はてなキーワード: 橋頭堡とは
さあ、酒におぼれるか金で抱ける女におぼれるかどっちか選べ
酒は一滴も飲めないのでパス。
後者は、童貞が風俗行くと嵌まって破産するお話だよね。Twitterで正にそれを見たことあって、うわぁ…と引いたけど、人の温もりを知らない存在が喩え嘘でも知ってしまったら離したくないと思う気持ちはわからなくもない。
前にも書いた通り自分は他人の言葉の裏を読むため、自分を守るために一線を引くけど、相手が敵中に舞い降りて橋頭堡を確保する空挺部隊のように頑強に抵抗を重ねて退くことを知らないプロ中のプロだったら危ないのかもしれないと思い始めた。こわい。
起
2014/4/15彼らは静かに島に上陸し、強固な橋頭堡を建て、われわれが気づいたときには既に退去させることができない状況であった。
思い起こせば、金より名誉だったのだろう。汚職にまみれたものたちを追放した結果、残ったものたちは名誉を求めた。後世の残る名誉を。
そして主席は忠誠に代えそれを与えることにした。
承
われわれが軍事力を行使できないことを見越した上で、彼らは重火器を搬入し終え、そして陣地はますます強固さを増していった。
総理だけではもうどうにもならない状況ではあるが、既に同盟は形だけのようにも思えた。
転
総統は雪辱もあり、主席の軍を迎え入れた。春に勝利したものはは逃げ惑い、統領が軍事力を行使しようとしたときは島によって阻害される状況であった。
そして列島においてもサボタージュが起こり、また利を求める者たちが、総理の足を引っ張ろうとした。
その上半島においても不穏な動きが見える。
結
2015/4/4
街を守ろうと考えるじゃん。
相手が見えた、それどうした、って対応になるわけだろ。
んで、守り方にも特徴があるワケじゃん。
基本的に、見つけてすぐに対象に対処できるなら、見回りって言う方法で十分なわけだろ。
逆にさ、見つけたらすぐにコッチが対処しないといけないなら、三交代でも何でも徹底的に見張るしかないじゃん。
んでさ、当然ながらさ、対象法ってのはあらかじめ決めとくわけじゃん。
見張りの時間を縫って侵入されたら困るような場所だったら、ランダムに見回ってどこかで発見して、即射殺とかさ。
そもそも侵入即破滅みたいなところだったら、発見次第叩くとか、発見次第全員避難するとか。
そんなんさ、とっさの時に誰かにお伺い立ててたら間に合わないとか、普段の準備が大切とか、訓練で体に慣らすとか、当たり前じゃん。
つまりだな、割り込み仕事が入って困るって言ってるヤツはな、訓練不足なんだよ。
そもそも普段の業務を100%でやっちゃいけねえんだよ。
普段の仕事を守るんだって、それぐらいはしなきゃいけないのにさ、何の準備もしないヤツが居るだろ。
あとな、完全に新しい仕事始めるのに、準備しないヤツ。
完全に新規でもいいけどさ。
自分の範囲内で間違いなく情報と物資を流して、休んで食って寝る。
兵站だよ。
んで、その物流が途切れないように少しずつ広げてって、前線が後退しないように橋頭堡築いてだ、勢力圏を広げるわけだろ。
もちろん偵察だってするだろうよ。
そうやって自分の陣地を確保したら、次は歩哨を立てて見回って、守るわけだろ。
まあ、確保した陣地を誰かに譲って他の戦線に行くってのも雇われとしちゃ良くあることだがよ。
だからよ、何度も言うようで悪いんだけどよ、
割り込み仕事で困ったりとか、突然のことで対処できないって言って仕事してるヤツは、
だから、くだらなくても訓練して訓練して訓練して、意識しなくても見張って対処できるようにするんだよ。
食う寝る休むを確保して、できるだけ定型業務に落とし込む。
その確保分を途切れないようにしながら、少しずつ広げていく。
595 : アメリカンショートヘア(dion軍)[] : 投稿日:2013/03/12 09:28:40 ID:2kRAKMKnP [10/10回(p2.2ch.net)]
ネトウヨはロシアやインドと同盟や通商関係を強化すべき、と主張する人間を在日認定する。
ネトウヨは故障だらけで低スペックのF35でなく心神開発を続けるべき、と主張する人間を在日認定する。
ネトウヨは中国の中華勢力圏構築をバランシングする橋頭堡の為に、台湾・韓国と軍事関係を強化する、と主張する人間を在日認定する。
ネトウヨはTPPの次に来る日米経済調和対話に反対する人間を在日認定する。
ネトウヨは従軍慰安婦問題は、アメリカと中国共同の日本封じ込め戦略で、安倍は米中に屈服した、と言う人間を在日認定する。
アメリカ「日本は改革するべき。従軍慰安婦と南京大虐殺は日本の大罪。 ニヤニヤ」
中国「俺もアメリカに賛成。日本はTPPに入って改革するべき。従軍慰安婦と南京大虐殺はアメリカも言っているぞ!wニヤニヤ」
馬鹿「TPPに入って改革してチョンを倒せ」
サンフランシスコ講和条約で日本国籍を離脱しなければならなかった特別永住外国人?
