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2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

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翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ



村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。



靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。



私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」



シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」



終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。



1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)



1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)



近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」



オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。



オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」



はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。



バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。



「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」



その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。



アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」



地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である



「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」



執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。



この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。



そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。



走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。



数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。



蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

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2012-01-14

僕達が今後いきる世界は、今あるものを十分に楽しんで生きれば良い。

将来が暗いニュースや、若者が辛い時代になると言う世論も多いけど、良く考えたら悪い時代では無いんじゃないかと考えた。日本バブル時代や、バブル中の国と比較すれば、もちろん見劣るし夢も萎む。



日本はすでに人口オーナス人口も減り、老人が増え働き手が減る)であり、成熟国に入っている。

人口ボーナスがあり、発展が途上の国と幸せのあり方を、一緒に考えてはいけないのでは。

ガンガン物を手に入れて幸せになる時代ではなく、持っている物を楽しむ時代であると感じる。

もちろんバンバン働いて、金や物も手に入れて幸せになることも正しい。

ただそれを、バブル期発展途上国のように、絶対的な物差しとしてはいけないと考えた。



2010年日本人普通(8割ぐらいの人は)に持っている物は、



・豪邸ではないが、安心して寝起きでる暖かくて涼しい

・贅沢はできないが、安心で好きな食べ物やおいしい食べ物を入手できる環境

ガードマンはいないけど、安心して外出でき夜中でも襲われることのない日常

100%保証ではないけど、安心して通院できる医療制度や腕利きの病院

・楽ではないけど、アルバイトでも月15万ぐらいは稼げる環境

費用負担はあるけど、十分使えるパソコンに、自由なインターネット環境

・住んでいる地区にもよるけど、お金をかけなくても楽しめる観光旅行や遊ぶところ

・他にも、漫画アニメ映画SNS2chはてなAmazon を嗜む環境etcetc



は大体の人が持っていて、無駄遣いしなければ月10万あれば、この暮らしができる

幸せ環境ではないかと考えた。

(例:家賃5万、デリカ250円×3=750×30=22500、ネット3000円、その他10000円、貯金10000円。かつかつで)



10万なら、資格能力が何も無くても、特殊な問題を抱えていなければ、ある程度

年齢が越えていても、コンビニ等の働き先は、いくらでもあるんじゃないかと。

さらに8割以上の人は、18万以上稼いでいますよね。



何も無い人が、簡単に月10万稼げる国は、世界でも少ないはずで、

それなら僕らはずいぶん幸せ時代で、幸せな国にいる。



いやいや、今の時代はつらいよ。原発老人介護医療年金etcと、これから大変だよ。

と思い、過去日本を見ると、まず1900年代の場合



1905年 日露戦争

国民増税物価高騰に苦しむ

1914年 第一次世界大戦

国民増税物価高騰に苦しむ

1918年 スペイン風邪流行

患者150万人のうち15万人が死亡。

1923年 関東大震災

190万人が被災10万5千人死亡。

1929年 世界恐慌

不景気国民苦しむ

1934年 東北地方大凶

世界恐慌に加え、冷害・凶作、昭和三陸地震津波が続き、身売り、欠食児童、行き倒れ、自殺などが激増して悲惨な状態

1937年 日中戦争

国民増税物価高騰に苦しむ

1938年 国民総動員法公布

生活はどんどん制限

1939年 第2次世界大戦勃発

生活はどんどん制限

1942年 ミッドウェー海戦大敗北

3500人死亡

1945年 原子爆弾投下

約30万人が死亡

1945年 第二次世界大戦終結

日本は300万人が死亡



見るだけでめっちゃくちゃ、大変な時代だった。

今は戦争日本ではないし、食べ物はあるし、病院もあるし、すごい良い時代だ。



1950年から戦後復興で、他国の戦争需要もあり、

人口ボーナスがあり、発展が途上の国の幸せのあり方だったと思う。

これは悪くない時代だったはず。



で僕らは、獲得する幸せは感じないけど、1950年代の人が、全力で手に入れた物を

普通に持っているので、こりゃ幸せだ。



僕達が今後いきる世界は、今あるものを十分に楽しんで生きれば良い。

つか、ネットがあると、それだけ十分楽しめるよねって話でした。

2012-01-03

訳してみた。

http://www.youtube.com/watch?v=Xxh-sS8Qoco&feature=player_embedded

1911年12月14日 ロアール・アムンセン、南極点に到着。

1912年4月14日 タイタニック号沈没

1913年 フォード、流れ作業方式を導入

1914年6月28日 サラエボ暗殺事件から第一次世界大戦勃発

1915年4月22日~1915年5月25日 初めて毒ガス使用

1916年2月16日1916年12月20日 ベルダンの戦い

1917年11月7日 ロシアで10月革命

1918年11月11日 第一次世界大戦終結

1918年11月9日 ヴァイマル共和制の樹立を宣言

1919年1月5日~10日 スペイン風邪の流行が頂点

1920年12月16日 寧夏、海原地震

1921年11月9日 アルベルト・アインシュタイン ノーベル物理学賞受賞

1922年10月27日~31日 ベニート・ムッソリーニローマ進軍

1923年 ドイツでハイパーインフレ

1924年1月21日 レーニン死去

1925年1月~2月 ノーム犬ぞりバルト)疾走

1926年 アル・カポネが権力の頂点に

1927年3月20~21日 チャールズ・リンドバーグがパリへ向け飛行

1928年11月18日 蒸気船ウィリー初演(ミッキーマウス初登場)

1929年10月29日 1929年のウォール街大暴落「暗黒の木曜日

1930年3月12日 ガンジー、「塩の行進」

1930年6月30日 第一回サッカーワールドカップウルグアイにて)

1931年5月1日 エンパイアーステートビル開業

1932年 ワイマール共和国崩壊

1933年1月30日 ヒトラー内閣発足

1934年10月27日 毛沢東の長征

1935年9月15日 ニュルンベルグ法制定

1936年6月~1936年4月 スペイン内戦

1937年5月6日 ヒンデンブルク号爆発事故

1938年3月12日 オーストリア併合

1939年9月1日 第二次世界大戦勃発

1940年6月14日 パリ占領

1940年 ヒトラー権力の頂点へ

1941年6月22日 ドイツ、ソ連へ侵攻

1941年12月7日 真珠湾攻撃

1942年9月13日1943年2月2日 スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦い

1943年2月13日 「全面戦争するか?」演説

1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦オペレーションオーバーロード)決行

1945年5月8日 第二次大戦ヨーロッパでの戦い終結

1945年8月6日 広島に原爆投下 同9日 長崎に原爆投下

1945年11月20日~1946年10月1日 ニュルンベルク裁判

1947年8月15日 インド独立

1948年6月24日~1949年5月12日 ベルリン封鎖

1949年10月1日 毛沢東、中華人民共和国の樹立宣言

1950年6月25日1953年7月27日 朝鮮戦争

1951年 朝鮮の人口?

1952年10月31日 初めて水素爆弾が炸裂

1953年6月17日 東ベルリン暴動

1954年6月4日 西ドイツワールドカップ西ドイツが優勝「ベルンの奇跡」

1955年5月14日 ワルシャワ条約制定

1956年10月29日1957年3月 スエズ危機(第二次中東戦争

1957年10月4日 スプートニク・ショック

1958年10月19日 中国で大飢饉の始まり

1959年1月1日 キューバ革命の勝利

1960年 モハメド・アリ ローマ金メダル

1961年8月13日 ベルリンの壁構築

1961年10月27日 チェックポイントチャーリーでの対峙(ベルリン危機)

1962年10月14日~28日 キューバ危機

1963年6月26日 「私はベルリン市民である」演説

1963年11月22日 J・F・ケネディ暗殺

1964年8月2~4日 ベトナムアメリカ爆撃される(トンキン湾事件)

1965年 ベトナム戦争拡大 地上戦力投入

1967年6月5日~10日 六日戦争(第三次中東戦争

1968年1月30日9月23日 テト攻勢

1969年7月20日 初めて月に着陸

1970年4月 カンボジア侵攻

1970年4月29日 ワルシャワ礼拝?

1971年10月14日 グリーンピース設立

1972年9月5日 ミュンヘンオリンピック事件

1973年10月6日~26日 ヨム・キプル戦争(第四次中東戦争

1974年8月8日 ウォーターゲート事件

1975年4月30日 ベトナム戦争終結

1975年4月17日 クメール・ルージュ プノンペン制圧

1976年6月16日 ソヴェト蜂起

1977年3月27日 テネリフェの惨事(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故

1978年10月16日 法王パウロ二世 パウロ一世を嗣ぐ

1979年9月8日 「暗黒の金曜日」 イスラム革命頂点

1980年5月18日 セント・ヘレンズ山噴火

1981年3月30日 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件勃発

1982年4月2日6月20日 フォークランド紛争

1983年4月18日 アメリカ大使館爆破事件(ベイルート

1984年12月3日 ボパール化学工場事故(インド

1985年3月11日 ミハエルゴルバチョフ氏、ソビエト共産党書記長に就任

1986年1月28日 チャレンジャー事故

1986年4月26日 チェルノブイリ事故

1987年6月12日 「この壁を壊せ!」演説

1988年12月21日 ロッカビー事件(パンナム機爆破事件)

1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊

1990年10月3日 東西ドイツ統一

1990年8月2日1991年5月5日 「砂漠の嵐」作戦(第1次湾岸戦争

1992年4月1日~1995年12月14日 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

1993年10月3~4日 モガディシュの戦闘

1994年4月6日7月15日 ルワンダ虐殺

1995年4月19日 オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件

1996年1月21日 フランス、最後の核実験

1997年7月4日 マーズ・ローバー(火星探査車) 火星に着陸

1998年8月 モニカ・ルインスキー 不倫スキャンダル

1999年5月3日~6日 オクラホマ州で竜巻被害

2000年1月1日 ミレニアム

2001年9月11日 911攻撃(アメリカ同時多発テロ事件

2002年1月1日 ヨーロッパユーロ発行

2003年3月20日 イラク戦争勃発

2004年12月26日 インド洋大地震と津波

2005年8月29日 ハリケーンカトリーナ ニューオリンズを破壊

2006年6月12日8月14日 レバノン侵攻

2007年6月 ヨーロッパ熱波

2008年10月 金融危機

2009年1月20日 バラク・オバマ大統領就任

2010年1月12日 ハイチ大地震

2010年4月20日 メキシコ湾原油流出事故 ディープウォーター・ホライズン炎上沈没事故

2011年 アラブの春

2011年3月11日 東日本大震災と津波

2011年3月 福島第一原発事故

2012 ?

