2015-07-03

思いつきだけど、中国韓国日本の歴史認識の相違、その背景にある

中国日本朝鮮日本関係において、中には明らかな捏造も混じった「歴史認識の相違」が見られることについて。

 ふと思ったのだけれど、これは、孟子の「易姓革命」の発明以来、延々繰り返されてきた「歴史書役割」ではないかと思ったり。中国韓国は表面のイデオロギーこそ変化したものの、内実の心性としてはいまだに儒教を引きずっており、それがために戦前日本の暴虐性を半ば自分たちでも一部がフィクションというところまで誇張していると頭で分かっていつつも、それを主張してやまないのでは。そして日本は早めに儒教から脱しているので、一体何を言っているのかピンと来ないだけではないか。

 つまり易姓革命において、現主権正当性担保するには、前主権最後の人が、暴虐の限りを尽くし、酒池肉林におぼれた天から見放された大逆者でないといけないということで、現代中国韓国においては、それがたまたま日本国だったと。

 ・商(殷)の最後紂王 → 妲己(だっき)におぼれ酒池肉林に遊び商を滅ぼした王

 ・西周最後の幽王 → 褒似(ほうじ)におぼれ彼女を笑わせたいために狼煙をあげまくり本当に攻められたときに誰も集まらなかったため国を滅ぼされた王

 ・隋の最後煬帝 → 酒色にふける暴君

 ・秦の始皇帝 → 暴君

 ・日本雄略天皇武烈天皇) → 妊婦の腹を割いて赤子を取り出したり、とにかく無茶をする大悪天皇

 以上はその次の王朝歴史書編纂時に、悪鬼羅刹のごとく描かれている例だが、実際の治世は割とちゃんとしていたことも多く、それらは無視される。前の王朝の治世家としての正当性を描いてしまうと現王朝の都合が悪いということで。(韓国大統領が替わるたびにまだこれをやってる。)

 古代より延々と繰り返すこの「易姓革命」の概念がいまだに通用しているということではないだろうか。

 では日本との歴史認識の相違論争がいつ終わるのか。中国の現主権者中国共産党人民解放軍)が退場し、次の主権者から主権者が悪鬼羅刹のごとく言われ始めたときかな。

  • 増田は禅譲という概念を知らないのかな?

    • 増田だけど、 禅譲の例は尭→舜、舜→禹です。夏→殷、殷→周は放伐。 さきの大戦での交代は、放伐とみなされているということでは?

    • 増田だけど、知ってますがな。 禅譲の例は尭→舜、舜→禹。夏→殷、殷→周は放伐。 さきの大戦での交代は、放伐とみなされているということでは?

      • 中国史における易姓革命の大半は名目上では禅譲なので 易姓革命において、現主権の正当性を担保するには、前主権の最後の人が、暴虐の限りを尽くし、酒池肉林におぼれた天から見...

        • 増田です。なるほど。では正確を期すなら 「易姓革命において、「放伐」となったケースにおいては、現主権の正当性を担保するには、前主権の最後の人が、暴虐の限りを尽くし、酒池...

      • 建前論では日中韓の関係は実に友好的であり平和であって問題は民間レベルでの反日感情にある。 そこに易姓革命が絡んでいるかは疑問だ。

  • 増田本人だけど、 とはいえ、対露恐怖症にかかっていた日本が、その橋頭堡を満州と朝鮮半島に構築すべく、まあ傀儡国家を作ったり、近代化と称しつつ防衛拠点としてきたことも事実...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん