ストーリーを知らないという方は、検索したら出る。そんなに難しくない。
高度に進化した文明をもって、動物たちがそれぞれ共存している都市『ズートピア』。そこでノウサギのジュディが警察官に就職するんだけど、いろんな差別や偏見と闘いながら問題を解決していく、って感じ。ざっくりいうと。
さすがディズニー作品という感じで、すごくいいエンターテイメント映画でもあるんだけど、公開当初によく言われたのが、「人種差別のメタファー」とか「『ズートピア』はアメリカの比喩だ」とかだった。
たしかに、当のディズニーはそんな説教臭いメッセージを込めたとは言わないだろうけど、見ればわかる。
アメリカという社会がかかえる問題が、いろんな差異(肉食/草食、体格、生息地など)をもった動物の共存とその問題として描かれている。
しかも公開当時の2016年が、トランプが「メキシコとの国境に壁を作る」とか言ってた時期だったから、余計に刺さったわけ。
で、この間テレビ放映見てたら、もう一つ、新しく気になった点があった。
ここからは若干ネタバレになるが、劇中で肉食動物が突然凶暴化して野生化する事件が起こる。
それをジュディが上司に報告すると、水牛のいかつい警察署長がこう返す。
「おい、いまは石器時代じゃないんだぞ。我々進化した動物が、また野生化しただと?冗談はよせ」
まあうろ覚えなんだけど、こんなことを言うのね。
さっきも言った通り、『ズートピア』は主人公のジュディの姿を通して、周りの動物たちが持つステレオタイプ(そして人間がもつ偏見)をあぶり出すという構造で描かれる。
だとしたら、さっきの台詞は人間至上主義への批判なのかもしれない。
「人間はほかの生物(=野生であり、けだもの)とは違う」、さらに言えば「神から与えられた理性という特権」という信仰。
人種問題という人間同士の問題への批判だけでなく、人間そのもの(というかおもに西欧社会)がかかえてきた誤謬すらこの映画は批判しているのではないかと、そう思ったのだ。
文明化、進化、理性といったものは、不可逆で定向的だといまだに多くの人に思われている。
一度達成された工業化や民主化といった文明、サルから人間への進化、成熟した理性というのは「あるべき方向性」をもっていて逆戻りすることはない。
そしてその法則を外れた、あるいはそのレールに乗れなかったものは「野蛮」であり「けだもの」である。
そうした考え方はたしかに思想や科学の上ではすでに否定されていたことだ。
しかしそれがディズニー映画の中で意図的に行われたとしたら、これはかなわない。えげつない映画だ。
……だがそんなメッセージは物語の『主題』としては出てこない。まあ俺の勝手な思い込みである可能性は十分にある。
そうそれ!こちとら子供を産めない欠陥機械としての運命を受け入れて矮小な経済部品として生きてるのに、子供を産む責任を放棄して個人の幸福を追求しようとしてんじゃねえ。
どこにエラーを送るんだよ。
一カ月もかかって、あっというまに振られてるわけねw
男が女を共同で所有して「お前もおっぱいひとつしゃぶってみるか?」「はい、先輩ごちそうになります」と女を共有する社会でないとダメなんだよ。
草食の場合は、自分から言わずにずーーーーっと悶々としてるだけ。
言わないけど揉みたいってずっと考えてる。