といっても6年ほど前に。
元々身体がボロボロだった高齢の母がインフルを貰ってきて、呼吸器系の持病の影響もあり死んだ。
あの頃は、デカイ咳を連発してるような人やなんらかの診断を受けている人でもない限りマスクをしてなくても誰も咎めない社会だった。
自分も、母が死んだにも関わらず感染経路云々に関しては深く考えず「仕方ない」で終わりだった。
今のように、マスクをほぼ全員がつけ外でも手を除菌し、自分が無症状の感染症にかかっている可能性まで考慮し、それを移さないように行動することが求められる社会だったら、母は少なくともあのタイミングでは死ななかったかもしれない。
ところで
上記のような経験をした自分からするとこの社会はこの数年で「考えが変わった」ように見える。
自分はもちろんその変わった後の「考え」を支持する。
しかし同時に
この「考えが変わった」ことへ正面から向き合う議論が足りていない気がする。
「その犠牲を生まないように我々は行動しなければならない」
と皆言うが、少なくとも母が死んだときは、その犠牲への対策として
マスクを常に全員がつけることも、外でも手を除菌することも、人流やイベントを抑制することも、自分が無症状の感染症にかかっている可能性を考慮しそれを移さないように行動することも求められていなかった。
社会は明らかに考え方を変えた(もう一度言うが自分はそれを支持する)
なぜ変わったのか。
以前の社会にとって母は「気にしなくていい少数派」だった。
それは間違っていたのか。
間違っていたのならなぜかつての我々は間違えていたのか。
そうではないのならやはり母は「気にしなくていい少数派」であり、あの形あのタイミングでの死は仕方なかったのか。
そこら辺が掘り下げる議論が見たい。
我ながらめんどくさい立場のヤツだなと思うが。