「ポツダム宣言」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ポツダム宣言とは

2012-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20120106135755

高校の日本史ならともかく、中学社会科ってそんなに詳しかったっけ??

満州事変太平洋戦争ポツダム宣言」くらいにすっとんでたような記憶しか無い。



つか、30代前半なのに中学教科書をまだ持っている増田は物持ち良すぎ。

2011-01-07

[][]通化事件

通化事件について雑記

はてなキーワード

昭和21(1946)年2月3日に、かつての、満州国通化省通化市で、日本人に対して一週間にわたって拷問銃殺が行われ、あるいは凍死させられ、軍とは何のかかわりもない民間人2000人(一説には、数千人)が殺害された事件。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C4%CC%B2%BD%BB%F6%B7%EF

問題映像が「凛として愛」。公式サイトhttp://www.hanadokei2010.com/rintositeai/index.php)が「愛国女性のつどい 花時計http://www.hanadokei2010.com/

wikipedia

通化事件(つうかじけん)とは1946年2月3日中国共産党に占領されたかつての満州国通化省通化市で中華民国政府要請呼応した日本人の蜂起とその鎮圧後に行われた中国共産党軍と朝鮮人義勇軍南満支隊(李紅光支隊)による日本人及び中国人に対する虐殺事件。日本人3000人が虐殺されたとされている

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%8C%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6

脚注が「PHP研究所」と「新しい教科書づくり委員会」。

はてなダイアリー

戦後、無抵抗の日本人に対してこのような掠奪と暴行殺戮が、中国人朝鮮人によって行われたことは事実である

中国人朝鮮人が一方的な被害者で、日本人加害者だとそんなに簡単に決められるのか?

http://d.hatena.ne.jp/nay/20050707

中国人朝鮮人が一方的な被害者で、日本人加害者だ」って誰が言ってるのだろう?歴史に携わる者たちの多くは、「日本人」と「日本軍」を切り分けているように思われる。こういうのを被害妄想というのではないのかい

Yahoo知恵袋

ベストアンサーに選ばれた回答

片や「通化事件」もポツダム宣言日本武装解除約束していたにも関わらず、外地

占領軍の預かりしらぬ軍行動に出たのは、明らかに約束違反

日本の恥をばら撒いて、ホント「新しい教科書系の人」は反日ですぅw

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1113616176

日本が一方的に虐殺された類の事件ではないらしい。ただ、「日本の恥をばら撒」く人たちがいる以上、ウェブ上で事実をはっきり提示する必要性があると思われる。

2010-02-06

 サンフランシスコ講和条約日本国籍を離脱しなければならなかった特別永住外国人

 日本敗戦国になったとき、それまで日本の一部とされ、居住地や職業選択の自由が与えられ、内地に移住しさえすれば被選挙権が与えられ、帝国議会議員になった者までいた朝鮮は、敗戦責任から逃れる為に、独立を宣言した。日本国内にいた朝鮮人も、日本人ではなく第三国人であると主張し、戦勝国と同等の権利を主張した。

 朝鮮人は、自らの意思で日本国籍を放棄したのである。

 敗戦国となった日本は、ポツダム宣言(1945年)で海外領土の放棄を義務付けられ、放棄された地域独立国として建国していく過程で、朝鮮人敗戦国民であるよりは、新興国家の国民である方が豊かな生活ができると判断し、移住していったのである。日本にいた朝鮮人は、敗戦日本帰化する事を選んだ極小数を除いて、すべて、満州からの引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰っていった。まさか、引き揚げ船が片道は空船で運行されていたと思っているのだろうか。引き揚げは日本人海外領土からの引き揚げであると同時に、日本国内にいたそれらの地域出身者の引き揚げでもあったのだ。

 そうやって成立した新興国の中で、唯一、自立できなかったのが朝鮮半島である。日帝統治以前は土人国家であったのだから、日帝が居なくなれば、ろくな統治が出来なくなるのは当然であった。朝鮮半島の北側には、ロシア傀儡である金日成中国共産党の協力を得て、北鮮を建国した。ロシア満州を侵略したついでであり、伝統的な南下政策の都合であるし、中国は、朝鮮半島橋頭堡を築かれると、北京が簡単に攻撃されてしまうという軍事上の理由から、陸上兵力の簡単な移動を不可能にする為に、ロシアでもアメリカでもない緩衝領域を作りたかった。アメリカとしても、朝鮮半島橋頭堡は築きたいが、連合国である中国ロシアにも相応の分け前を与えなければならず、朝鮮半島を南北に分割して、それぞれの衛星国を建国するという話に落ち着いたのである。

