はてなキーワード: クイーンズとは
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(出来事)
1700頃オルコックアラビアン誕生
1724 ゴドルフィンアラビアン(三大始祖)誕生
1776 セントレジャーステークス創設
1780 ダービーステークス創設
1807 ゴールドカップ創設
1836 フランス・ジョッキークラブ賞(フランスダービー)創設
1858 バーデン大賞創設
1861 メルボルンカップ創設
1863 パリ大賞典創設
1867 ベルモントステークス創設
1873 プリークネスステークス創設
1875 ケンタッキーダービー創設
1896 ケンタッキーダービー距離変更
1907 日本・小岩井農場が種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬(小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する
1909 ジャージー規則がジェネラルスタッドブックに記載される
1922 コックスプレート創設
1924 パパイラスとゼヴのマッチレースがベルモントパーク競馬場において行われる
1932 東京優駿創設
1937 天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合)
1939 皐月賞(横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞(中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)
1951 キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス創設
1952 ワシントンDCインターナショナル創設(1984年のブリーダーズカップ創設以降は価値低下)
1954 フェデリコ・テシオ死去
1956 有馬記念創設
1970 ミスタープロスペクター誕生
1976 アイリッシュチャンピオンステークス創設
1981 アーリントンミリオンステークス創設
日本・中央競馬の競走体系変革。グレード制導入。天皇賞秋の距離短縮
1990 日本・社台ファームが種牡馬サンデーサイレンスをアメリカより輸入する
1996 ドバイワールドカップ創設
2002 ドバイシーマクラシックが国際G1となる
絵に書いたようなアメリカンなリーダー像を見ることができておもしろい。
私、英語苦手だから練習がてら見てるんだけど、クオモの英語はとても
聞き取りやすい。語彙も相当考えて難しい言葉使わないようにしてる気がする。
まあニューヨークはコロナ対策の初動に大失敗したわけだが(そんな逆境にあるからこそ?)、
大変立派な語り口で強い印象を与えるので、一度見てみてほしい。
たとえば、突貫工事で新設した病院の落成式(簡素なやつ)で、工事にあたった工兵部隊を前に
こんなことを言う。超適当訳。
「我々は深刻な状況にある。それは事実だ。
明日の朝起きたらすべてが収まっていてほしい、これ以上誰も死なないでほしい
と私も思うが、データはそうは言っていない。
コロナ以外の病気で、治療を受けられず亡くなる人を含めずに、だ。
いいニュースもある。罹患者数は増えているものの、罹患率は落ち着き始めている。
今後数週間の我々の行動が重要だ。
ニューヨークは世界で最も多様な人種が住み、エネルギッシュで、人と人の距離が近い街だ。
ニューヨークは世界一スペシャルな街。クイーンズ訛りの私が言うんだから信じてもらえるだろう。
その特別さが、今回は裏目に出た。しかし、まったく同じ理由から、我々はこの困難を克服できるはずだ。
この病院はそのために不可欠な基地になるはずで、厳しい環境で短期間に仕事を成し遂げた
あなたがたと、献身的な医療スタッフを私たちNY市民は誇りに思うだろう。
みたいな感じの30分近い演説をカメラ目線で(プロンプターはあるだろうけど)やりきる。
壇上には本人と医療関係の担当者の2人だけで、質疑応答も基本本人が答える。
ヒーローを作り上げてパトリオティズムに訴えかけるって点で功罪あるとは思うんだけど、
日本の政治家でこのレベルの話ができる人がいたら、どうなってたかねと想像してみる。
多分嫌われるんだろうな。それはそれで一つの見識かもしれないし、よくわからん。
2012年12月、私は21歳だった。私は失恋して、一人でクリスマス休暇中にニューヨークに来た。ギザギザした気持ちで、寒い街をくまなく歩く。人はきっとこれを傷心旅行と呼ぶんだろうな、と思った。
バラク・オバマ大統領が再選が確定して、世の中はひと段落し、クリスマス休暇で街中がウキウキしていたのをよく覚えている。
ニューヨークはその年暖冬だった。街に雪は降っておらず、大学のトレーナーと、ZARAのダッフルコート、リーバイスのジーパンを履いて街をうろうろしていた。それで十分な寒さで、ニューヨーカーに良い時に来たね、と言われた。
ニューヨーカーはみんな洗練して見えた。少し、日本に似ている。少なくとも私が長くいたカルフォルニアよりずっと。太っている人が少ない気がする、とタクシーの運転手と話した。みんな歩くからね、と彼は話す。ニューヨークは交通の便が良いようで悪いから。