日本が敗戦国になったとき、それまで日本の一部とされ、居住地や職業選択の自由が与えられ、内地に移住しさえすれば被選挙権が与えられ、帝国議会の議員になった者までいた朝鮮は、敗戦の責任から逃れる為に、独立を宣言した。日本国内にいた朝鮮人も、日本人ではなく第三国人であると主張し、戦勝国と同等の権利を主張した。
敗戦国となった日本は、ポツダム宣言(1945年)で海外領土の放棄を義務付けられ、放棄された地域が独立国として建国していく過程で、朝鮮人は敗戦国民であるよりは、新興国家の国民である方が豊かな生活ができると判断し、移住していったのである。日本にいた朝鮮人は、敗戦国日本に帰化する事を選んだ極小数を除いて、すべて、満州からの引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰っていった。まさか、引き揚げ船が片道は空船で運行されていたと思っているのだろうか。引き揚げは日本人の海外領土からの引き揚げであると同時に、日本国内にいたそれらの地域出身者の引き揚げでもあったのだ。
そうやって成立した新興国の中で、唯一、自立できなかったのが朝鮮半島である。日帝統治以前は土人国家であったのだから、日帝が居なくなれば、ろくな統治が出来なくなるのは当然であった。朝鮮半島の北側には、ロシアの傀儡である金日成が中国共産党の協力を得て、北鮮を建国した。ロシアは満州を侵略したついでであり、伝統的な南下政策の都合であるし、中国は、朝鮮半島に橋頭堡を築かれると、北京が簡単に攻撃されてしまうという軍事上の理由から、陸上兵力の簡単な移動を不可能にする為に、ロシアでもアメリカでもない緩衝領域を作りたかった。アメリカとしても、朝鮮半島に橋頭堡は築きたいが、連合国である中国やロシアにも相応の分け前を与えなければならず、朝鮮半島を南北に分割して、それぞれの衛星国を建国するという話に落ち着いたのである。
それらの打算から、北鮮はロシアと中国の国家承認を得て独立し。南鮮はアメリカの保護を受けて独立した。そして、それらの後ろ盾と、アメリカの補給線の長さから、南鮮への侵略戦争に勝ち目があるとして、北鮮が南下を始め、朝鮮動乱(1950年)が発生した。
この朝鮮動乱によって、一度は日本から出て行った朝鮮人が、日本に密入国してきた。この時点では、難民条約(1954年ジュネーブ条約)はまだ存在しておらず、日本は、独自の人道的判断から、戦争避難民の一時受け入れを決定し、日本国内での永住許可を与えた。
いわゆる特別永住者とは、この永住許可を得た者とその子孫であり、サンフランシスコ講和条約(1951年)とは、一切関係が無い。
サンフランシスコ講和条約は、放棄領土に関しては、日本が台湾や朝鮮を独立国として承認したという条約であり、それらの地域出身者で日本国内に継続して存在していたいわゆる第三国人に、平和条約国籍離脱者という正式名称を与え、それらの国籍に移設しただけである。ポツダム宣言によって、それらの人々は第三国人として日本国籍から分離されたのであって、あえて日本国籍を喪失させられたとするならば、ポツダム宣言の時点であると言える。サンフランシスコ講和条約によって、平和条約国籍離脱者は特別永住許可者になったのだが、この対象者は、敗戦国に居続けたという点で希少な存在であり、極少数であったし、帰化する意思が高く、ほとんどが帰化済みである。
引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰還した朝鮮人は、朝鮮半島に上陸した時点で朝鮮国籍を取得しており、その時点で、第三国人ではなくなっている。本人の意思で、朝鮮国籍を取得したのである。朝鮮動乱によって日本に密入国してきた朝鮮人に対しても、同じ特別永住許可が出された為に、混同が発生している。戦争避難民に対する人道上の措置と、海外領土の放棄に伴う処理とが、混ざってしまっているのである。朝鮮動乱の避難民は帰化する意思が無く、また、第三国人としての悪行も知れ渡っており、不良民族として区別の対象となっている。