 それらの打算から、北鮮はロシア中国国家承認を得て独立し。南鮮はアメリカ保護を受けて独立した。そして、それらの後ろ盾と、アメリカの補給線の長さから、南鮮への侵略戦争に勝ち目があるとして、北鮮が南下を始め、朝鮮動乱(1950年)が発生した。

 この朝鮮動乱によって、一度は日本から出て行った朝鮮人が、日本密入国してきた。この時点では、難民条約(1954年ジュネーブ条約)はまだ存在しておらず、日本は、独自の人道的判断から、戦争難民の一時受け入れを決定し、日本国内での永住許可を与えた。

 いわゆる特別永住者とは、この永住許可を得た者とその子孫であり、サンフランシスコ講和条約(1951年)とは、一切関係が無い。

 サンフランシスコ講和条約は、放棄領土に関しては、日本台湾朝鮮独立国として承認したという条約であり、それらの地域出身者で日本国内に継続して存在していたいわゆる第三国人に、平和条約国籍離脱者という正式名称を与え、それらの国籍に移設しただけである。ポツダム宣言によって、それらの人々は第三国人として日本国籍から分離されたのであって、あえて日本国籍喪失させられたとするならば、ポツダム宣言の時点であると言える。サンフランシスコ講和条約によって、平和条約国籍離脱者は特別永住許可者になったのだが、この対象者は、敗戦国に居続けたという点で希少な存在であり、極少数であったし、帰化する意思が高く、ほとんどが帰化済みである。

 引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰還した朝鮮人は、朝鮮半島上陸した時点で朝鮮国籍を取得しており、その時点で、第三国人ではなくなっている。本人の意思で、朝鮮国籍を取得したのである。朝鮮動乱によって日本密入国してきた朝鮮人に対しても、同じ特別永住許可が出された為に、混同が発生している。戦争難民に対する人道上の措置と、海外領土の放棄に伴う処理とが、混ざってしまっているのである。朝鮮動乱の避難民帰化する意思が無く、また、第三国人としての悪行も知れ渡っており、不良民族として区別の対象となっている。

 日本海外領土の放棄はポツダム宣言に拠ることを踏まえれば、根拠が無いばかりか、根本的な歴史認識において間違えている主張であることは明らかである。おそらく、ポツダム宣言サンフランシスコ講和条約も、本文を読んだ事が無いのであろう。

 これが、市井の個人であれば、距離をおいて関わらないようにすれば済むのだが、これだけあからさまな間違いを、国会議員、それも国務大臣が堂々と公言してしまうという点で、致命的である。誰か止めなかったのかとか、ブレインとなるべき政策秘書は何をやっていたのかとか、まともなブレインが居ないほど人望が無いのかといった感想が出てくるし、そもそも、ちゃんと日本学校卒業したのか、近現代史公民単位を取れたのか、学歴偽装じゃないのか、といった疑念がわいてくるのであった。

 外国人外国国籍があるから外国人なのであり、国籍国において市民権参政権を行使するのが筋である。日本参政権日本国民固有の権利であり、日本帰化し、日本の秩序に従い、日本の為に血肉を捧げる事でしか入手できない。それが出来ない特別永住者は、速やかに許可を取り消し、朝鮮半島に帰還させるべきである。

 間違った知識や判断が出てこないように、正しい歴史を広める必要がある。情報を捻じ曲げると、事実すら捻じ曲げられてしまうのだ。

 妄言は、個人の愚行である。妄言妄言であると誰も指摘できなくなるのは、社会の愚行である。戦争を愚行であると非難する人はいるが、戦争の原因は、歴史国境国民性認識がゆがめられて対立が発生する事にある。妄言妄言であると指摘できなくなる言論の統制こそが、間違った民意を発生させ、戦争根本原因となるのである。

 言論を慎むとは、その言論が間違っていない事や、人々を幸福に出来る事を心がけることであって、口を噤むことではない。ましてや統制でもない。地位にふさわしい見識を持たない者は、その地位を汚さない為に、進退を弁えるべきである。

2010-01-31

朝鮮進駐軍

朝鮮進駐軍Weblio辞書にて削除予定の為、全文コピー

http://www.weblio.jp/content/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D



概要

一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人韓国人)、もしくは現在日本帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後日本ポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物不法占拠鉄道飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民朝鮮進駐軍犠牲となり殺害されたとされている。


朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について

服装・武器及び組織について

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍パイロット軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日朝鮮人連盟。更にこれが在日大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在民団朝鮮総連となる。


時代背景

当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感犯罪者といったイメージ日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。


朝鮮人による犯罪

朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎大阪神戸都心等当時朝鮮人比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。