10分どころか、6時間くらいかかったorz

それに、作ったの多分アメリカ人だから、日本にとっての重大事件(オウムとか)は入ってないんだよね。ハイチ地震があるのに、阪神・淡路大震災がないのも明らかに片手落ちでしょう。

(調べてみたら、どちらもM7クラス

2011-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20110816181402

むしろ余罪の方が問題だな。ストーカーとか精神的に追い詰めるとか。

侵略戦争なんて間違いでも何でもない。ただ1945年以前はそれが常識だっただけ。

2011-07-25

ノルウェーテロ刑事罰

例のテロ犯についてノルウェーの人ってどう思ってんだろうね?

ノルウェーって死刑制度が無くて、最高刑で禁固21年。

どんな凶悪な事件を起こしても、21年間刑務所に入っていればいいのだ。

死刑人権上良くないと納得しているんだろうか?

そうであれば、とても寛大なお国柄なんだろうね。

日本なら死刑は免れないし、死刑求刑に意義をとなえる弁護士キチガイ扱いされるだろうね。

隣国なら3日以内に公開銃殺かも。

とりあえず93人以上の人々が殺害されて、 "罪を憎んで人を憎まず" って話にはならない気がするんだが・・・・・・


かたや日本では市橋被告に対し最高刑(死刑)を望んでいた遺族がいたりもして、なんか複雑。


追記

ノルウェーでは1905年死刑制度が完全廃止され現在に至っている。でも1945年にある政治家死刑にするため1度だけ制度が復活している。

今回もそうなるんだろうか?

2011-05-18

ゼロ年代批判をやってる人たちは90年代の亡霊なんじゃないか

90年代に「ぼくのかんがえたじせだいのあるべきすがた」が挫折して臆病になった人たちが日常ものに依存し、今度は00年代の人たちが考えたいろいろなものを否定する。「ぼくのかんがえたありかたですらだめだったのに、自分たちより若いヤツが考えたものが正解だなんて認めないぞ」と下の人間に嫌がらせを続ける。しらんけど80年代にもそういうのがあったかもしれん。悲しい連鎖よのう。




そんなことを思ったのがこの記事でのやりとり。

http://togetter.com/li/137071

まおゆう批判の話。批判の内容は結構納得行く話だった。実際突込みどころは沢山あるからね。

でも、そうやってやれ特権少数の支配肯定だとかエリート様だけ実存回復はずるいとか言ってる人が

自分の解決策として挙げたのがコレか。

インキュベータ搾取されないためには、向上心なんてものは一旦よけて、まず、ありのまま自分を肯定することから始めるべきだと思うのです

すごい違和感。いや、ガッカリ感。同時にとても納得。

この人の主張は結局「ゼロ年代的なるもの」が嫌い、ってそれだけだったわけだ。

ああこの人90年代オタクなんだなと思い、実際にブログを確認したドンピシャだった。




その思想はさ、精神的に搾取されないことだけを考えていればよい物理面が最低限満たされている人間の話だよね。精神守るために物理面での搾取はある程度受け入れる余裕があるってのが前提じゃない?それこそ90年代の悩みという気がする。00年代そのものに否定的なのは、単純に90年代の夢が忘れられないって事じゃないの?

この人の立ち位置はすごく気に食わない。 インキュベーターと直に向き合いながら頑張ってる人をインキュベーターの手先であるとして批判している一方で、インキュベーターそのものとは敵対しようとしない(というかちゃんと見えてない、理解できてない、突っ込んでも無駄と諦めている)ような卑怯さを感じる。「ゆとりがあるからこその潔癖さ」「他人に都合の悪いところを押し付けての正論」にすぎないのでは。自分テクノクラートだったらどうするか、を示していただきたい。あいや、そういうのから降りた人たちが90年代オタクしたっけね。失礼失礼

こういう卑怯な人な立ち位置にいないと安心出来ない人のために、まどマギ世界の主人公が少女じゃないといけなかったんだなとわかる。インキュベーター対峙するもの、特別な力を持つものが、オタク以下の存在じゃないと納得できない人達がいるんだ。自分より上の存在が肯定され、生き残るのが怖いんだ。そういやまおゆう批判してたkagamiまどマギ全肯定しててびっくりした。お前はまマギにすくってもらう資格ねーだろが、と突っ込みたい。私はamamakoのことが嫌いだが、それでもまおゆうまどマギ双方を否定した彼の一貫性は評価したい。

別に爺さんのように「戦時中の苦しさをしらないやつらが贅沢言うな」とまで言う気はない。昔の物理面が絶対だって考え方ね。「誰が養ってやってると思ってる」の傲慢さは私も死ぬほど嫌い。けれども、さっきの解決策はちょっと00年代の若い人の苦しさに対してあまりに鈍感すぎるのではないか。のんびり過ぎるのではないか。私も90年代のにんげんだから正確には理解できてないけども、彼らの不安や苦悩を軽視して今までの日常を維持しようじゃないかハーレム最高だよ、幻想に閉じこもり続けようよってなんだそれ。空気読めないオッサンにも程がある。もうオッサン時代遅れからブヒ系のアニメ以外についてくちだすなよと言いたい気分。

もちろんゼロ年代の発想が90年代より優れているとは言わないよ。個人的にはゼロ年代の発想ってやっぱり問題が大きい、より病的で余裕がなくて、貧しいカンジがするのであんまり好きじゃない。でも、それに対してただ「近頃の若いもんは」と言い続け「90年代にもどってこい」というメッセージしか出せないのでは、ただの老害であると私は思う。(さっき年寄りたちの話しを持ち出したのは、老害にはさらなる老害を持って、老害の何たるかを理解していただきたいという趣旨)。少なくともゼロ年代人間が「貴族的な人間」「特権階級とか特殊な力を持った人間」を中心としたファンタジーを求めなければいけなかったのかって考えもしなかったなら、オタクとしてダメダメでしょう。良し悪しだけで考え、「なぜ」をすっとばすような人間が、オタク評論をする資格などないと私は思うね。




ただし、このあとで同じ人が

個人の尊厳努力大津波から身を守ってくれるわけじゃないっすからねえ

って言ってるアタリが、もしかしてこれからのオタとオッサンオタクとの理解の架け橋になりそうな気はする。 本当に地震って、すでに変わりつつ合った認識の変化を後押しする大きな事件になるような気がする。もう90年代は終わったんだよ。00年代決断主義も違うってことになったよ。90年代回帰論も、00年代エリート正当化もやめて次考えようよって話になるんじゃないのかな。

最後になりますが。お気づきになった方もいらっしゃるかと思いますが、わたくし、まおゆう読んでおりません。読まずにここまで偉そうなことを書いたことを深くお詫びいたします。



単に90年代回帰しておしまいなんてケチなことは言いませんよ。私の考えるスタート地点は1789年1945年ですから

自分で少しずつやってるのは、90年代までとゼロ年代の"無視されたこっち側"の整理。老害仕事

それは失礼。こっち側とやらがどこにあるのか存じませんが、ずいぶん壮大なお考えがあるようですね。はやく体系だった形としてまとまるよう応援しております

そうでないと無視されたというかあなたが求めてる物がまずどこにあるのかわからんので

せっかくの崇高な思想も、今回のように表面部分だけを見て個別の叩きというか、コレジャナイ病の人と同じだと判断してしまいそうです。それは勿体無い。

ところでそれって、エロゲや今のアニメに求めるよりは、もっと昔のアニメ手塚治虫や一部の少女漫画に求めたほうが早いものだと思いますよ。


あずま ひろき風を感ずる

全然意識してないけど多分それあなた勘違いだと思う。全部が東風に見えるとか、モルダーあなた東さんに恋してるのよ。。

話変わるけどあんまり東先生バカにすんなよ。別に信者じゃないけどとりあえずベースとなってる物くらい読んでから批判しろよ、とはいつも思ってる。

信者が本買って無批判にマンセーする一方で、批判する側が著書の一冊も読まないとか、この今のねじ構造はどないなっとんねん。

本の一冊読む程度の興味もないなら、放っておけばいいのに。どんだけ暇なの。


この視点で90年代00年代が整理されるようには見えないなぁ

誰も整理なんかしようとか思ってねーし。なんでそこ基準で評価されなきゃいけねーんだよ。別の店行け。シロクマさんにでも頼め。

整理しようと思ったらそれこそ90年代をまた数個に分割しなきゃいけねーじゃん。誰がやるかそんなめんどいこと。

どんだけ整理されてあとは召し上がるだけのメニューを期待してんだよ。そう言う学術的のが欲しかったらプロ仕事にもっとちゃんと金払え。


「〜年代」っていう、10単位で区切ってその間の大多数のムーブメントを指す言葉を「私も90年代のにんげんだから」とか使うところからして既に間違っているよねw

言葉の使い方は大事だよね。確かに私が間違いですすみません。できればタイポ的な問題以外も指摘してくれると嬉しいけど。

上のと合わせて、この言葉を使うと、どういう内容を想像されるか始めて知った。童貞とかオタクとかと同じくらいイロイロな意味がくっついてるのな。

これは単に私の無知。普段はこういう言葉を使って会話してないんで知らんかったわ。




おまけ。ゼロ年代には元気だったけど次の世代に対して老害として振舞う可能性が高い人達一覧はここね。

http://togetter.com/li/137022

自分の手持ちのものさしでしか人を測れなくなったら(評論する相手の中に新しいものを発見しようとする気概を失ったら)それはもう寿命だろ。

しいものは何一つ生み出せないって自分で宣言してるようなものだもの。

2011-04-12

http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/affairs/news/110412/dst11041203040004-n1.htm

Midas

「第2の敗戦」と書いた通りになった。過去歴史と重ねると原発事故がちょうど東京大空襲あたり。この夏が山場。

1ヶ月してこういう話題が普通にマスコミから出てくるようになった。恐らくこの世代の本音だろう

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2

東京は、1944年11月14日以降に106回の空爆を受けたが、特に1945年3月10日4月13日4月15日5月25日空襲は大規模であった。

通常「東京大空襲」と言った場合、特に規模が大きかった1945年3月10日に行われた空襲を指すことが多い。

なるほど‥

Japan is killed only by you.

People all over the world think that Japan is ruined by nuclear accident. But that’s not true. We know the seriousness of the nuclear accident, but don’t despair. Nuclear can’t kill us.

In 1945, A-bomb killed many people and reduced cities to ruins. But in the cities, trains restarted to run after only 3 days. People returned to and rebuilt the cities soon. 5 years after, additionally, a professional baseball team was established at the cities. Now Hiroshima and Nagasaki become leading cities in Japan. We declare again, nuclear can’t kill us.

But if people avoid made-in-Japan product by harmful rumor, Japan is ruined, really.

We understand your wish for saving your loved one from radioactivity. We promise to respond your wish in a sincere manner and concentrate on ensuring product safety. Instead, we want you to respond our wish.

In 2011, we are rebuilding cities, slowly but surely. We believe reconstruction of our homeland.

Earthquake can’t kill us. Nuclear can’t kill us. We are killed only by you.

世界中の人々が、原発事故によって日本が破滅したと考えている。しかしそれは誤りだ。私達は原発事故を深刻に受け止めているが、絶望していない。核は私達を殺せない。

1945年原子爆弾によって多くの人々が死に、街は廃墟となった。しかしたった3日後、街に電車が走った。人々はすぐに街に戻り、街を再建した。数年後には街でプロ野球チームが結成された。今では、広島長崎はともに日本有数の大都市となった。繰り返す。核は私達を殺せない。

しかしもし風評被害によって日本製品が買われなくなれば、日本は破滅する。

世界中の人々が、自分愛する人々を放射能から護りたいと考えていることを、私達は理解している。私達は、あなた達の願いを最大限尊重し、私達の製品の安全性を確保するために尽力せねばならない。そのかわりあなた方には、私達の願いに応えてほしい

2011年、私達は少しずつ、しかし確実に、復興に向けて進んでいる。私達は祖国の復活を信じている。

地震は私達を殺せない。核は私達を殺せない。あなた方だけが私達を殺せるのだ。

I pray that people all over the world read this text.

2010-08-02

誰が誰をホロコースト

はじめに

途中で腹の立った人、題名で既に私の言いたいことがわかった勘のいい方、時間のない方は「本文」を飛ばして「おわりに」を読んで頂きたい。

本文

あなたは、

あなたの旦那さんは、

あなたの息子さんは、

戦争に負けて、巨額の賠償を強いられて、ハイパーインフレの国に生まれたら、家族を養えますか?

父親が貴族やユンカーでもないかぎり自活は無理でしょ。本人の資質努力、やる気なんて関係ありません。どんなに能力、やる気があっても、恐慌と重税下で家族を養える20代の男性なんてほぼ皆無です。外国を侵略したとか言われてるけど、外国を侵略せずに必死で働いてたら、食べていけたと思います?

多くの若者を死なせた国が終戦したら、自動的に“誰かが支援する必要”があるってことでしょ。

支援するのは誰?

・旧敵国(賠償免除、借款)

米国

中立国国際機関

でしょうか。現実的には、戦火を交えた旧敵国(旧敵国も戦争で荒廃してるでしょうし)が自分の生活物資に加え“7000万の敗戦国民の生活物資”を維持し続けるのも、このご時世では苦しいでしょう。

つまり、1910年代世界大戦を起こした国が敗戦した場合

(1)本人が貴族やユンカーで高額収入がある

(2)旧敵国に相当の稼ぎがあり、敗戦国民7000万名の生活物資を何年にもわたって供給し続けられる

(3)中立国が助ける

で、ないかぎりは、

(4)東方拡大により生存圏を確保する

しか、敗戦国に生きる道はありません。

だったら、ヴェルサイユ講和条約を受け付ける時に、

・父親が貴族やユンカーではなく、

政府が支払うと約束した額と現実的な支払い見通しが不十分で、

・旧敵国に、生活物資を支援する財力と予定があると確認できなければ、

「では、このままオーストリアとズデーテンラントに行って、手続きしていってくださいね」と、講和条約を調印する係の人が、講和条約と引き替えに合邦協定草案を渡しながら言う必要があるんじゃないの?

違うのかな・・

「育てられないのに降伏するなんて無責任」という人は、1910年代帝国主義をしちゃダメだと言ってるの?

敗戦する可能性”は誰にでもあるでしょ。“敗戦しても自活できる経済力を付けてから戦争しろ”ってこと?それが責任ある態度だというの?それいったい何世紀くらいのこと?22世紀くらい??何世紀まで働いたら“賠償しても国民7000万人養える経済力”なんてつくの?

民族自決ってのは、同じ民族は一つの国家に住みましょうね、っていう政策なんじゃないの?そのために国際連盟まで設立したりしてんじゃないの?

★★★

記録のための事件概要

1914年6月サラエヴォで、兄弟国の皇太子暗殺される

1914年7月兄弟国は戦争を決意。当事国に最後通牒(後に期限切れで宣戦布告)。

・当事国の同盟国も戦争に備えて総動員を始める。

1914年8月国家防衛のため総動員を開始、自動的に戦争突入

1918年11月 革命と共に終戦。隣国は皇帝を引き取り、共和国としての歴史が始まる。

1921年3月 ロンドン会議が開催され、賠償額が決定。総額1320億マルク。

7月頃から国内争乱開始か。大統領緊急令を連発するなどし法によらない解決を繰り返す。

国内に賠償踏み倒しの声が聞こえ、隣国による保障占領が相次ぐ。イギリス調停を試みるが、国会が運営できず。

1930年ヒンデンブルク(当時大統領)が議会依存しない内閣の結成を命じる。

1933年1月軍部による反大統領クーデターの噂(未確認)

大統領国防軍には屈服せず、ヒトラー首相に指名する。

ポーランド西部のアウシュヴィッツでは、虐殺されたユダヤ人無数が遺体発見される。

1945年4月30日 ベルリンが陥落したところを、ヒトラー自殺

今日時点で報道されている範囲でのまとめです。)

★★★

ホロコースト”の意味は、虐殺とか、抹殺という意味だと思うのだけど、

この事件では、誰が何をホロコーストしたの?

A) ナチスユダヤ人ホロコースト

B) 国民民主主義ホロコースト

C) 旧敵国が敗戦国再建をホロコースト

★★★

この総統が苦学生だった20世紀初頭、ヴィーンでの親友だった音楽家の証言より再構成

彼が総統となってヴィーンに来たときですか?私を接見してくれましたよ。

監視?もちろんなしです。本当ですよ。

それではどうしてあなたはあのいまわしいヒトラーを殺さなかったのですか、ですって?

どうしてって…。彼は私の親友だったからです。

民族自決もいいけど、既に分裂している国家も、もうちょっと合併したらどうかな、旧敵国。

600万人のユダヤ人ご冥福をお祈りします

おわりに

言うまでもないが、改変元→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801

冗談抜きで、ふざけるなと言いたい。「盗人にも三分の理」というが、同情する余地のない人間などどこにもいないのだ。しかしだからといって、追いつめられれば何をやってもいいかのごとく触れ歩くのは単なるデマゴーグに留まらない、犯罪的な言説だ。そもそもこの手の言説は、子供虐待することなく立派に育て上げている圧倒的大多数のシングルマザーに対する侮辱であることに気がつかないのか。恥を知れ恥を。

まして、「なんでも環境のせいにするな、全ては自己責任」という俗流過激ネオリベ思想を推進しているこのデマゴーグブロガーが、こういうときだけ全て環境のせいにするなど、ふざけるにも程がある。

そして、「ジェンダー」という錦の御旗を振りかざされれば目が眩んでことの本質が見えなくなる馬鹿はてな民よ、恥を知れ。

人を殺すぐらいなら、もっとまともな手はいくらでもあったはずなのだ。いくら追い込まれての行動とはいえ、同情の余地にも限度があるに決まっていよう。同情の余地があれば全てが免責されるわけでもなければ、悲惨な境遇に追い込まれれば誰もが罪を犯すわけでもない。

勿論、仮にヒトラーが生まれた時期があと50年遅ければ、誰一人を殺めることもなく平穏に生を終えることができたのかもしれない。逆に、私が当時のドイツに生まれていたらヒトラーと同じことをやったかはともかく、その下手人にぐらいはなっていた可能性だってあることは重々承知している。それぐらいの「想像力」は当然ある。しかしそんなことがヒトラーを免罪することになどならないのは言うまでもない。もしそれを赦すことができる者がいるとすれば、神仏のような超越的な存在でしかあり得ないだろう。いずれにせよ、現実社会ではヒトラーは赦されることは未来永劫あり得ない。それが世の道理というものだ。

この事件、いったいそれと何が違うのだ。「ネグレクトしない自信はない」そんなことはあたりまえだ。母子家庭であろうとなかろうと、ネグレクトをしてしまう可能性はある。人間とはそういうものだ。しかし、その責任を自ら引き受けることなく子育てなんてそもそもできるわけがない。育児に限らず、一寸先は闇の現実世界というのはすべてそういうものだ。誰も、他人が過ちを犯す可能性を零にしてやることはできないのだ。なんとか自分を律するように最善を尽くすしかない、それが本当の意味の「自己責任」ではないのか。

2010-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20100722121653

『実話≒リアリティ』って式はある程度成立してるんじゃねーの?

たとえば綿密な取材を重ねてなるべく正確にあろうとした第二次世界大戦舞台にした戦争映画があったとするよね? 

主人公は「清太」って名前で。でさ、その映画に出てくるヒロインとかやっぱり重い病で死んじゃうんだけどさ、

それはさておき結局それが事実だったかどうかって確かめようがないじゃん。

数字上では、歴史というお勉強の中ではそういう記述存在するとしても、

完全に1945年タイムスリップなんかできないじゃん。

「本当に清太という少年存在したのか」「結局みんな死ぬのか」検証しようがないわけじゃん? 

誰がそれを真実だと判定するのよ。って話だと思いだよ。

こ、こいつは一体何を言っているんだ…

もしかしてこれは「リアリティ」に関する反論なのか。



俺の想像を絶していた

アホとの対話ってすげえ

http://anond.hatelabo.jp/20100722120739

ともあれ、彼らは「実話です」をキーワードにそういう物語を消化しているわけで、『実話≒リアリティ』って式はある程度成立してるんじゃねーの?

たとえば綿密な取材を重ねてなるべく正確にあろうとした第二次世界大戦舞台にした戦争映画があったとするよね? 主人公は「清太」って名前で。でさ、その映画に出てくるヒロインとかやっぱり重い病で死んじゃうんだけどさ、それはさておき結局それが事実だったかどうかって確かめようがないじゃん。

数字上では、歴史というお勉強の中ではそういう記述存在するとしても、完全に1945年タイムスリップなんかできないじゃん。「本当に清太という少年存在したのか」「結局みんな死ぬのか」検証しようがないわけじゃん? 

