はてなキーワード: ゴホゴホとは
劇場版PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE
座席m-25に座っていた男、お前だよお前。
ゴホゴホ咳して鼻水じゅるじゅるすするような体調で映画館来てんじゃねえわボケ。
馬鹿だろ。
テロリストが出る映画だからって観客までテロリストになる必要なんかねえんだわ。
上映後即上司に事情を説明して翌日の休みもらって一日引きこもり。
今日も友人と会う予定だったのをドタキャンさせてもらって引きこもり。
朝昼夕晩と熱計って、平熱にほっとして過ごす週末だったわ。
あーあ。この三年間、新型コロナウイルスどころか風邪にすらかからなかったのによ。
どうしてくれんだよ。
アホやバカは、適正な判断ができんからアホやバカと呼ばれるのであって、マスク着用を強制してあげないと「えへへ~咳出てるけどぉ~別に熱は出てないし~大丈夫っしょ~!」ってノーマスクで映画館きちゃうからさあ。
ところで体調不良の方は来館ご遠慮ください的なアナウンスが上映前にありましたけど聞こえなかったでちゅか?
そうでちゅかー。
といっても6年ほど前に。
元々身体がボロボロだった高齢の母がインフルを貰ってきて、呼吸器系の持病の影響もあり死んだ。
あの頃は、デカイ咳を連発してるような人やなんらかの診断を受けている人でもない限りマスクをしてなくても誰も咎めない社会だった。
自分も、母が死んだにも関わらず感染経路云々に関しては深く考えず「仕方ない」で終わりだった。
今のように、マスクをほぼ全員がつけ外でも手を除菌し、自分が無症状の感染症にかかっている可能性まで考慮し、それを移さないように行動することが求められる社会だったら、母は少なくともあのタイミングでは死ななかったかもしれない。
ところで
上記のような経験をした自分からするとこの社会はこの数年で「考えが変わった」ように見える。
自分はもちろんその変わった後の「考え」を支持する。
しかし同時に
この「考えが変わった」ことへ正面から向き合う議論が足りていない気がする。
「その犠牲を生まないように我々は行動しなければならない」
と皆言うが、少なくとも母が死んだときは、その犠牲への対策として
マスクを常に全員がつけることも、外でも手を除菌することも、人流やイベントを抑制することも、自分が無症状の感染症にかかっている可能性を考慮しそれを移さないように行動することも求められていなかった。
社会は明らかに考え方を変えた(もう一度言うが自分はそれを支持する)
なぜ変わったのか。
以前の社会にとって母は「気にしなくていい少数派」だった。
それは間違っていたのか。
間違っていたのならなぜかつての我々は間違えていたのか。
そうではないのならやはり母は「気にしなくていい少数派」であり、あの形あのタイミングでの死は仕方なかったのか。
そこら辺が掘り下げる議論が見たい。
我ながらめんどくさい立場のヤツだなと思うが。
なので医師の診断の上、念の為PCR検査受けたんだけど、病院のPCR検査の待合場所が通気性の悪そうな廊下の隅で3密状態で検査待ちの人待たされててかなりリスキーだなと思えた。
PCR検査の待合場所には普通にゴホゴホ咳してる人も、汗めっちゃかいてる人も、無症状っぽい人もごった煮状態で1m以内の距離感で丸椅子に座って待たされてて、
看護師さんからは「そこの丸椅子に座って並んでてくださいねー、あと1時間くらいかかりますから」と案内されたんだけど 身の危険を感じたので5 M 以上離れたところで立って待つことにした。
検査結果の方は幸い陰性だったんだけども、PCR検査待合場所の方が濃厚接触源っぽかったし、そこで感染する可能性の方が高いんではないかと思えるぐらい密状態だったので、検査に行くことににした皆さんも気をつけてください。