市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。

略奪・窃盗密売土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地建物の収奪も相次いだ。

1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。

第八軍司令官ロバートアイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。


主な事件一覧

朝鮮進駐軍及びその後の在日朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。

阿仁村事件(1945年10月22日

生田警察署襲撃事件(1945年12月24日1946年1月9日

直江津リンチ殺人事件(1945年12月29日

富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日

長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日

富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日

坂町事件(1946年9月22日

新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日)

首相官邸デモ事件(1946年12月20日

尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日

阪神教育事件(1948年4月23日~25日)

評定河原事件(1948年10月11日~12日)

宇部事件(1948年12月9日

益田事件(1949年1月25日

枝川事件(1949年4月6~13日)

高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)

本郷村事件(1949年6月2日~11日)

下関事件(1949年8月20日

台東会館事件(1950年3月20日

連島町事件(1950年8月15日

第二神戸事件(1950年11月20~27日)

四日市事件(1951年1月23日

王子事件(1951年3月7日

神奈川事件(1951年6月13日

下里村役場事件(1951年10月22日

福岡事件(1951年11月21日

東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日

半田一宮事件(1951年12月3日~11日)

軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日

日野事件(1951年12月18日

木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)

姫路事件(1952年2月28日

八坂神社事件(1952年3月1日

宇治事件(1952年3月13日

多奈川町事件(1952年3月26日~30日)

田川事件(1952年4月19日

岡山事件(1952年4月24日5月30日

血のメーデー事件(1952年5月1日

上郡事件(1952年5月8日

大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)

広島地裁事件(1952年5月13日

高田派出所襲撃事件(1952年5月26日

奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日

万来町事件(1952年5月31日6月5日

島津三条工場事件(1952年6月10日

醒ヶ井村事件(1952年6月13日

葺合*長田事件(1952年6月24日

吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日)

新宿駅事件(1952年6月25日

大須事件(1952年7月7日

舞鶴事件(1952年7月8日

五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)

参考文献

法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年

横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田枚方事件について』1954年

篠崎平治『在日朝鮮人運動1955年

大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年

新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年

名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年

瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年

山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年

宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年

大阪府警察編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年

警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年

兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年

愛知県警察編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年

青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年

坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年

警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年

思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年

仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年

長崎県警察編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年

李瑜煥『日本の中の三十八度線民団・朝総連歴史現実―』1980年

福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年

山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年

警察文化協会編『戦後事件史』1982年

日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年

講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年

朴慶植解放在日朝鮮人運動史』1989年

百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年

金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年

荒敬『日本占領研究序説』1994年

百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年

竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年

秋田魁新報1945年

神奈川新聞1951年

西日本新聞1951年

『中部日本新聞1951年1952年

大阪新聞1952年

京都新聞1952年

神戸新聞1952年

山陽新聞1952年

中国新聞1952年



コピー終わり。

2009-08-17

勤労の義務と兵役の義務

http://anond.hatelabo.jp/20090817000118

消滅した兵役の義務の流れで、公への献身の義務という文脈で出現し、左翼にもその労働至上主義的な観点から受け入れられた、という経緯みたい。

発想に徴用みたいなものがあるとしたらいやな感じだな。

そういえば、形骸化しているとはいえ、官憲別件逮捕の便利ツールとしても悪名高い浮浪罪なんてのもあったな。

9)また、この、衆議院での審議の過程で、第二七条第一項の「勤労の権利」を「勤労の権利及び義務」に改めることも決まった。勤労の義務は第二弾として復活したのである。

 この、「勤労の義務」も奇妙なものである。大日本帝国憲法の改正に際しては、第二十条にあった兵役の義務の廃止が問題になった。ポツダム宣言で陸海軍解体約束したし、実際に解体が進行して、陸軍省海軍省も復員省になっているくらいだから、いまさら兵役の義務でもなかろうというところでは、廃止は必然であった。

 そして、この義務の廃止と引き換えのように登場してきたのが、国家のために兵役に代わる公務に参加する義務を定めよという議論であった。当時は、公務に貢献する義務とも言われていた。内閣憲法問題調査会案(甲案)は、その第二十条で「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ公益ノ為必要ナル役務ニ服スル義務ヲ有ス」と定めていたが、この考え方が、日本国憲法の審議においても繰り返し復活してくる。

 「勤労の義務」は「労働の権利」ととはまったく別のものである。この場合、労働とは、自己及び家族、友人らの健康で文化的な生活を支える自助の努力という意味で個人目的性の強いワークであり、逆に勤労とは、公共のために献身するという目的の役務提供のワークである。こういう勤労を義務付けるというのであれば、市民は、国家に対して、役務提供の憲法上の義務を負うことになる。したがって、この意味での勤労の義務は、労働の権利とは別の条文で、別個に規定されるべき筋合いのものであった。