誰がそれを真実だと判定するのよ。って話だと思いだよ。

2010-02-13

なんか、「慰安婦20万人説」が事実として独り歩きしてる模様

ttp://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-1558.html

1 名前: 漁網(東京都)[] 投稿日:2010/02/11(木) 18:18:09.56dH3oS8Vo BE:7367832-PLT(13001) ポイント特典

sssp://img.2ch.net/ico/anime_monar02.gif

岡田外相の謝罪についてCNN報道



日本岡田克也外務大臣は、日本が30年以上韓国を統治した期間について、「悲劇的な事柄」と言う表現で、韓国に謝罪しました。

韓国の国営メディアは、岡田外相はユ・ミョンファン外相との共同会見で稀な謝罪をした、と伝えました。

(中略)

日本1910年から1945年まで韓国を支配し、 その間、主に韓国中国から日本軍が約20万人の女性を強制的に性奴隷として奉仕させたとして批判されています。

彼女たちは「慰安婦」として大日本帝国の兵士に知られていました。

(後略)



ttp://edition.cnn.com/2010/WORLD/asiapcf/02/11/japan.korea.apology/index.html



28 名前鉛筆(広島県)[] 投稿日:2010/02/11(木) 18:23:35.87ZheNWZWJ

嘘も100回言えば真実になる



41 名前ラジオメーター(神奈川県)[] 投稿日:2010/02/11(木) 18:25:55.03RutJi3HM

そら日本の政治家が頭下げて回ってるんだからわざわざ外野が否定する理由がない。

自業自得すぎる。



67 名前: 漁網(東京都)[] 投稿日:2010/02/11(木) 18:29:19.16dH3oS8Vo BE:60167677-PLT(13001)

sssp://img.2ch.net/ico/anime_monar02.gif

これ、記事を読むと、岡田慰安婦についてなんか一切発言してないのよね。

韓国側ですら、今回は発言してない。



岡田外相は「この悲劇的な事柄が、韓国国民の国と自尊心を奪ったと認識している」と聯合ニュースに語った。

>彼は「こうした犠牲を忘れてはならない」と付け加えました



っつーだけ。

問題は、長年の積み重ねによって「日本慰安婦20万人を強制連行した」というのが

日帝支配時代」の事実として流布されてしまっている点でして…



105 名前蛍光ペン(アラバマ州)[] 投稿日:2010/02/11(木) 18:44:58.95btVkGZXn

»1

正確には



中国政府中国人慰安婦30万人いたと主張

韓国政府韓国人慰安婦30万と主張

中韓慰安婦よりはるかに多くの日本人慰安婦がいたわけだから

日本は戦時、数百万の慰安婦を動員してたことになるw

兵士1人に1人の慰安婦ぐらいw



229 名前ホッチキス(鳥取県)[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 11:20:18.74q9mJ5mhb

もう一回やって戦争に勝つしかないな

2010-02-06

 サンフランシスコ講和条約日本国籍を離脱しなければならなかった特別永住外国人

 日本敗戦国になったとき、それまで日本の一部とされ、居住地や職業選択の自由が与えられ、内地に移住しさえすれば被選挙権が与えられ、帝国議会議員になった者までいた朝鮮は、敗戦責任から逃れる為に、独立を宣言した。日本国内にいた朝鮮人も、日本人ではなく第三国人であると主張し、戦勝国と同等の権利を主張した。

 朝鮮人は、自らの意思で日本国籍を放棄したのである。

 敗戦国となった日本は、ポツダム宣言(1945年)で海外領土の放棄を義務付けられ、放棄された地域独立国として建国していく過程で、朝鮮人敗戦国民であるよりは、新興国家の国民である方が豊かな生活ができると判断し、移住していったのである。日本にいた朝鮮人は、敗戦日本帰化する事を選んだ極小数を除いて、すべて、満州からの引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰っていった。まさか、引き揚げ船が片道は空船で運行されていたと思っているのだろうか。引き揚げは日本人海外領土からの引き揚げであると同時に、日本国内にいたそれらの地域出身者の引き揚げでもあったのだ。

 そうやって成立した新興国の中で、唯一、自立できなかったのが朝鮮半島である。日帝統治以前は土人国家であったのだから、日帝が居なくなれば、ろくな統治が出来なくなるのは当然であった。朝鮮半島の北側には、ロシア傀儡である金日成中国共産党の協力を得て、北鮮を建国した。ロシア満州を侵略したついでであり、伝統的な南下政策の都合であるし、中国は、朝鮮半島橋頭堡を築かれると、北京が簡単に攻撃されてしまうという軍事上の理由から、陸上兵力の簡単な移動を不可能にする為に、ロシアでもアメリカでもない緩衝領域を作りたかった。アメリカとしても、朝鮮半島橋頭堡は築きたいが、連合国である中国ロシアにも相応の分け前を与えなければならず、朝鮮半島を南北に分割して、それぞれの衛星国を建国するという話に落ち着いたのである。

 それらの打算から、北鮮はロシア中国国家承認を得て独立し。南鮮はアメリカ保護を受けて独立した。そして、それらの後ろ盾と、アメリカの補給線の長さから、南鮮への侵略戦争に勝ち目があるとして、北鮮が南下を始め、朝鮮動乱(1950年)が発生した。

 この朝鮮動乱によって、一度は日本から出て行った朝鮮人が、日本密入国してきた。この時点では、難民条約(1954年ジュネーブ条約)はまだ存在しておらず、日本は、独自の人道的判断から、戦争難民の一時受け入れを決定し、日本国内での永住許可を与えた。

 いわゆる特別永住者とは、この永住許可を得た者とその子孫であり、サンフランシスコ講和条約(1951年)とは、一切関係が無い。

 サンフランシスコ講和条約は、放棄領土に関しては、日本台湾朝鮮独立国として承認したという条約であり、それらの地域出身者で日本国内に継続して存在していたいわゆる第三国人に、平和条約国籍離脱者という正式名称を与え、それらの国籍に移設しただけである。ポツダム宣言によって、それらの人々は第三国人として日本国籍から分離されたのであって、あえて日本国籍喪失させられたとするならば、ポツダム宣言の時点であると言える。サンフランシスコ講和条約によって、平和条約国籍離脱者は特別永住許可者になったのだが、この対象者は、敗戦国に居続けたという点で希少な存在であり、極少数であったし、帰化する意思が高く、ほとんどが帰化済みである。

 引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰還した朝鮮人は、朝鮮半島上陸した時点で朝鮮国籍を取得しており、その時点で、第三国人ではなくなっている。本人の意思で、朝鮮国籍を取得したのである。朝鮮動乱によって日本密入国してきた朝鮮人に対しても、同じ特別永住許可が出された為に、混同が発生している。戦争難民に対する人道上の措置と、海外領土の放棄に伴う処理とが、混ざってしまっているのである。朝鮮動乱の避難民帰化する意思が無く、また、第三国人としての悪行も知れ渡っており、不良民族として区別の対象となっている。

 日本海外領土の放棄はポツダム宣言に拠ることを踏まえれば、根拠が無いばかりか、根本的な歴史認識において間違えている主張であることは明らかである。おそらく、ポツダム宣言サンフランシスコ講和条約も、本文を読んだ事が無いのであろう。

 これが、市井の個人であれば、距離をおいて関わらないようにすれば済むのだが、これだけあからさまな間違いを、国会議員、それも国務大臣が堂々と公言してしまうという点で、致命的である。誰か止めなかったのかとか、ブレインとなるべき政策秘書は何をやっていたのかとか、まともなブレインが居ないほど人望が無いのかといった感想が出てくるし、そもそも、ちゃんと日本学校卒業したのか、近現代史公民単位を取れたのか、学歴偽装じゃないのか、といった疑念がわいてくるのであった。

 外国人外国国籍があるから外国人なのであり、国籍国において市民権参政権を行使するのが筋である。日本参政権日本国民固有の権利であり、日本帰化し、日本の秩序に従い、日本の為に血肉を捧げる事でしか入手できない。それが出来ない特別永住者は、速やかに許可を取り消し、朝鮮半島に帰還させるべきである。

 間違った知識や判断が出てこないように、正しい歴史を広める必要がある。情報を捻じ曲げると、事実すら捻じ曲げられてしまうのだ。

 妄言は、個人の愚行である。妄言妄言であると誰も指摘できなくなるのは、社会の愚行である。戦争を愚行であると非難する人はいるが、戦争の原因は、歴史国境国民性認識がゆがめられて対立が発生する事にある。妄言妄言であると指摘できなくなる言論の統制こそが、間違った民意を発生させ、戦争根本原因となるのである。

 言論を慎むとは、その言論が間違っていない事や、人々を幸福に出来る事を心がけることであって、口を噤むことではない。ましてや統制でもない。地位にふさわしい見識を持たない者は、その地位を汚さない為に、進退を弁えるべきである。

2010-01-31

朝鮮進駐軍

朝鮮進駐軍Weblio辞書にて削除予定の為、全文コピー

http://www.weblio.jp/content/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D



概要

一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人韓国人)、もしくは現在日本帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後日本ポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物不法占拠鉄道飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民朝鮮進駐軍犠牲となり殺害されたとされている。


朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について

服装・武器及び組織について

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍パイロット軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日朝鮮人連盟。更にこれが在日大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在民団朝鮮総連となる。


時代背景

当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感犯罪者といったイメージ日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。


朝鮮人による犯罪

朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎大阪神戸都心等当時朝鮮人比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。

市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。

略奪・窃盗密売土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地建物の収奪も相次いだ。

1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。

第八軍司令官ロバートアイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。


主な事件一覧

朝鮮進駐軍及びその後の在日朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。

阿仁村事件(1945年10月22日

生田警察署襲撃事件(1945年12月24日1946年1月9日

直江津リンチ殺人事件(1945年12月29日

富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日

長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日

富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日

坂町事件(1946年9月22日

新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日)

首相官邸デモ事件(1946年12月20日

尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日

阪神教育事件(1948年4月23日~25日)

評定河原事件(1948年10月11日~12日)

宇部事件(1948年12月9日

益田事件(1949年1月25日

枝川事件(1949年4月6~13日)

高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)

本郷村事件(1949年6月2日~11日)

下関事件(1949年8月20日

台東会館事件(1950年3月20日

連島町事件(1950年8月15日

第二神戸事件(1950年11月20~27日)

四日市事件(1951年1月23日

王子事件(1951年3月7日

神奈川事件(1951年6月13日

下里村役場事件(1951年10月22日

福岡事件(1951年11月21日

東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日

半田一宮事件(1951年12月3日~11日)

軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日

日野事件(1951年12月18日

木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)

姫路事件(1952年2月28日

八坂神社事件(1952年3月1日

宇治事件(1952年3月13日

多奈川町事件(1952年3月26日~30日)

田川事件(1952年4月19日

岡山事件(1952年4月24日5月30日

血のメーデー事件(1952年5月1日

上郡事件(1952年5月8日

大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)

広島地裁事件(1952年5月13日

高田派出所襲撃事件(1952年5月26日

奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日

万来町事件(1952年5月31日6月5日

島津三条工場事件(1952年6月10日

醒ヶ井村事件(1952年6月13日

葺合*長田事件(1952年6月24日

吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日)

新宿駅事件(1952年6月25日

大須事件(1952年7月7日

舞鶴事件(1952年7月8日

五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)

参考文献

法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年

横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田枚方事件について』1954年

篠崎平治『在日朝鮮人運動1955年

大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年

新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年

名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年

瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年

山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年

宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年

大阪府警察編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年

警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年

兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年

愛知県警察編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年

青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年

坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年

警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年

思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年

仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年

長崎県警察編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年

李瑜煥『日本の中の三十八度線民団・朝総連歴史現実―』1980年

福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年

山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年

警察文化協会編『戦後事件史』1982年

日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年

講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年

朴慶植解放在日朝鮮人運動史』1989年

百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年

金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年

荒敬『日本占領研究序説』1994年

百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年

竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年

秋田魁新報1945年

神奈川新聞1951年

西日本新聞1951年

『中部日本新聞1951年1952年

大阪新聞1952年

京都新聞1952年

神戸新聞1952年

山陽新聞1952年

中国新聞1952年



コピー終わり。

2010-01-23

Re: 搾取を語るなら論文を読め

http://anond.hatelabo.jp/20100119124726

どうもはじめましてid:flurryです。

挙げられた論文のうち、Cumings(1984)を少し読んでみたのですが、疑問が出てきましたので匿名ダイアリーに書かせていただきました。

英語があまり得意ではないこともあり、読み間違いなども多いかと思いますが、遠慮なく指摘していただけると幸いです。

 

本題。元増田さん(こういう言い方でいいんでしたっけ?)の主な主張は、

日本韓国統治が善政だったかどうかはともかく、「その植民地政策が、他の帝国主義国家の政策とは明らかに異なる、有益なものであった」ことについては、学者の間である程度のコンセンサスがある

とのことですが、例として挙げられているCumingsの文章を読んでみても、そのようなことが書いてあるようには読み取れませんでした。

(一応の確認ですが、この元増田さんの主張って「日本植民地主義が他の帝国主義国家のそれよりも、被支配者にとって有益であった」ってことですよね?)