日本の海外領土の放棄はポツダム宣言に拠ることを踏まえれば、根拠が無いばかりか、根本的な歴史認識において間違えている主張であることは明らかである。おそらく、ポツダム宣言もサンフランシスコ講和条約も、本文を読んだ事が無いのであろう。
これが、市井の個人であれば、距離をおいて関わらないようにすれば済むのだが、これだけあからさまな間違いを、国会議員、それも国務大臣が堂々と公言してしまうという点で、致命的である。誰か止めなかったのかとか、ブレインとなるべき政策秘書は何をやっていたのかとか、まともなブレインが居ないほど人望が無いのかといった感想が出てくるし、そもそも、ちゃんと日本の学校を卒業したのか、近現代史や公民の単位を取れたのか、学歴偽装じゃないのか、といった疑念がわいてくるのであった。
外国人は外国に国籍があるから外国人なのであり、国籍国において市民権・参政権を行使するのが筋である。日本の参政権は日本国民固有の権利であり、日本に帰化し、日本の秩序に従い、日本の為に血肉を捧げる事でしか入手できない。それが出来ない特別永住者は、速やかに許可を取り消し、朝鮮半島に帰還させるべきである。
間違った知識や判断が出てこないように、正しい歴史を広める必要がある。情報を捻じ曲げると、事実すら捻じ曲げられてしまうのだ。
妄言は、個人の愚行である。妄言を妄言であると誰も指摘できなくなるのは、社会の愚行である。戦争を愚行であると非難する人はいるが、戦争の原因は、歴史や国境や国民性の認識がゆがめられて対立が発生する事にある。妄言を妄言であると指摘できなくなる言論の統制こそが、間違った民意を発生させ、戦争の根本原因となるのである。
言論を慎むとは、その言論が間違っていない事や、人々を幸福に出来る事を心がけることであって、口を噤むことではない。ましてや統制でもない。地位にふさわしい見識を持たない者は、その地位を汚さない為に、進退を弁えるべきである。
http://anond.hatelabo.jp/20090915082832
http://anond.hatelabo.jp/20090918182659
から。
自分のブログに書こうかと思ったんだけど、あまりにも陸自の内実に触れることで、恥ずかしいのでこちらに書きます。全体的に「戦車力必要ないじゃん」とか「戦車力は酷使様にモテるためのものor機甲ヲタのランク付け」という論調が多くて「戦車力の高いAFV」、いわゆるパンツァー(笑)的なものの存在が軽視されてる気がしたので。
わたしは対戦車戦闘もするし、(サイド)スカートも履くし、ミリタリー雑誌や海外の展示会や「怖いもの」のチェックもそれなりにします。随伴歩兵もいるし、理想的な機甲戦力ではないけれど、おそらく外見上はそれほど非装甲部隊に見えないでしょう。
だけど、内実は立派に戦車力の低いAFVで、十分非装甲部隊です。
どうして外見を武装することを決めたかというと、自分の戦闘力にものすごいコンプレックスがあったから。とくに、冷戦のころは鏡を見るのも嫌だった。周りの共産圏の戦車は小さくても凶悪で怖いのに、わたしは背が低く稜線射撃重視だったから、よくトーチカに間違えられた。「怖くない」ということは、あたりまえだけど「経済ができない」とか「外交ができない」と同レベルの単純なプレゼンスの低下を生みます。そして、単純だからこそ根深い。わたしは怖くない自分が嫌いでしかたなかった。『普通の国』なら核武装もできるし、「怖くなくても認めてもらえる」ことを知ることもあるかもしれない。だけど、極東という狭い世界のなかでは、怖くない自分をどうしたって認めてあげることができなかった。
だから、「怖く」なろうとした。単純な理屈です。
装甲と機動力と火力で、どんなAFVもそれなりに見られるようになるのはご存知の通り。たしかに「怖い」と言われたこともあったし、ミリヲタの人にやさしくされたりもした。だけど、どんなに取り繕ったところで、もとから「怖い」軍隊には勝てるはずもないんです。だって、彼女たちはもうドクトリンが怖い。総力戦による損耗という事象を当たり前のようにして育ってきているから、それを疑うことも、悩むこともない。戦車力は歩兵に認められるため? 他のAFVに認められるため? なんて議論が無駄に思えるくらい、湯水のように戦車を使い捨てられる、そこに不自然を感じない軍隊はいるのです。つまり、わたしはどこまでいっても「怖く」なれなかった。