MoMAにムンクの絵が来ていた。それから、グッゲンハイム美術館にはビカソ。芸術の面では世界で一番恵まれた街の一つだろう。美術館には少しドレスアップして行かないといけないのに、私はトレーナーできて少しばつの悪い思いをした。ダッフルコートがあったら、少しましだっただろうに、クロークに預けてしまった。MoMAのゴッホの絵は、荒々しい筆致でところどころに筆の毛が油絵の波の中にまじっていた。本でしか見たことのない絵に私は興奮したけれど、元恋人と一緒に見た気のする絵だったので寂しくなる。横にいるはずの人の不在が私を虚しくした。
本当は、彼と一緒に来るはずだった。私はその気持ちを振りきってにピカソの白黒の絵の前を通り過ぎる。グッゲンハイム美術館は、らせん状の作りになっていて、ピカソのデッサンや下書きばかり仰々しく飾ってあって私は不満に思った。
夜は一人でホットドッグを食べた。一人旅なのだから、無理してお洒落な店に入る必要もないし、お腹を少し満たせるならそれで良かった。一緒にいる人がいないと、人は自分を粗末にする。夜のニューヨークは一際しんと、寒かった。眠らない街と言うけれど、意外と夜は静かだった。
翌日も、前日と同じくらいの気温だった。メトロポリタンミュージアムの前で、イタリア系の画家と少し話した。絵を書いてるんだ、僕のアトリエに来ないかい。私は頷いた。マンハッタンを出て、クイーンズに行く。私の英語が訛っているのをからかわれた。あまり綺麗な英語を使えている自信はない。アトリエは沢山の絵があった。マチスに影響を受けていると彼は話す。家と隣接していて、君の絵を書きたいなと言われたけど私はかぶりを振る。あまり長く、ニューヨークにはいない。彼はそれでも私を椅子に座らせて、素早くスケッチをした。彼のノートの上に寂しそうな顔をした私の顔がのっている。似てる、と笑ったら、君を描いたからね、と真剣に答えられて辟易した。
彼の家でお菓子をごちそうになる。甘いチョコレートケーキだった。赤いソファに腰かけた。ピカソの絵の赤いソファは、安らぎを意味する、という話をした。ふと、彼が急に怒りだした。君は今、君の元彼氏のことを考えているんだろう。私は、違うと言おうとしたけれど、止めた。
赤ワインを飲んで、私は彼と別れた。駅まで送ってもらった。また来てね、と言われて私は手を振る。携帯番号を教えたけれど、多分きっと、彼にもう会うことはない。
マンハッタンのホテルに戻って、倒れこむように寝た。思ったより疲れていた。
翌日はふらふらとミュージカルを見に行った。タイムズスクェアは騒々しく、買えたチケットはミュージカル版スパイダーマンだった。一人で見る、とチケットブースのおばさんに行ったら、一人なら良い席があると言われて、格安でその席のチケットを買うことができた。開幕まで時間があったので、トイザラスの2階のガラス窓に寄りかかってタイムズスクェアを眺めていた。クリスマスが近いからか、トイザラスは人でごった返していた。
手元の携帯のプリペイドが、もう少しできれてしまう。私は更新しようと思ったけれど、やっぱりやめた。どうせなら買い直して、新しい番号にしようと思った。ミュージカル版のスパイダーマンは思ったより良かった。
翌日、私はニューヨークを去った。ロサンゼルスで熱を出して、ボーっとした頭のまま、ニューヨークにいた時間のことを考えた。携帯は鳴らず、最後に母に電話して、ゴミ箱に捨てた。
典型的な日本人思考だな。人の批判してるヤツが何も理解していないのが笑える。
自然より面白い人って希少種だぞ。まずお前程度では比較にすらならんし、お前の知り合い程度でも同じだろうよ。
お前が会えるのはせいぜいワーキング程度だろ?本国じゃ負け犬って呼ばれる人種だよ。
俺の場合、旅行は自然や見た事のない物を見るのがメインだ。人は仕事で会えるからな。
だいたい、ある程度カネ持ってる格好してるから、旅先でいきなり知り合ってホイホイついていったら今頃死んでるな。
そんで俺は英語喋れないよ、広東語と北京語が少しわかるくらいだ。
嫁はクイーンズイングリッシュらしいがよくわからん。たまに偉い人に会わせると凄く感心されるな。エクアドルではちょっと通じにくそうだった。
外資で年収5000万取ってる知人が居るが、そいつは英語が喋れない。日本語オンリーだがそいつしか出来ない仕事が有るから通訳の秘書がずっとついてるよ。
日本で年収30万ドル取ってる超一流のPGも仲間内に居るが、そいつは北京語と英語しか喋らない。日本語は一切ダメ。意思疎通の為に上司が英語コースに通ってたよ。
ちょっと英語が喋れて外国人と話したら「何かを知った気になるなんて大学生とかじゃないんだから」さ。
下衆の勘ぐり入れる前にもうちょっと深く考えろよ。
ジャスコってどんなところなんだろう、とずっと思っていた。今はイオンだけど。
小さいころから、CMは頻繁にやっていて目にするのに、近所にジャスコは無かった。
大人になって、出張で栃木に行った。支社の人の車に乗せてもらってるとき、初めてジャスコを見た。「あ!ジャスコだ!」と大声を上げた私を何がそんなに珍しいのかと他の人は訝しがった。
通り過ぎただけで中には入れなかった。
いまだにイオンには行ったことがない。憧れだけがそのままだ。近所にまいばすけっとが出来たから、イオン製品はよく見るし、ダイエーやイトーヨーカドーに近いということはわかってる。でも時々ニュースでみるような、大きなイオンに行ってみたい。
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