はてなキーワード: 質量保存の法則とは
①質量保存の法則通り、この世にあったものはなくならない。形を変えて存在している。
②私の体は宇宙や太陽系のシステム、自然の一部。それらから離れては生きられない。
この辺までは理系?
③「自分の存在は他であり、他は自分である。部分は全体で、全体は部分である」(by如来)
これが難しかった。自分は他人で他人は自分で、すべては高次で繋がっているそう。
自分さえ輪廻の輪から抜けられればいいとか、他人なんて知るもんか、放っておけ、地獄に落ちろ等の発想はあまり意味がないみたい。「自分一人だけ助かる」ということはありえないらしく、魂は輪廻転生を繰り返して個人の問題を解決していき、次は人類全体の課題を解決しにやっぱり生まれ変わってくる様子。人類は一体不可分というか、運命共同体ということかな。
天国と地獄の解説も面白かった。「地獄霊の愛は正義感」「地獄霊は勧善懲悪の信者」という部分はなるほどなと思った。自分や他人をどうしても許せない人の行く場所が地獄みたい。地獄が悪いわけじゃないけど、苦しいんだね。苦しいけど自分はその苦しみの中にいるのがふさわしいと思っている。安楽な場所にいる自分なんて許せない。
④理不尽に屈しなくて良い。恨んだり憎んだりしていい。でも自分が憎むような相手のことも愛す誰かが現れるよう願えることが「赦し」
これはすごいなと思った。自分一人で全部できなくていい。できないことはできないままでいい。ただ自分ができないことも、他の誰かがしてくれますように。私には許せない人のことも、他の誰かが憐れみ愛してくれますように。
⑤私達は肉体を持って生きる以上どうしても偏った見方しかできない。それを認識した上で、他者の立場を理解しようとすること。
⑥正義感は動物的な本能で欲望と同じ。裏切り者への処罰は快楽中枢を刺激し、中毒性がある。
月夜見著『終わりなき魂を生きる』2022年 1,500円+税 という本です。何か買えとかセミナー入れとかそういう話は一切無し。
でも地下茎が地中に5cmでも残ってるだけで復活する、みたいな話にはまたまた……と思ってた。
抜いた草を突っ込んだゴミ袋が蒸れてるんでかき回してた時、真っ白い新鮮な根っこがニョロニョロと生えてるのに気がついた。
まさかな……と思って調べたらドクダミの地下茎で、小さい葉っぱまで生えていた。根っこも結構伸びてた。他の雑草は腐葉土と化してんのに。
今年の夏は結構気合い入れて草むしりをした。更地になれば新たに生えてくる雑草も目立つもので、せっかく綺麗になったんだからとマメに手入れをしてた。
質量保存の法則というものがあるんだから、ドクダミの成長だって無限じゃない。葉っぱがなきゃ光合成は出来ないだろうし、光合成が出来なきゃ地下茎だって減る一方に違いない。
根比べじゃいと思って少しでも葉っぱが出たらむしったし、根本の地下茎も毎回結構な所までほじくり返した。
でもゴミ袋の中で逞しく生きる生命力を目の当たりにして、なんかもう面倒臭くなってきて液体タイプと粒剤のネコソギをポチった。葉と根で挟み打ちだ。
ビッグモーター御用達の除草王が話題になってたけど、除草剤の効き目をこの目で見てみたいという思いも無意識的にあったのかもしれない。
緑一つない庭を見てると気持ちが良くなる。
心なしかヤブ蚊も少なくなった気がする。
土を掘り返して乾かしまくって砂漠化させたらとても気持ち良いんじゃないかって妄想を膨らませる。建物への害がなかったのなら塩を撒くやつも試してたと思う。
ガーデンニングとは真逆を行っている気がするがガーデンニングの楽しみのエッセンスに触れている気もする。理想の支配の願望を形にしていく感じというか。
質量保存の法則を超越しておられるのでは