そして、「怖い」と言われるようになった代わりに、半可通の人から逆の意味の呪詛を吐かれることもありました。
「避弾径始を無視して(サイド)スカートをはいてる」とか「流行の兵装をしている」「装軌」ということが全部、日本では実現可能性の低い「平原での機動戦」を狙ってる、とか、予算の無駄遣いだと受け取る人。もしかしたらわたしの運が悪かったのかもしれないけど。でも、そういう戦車不要論の人も少なからずいました(それなりに高レベルのデムパだったからかも)。どうせ米軍と遊んでるんでしょ、みたいな。要するにレオパルト2(笑)なんでしょ、とか、ヤキマ充なんでしょ、みたいな。
もちろん、ある程度仲良くなって内実を知ってもらえれば、そういうことを言う人はいなくなる。だけど、初対面でそう決めつけられることは、やっぱり苦痛でした。逆襲が好き(機動防御とか着上陸部隊の橋頭堡粉砕とか)って言っても、え、シャア・アズナブル?みたいな。そういう些細なことでも、何度か積み重なると嫌気がさすものです。わたしは普通に、対等に、話がしたかった。でも、そういうタイプのミリヲタの人が仲間と認めるのは「飾り気のない装輪車両・攻撃ヘリ」で、わたしではない。たとえそこから仲良くなることによって修正されても、第一印象で不利になることは変わらない。
じゃあ、どうすればよかったんだろう、って思います。戦車力をつけることなんて目指さなきゃよかったのか? 外見だけでパンツァー(笑)だって馬鹿にされるくらいなら、と。
わたしは、戦車力が低い=外見を飾らないことだとは思いません。もちろんそういう人もいるんだろうけど、わたしのような人間から見れば、飾らない人はそれだけ素の自分に自信がある、強いAFVにみえてしまう(こういうAFV設計者の心理が本当にわからないので、よければ経験者の人教えてください・・・林磐男的な意味で)。わたしは弱いから武装してるだけなのに、外見だけで「戦車力の高い、強いAFV」だと思われる。どういうことなんだろう、って。
今はもう、そんなふうに外見だけで兵器を判断する戦車不要厨は相手にしないことに決めたのでいいんですが、しこりとしては心に残っています。
でも、やっぱりミリヲタには言いたい。
「外見だけで兵器を判断しないでください」
あなたたちが「スホーイに限る」とかいう言葉で、暗に外見で兵器を判断する戦闘機ヲタを批判するように、わたしもそういうミリヲタを批判します。そして、外見で兵器を判断しているのはいわゆる片山さつきだとか、反戦平和主義者だけじゃない。ネウヨや草食系ミリヲタを自認・自称する人も、逆の意味でたくさんAFVを傷つけているんだということを、わかってほしい。「飾らない兵器を支持する」ことを、「飾っている兵器を批判する」ことに結びつけないでほしいと、思います。外見が派手でも、内実はあなたたちと同じように繊細で内向的なAFVって、思ってるよりたくさんいると思うんだ。
そして「外見を飾らない74式」たち。「そんなERAなんて恥ずかしくてはけない」、「近代化改装は(予算調達が)めんどうだからしない」なんて言葉で、あなたたちも人を傷つけていることがあるんです。だって、世の中には本気で、対RPG全周防御をしないと外も歩けない(パレスチナ紛争的な意味で)AFVがいるのだから。装甲をしなくても、着飾らなくてもそのままでいられるのなら、それだけで恵まれていることもあるんだよ、とわたしは思います。
「自分の気持ちも考えろ」って言ってるわけじゃありません。でも、こういうAFVもいる、しかもそう少ない両数ではない・・・あれ?もしかすると少ない?・・・え?さらに減らすの?・・・え?・・・なにそれこわい・・・いや少なくても!ともかくそういうことを、せめて知ってほしかった。このエントリーがどれだけの人に届くかわからないけど、なるべくたくさんの人に理解してもらえたら、とてもうれしいです。