なぜそんなに病的に、物事をマイナス評価で見よう見ようとしてしまうのですか?
ネットでそういう斜に構えた見方ばかり見て思考汚染されていることを心配してしまう。
だから、同じ作品をみていても、自分が枠に嵌めた見方をしているのに、それを自覚できずに作品が枠に嵌っていると批評してしまうのではない?
そういう姿勢はクリエーターや他人に対する尊敬や謙虚さが著しく欠けて、自我が肥大しているせいではないかと本当に心配になる。
作品鑑賞は、ケチをつけて「自分は賢い」「もう知っている」「だからこれは陳腐だ」という事を確認するためではなく、
作者の描くその世界観や思想に自分から近づいて、受け入れ、それを以ってまず何より「楽しむ」ためにする、前向きな行為のはずでしょう。
「予定調和」と言って倦厭するよりも、王道なスポ根展開の中に込められた、
キャラたちが互いの個性を尊重する柔らかい受け止めや距離感の取り方に、今時の「らしさ」を感じ取ったり、
主人公の巧遅拙速な思考回路が叩き潰されるのではなくむしろ周囲に愛されて引き上げられる世界観をみて、
そうやって良さを汲み取ろうという目線で観るほうが、明らかに脳内の解像度があがり、
感性のアンテナ感度もあがって、感動できることが増え、楽しめると思うのだけど。
もちろんこれも、ある意味「ポジティブな型」に嵌めた思考法で、ときには「さすがに無理がある」とか
「作者の意図を逸脱しすぎている」と思われるような状態に陥ることもあるけれど、
楽しみを見出そうとしていて、その人は楽しめているという点では、「ネガティブな型」に嵌めるよりはるかに有意義。
あるいは、「ネガティブな型」に嵌めて、声高らかに叫ぶことで、作者の耳に届けて矯正してやろう、みたいな考えが働いているのではないですか?
滅茶苦茶な事を言うのが駄目なのであって、それがポジティブかネガティブかは関係ない。
比較対象に他の物を叩かなければセーフとか、自分が実際に金を出してるならオッケーとかそういう勘違いもいい加減にしろ。
大事なのはインターネットや現実の空間に「嘘」をばら撒かないことだ。
その事を理解してくれ。
「嘘」が全て駄目な訳じゃないが、「嘘」だと相手に伝わらない「嘘」は駄目だ。
テレビや映画に出てくる「いい嘘もある」なんて話はネタに困った脚本家のほざくファンタジーに過ぎないんだ。
世の中に「嘘」をばら撒くのをいい加減やめてくれ。