何者かを知るために他の何かと関わらざるを得ない。それは僕のように犬だったり、猫や他の動物かもしれない。生き物である必要はない。機械、車、コンピュータ、街、自分以外だったら何でもいい。それが失われた「主体」を見つけ出すって事です。

ルッカ: 人類というあり方は時代遅れのものですか?もしくはそうなると?

押井: おっしゃりたい事に確信はもてないけど、間違いなく人類というあり方は失われつつある。動物は常に同じであったし、これから先も変わらない。でもテクノロジーの発展によって人類は常に変化するし、変化せざるを得ない。でも、変化や進化を恐れてはいけないし、それを受けいれ、共存する事を学ぶ必要があると思う。

ルッカ: 映画作りの際には何から手をつけますか?印象的なイメージ、本、音楽から着想します?まずは脚本から?

押井: 僕の頭の中には違ったアイデアがたくさんある。それをどうやって映画で生かすか、って事なんだよね。企画が来る頃にはすでに何かが頭の中にあるんだ。発想の多くは小説写真集に目を通したり、いろんなクリエイターと話す事によって生まれるけど、実際の具体的なアイデア映画の基礎といったものは作品作りの前に決まってるんだ。

ルッカ: スタッフはいつも一緒ですか?

押井: いつもって訳じゃないけど、だいたいそうだね。実写か、アニメかによるけど、中核となるグループはたいてい同じ。彼らは本当に才能があって、辛抱強いと思うし、あ、でもわがままで頑固だけどね、ぼくは十全の信頼をおいている。彼らがいなかったら、映画は絶対に作れない。

ルッカ: 制作準備にはどのくらいの時間をかけます?そこでは何を?

押井: 準備には1年。基本的には作品の行き先を定める。

ルッカ: 「イノセンス」では実際の制作、そして編集ははどれくらいかけました?

押井: 実際の制作には2年、編集が1年。全部で4年。

ルッカ: 創作について最も影響が大きかったのは?「イノセンス制作にあたって何を吹き込まれました?

押井: 我が愛するバセットハウンドガブリエルです。この映画は僕と僕の犬に関するものです。

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