試しにいくつかネットの争いに両陣営から介入してみてよく分かった。
ネットで議論ごっこしてる人は藁人形に思いっきり釘を叩き込むことに快感を覚えたいだけの人しかいない。
いや、リアルも含めてだな。
自分が正しいと証明したいということですらなく、単に相手が論破されて苦しんでいる姿を見てニヤニヤしたいという黒い支配欲だけがある。
数字を並べて顔を突き合わせ、発言に責任を持って出来ないのなら、どんな綺麗事や事実を突きつけてもそこに正義が宿るなんて思っちゃ駄目だな。
そんなこと言ってたらもう三時っすよ笑、あーぁ中学生の辛いところね、これ
未知の疫病が流行するってのは容易に発生しうることで仕方がない。
それに対して、個人個人ができる限りの科学的な判断で対処していくのが大事。
デマや不十分な認識で、余計な手間や問題を広げないことが大事。
ただし自分が咳やくしゃみをしている場合。満員電車など人間が密室に多く集まる場合。
これらには予防等に有効かもしれない、という。
そう言うシチュエーションに置かれる人はマスクするべきだ。ただ、付け方はしっかりしろ。
この認識で合ってるよね?
そういう留保というか前提があって、マスクの買占め問題がある。
マスクの装着にそこまでの意味がない、と言う記事に対して「とにかく少しでも効果はあるんだから付けておけばいい」というコメントがある。
そこまで買い占めなくていいところで買占めが起こっている現状に対して、また書いてきたマスクの効果に照らし合わせて、こうしたタイプのコメントは非常に不安にさせる。
言い方悪いがこう言う人がこれからくるであろうより悪い感染状態に際して、より悪い非科学的で非合理な判断をするのではないか。勝手にそう思っている。
「このサービス・商品を同僚や知人に薦める可能性は、どれくらいありますか?」
というアンケートが出てきた。
私が見たサンプルは良い作品だとは思ったけど、AVを同僚にお薦めすることはない。
そんな人いないと思う。
何を聞き出したいのか分からない。
母は基本的にすごく不謹慎な人で、例えば東日本大震災のニュースも半笑いで見て「もっと死なんかな」などと言っていた
殺人事件は「面白いニュース」だし、感動モノの映画なんかは「お涙頂戴」 根本的に人間の営みみたいなのをバカにしてるところがあった
父はマシだったけどそういう発言に対して怒るタイプでもなく、「コラコラw」みたいなリアクションだった 幸福の黄色いハンカチを見て(DVDボックスを買ってた)涙する、みたいなところもあったんでそれなりに人情派だったのかも
とにかく親がそんな感じなんで俺もその影響をかなり受けた いまはコロナウイルスの死者数を見るのが毎朝の楽しみになっている
でもなんというか、俺は本来もうちょい素直に優しい人間だったんじゃないかと思うことがある オープンワールドゲームやってても悪人プレイがどうしてもできないし、ヒューマン映画を見てるとそれなりに泣きそうになる 人が苦しんでる個々の姿を見て心底同情することも多い
親が不謹慎じゃなかったら素直に病気とか災害のニュースに心を痛めることができていたんじゃないだろうかと思う いまだって別に痛まなくはないんだけど、「いっぱい死んで面白い」という気持ちがどうしても出てきてしまう
それに気付くと、気づいてないやつと比べて、どうなるんだ?