1年振りに帰省した。
昨年は実家のゴタゴタ(主に母と兄の問題)があって帰省しなかったのだが、いい加減母も歳だし、いつボケるか、足腰を傷めるかわからないので、一応様子ををみるために帰省した。
多少耳は遠くなっていたし、やや歩くのが遅くなってはいるが、母は元気だった。
ところで、「何故自分は子供の頃から会話が上手くなかったのか」というのが長年の疑問だったのだが、何度か帰省して「ああ多分このせいだな」と気づいた事がある。
帰省すると、母が話しっぱなしなのだ。1時間、なんなら2時間、五秒のブレイクも挟む事がなく、切れ間なく話し続ける。
だいたい生返事でやり過ごすんだけど、そうすると母の話のペースがさらに上がり、何を話してるのか見失うので、なんとかすこし話すのをやめさせないといけないのだが、母には「会話のキャッチボール」と言う概念がないので、ターンをこっちに持ってくるポイントがない。
なので、母が何を話していようと無理矢理話しをぶった切ってこっちの話をするしかない。
その事で別に気まずくはならないのでいいんだが、「これは会話じゃないな」と思う。
これでは会話の方法など学びようがない。
母が相変わらずの母でよかったし、確認という目的は果たせたのでいいんだけど、普段、会社でまともにキャッチボールのある会話をしてる身としては、とにかくエネルギーを削られて2時間が限界なので、そうそうに母の話をぶった切ってホテルに戻る事にした。
ちなみに長年の引きこもりから脱した兄もいるんだが、自分のペースで喋り続けるのはこっちも一緒で、時々、こっちじゃなくタブレットに向かって「カスが、死ねよ」とか言ってるんだが、誰に何を言ってるのかは不明。
「〇〇した結果wwwwww」みたいなフォーマット文使う奴ってこんなところにもいるのか
肝心な「幸せになる可能性」<「苦痛を感じる可能性」と「マイナスは確実にあるが、もしかしたらプラスもある」<「確実にマイナスはない」と思ったのかの論理的説明が無い。
そのくせ
>論理的な正当性よりも、今までの常識という名の偏見で積み上げた自身の考えを否定されるのが大衆には恐怖であり、新しい価値観は感情的に封殺し自己欺瞞するのです。そうやって恐怖や不安を和らげ、違う意見の人間を敵とし、自身を正当化するのです。
親に愛されず育って、破滅的な性行為にハマって(構ってくれるなら誰でも良かった)、恋人ができてもしつこい連絡と連絡くれなかった時の強い怒りで絞め殺してしまう。
自分の思い通りにならない人間は大嫌いで何かしらしてやらないと気が済まないし死ね死ねと毎日祈ってる。
明日には好きな人のことを大嫌いになって死ぬほど罵倒してるだろう。
でもその次の日にはケロッとしてまた「わたし〇〇さんのこと大好き♡」って笑うんだよ。
呆れたキチガイだよな。
この性質が露呈した結果どんどん居場所が無くなっていって自分が泣くハメになる。
泣かされたと思ったら無性に腹が立つのでまたやり返す。今はネットが発達してるので手段は選ばない。
冷静になれば今までしてきたこと全てが悪い事だと分かるし罪悪感でいっぱいになるし、情けなくも思う。
こんな情けないわたしもう生きていけない!って思いつめて自殺行為を繰り返す。
みんなに迷惑をかける。
なんで生まれてきたんだろう。誰にも愛されるわけもない被害しか産まない醜いモンスター。
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こういうこと書いて「そんなことないよ、あなたのことを愛してる人だっているよ」って言われるのを待ってるに違いないのだから本当に情けない。プライドがないのか。
押すなよ!押すなよ! って言われると押してしまうやつ。
いやよ、いやよ、も好きのうち。
カレーの具は大きい方がいいよなー。中学の時、校外学習のカレー作りで大き目に切ったら俺以外の班員の方々が小さい派だったせいでちゃんと仕事しないテキトーなやつ認定されてしまったのが悔しかった。