エロ漫画描いて食ってるけど、近年描けないものが増えこそすれ減ることはないって実感しかねえんだわ。
それでいて山田太郎がいなけりゃもっと悪くなってる、太郎はんはようやってる感出しとるみたいなオタクが主にエロ漫画なんかを買ってるジジイオタクに大量発生してるような感覚でイライラしか募らない。
クレカ表現規制の件も決済再開すりゃ仕事完了、コンプラでめちゃんこ自主規制強化した状態での再開でも山田太郎いい仕事してるみたいに言ってる奴を見てると粛々と描いて売り逃げ、さっさと一般デビューするしかねえんだなと気が引き締まる。
まあ単純な話なんだけど、駅まで歩いていくとかバスの時間調べるとかそういうのが億劫であんまり外出しなくなってた。
自転車もそんな遠くまでは行けない。
そもそも自営業で家から一歩もでなくても生活できるのでなんも困ってなかった。
でも家族とのいざこざもあって鬱っぽくなって紆余曲折あって結局別の意味で家を出た。
そんでちょっと不便な所なのでついでに普通車免許も取ることにした。
わりかし昔からぼんやりしてる性格なので免許なんか絶対取れないって思い込んでいたのもある。
でも一念発起して教習所に通ったら、意外にも1ヶ月半であっさり免許取れて、いまんとこ無事故無違反でいけてる。
最初のうちの恐怖感もすっかりなくなった。
今までめちゃくちゃ引きこもりだったのに、とにかく運転が楽しくて楽しくてなにかしら理由をつけて毎日のように外出してる。
今までも人生においてそれなりに思い通りにやってきたはずなのに、なぜかずっと無力感や人生における制約を感じてた。
それがただ単にそういう物理的な制約が一個なくなっただけのことなのに、こんなにも精神に影響するとは。
電車やバスの経路や時間を調べなくてもいい、そこまで行く手段がないからって諦めなくてもいい、誰かの都合を訊いて助手席や後部座席に座らせて頂かなくてもいい、自分の都合だけで自由にどこまでも。
こんなんで気が晴れるとはアホらしくもあり、自分の単純さに呆れつつも、おくればせながら翼を授かったことに無上の喜びを感じてるところ。
あぁ何もかもわからない
いまの新しい人たちの手に、新しい仕事として渡っていく世の流れ。
現在進行系でクリミアで領土紛争やってる露助が多少妥協したからって領土を簡単に渡すわけねぇだろ
という至極当たり前なツッコミは当時からされてたし、実際その通りだったけどね。
平和条約締結という手柄欲しさに暴走した安倍晋三と、安倍晋三がやることは間違わない、と屁理屈で打ち上げてでも支持をし続けた愉快な信仰者たちと、露助は信用ならんと言ってた連中、現実が見えなかったのはどっちだったか
仕事で色々使っているけど、結局自分がその分野について解像度が高くないと、AIの成果物に対しての判断ができないから、仕事じゃ使い物にならんのよね。
だから仕事は早くなるけど、出来ないことが出来るようになるわけじゃない。
これからの人はどうなんだろう。使いこなすための練習とかどうするんだろう。
8割り程度のものをAIが作って、それ以上を人の手で進めなければならない時とか、8割り程度の成果物について8割と判断出来るのだろうか。
難しいものだね。
特にどうも思いません