Professor Eto remarks that Japan's vices were no different than those of European colonists. This may be true, but its virtues were quite different. There was no legitimizing myth that the Japanese could make stick. They were not good tutors to teach their subjects how to achieve the goal of independence, as at least some Filipinos thought was true of American colonialism. They were not good exemplars of liberal democracy, as at least some thought that the British were in India. The virtues that the Japanese shared were hard to justify philosophically, but easy to adopt practically: military success, the uses of a strong state, rapid economic development, modern industrial structure. Thus Koreans greeted liberation in 1945 with a profound rejection of Japanese colonialism, yet have never been able to rid themselves of its Janus-faced influence.

元増田さんの訳)

エトウ教授日本の悪徳はヨーロッパの植民者のそれと何ら変わるところがなかった、と述べている。それは正しいのかもしれないが、一方でその美徳はヨーロッパ人のそれとは全く異なっていた。日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。少なくとも何人かのフィリピン人は、アメリカ植民地主義独立というゴールへと至るための良き教師であると信じていたが、日本は良き教師ではなかった。少なくとも幾人かはイギリスインドにとって自由民主主義の良き模範であったと信じているが、日本は良き模範でもなかった。日本がもたらした美徳の数々は、倫理的には(philosophically)正当化するのは難しいが、実際的には(practically)容易に受け入れられるものだ:軍事的成功、強力な国権の運用、急速な経済発展、そして近代的な工業セクター。それゆえ、1945年韓国人達は日本植民地主義に対する全面的な拒絶を唱えて解放を謳歌したが、その一方で日本がもたらした様々な影響からは抜け出すことが出来ないという、二律背反に直面することになったのである。

1) ここでCumingsが書いているのは、「日本のviceはヨーロッパ帝国主義国家と似ている(かもしれない)けど、virtueは全然似ていないよ」程度のことであって、「日本植民地主義ヨーロッパのそれよりも有益であった」なんてことは言っていないように思われます。

2) で、virtue=美徳ですが、一般的には「あのひとは勤勉だ/勇敢だ」のように、人間が持つ性質や姿勢のことを指すと思います。

"The virtues that the Japanese shared"を元増田さんは「軍事的な成功、急速な経済発展などの、日本がもたらした美徳の数々」と訳して、日本朝鮮半島にいいことをした!と主張されていると思うのですが、実際はこれ「軍事的な成功、急速な経済発展といった、日本人が持っていた優れた点」ぐらいの意味じゃないでしょうか。

(「日本朝鮮に軍事的成功をもたらした」って、なんか変ですよね?)

つまりこの部分は、「戦後韓国北朝鮮日本のやり方(富国強兵殖産興業国家権力の強化)を『隠れた』ロールモデル=お手本とした/せざるをえなかった」と読むべきではないでしょうか。

あと、もう一つ。

3) 論文冒頭(479ページ)でCumingsは、

アメリカ朝鮮半島に深く関わるようになって長い時間日本の侵略期間と同じくらい)が経つのに、自由選挙・自由民主主義基本的人権の尊重といったことが根付かないのは、日本の侵略の影響がいまだ継続している、つまり、日本の侵略の影響が、大戦後の韓国北朝鮮両国家をさまざまな方法で形作っていったからなのだ」

と書いています。「Cumingsが日本植民地政策を有益だと評価している」というのは気のせいではないでしょうか。

2010-01-19

搾取を語るなら論文を読め

http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034

日本韓国統治は善政か否か」問題で久しぶりに面白いエントリーを読んだ。正直、日本韓国統治は悪だ、という議論は感情論ばかりが横行するので辟易していたのだが、こういう数字に基づいたエントリーが出てくるとちゃんと議論になる。実際、コメント欄でも、すれ違いはあるものの真っ当な議論になっているように思う。

でもさ、『ちゃんと学術的に認められた歴史書を読み直されるよう、お勧めいたします。』って書くならさ、もう一歩踏み込んでもいいと思うんだ。学問の主戦場たる英語論文の数々に。ここ20年間、様々な定性定量分析が積み重ねられてるのに、それを無視するなんて余りにももったいない

結局、日本韓国もこの件ではバリバリ当事者な訳で、どうしたって中立的な議論は出来ない。純粋に学術的に中立的な議論をしても、その裏の政治的思惑を勘ぐられるのがオチだ。なら、第三者たる欧米の、それも世界最高峰大学で教鞭を執る学者の議論を参照することは決して無意味な事じゃないはずだ。

それに、10年前と違って、我々はほぼ自由にこれらの議論にアクセスできる。Google Scholarで”Japan Korea colonization”を検索してみるだけでいい。10回くらいクリックすれば議論の形はある程度つかめてしまう。いい時代になったもんだ。



で、2時間ほど仕事をさぼって論文を流し読みした結論。それは、

日本韓国統治が善政だったかどうかはともかく、「その植民地政策が、他の帝国主義国家の政策とは明らかに異なる、有益なものであった」ことについては、学者の間である程度のコンセンサスがある

ということ。ついでに言うと、欧米開発経済学者と何度か話した時も、この結論をある種自明のように語っていたので、現在でもこのコンセンサスは有効であるように思う。私自身は門外漢なので断言は出来ないが。

日本植民地政策の総論として、大体平均的な見解になっているのは、Bluce Cumings(シカゴ教授)の以下の下りだと思う。

エトウ教授日本の悪徳はヨーロッパの植民者のそれと何ら変わるところがなかった、と述べている。それは正しいのかもしれないが、一方でその美徳はヨーロッパ人のそれとは全く異なっていた。日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。少なくとも何人かのフィリピン人は、アメリカ植民地主義独立というゴールへと至るための良き教師であると信じていたが、日本は良き教師ではなかった。少なくとも幾人かはイギリスインドにとって自由民主主義の良き模範であったと信じているが、日本は良き模範でもなかった。日本がもたらした美徳の数々は、倫理的には(philosophically)正当化するのは難しいが、実際的には(practically)容易に受け入れられるものだ:軍事的成功、強力な国権の運用、急速な経済発展、そして近代的な工業セクター。それゆえ、1945年韓国人達は日本植民地主義に対する全面的な拒絶を唱えて解放を謳歌したが、その一方で日本がもたらした様々な影響からは抜け出すことが出来ないという、二律背反に直面することになったのである。

ちなみに、このCumings教授北朝鮮よりの言動が過ぎると批判を受けているくらいであって(英語Wikipedia参照)、決して日本よりのスタンスを取っているわけではない。むしろ、日本植民地政策は朝鮮政治的に分断される一因となったと書いている(人となりの雰囲気はこの辺りのブログで分かるかもしれない。http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20090208/1234060826)。それでもなお、36年間の日本経済政策については、むしろ肯定的な言及が多い。日本植民地政策についての興味深い言及もあるので、興味のある人は以下のリンクを読んでみると良いだろう。英語は平易なので、特に苦労なく読めるはずだ。



B. Cumings (1984), “The legacy of Japanese colonialism in Korea”, RH Myers and MR Peattie eds., The Japanese Colonial Empire: 1895-1945, Princeton UP.

http://brightrising.com/pdf211/week10/Bruce%20Cumings%20%27The%20Legacy%20of%20Japanese%20Colonialism%20in%20Korea%27%20-The%20Japanese%20Colonial%20Empire-%20p.%20478-496.pdf



似たような議論としては、

LG Reynolds (1983), “The Spread of Economic Growth to the Third World: 1850-1980”, Journal of Economic Literature.

G-W Shin (1998), “Agrarian Conflict and the origins of Korean Capitalism”, American Journal of Sociology.

CJ Eckert (1991), Offspring of Empire, U of Washington Press

などがまとまっている(最後のは読んでないが)ので、興味のある人は参照して欲しい。Google scholar検索すれば他にも沢山出てくる。個人的にはReynoldsが俯瞰的にまとめていて良いと思う(アクセス権がないと入手が困難だが)。



さて、ここからが本題だ。欧米の碩学達はなぜ「日本植民地政策は有益であった」と結論づけたのだろう。正直、上のリンクを読みやがれの一言で済ませてしまっても良いのだが、一連の議論がある程度まとまっている論文を見つけたので、以下で抄訳してみたい。プリンストン大学のAtul Kohli教授論文なのだが、まず彼は94年に「日本植民地政策は、戦後韓国経済発展に重要な貢献を成した」という論文を発表したのだが、これにS. Haggard(UCサンディエゴ校)、D.Kang(ダートマスカレッジ)、C-I Moon(延世大学)の3人が「いやいや日本の影響なんてたいしたことないから」という反論論文(以下HKM)を寄稿した。これに対して更に「いや、君たちの言うことはおかしい」という再反論をKohliが行った、という流れになっている。この最後の再反論の論文が短くまとまっていて論点も明確なので、これを取り上げてみることにしよう。



1.The economic records and legacies

HKMではKohli論文に対して4点の反論を試みている。まず、日本統治下での韓国経済成長と、終戦後韓国経済成長とを過大評価しているという点。『私の原論文では、主によく知られたS-C Suh (1978)のデータに基づいて、植民地時代の米の生産量は年率2%相当の伸びを示しており、その相当量が土地1単位辺りの収量の増加によると議論している。生産性の向上は、日本政府による計画的な灌漑、品種改良と肥料の使用を反映したものだ。

日本の行動が利己的なものであって、多くの韓国人はこれらの植民政策の恩恵を受けていなかったという不快事実に関係なく、安定的で近代的な農業生産の成長は植民地主義歴史の中でほぼ無類の成果であった。この経験韓国を他のアジア諸国(除日台)から一線を画す存在にした。そして、この経験はその後の韓国経済成長へ貢献する一要素となったことは間違いない。』

