そういえば、俺が大学に受かったときに、親父が今までに見せたことの無い笑顔でとびあがって喜んでたなぁ。今もその時を思い出して泣いてる。自分がした唯一の親孝行だったかもしれない。
最後の一文で救われた。
無関心ではなかったのだし、心底憎むべき対象でもないと思う。
そのくせ賞味期限が2年ちょい。
キャリアを変えるのも面倒だし、格安SIMでも機種は結局2年かそこらでアウトになる。
2年ごとに、何万円も出費しなければいけない。。。
ストロングゼロがバズる前のストロングゼロに関するツイートは哀愁ややるせなさが感じられ、真に文学たり得る何かを感じさせた。
最近のとりあえずストロングゼロって言っておけばいいみたいな風潮は、真にストロングゼロを必要とする、ストロングゼロに依存せざるを得ない人々を小馬鹿にした感じがしてとても嫌だ。
かつて2年間夫婦同然に暮らした後泣く泣く別れた男との「いつかまた一緒に暮らそうね」な約束を完全に忘れ去ってた直虎さん
うん、女って忘れるよね
しかしあくまで物語なのにそこまでリアルに描かなくても良かったんじゃないかとも
次で最終回かー
突然死んだら、SNSだの何だの調べられて見られる可能性も有るよね。
毎回はてなユーザー登録してログインして、はてな退会して...ってできねーよな。
ま、そんな心配する事もねっかー。
こんなこと考えてんのは俺だけなんだろうか。
お前がご家庭やお仕事でお使いのパソコンだって一息ついたときの安全性が
毎回ご丁寧に突破されるからニュースになってるような保障とその保障がどう違うわけ
ツリーの中で誰も「えびでんす」なんて示してないのに急に言い出すって「痛いことろをつかれた。はんろんできない」って認めてるわけだよね。
良いと思います!
特に興味もない広告に時間も通信量もかかるのが理不尽な気がして。
もちろん、広告収入によって運営されているサービスを利用しているので当たり前だということはわかってはいたのですが、個人的な感情としては気持ちのいいものではありませんでした。
しかし、広告制作会社に勤め始めてから広告の見方が変わり始めました。
WEB広告が表示されると、それを参考にしてみたり、他社はこういう風に広告を作っているのかと楽しんで見ている自分がいました。
自分がユーザーの立場から離れ制作者側の目線に近づくことで、ユーザーにとっての利便性や広告の見え方を意識しづらくなっているのではないかと思ったからです。
それは私がWEB広告が嫌いだった理由に直結しているのではないかと思います。
効率や結果だけを求められ、ユーザーにとっての利益を蔑ろにしがちな広告運用のシステムはどれだけの人を幸せにできているだろうかと、不安になります。
広告業界以外にも言えることかと思いますが、目先の利益にとらわれて相手のことを鑑みない施策はお互いを疲弊させるだけだなあと、そんなことを感じました。