 ところが、憲法草案が審議されていた当時は、社会主義思想の強い影響の下に労働運動が活発に展開され、「働かざる者は食うべからず」で、人間労働する義務があるのだという左翼的な主張もなされていた。左翼は、もし勤労が国家への役務の強制的な提供であると知っていれば反対したであろうが、そこで巧妙にも官僚たちは「勤労の義務」を「労働の権利」と結合させ、「勤労の権利と義務」にしてしまって左翼の支持も取り付けた。ここに、国家主義的なボランティアリズム左翼社会主義が合体してしまい、憲法の規定は、右と左で違った色彩に見える意味不明のものとなってしまった。

 戦後憲法学は、左翼的であったから、この条文に含まれている、国家緊急時における、兵役に代わる役務提供義務という本来の意味を無視して、働くことは権利にして義務であるという説明をしている。こうなると、しかし、「義務」の性格はわけが分からなくなる。義務は権利に対応する。市民は、誰に対して勤労する義務があるのか。これがさっぱり理解できない。そこで、憲法施行後の解説書では、「勤労の義務」というのは趣旨不明な言葉としてあつかわれた。そして、だれかが、この言葉があるので勤労の義務への意欲がない市民に対する国の福祉配慮義務は否定されるという理屈を立てると、それが広まって、またいつまでも影響して、今日までこのように解釈されている。

http://www.citizens-i.org/kenpo/paper/duty2.html

この規定の由来については諸説あるが、一番有力なのは、元農林大臣石黒忠篤や代議士の竹山祐太郎が、二宮尊徳の「報徳思想」の精神に則って、日本国民が自らの勤労の力で太平洋戦争で荒廃した祖国を再建させてゆこうという発想から提案されたものだと言われている(橋本伝左衛門・日本農業研究所石黒忠篤伝』(1969年岩波書店))。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E3%81%AE%E7%BE%A9%E5%8B%99

詳細を書いてる人がいた。

「・・・貴族院農地調整法委員会石黒忠篤氏の「国民兵役義務に代わるものとして平和国家建設のための労働義務を課する意思はないか」との質問に対しては、「国家の為に労役に服することを想像して規定し置くことは必要であるが、その規定の方法は憲法に明確に定めることは困難で、臣民の権利、自由に制限を加へ或ひは義務を課するには法律による必要があると云ふ様に広い意味で謳って置きたい」と[松本国務大臣]は答へたのであつた。」

http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20090218

2008-02-11

建国記念日ウリジナル

今日建国記念日神武天皇即位したとされる紀元前660年 1月1日(旧暦)な訳ですよ.

紀元前660年とか!日本すげー

他の国ってだいたい1800年??1900年ぐらい建国なのに!

(まぁ実際は神武天皇は実在しないので,崇神天皇即位した紀元前148年ぐらいからが正史って感じだけど)







って思っていろいろ調べてたら・・・やっぱりやらかしてたのはお隣,韓国

紀元前2333年 10月3日 建国神話において檀君古朝鮮王国檀君朝鮮)を建国したとされる日』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E5%9B%BD%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5










いやいやいやいやいや お前の国,できたのポツダム宣言の後だろ.

独立してまだ60年だから(1948年??).

勝手韓国4000年の歴史とかにしちゃだめだから.




と,思わぬ所からウリジナル発見したのでした.

2007-07-01

どのあたりがねたということになるのかがわからな

ソ連北海道を取られてたくらいなら、2つ3つ都市が灰になって100万人死んだほうがずっとマシだった」という本音を聞かされて、「一般市民の命を何だと思っているんだ」と思うのと同時にスターリンに対する憎しみはそれほどまでに強いのか」と思わざるをえないよねって事、が、わからない人には全然わからないだろうな~と漠然と思うだけ。


だってさ、大本営ポツダム宣言受諾して無条件降伏した「決定打」って、1にも2にも8/9のソ連対日参戦じゃん?原爆投下はその「要因」に過ぎないわけよ。ソ連軍さえ満州国境を破ってこなければ年内は戦うつもりだったのだよ?まさか、これ以上一般市民が虐殺されては堪らないから白旗揚げました~なんて本気で思ってんの?東京大空襲の次の日も沖縄守備隊全滅時も降参しなかったのに?アメリカ原爆投下に焦った強欲糞馬鹿ヨシフが日ソ中立条約を一方的に破棄し、背後から騙し討ちのように即軍事行動を起こしさえしなければ無敵の皇軍が負ける筈が無ぇんだっつーの嗚呼忌々しいアカ野郎貴様如きが偉大なる我らがファンファン大佐意識してんじゃねぇょ死ね死ね死んでしまえ千島樺太は全部俺のモンだコンチクショゥうんこプリッ

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