HKMはこれに反論を試みているが、『HKM自身が提示した資料によれば、1911年から38年までの植民下の韓国農業成長は3.17%増加しており、私の提示した数字よりも更に高い。』Dehliはなぜ彼らはこの事実をちゃんと議論しないのかと指摘した上で、もう少し細かい議論をしている。さらに他の研究を引いて、Myers and Yamada (1984)は1920年から40年までの農業生産の伸びを年率1.15%、S-C Suh (1978)は穀物生産が25年間で45%、米は30年間で100%増加したと推計しており、『これらのデータを前にして、植民政策下の韓国農業生産と米の生産が植民経済の基準から言ってかなりの増加を示したことを誰が疑うのだろうか?』と問うている。

『より重要なのは、これらの、特に米の生産の成長の源泉は何かと言うことだ。Suh (1978)とMyers and Yamada (1984)の双方が、この時期に耕地の大幅な拡大や、農業への労働者の大量投入は見られないと指摘している。これらが強く示唆するのは生産性の向上である。HKMは生産性の向上はあくまで緩やかなものに過ぎなかったと主張するが、30年間で60%もの生産性の向上(Suh, 1978)を緩やかと表現するのは不可能だ。籾付米の栽培パターンの変化は韓国農業に“生物学革命”が起こったことを示している:品種改良された種籾を使用する水田は倍に増え、肥料の投入量は10倍になり、灌漑された農地は年率10%近いスピードで拡大し続けた(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1894, Ishikawa, 1967)。

これらの改善明治時代農地革命の日本から韓国への計画的な普及の成果(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1984)であった。日本植民地政府韓国農業改革の努力によって、“近代的な農業革命が開始され”、日本台湾と同様に、“これはアジアにおける近代農業改革の端緒となったと言って良いだろう”(Myers and Yamada, 1984)。更に、他の研究者達が指摘するように、この革命は終戦後も引き続き行われた。これでもなお、「ユニーク植民地の運営は大戦後の韓国経済発展への足がかりとなった」ことを否定することが出来るのだろうか?』

日本工業政策の影響については、『HKMは3つの伝統的な-そしてあまり説得的ではない-理由から反論している。曰く、工業部門は殆ど日本人が所有していた。曰く、その殆どは北朝鮮に位置していて韓国経済発展には関係ない。曰く、どちらにせよ、朝鮮戦争であらかた破壊されたので関係ない。

日本人への所有権の集中という最初のポイントは説得的とは言えない。韓国1965年以降の経済成長においても、企業所有権はかなり集中していた。こっちは問題ではないとでも?日本資本について言えば、「外国資本ニ支配サレタ工業化ハ真ノ工業化トハ言エナイ」的な議論は、既に説得力を失って久しい。第2に、工業資本朝鮮戦争破壊されたという点は私が原論文で指摘済みの点である。繰り返すが、当時の工業資本の約半数は南朝鮮にあったのである。さらに、南朝鮮にあったのは繊維工場のような軽工業資本であって、北の重工業に比べて輸出産業としては離陸しやすかったはずである。』

Kohliは、更に反論として、脱植民地運動朝鮮戦争破壊からの急速な回復は、韓国人近代工業を運営した経験があったからこそであること、(2) 工業資本戦争破壊されたのは事実としても、知識は消え去らないこと、近年のRomer (1993)などの内省的成長理論においても知識の重要性が強調されていること、などから、日本植民地時代の「正の遺産」は韓国経済発展に寄与したとしている。



2. On the developmental state

政治プロセスの話をしているのだが、「てめーの読み違いだよ」という話なので省略。



3. On the origins of Korean capitalism

『主にEckert (1991)の重要な著作に依って、私は原論文日本植民地主義韓国資本主義が孵化するためのフレームワークを構築した、と論じた。』『HKMはEckertはある特定の例しか研究しておらず、日本植民地政策の影響がなかったとしても、韓国固有の資本主義がいずれ芽生えたはずだ、と主張している。』

これに対する反論として、Kohliは3点の反論を挙げている。(1) Eckert (1991)の“韓国資本主義日本の統治の下で、日本の公式な承認(official Japanese blessing)をもって花開いた”という議論は依然として受け入れられており、仮に例証の少なさが問題だとしても、多くの研究者がいくつもの例証を発見しつつある(例えば、Ho Su Yolの研究によれば、韓国企業家の数と、韓国人所有の企業の規模は、1930年代に共に増加している。(2) 歴史にifはありません。 (3) 『確かに、植民政府利己的な動機で動いていた。確かに、多くの企業日本人に所有されていた。しかしそれでも、その政府で、企業で、多くの韓国人が働いていた。そして、その過程で日本式の資本主義はゆっくりと、しかし確実に韓国に根付いていった。更に言えば、多くの韓国人起業家がそのビジネススタートさせたのはこの時期なのだ (Eckert, 1991)。確かに、有力な財閥企業の多くは大戦後に設立されている。しかし、資本主義というのはある日突然芽生えるものではない。多くの財閥企業(現代、三星Lucky Starなど)の創業者達が最初に事業を興したのは植民地時代なのである。』



5. On the state and lower classes

最後に、日本政府による朝鮮人労働者の使役の問題について。『私は原論文で、韓国での日本人は、きわめて抑圧的でそして日本自身のそれによく似た労使関係の構築に寄与した、と主張した。マネージャー達は若い韓国人を雇い、OJTを施し、愛社精神を植え付け、とんでもない長時間労働を要求し、そして国家権力を後ろ盾として労働組合政治的な活動を禁じた。さらに、“サンポ”システムで「産業愛国クラブ(industrial patriotism clubs)」を組織して経営者労働運動リーダー達を同じクラブの一員とし、彼ら労働運動リーダー達を経営者が雇い挙げる仕組みを作り上げた。この厳格なアメとムチのシステム日本人経営者に「生産性上昇よりも低い賃金アップ」という恩恵をもたらしただけでなく、政治運動を無視して生産性向上に集中させることを可能にした。この仕組みは韓国政府に受け継がれ、その高度成長期まではこの仕組みは維持された。』

以下結論が続くが省略する。残念ながら、この論文大学関係者以外はアクセス権がないので、興味のある方は大学図書館で以下を当たって欲しい。

A Kohli, (1994), “Where do high growth political economics come from?”, World Development.

S Haggard, D Kang, CI Moon (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a critique”, World Development

A Kohli, (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a reply”, World Development.



念のために書くが、別に権威ある意見が全てだと言っているわけではない。自分の足でデータを探して考えるのはとても大切なこと。でも、それだけではたどり着けない議論というのがあることも分かってもらえればありがたい。上で紹介したKohliは帝国主義経済発展が専門分野で、日々そんなことばかり議論する毎日を送っているはずだ。そういう人たちがたどり着いた「日本植民地政策にはありきたりのvices(悪徳)と、ユニークなvirtues(美徳)がある」という結論には、それだけの重みがあると私は思う。

2010-01-17

石川逮捕を画策した樋渡利秋とは

樋渡 利秋(ひわたり としあき 1945年8月4日 - )は第24代最高検察庁検事総長

1964年 甲陽学院高等学校卒業

1968年 東京大学法学部卒業

1970年 司法修習修了(22期)と同時に検事に任官。

その後、東京地方検察庁特別捜査部法務省官房審議官などを歴任

1997年 大分地方検察庁検事正に就任

1999年 司法制度改革審議会事務局長に就任

2001年 最高検察庁総務部長に就任

2002年 法務省刑事局長に就任

2004年 法務事務次官に就任

2006年 広島高等検察庁検事長に就任

2006年 東京高等検察庁検事長に就任

2008年7月1日 第24代最高検察庁検事総長に就任

2009-11-30

バイリンガルの頭ん中:ダニエルピンクネタ

日本語英語へのTransition

目的

バイリンガルの頭の中(あくまで想像)を文章にて表現

序盤:日本語脳→終盤:英語

・英文に抵抗のある人に対する新しい英語教材の提案、実験

日本語読んでたはずなのに、いつの間にか英語読んでた!」というのが理想

TEDから文章だけでも内容が伝わるダニエルピンクプレゼンを引っ張って来たのですが、実験的にやるにしては少し内容が堅く、マテリアル選択を誤った気がしなくもありませんw

ダニエルピンク 「やる気に関する驚きの科学

http://www.ted.com/talks/lang/jpn/dan_pink_on_motivation.html

めちゃ長いですが、LanguageがTransformする過程を味わって頂ければと思います。

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最初に告白させてください。20年ほど前にしたあることを私は後悔しています。あまり自慢できないようなことをしてしまいました。誰にも知られたくないと思うようなことです。それでも明かさなければならないと感じています(ざわざわ)。1980年代の後半に私は若気の至りからロースクールlaw schoolに行ったのです(笑)。

In America, 法律専門職学位です。まずuniversityを出て、それからlaw schoolへ行きます。law schoolで私はあまり成績が芳しくありませんでした。控えめに言ってもあまり良くなく、上位90パーセント以内という成績で卒業graduateしました(笑)。どうもlaw関係の仕事はしたことがありません。やらせてallowed toもらえなかったというべきかも (笑)。

But today, betterではないことだとは思いつつ、wifeの忠告にも反しながら、このlegal skillsを再び引っ張り出すことにしました。今日はstoryはtellしません。主張caseを立証します。合理的で証拠evidenceに基づいた法廷におけるような論証で、how we run our businessesを再考してみたいと思います。

陪審員juryの皆さん, take a look at this。This is called 「ロウソクの問題」。ご存じの方もいるかもしれません。1945年にKarl Dunckerという心理学者psychologistがこの実験experimentを考案し、様々な行動scienceのexperimentで用いました。ご説明しましょう。私が実験者だとします。私はあなた方を部屋に入れてcandle画鋲thumbtackとマッチmatchesを渡します。そしてこう言います。「テーブルtableに蝋waxがたれないようにcandleを壁wallに取り付けattachしてください。」Now what would you do?