我々の世界を縛り付けるあらゆる法則を飛び越え自由になる為の手段が我々には与えられていない。
すべての行動、意思、そして思考でさえも素粒子の踊り、ビンゴカードのマス目に還元され物理法則のくびきを逃れることはできない。
我々の宇宙というひとつの巨大な展開図は畳んでしまえば何の変哲も許さないひとつの点に収束する。
水を生み出す魔法ひとつとってもそれが少なくとも質量保存の法則を無視していることは分かる。
我々の宇宙の始まりの点こそがこの宇宙で最初にして最後の魔法だったのだという主張は無限の説得力を持つ。
寝ぼけ眼をこすりながら階段を降り、半分固くなったパンに手を伸ばし、
TVの電源を入れ、芸能人の不幸に衝撃を受け、歯を磨いて顔を洗ってワイシャツに袖を通し……ドアを開けたとき、
その目の前を、デッキブラシにまたがるお嬢さんがスッと横切る。風が舞い上がる。ふわりとシャンプーの香りが鼻腔を吹き抜ける。
お嬢さんが振り返る。目が合う。
お前らの食ってる野菜がなくなることで崩れる生態系は無視かよw
農業のために森林が開墾されてつぶらなひとみの小動物たちが絶滅危機www
悪いけど地球上のエネルギーを1ミリも消費しないようにするには自分が死ぬしか無いんだわ。
質量保存の法則考えれば誰でもわかる。
だからせめてもの感謝を、奪った命分だけ世の中が良くなるように努力するって、いただきます!っていうんじゃねーの?
俺だって祖父の葬式で、通夜振る舞いに出てきた寿司を見て真剣に考えたよ。
祖父の死はこんなに悲しいのに、この寿司だって同じ生命を奪われた生物じゃないかって。
なんでみんな平気な顔して食べてられるんだって。
そうやって自分なりに真剣に考えて導き出した結論は、娯楽で生物の命を奪わないこと。
奪ったら無駄にしない。
そうして頂いた命で成り立ってる自分も粗末にしない。
俺にも蚊が潰せない時期があった。
ここで潰されたら、この蚊の命は終わるんだ。もし自分だったらどうしようって。
潰されるような相手の血を吸わないといけないような状況になってしまった時点で。
その分この生命をちゃんとしたことに使おうって決めたのだからそれでいいじゃんか。
どこまでいっても、自分が生きている以上は、何かの命を奪うよ。
その中のどれかにしぼって、せめて自分だけは奪わないって決めたならそれでもいいと思うよ。
でも、野菜だけ食べてれば問題ないってのは嘘だね。へそで沸かした茶を飲んだ鼻が笑い出すレベル。
だって、それをするなら世界の人口を減らすほうがよほど効果あるでしょ。
単純に考えて人間が増えた分のタンパク質やらが地球上から減ってるんだから、その分の動物が減るのは摂理。
動物を減らしたくないなら、「食わない」じゃなくて「食う存在を減らす」ってことだとちょっと考えればわかる。
そういう意味で、自分の命を削ってまで動物を食べませんっていうならわかる。
だけど、動物を食べなくても健康に害はありません。っていうのはどうなの?
そうやってノーリスクにエコができますみたいな表現はやっぱりおかしいよ。
さらに言えば自分たちは一切動物に迷惑をかけてないから、動物を食べる人間を攻撃してもOKみたいのはどうなんだっていうの。
他の生き物だって、色々な生き物の命を食って生きてるんだよ。直接的であれ間接的であれ。
淘汰で生き残れなかった命を預かって、次の淘汰に備えてるんだって。
それを人間だけ天上界みたいなところから見下ろそうなんてのは文明2,000年程度の青二才には早すぎるよ。
ヴィーガンの存在は別に自由だけど、思想は鼻で笑うよ。悪いけど。
じゃないとお前の血肉になった命がうかばれねえだろ。
お前の命がいたずらに奪われても文句を言うなよって思う。
でもそれは植物も一緒で、野に咲く花を引っこ抜いてちょっと嗅いだくらいで捨てるやつもおんなじ。