他で雇ってもらえるとは思えないから、増田の会社はあえて採用したんだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/lunaticprophet.org/archives/14155
gasparl 全く知らない人だったので何だこりゃと思って調べたらこういう芸風の人なんですね。/お金あげたらご本人の為にならないと思うので敢えて振り込みません。逆境に負けずにがんばって!!明日のこない今日はない!! 2013/02/22 Add Star
何様やねん
自分の業種は情報系、即ちIT土方で、開発か構築か保守か、いずれかの業務に就くことになる。
なので、今だと新人研修でLinux/UNIXの使い方(ただし入門レベル)、超簡単なWeb-DBアプリの開発(ほとんどコピペになるけど)を学ばせる。
これらの仕事の基本は「マニュアルを読んでその通りにする」というスキルなので、当然教育もマニュアルベース。
加えて、教える相手は大卒なので、ゼミよろしく歴史的な背景やシステムの仕組みとかも説明する。
マニュアルは読めないし、説明は頭に入らない。ほっとくと寝てる。これで本当に大卒?と思ってしまう。
教育1日目から詳細な助言・指導を常に必要とし、それでも効率が非常に劣ると。
教育が終わった後もそんな感じで、配属先で指導する側が面倒を見切れず、大抵3年と経たないうちに(早いと1年目で)辞めてしまう。
一体、人事の人はどういう見識でこういう新人を採用したのだろう。
彼のどこに見どころや将来の可能性を見出したのか全く不明。
雇った人を失うのは大きな損失なので、途中で泣く泣く去るみたいな事態にはなって欲しくないんだけどなあ。
「自分自身は反社会的な行動をしてそれを受け入れろと他者に要請するのに、他者の反社会的な行動には口汚く反発するって矛盾してるだろ」
と、gingin1234やnekoraは言いそうだな。
ヤダっつーと「できるのにやらない」みたいだけど、ありむーがまともな職業に就けないのは明らかじゃん。
そもそも行動以前に、ありむーの人格自体が社会的に受け入れられないわけでさ。
で、そういう人格でも生きていていいんだ、生きさせてくださいよ、
筋は通ってるじゃん。
営業のときは避けている意識はなかったですが、お客さんを無意識に選んでいたのかもしれません。
でも社内の調整は苦手だってことがわかってきました。
営業のときは避けている意識はなかったですが、お客さんを無意識に選んでいたのかもしれません。
でも社内の調整は苦手だってことがわかってきました。
苦手な人がいてコミュニケーションがとれなくなってしまい、仕事がうまく回らなくなった。
次第に元気になったので就職活動。
営業はノルマもあり大変だったが働きがいもあり営業成績もよく全国1位になったりもした。
そんな時元会社の先輩からうちの会社に来ないかと声をかけられた。
営業マンを捜しているがなかなかいい人がいないとのこと。
一度面接を受けてほしいといわれ興味本位で面接を受けてみた。そしたら内定。
その会社でも2年間楽しく働いてきた。
でもまたうつが出てきそうだ。
原因は1度目と同じく社内の人間関係。
どんどん仕事がたまっていく。
その重圧がすごいストレスになる。
やらなければいけないのはわかっているのに体が動かない。
このままだとつぶれてしまう。
うつにはもうならない自信があったがそういうものではなかった。
神様は何度でも同じ試練を与えるらしい。
この試練を乗り越えることが自分にできるのか。
試されているとしか思えない。
もうとっくに喋ってないじゃん。
こういう、借りた金を踏み倒すの当然、マックジョブで働くのはヤダ、みたいな
明らかに社会的に受け入れられにくい行動をしながら、
「ああいう人がああいう主張をしているのなら、反対言説が正解なのだろう」とか
思われるだけだから。
脱原発という主張そのものが人々から見放され、運動が瓦解しちゃったのと同じことになる。
ちゃんと生活し、真剣に脱貧困や反差別運動をしている方々のために、
北摂きよし @kiyoshi_fujii
こういうことだ。
整った顔描く方が簡単だ。
はてサの「他人を批判攻撃してないと死んじゃう病」「自称中立死ね死ね病」。はてサの攻撃性、粘着性、独善製は異常。 2013/02/17
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/scopedog/20130216/1361004134
「はてサ」タグで130件以上のブクマは異常。
kyo_ju はてブ, ねっと☆うよく, 味わい深い
金太郎飴のような自論を繰り返すだけの”やられ役””数合わせ要員"的存在が多数を占めるはてなウヨク陣営の中で、個別idへの粘着をとおして個性を発揮しておられる人。ヲチスレ常連との兼営説も。 2012/10/05
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1751728.html
もちろん本当に撮り鉄が切ったのかどうかはわからないし、切ったヤツが外道だとしても撮り鉄すべてがそんなキチガイなわけじゃないだろう。まぁ、柄の悪い撮り鉄がそれなりな数いるのは確かだと思うし、わたし自身も目にしてイヤな気持ちになったことはあるけれど。
で、これに対して「理解できん!」というコメントとかを見かけたのだけれど(それが真っ当)、自分は個人的にちょっと理解できてしまう。それが恐ろしい。
わたしはかつて、若気の至りで訳の分からない映像を作っていた時があった。実験映像系のコンペでそれなりに評価され、海外でも上映されたことがある。その後商売にならず(当たり前)、今はカタギになっている。
自分がカメラを扱っていた時のことを思うと、ここまでしてしまう撮り鉄の狂気というのも、ちょっと分かってしまう。あの吸い込まれるような高揚感というのは、他に代えがたいものだ。
だからこそ言うけれど、その快楽と狂気から身を引き離さないといけない。あれは本当に恐ろしいものだ。
別に写真を撮るなというんじゃない。わたし自身も、現在でもスチール(普通の写真)は撮る。ただ、思うように撮れようが撮れまいが、全部神様の思し召し、運次第だと思うことにしている。だからダメでも速攻諦める。
写真なんてその程度なんだよ。それくらいで気持ちを切り替えられないと、自分も周りも不幸にするんよ。
切り替えられない心理、その高揚感というのがよく分かるだけに、本当に「目を覚ませ!」と言いたくなる。
元麻薬中毒患者が現患者に語りかけたい気持ちだ。まぁ大きなお世話だろうけれど。
その執念の果てにすごい作品が撮れたりすることは否定しないけれど、そんなもん、一歩離れて眺めればただの写真で、その一葉があろうがなかろうが世の中には何の影響もないし、自分以外誰も興味なんかない。
なんでもオタク的というか、極限に集中することで得られるものというのは確かにあるけれど、肩の力を抜いて楽しむやり方だってあるし、別にそれが劣っている訳でもない。むしろそういうやり方のほうが、世の中と調和して、自分も周りも幸せになれる。
執念なんて、所詮自己愛なんだよ。別にそんなもんあろうがなかろうが、誰も困らないんよ。そんでもって、その執念がなかったところで、その人に対する評価が上がりも下がりもしないんよ。所詮、ちっぽけな人間なんやから。
ほそぼそ生きるのって良いもんだよ。
なんだ、結局「やりたい事」ってのは満たされなさからの逃避に過ぎなかったのか…。
他で満たされれば割とどうでもよくなっちゃう程度のもんだったんだな。