Many peopleはthumbtackでcandleをwallに留めようとします。でもうまくいきません。あそこで手真似をしている人がいましたが、matchの火でcandleを溶かしてwallにくっつけるというideaを思いつく人もいます。いいideaですがうまくいきません。After five or 10 minutes, most peopleは解決法を見つけます。このようにすればいいのです。Keyになるのは「機能的固着functional fixedness」を乗り越えるovercomeするということです。最初、あのboxを見て、単なる画鋲の入れ物だと思うでしょうが、それは別な使い方をすることもできます。candleの台platformになるのです。これがcandle problemです。

次にSam Glucksbergというscientistが、このcandle problemを使って行ったexperimentをご紹介します。彼は現在Princeton Universityにいます。この実験でthe power of incentivesがわかります。彼は参加者participantsを集めてこう言いました。「this problemをどれくらい早く解けるsolveできるか時計で計ります。」そしてone groupにはthis sort of problemを解くのに一般にどれくらい時間がかかるのかaverage時間を知りたいのだと言います。もう1つのgroupには報酬rewardsを提示します。「上位25percentの人には5dollarsお渡しします。fastestになった人は20dollarsです。」Now this is several years ago物価上昇inflation考慮に入れればa few minutes of workでもらえるmoneyとしては悪くありません。十分なmotivatorになります。

このグループはどれくらい早く問題を解けたのでしょう?答えはon average, 3分半余計に時間がかかりました。Three and a half minutes longer。そんなのおかしいですよね?I'm an American。I believe in 自由市場。そんな風になるわけがありません(笑)。If you want people to perform better, 報酬を出せばいい。Bonuses, commissions, あるいは何であれ、incentiveを与えるのです。That's how business works。しかしここでは結果が違いました。Thinkingが鋭くなり、creativityが加速されるようにと、incentiveを用意したのに、結果はoppositeになりました。思考は鈍く、creativityは阻害されたのです。

この実験experimentがinterestingなのは、それが例外aberrationではないということです。この結果は何度も何度もfor nearly 40 years 再現replicateされてきたのです。この成功報酬的な動機付けmotivators―If Then式に「これをしたらこれが貰える」というやり方は、in some circumstancesでは機能します。しかし多くのtasksではうまくいかず、時には害harmにすらなります。これはsocial scienceにおける最も確固robustとした発見findingsの1つです。そして最も無視ignoreされている発見でもあります。

私はthe last couple of years, human motivation科学に注目してきました。特に外的動機付けextrinsic motivatorsと内的動機付けintrinsic motivatorsのdynamicsについてです。大きな違いがあります。If you look at これ、scienceが解明したこととbusinessで行われていることにmismatchがあるのがわかります。business operating system、つまりビジネスの背後にある前提assumptionsや手順においては、how we motivate people、どう人を割り当てるかという問題は、もっぱらextrinsic motivators(アメとムチ)にたよっています。That's actually fine for many kinds of 20th century tasks。But for 21st century tasks, 機械的mechanisticなご褒美と罰reward-and-punishmentというapproachは機能せず、うまくいかないか、害harmになるのです。Let me show you what I mean。

Glucksbergはこれと似たanother experimentもしました。このように若干違ったslightly differentな形で問題を提示したのです。Tableにwaxがたれないようにcandleを壁にattachしてください。条件は同じ。あなたたちは平均時間を計ります。あなたたちにはincentiveを与えます。What happened this time?今回はincentivizedグループの方が断然勝ちました。Why?箱に画鋲が入っていなかったから。it's pretty easy isn't it?(「サルでもわかる」ロウソクの問題) (笑)

If-then rewards work really well for those sorts of tasks。Simpleなルールとclearな答えがある場合です。Rewardsというのはfocusを狭めmindを集中させるものです。That's why報酬が機能する場合が多い。だからこのような狭い視野で目の前にあるゴールをまっすぐ見ていればよい場合にはthey work really well。But for the real candle problem, そのような見方をしているわけにはいきません。The solutionが目の前に転がってはいないからです。周りを見回す必要があります。Rewardはfocusを狭め、私たちの可能性possibilityを限定restrictしてしまうのです。

Let me tell you why this is so important。In western Europe, in many parts of Asia, in North America, in Australia, white collarの仕事にはthis kind of workは少なく、このような種類の仕事が増えています。That routine, rule-based, left brain work, certain kinds of accounting, certain kinds of financial analysis, certain kinds of computer programingは 簡単にアウトソースできます。簡単にautomateできます。Softwareのほうが早くできます。世界中Low-cost providersがいます。だから重要になるのはthe more right-brained creative, conceptual kinds of abilitiesです。

Your own workを考えてみてください。Youが直面faceしている問題は、あるいはweがここで議論しているようなproblemsは、こちらのkindでしょうか?A clear set of rules, and a single solutionがあるような?そうではないでしょう。ルールあいまいで、答えはそもそも存在するとしての話ですが、驚くようなsurprisingものであり、けっして自明obviousではありません。Everybody in this room is dealing with their own version of the candle problem。And for candle problems of any kind, in any field, if-then rewardsは機能しないのです。企業の多くはそうしていますが。

Now, これにはcrazyになりそうです。どういうことかというと、これはfeelingではありません。私は法律家lawyerです。Feelingsなんて信じません。This is not a 哲学philosophy。I'm an American。Philosophyなんて信じません(笑)。This is a fact。私が住んでいるWashington D.C.でよく使われる言い方をするとtrue factです(笑)。(拍手)Let me give you an example of what I mean。Evidenceの品を提示します。Iはstoryをtellしているのではありません。I'm making a 立証。

Ladies and gentlemen of the 陪審員, 証拠を提示します: Dan Ariely, one of the great economists of our time, Heは3人の仲間とともにsome MIT studentsを対象に実験studyを行いました。These MIT studentsにたくさんのgamesを与えます。Creativity, and 運動能力motor skills, and concentrationが要求されるようなゲームです。そして成績に対するthree levels of rewardsを用意しました。Small reward, medium reward, large reward。Okay?非常にいい成績なら全額、いい成績なら半分の報酬がもらえます。What happened?「As long as the task involved only mechanical skill、bonusesは期待通りに機能し、報酬が大きいほどパフォーマンスが良くなった。 しかし、cognitive skillが多少とも要求されるタスクになると、larger rewardはより低い成績をもたらした。」

Then they said,「cultural biasがあるのかもしれない。Indiaのマドゥライで試してみよう。」In Madurai, Standard of livingが低いので、North Americaではたいしたことのないrewardが 大きな意味を持ちます。実験の条件はSameです。A bunch of games, three levels of rewards. What happens? medium level of rewardsを提示された人たちは small rewardsの人たちと成績が変わりませんでした。But this time, people offered the highest rewards, they did the worst of all。「In eight of the nine tasks we examined across 3回の実験, よりhigherインセンティブがworse成績という結果となった。」

これはおなじみの感覚的なsocialistの陰謀conspiracyなのでしょうか?No. Theyはeconomists from MIT, from Carnegie Mellon, from the University of Chicagoです。And do you know who sponsored this research? FRBです。これはまさにAmerican experienceなのです。

Let's go across the pond to the London School of Economics。11人のNobel 受賞者 in economicsを輩出しています。Great経済頭脳がここで学んでいます。George Soros, and Friedrich Hayek, and Mick Jagger(笑)。Last month, just last month, economists at LSE looked at 51 studies of 成果主義 plans, inside of companies。彼らの結論は「We find that 金銭的なインセンティブ can result in a negative impact on 全体的なパフォーマンス.」ということでした。

There is a 食い違い between what 科学 knows and what ビジネス does. And what worries me, as この潰れた経済の瓦礫の中に立って, is that あまりに多くの組織 are making their decisions, their policies about 人や才能, based on assumptions that are 時代遅れ, 検証されていない, and rooted more in 神話 than in 科学. this 経済の窮地からget out ofと思うなら 21st century的な答えのないtasksで high performanceを出そうと思うのなら、wrong thingsを これ以上続けるのはやめるべきです. To 誘惑 people with a sweeter carrot, or 脅す them with a 鋭いムチ. まったく新しいアプローチが必要なのです.

And the いいニュース about all of this is that scientistsが新しいapproachを示してくれているということです. It's an approach built much more around 内的な motivation. Around the desire to do things because they matter, because we 好き it, because they're 面白い, because they are 何か重要なことの一部. And to my mind, that new operating system for our businesses revolves around three elements: 自主性、成長、目的. 自主性, the 欲求 to 方向 our own lives. 成長, the desire to get better and better at 何か大切なこと. 目的, the 切望 to do what we do in the service of 大きな何か than ourselves. これらがour businessesのentirely new operating systemの要素なのです.

I want to talk today only about 自主性. In the 20th 世紀, we came up with this idea of マネジメント. Management did not 自然に生じた. Management is like -- it's not a 木. It's a テレビ. Okay? Somebody 発明した it. And it doesn't mean it's going to work 永久に. Management is great. 服従を望むなら, Traditional notions of management are ふさわしい. しかし参加を望むなら, 自主性 works better.

Let me give you some 例 of some kind of 過激なnotions of 自主性. What this means -- あまり多くはありませんが 、非常に面白いことが起きています. Because what it means is paying people 適切に and 公正に, 間違いなく. Getting お金の問題 off the table. And then giving people 大きな自主性. Let me give you 具体的な例.

How many of you ご存じ of the 会社 Atlassian? 半分もいない感じですね(笑). Atlassian is an オーストラリアソフトウェア会社. And they do すごくクールなこと. A few times a year they tell their エンジニア, "これから24時間何をやってもいい, as long as it's not part of your regular job. Work on 好きなことを何でも" So that エンジニア use this time to come up with a cool 継ぎ接ぎ for code, come up with an エレガントなハック. Then they 何を作ったのか見せる to their teammates, to the rest of the company, in 雑然とした全員参加の会合 at the end of the day. And then, オーストラリアですから, everybody has a ビール.

They call them 「FedExの日」. Why? Because you 何かを一晩で送り届けなければならない. It's 素敵. It's not bad. It's a huge 商標権 侵害. But it's pretty clever. (Laughter) That one day of 集中的な自主活動 has produced 多数の software 修正 that might never have existed.

And it's worked so well that Atlassian has taken it to 次のレベル with 20 Percent Time. Googleがやっていることで有名ですね.Where エンジニア can work, spend 20 percent of their time working on anything they want. They have 自主性 over their time, their task, their team, their 技術. Okay? Radical amounts of 自主性, And at Google, as many of you know, 新製品の半分近く in a typical year are 生まれています during that 20 Percent Time. Things like Gmail, Orkut, Google News.

Let me give you an even more 過激な example of it. Something called 「完全結果志向職場環境」. The ROWE(Results Only Work Environment). Created by two American コンサルタント, in place at about a dozen companies around 北アメリカ. In a ROWE people don't have スケジュール. They show up 好きなときに. They don't have to be in the office 特定の時間に, or any time. They just have to 仕事を成し遂げる. How they do it, when they do it, where they do it, is totally up to them. ミーティング in these kinds of environments are オプショナル.

What happens? ほとんどの場合, productivity goes up, 雇用期間 goes up, 社員満足度 goes up, 離職率 goes down. 自主性Autonomy, 成長mastery and 目的purpose, These are the 構成要素 of a new way of doing things. Now some of you might look at this and say, "Hmm, 結構だけど、it's 夢物語." And I say, "Nope. I have 証拠."

The mid 1990s, Microsoft started an 百科事典encyclopedia called Encarta. They had deployed all the right インセンティブ. All the right incentives. They paid プロ to write and edit 何千という記事. たっぷり報酬をもらっている managers oversaw the whole thing to make sure it came in on budget and on time. 何年か後に another encyclopedia got started. 別なモデル, right? Do it for 楽しみ. No one gets paid a cent, or a Euro or a Yen. Do it because you 好き to do it.

ほんの10年前に, if you had gone to an 経済学者, anywhere, And said, "Hey, I've got 百科事典を作る2つのモデル. 対決したら, who would win?" 10 years ago you could not have found a single まともな経済学者 anywhere on planet Earth, who would have predicted the Wikipediaモデル.

This is the 大きな battle between these two approaches. This is モチベーションにおけるアリ vs フレージャー戦. Right? This is 伝説マニラ決戦. Alright? 内的な motivators versus 外的な motivators. Autonomy, mastery and purpose, versus アメとムチcarrot and sticks. And who wins? Intrinsic motivation, autonomy, mastery and purposeが ノックアウト勝利します.まとめましょう.

There is a 食い違い between what science knows and what business does. And here is what science knows. One: Those 20th century rewards, those motivators we think are a 当然 part of business, do work, but only in a surprisingly narrow band of circumstances. Two: Those if-then rewards often 損なう creativity. Three: The 秘訣 to high performance isn't rewards and punishments, but that 見えない intrinsic drive. The drive to do things 自分自身のため. The drive to do things それが重要なことだから.

And here's the best part. Here's the best part. We already know this. The science confirms what we know in our hearts. So, if we repair this mismatch between what science knows and what business does, If we bring our motivation, notions of motivation into the 21st century, if we get past this lazy, dangerous, ideology of carrots and sticks, we can strengthen our businesses, we can solve a lot of those candle problems, and maybe, maybe, maybe we can change the world. I rest my 立証。

2009-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20091128213601

あくまで仮定の話だけど。

1945年頃の日本核兵器持ってて、なおかつアメリカに(本土でなくてハワイあたりで構わない)その核兵器を落とすだけの能力があったら広島長崎もなく、無条件ではないもう少し日本に有利な講和条約が結ばれて戦争終結してたと思いますよ。

2009-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20090406183439

>IMT裁判もされてるよ。メンゲレも含む医療犯罪記録はここ。

IMTとニュルンベルク裁判での証拠だけでは断定はできないでしょう。

http://revisionist.jp/lectures/433.htm

上にある以外に物証はないんですかね?

>で、その記録に残っている人物はどんな生活をしていたかな?

少なくとも殺されていないことは確かですね。

>へー、低コストで殺処分できるんだ。いや、知ってて書いてるわけだよ、ここは。w

意味がわからないんですが。

>なんでソ連軍に殺されるの?収容所の実態が知れてもいいの?一応、国家機密だったと思うが。

実態が知られるのが嫌なら、ガス室の内情を知っているはずのユダヤ人を他の収容所に移送したりしますか?

アウシュヴィッツについてのエリー・ヴィーゼルの証言は、奇妙なエピソードで終わっています。1945年赤軍アウシュヴィッツに近づいてきたとき、ドイツ人収容所疎開させようとしましたが、病気囚人には、ドイツ人と一緒に逃げるか赤軍の到着を待つか彼らの選択にゆだねました。ヴィーゼルと彼の父が、どのような決定を下したのか、彼の言葉はこうです。

「選択は私たちにゆだねられていた。自分たちの運命自分たちで決めることができた。私は、医師のおかげで、[父]を患者もしくは看護士として病院に迎え入れていたが、その病院にとどまることもできた。あるいは、他の人々と一緒にいくこともできた。『お父さん、どうしましょうか?』 父は黙っていた。『それでは、他の人々と一緒に疎開しましょう』と私は言った。」

http://revisionist.jp/lectures/461.htm

発言者は有名なエリー・ヴィーゼルですが当たり前のようにお父さんが入院している(笑)のは置いておくとして、この証言ではナチスよりソ連軍の方がよっぽど怖い存在に書かれてますね。

 赤軍によるアウシュヴィッツ占領60周年の2005年1月27日、『シカゴ・トリビューン』はこう書いています。

ソ連軍解放者として歓迎されたけれども、数週間もたつと、彼らは自分たちが解放した人々を略奪・強姦し始めた。ナチスのもとでも生きのびた女性たちは、生存者の証言によると、ソ連軍兵士によって強姦され、殺された。

さらに、今現在絶滅収容所」と呼ばれている収容所全てはソ連側が解放(占領)した所ばかりなのも注目するべき点だと思います。

ソ連軍が来た後、収容所を数ヶ月間も封鎖し、西側の調査をできなくした。その間に大量虐殺の証拠をでっちあげたとしても不思議は無いです。

派閥じゃないんだがなぁ。それに真贋で議論があるわけじゃあ無いよ。

また後出しジャンケンで勝ったつもりですか。私は最初っから、書類の真贋で論争があり、なおかつ、内容が本物だったとしても絶滅計画の命令ではありえないという説が正史派にもあると指摘してるんですが。機能派と意図派って派閥ですよね?

>このシリーズ建築家ペルトとの共著。日本語訳はこれ。

ああ、そうだこの本でした。これは私の間違い。謝ります。しかし、ヴァンゼーに関しての記述http://revisionist.jp/pressac/pressac_01.htmにはないけど、本文には載っているはずです。

http://72.14.235.132/search?q=cache:MqSITbCXyIcJ:www.bunkyo.ac.jp/~natasha/eupora/kiyou_37.pdf+%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF&cd=8&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja&client=firefox#20

しかし、1980 年代に入ると、ホロコースト正史派の研究者のあいだでも、ユダヤ人絶滅決定

に関する意図派と機能派との論争もふまえて、ヴァンゼー会議歴史比重はかなり低くなって

きている。

プレサックの見解もこうしたホロコースト正史派の動きを反映しており、ペルトも、その著作

ナチスドイツユダヤ人政策を対象としているものでないだけに、ヴァンゼー会議にはほと

んど触れていない。それどころか、引用文にあるように、ヴァンゼー会議について否定的なノル

テや修正主義者見解を紹介している。このことは、修正派はもちろんのこと、正史派にとっ

ても、「『ヴァンゼー』はもはや『ヴァンゼー』ではない」(フォーリソン)ことを示している。

>それと国際赤十字の件ね、キャッシュですまんね。URLコピペして読んでくれ。

読んだ。うーん、これは収容所に訪れた赤十字に対して、今の生き残りが「収容所まで来たくせに、どうして虐殺を見逃したんだ!」って責めてる内容に見えるんだけど、実際赤十字収容所を訪問して、当時はガス室も虐殺の噂も否定しているんだよね。だから今赤十字が謝ってるんだけど。

ツンデル裁判で争われた本では、赤十字が当時、ナチスじゃなくて連合国を非難しているレポートを出してたと。それが虚偽なのかどうかが知りたいんだけど

そこらへんのソースが本当ないんだよな。

2009-03-28

映画ウォッチメン』を観てきた。原作との最大の違いは……

物語の中の「グラウンド・ゼロ」の暗示するものが、原作1945年8月から2001年9月に変化していたことだったと思う。

それも意義深い改変ではあると思うのだが、しかし原作で繰り返し提示される原爆の影を、あそこまでスパッと切り捨ててしまうのは……どうなんだ?

映画自体は映画館へ足を運ぶ価値のある傑作。

もし原作を未読なら、おそらく映画を先に観た方が楽しめる。

スーパーヒーロー達が実在し、彼らによってアメリカベトナム戦争に勝利している。

1985年現在ニクソンが現役の大統領を務めているというパラレルワールド

しかしヒ1977年にはヒーロー活動を非合法と定めた条例が施行されており、大半のヒーローが引退を余儀なくさせられている。

わずかに国家利益になるとみなされるヒーローだけが存在を認められている。

頭に入れておく設定はそれだけで十分だ。



もっと感想を書きたい気もするが、増田ネタバレになるのはまずいと思う。このくらいで。

2009-02-22

南京大虐殺」論争を理解するためのたった一つの真実



いわゆる南京大虐殺とか、南京事件とか言われるものについて。



世の中には、1930年から1945年までの日本を悪く言える可能性のある噂話があったら、本当の真実がどうであろうと

最大限にその噂話を肯定する勢力がいる。

そのとき実際に起きた事実なんて全く興味ない。

とにかく自分の耳に都合のいい事実は全肯定する。

その人たちはいわゆる左翼と呼ばれることが多いけど、本来の意味とは違う気がするのだがこの際あんまり気にしないことにする。



世の中には、1930年から1945年までの日本を良く言える可能性のある噂話があったら、本当の真実がどうであろうと

最大限にその噂話を肯定する勢力がいる。

そのとき実際に起きた事実なんて全く興味ない。

とにかく自分の耳に都合のいい事実は全肯定する。

その人たちはいわゆる右翼と呼ばれることが多いけど、本来の意味とは違う気がするのだがこの際あんまり気にしないことにする。






さて、ここに「南京大虐殺」という話がある。

上の人たちはどう反応するか。




左翼と呼ばれる人たちはもちろん「事実だ」という。

なぜから、事実である方が自分の思い込みに合致するから。

だけどもそんな理由では皆が納得しないから根拠をでっちあげる。

アイリス・チャン本多勝一が調べた」って。




右翼と呼ばれる人たちはもちろん「事実でない」という。

なぜから、事実でない方が自分の思い込みに合致するから。

だけどもそんな理由では皆が納得しないから根拠をでっちあげる。

田中正明や東中野修道が調べた」って。






それで、南京大虐殺の場合は、左翼側が正しい。

まともな歴史学者なら全員南京大虐殺事実を認めている。

だけど、だからと言って左翼の主張の根拠が正しいわけではない。

彼らは、南京大虐殺があってもなくても「南京大虐殺はあった」と言うから。

自分の信じる結論が欲しいだけだから。




右翼側は正しくない。

けれども、右翼側はこれからも支持を減らすことはないだろう。

田中正明が松井石根日記を改竄して恥をさらしたり、東中野修道が資料を捏造して裁判フルボッコにされても、

右翼は彼らを支持し続ける。

彼らには、南京大虐殺を否定する根拠なんてもとから関係がないのだから。

その根拠がいくら崩されようと彼らには興味がない。

自分の信じる結論が欲しいだけだから。

2009-02-10

ちょっとテレビ人の年齢を調べてみた

ちょっとテレビ人の年齢を調べてみた

こりゃつまらなくなるわけだ・・・



2008-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20080724180001

真面目にマジレスすると。

起源的にはそうでもなかったけれど、日本では、

1648年には幕府隅田川以外での花火の禁止の触れを出しており、

 :

1717年には水神祭りに合わせて献上花火打ち上げている。1733年、……両国大川隅田川のこと)の水神祭りを催し、それに合わせて大花火を披露し、これが隅田川川開きの花火起源になったと言われている。

 :

1889年2月11日大日本憲法発布の祝賀行事で、二重橋から打ち上げたものである。

 :

戦後1945年9月に長野市諏訪神社

 :

1946年7月4日には、各地のアメリカ軍基地で

 :

花火大会として1946年9月29日と30日に土浦市で開催された

 :

1947年の新憲法施行記念で

 :

両国川開きの花火大会1948年8月1日に復活した。

 :

花火の消費は夏に集中しており、そのほかの季節はあまり需要が無い。これは、花火が川開きに使用されていた名残だといわれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%81%AB

と、場所は水辺、祭りに付随→川開きや夏祭りに、と言う流れらしい。

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