「セントサイモン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: セントサイモンとは

2023-06-30

anond:20230629223718

男の種が偏ると、セントサイモン悲劇になるらしい。

セントサイモン悲劇

しかし、この繁栄は長くは続かず1910年代半ばには衰退を始めた。1908年から1914年にかけ有力な種牡馬が相次いで死亡、その上残った種牡馬も輸出されたり失敗したりで活躍馬を出せなくなり、牡馬クラシックホース1914年エプソムダービー勝馬ダーバー(Durbar、フランス産)が最後となる。最終的に、産駒世代17勝、その下の孫世代が27勝に達したセントサイモン系の英クラシック勝利数が、その下のひ孫世代では5勝に急減した。しかも5勝全てが牝馬1000ギニー2勝、オークス3勝)に偏り、牡馬はついに0勝に終わった。

この結果、イギリス国内セントサイモン系は急速に数を減らし、1930年ごろまでには親系統に当たるガロピン系を巻き込んで姿を消した。また、オーストラリア南アメリカに広がっていたセントサイモン系も同様に滅亡した。隆盛を極めたセントサイモン父系があまり短期間のうちに消滅してしまったために、日本では「セントサイモン悲劇」と呼ばれている[注 6]。

このような結果に終わった理由として、ある種牡馬の血が交配可能牝馬の大半に行き渡ると、その種牡馬系統に属する種牡馬は近親交配を避けるために満足な交配機会を得られず、その結果急に勢力を減じると理論づけられることがある[15][注 7]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3

2020-10-28

anond:20201028002727

神話にも思えるほど昔の話って三大始祖からエクリプス古代ギリシャ後期ぐらい)とかで、

戦国時代ぐらいがセントサイモンとかで、

明治大正のたいへんな時代リボーとかで、

高度成長期伝説セクレタリアトで、

シンザンとかそのあとだと思ってた。

 

ナリタブライアンも見たことはないけど子供のころ、

法事たまたまついてたTVでたぶんエルコンドルパサーが勝ったシーンを見た人間感覚

2020-07-19

海外競馬史年表(抜粋

https://anond.hatelabo.jp/20201206114053

出来事

1610頃マーカムアラビアン誕生

1635頃オールボールドペグ誕生

1665頃ダーシーズイエローターク誕生

1670頃ダーシーズホワイトターク誕生

1679 バイアリーターク(三大始祖)誕生

1690頃カーウェンズベイバル誕生

1700頃オルコックアラビアン誕生

1700 ダーレーアラビアン(三大始祖)誕生

1714 フライングチルダ―ズ誕生

1724 ゴドルフィンアラビアン(三大始祖)誕生

1764 エクリプス誕生

1776 セントレジャーステークス創設

1780 ダービーステークス創設

1796 アメリカダイオメドが輸出される

1800代フランスサラブレッド生産が本格化する

1807 ゴールドカップ創設

1809 イギリス2000ギニーステークス創設

1836 フランスジョッキークラブ賞(フランスダービー)創設

1840頃アメリカレースの短距離化が始まる

1849 ストックウェル誕生

1850 レキシントン誕生

1858 バーデン大賞創設

1861 メルボルンカップ創設

1863 パリ大賞典創設

1867 ベルモントステークス創設

1873 プリークネスステークス創設

1875 ケンタッキーダービー創設

1881 セントサイモン誕生

1896 ケンタッキーダービー距離変更

1898 フェデリコ・テシオ、ドルメロ牧場を開く

1905 日本馬券黙許

1908 アメリカ競馬禁止時代

1907 日本小岩井農場種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する

1909 ジャージー規則ジェネラルスタッドブックに記載される

1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設

1919 アメリカマンノウォーデビュー

1920 凱旋門賞創設

1922 コックスプレート創設

1924 パパイラスとゼヴのマッチレースベルモントパーク競馬場において行われる

1928 トウルビヨン誕生

1932 東京優駿創設

1935 ネアルコ誕生

1937 天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合

1939 皐月賞横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)

1949 凱旋門賞賞金増額/ジャージー規則撤廃

1951 キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス創設

1952 ワシントンDCインターナショナル創設(1984年ブリーダーズカップ創設以降は価値低下)

1954 フェデリコ・テシオ死去

1956 有馬記念創設

1959 カナダクイーンズプレート出走条件変更

1961 ノーザンダンサー誕生

1962 アイルランドダービー賞金増額

1970 ミスタープロスペクター誕生

1976 アイリッシュチャンピオンステークス創設

1981 アーリントンミリオンステークス創設

    ジャパンカップ創設。天皇賞勝ち抜け制廃止

1984 BCクラシック創設。BCターフ創設

    日本中央競馬の競走体系変革。グレード制導入。天皇賞秋の距離短縮

1987 パリ大賞典距離短縮3000m→2000m

1990 日本社台ファーム種牡馬サンデーサイレンスアメリカより輸入する

1996 ドバイワールドカップ創設

1999 香港カップが国際G1となる

2002 ドバイシーマクラシックが国際G1となる

2005 パリ大賞典距離延長2000m→2400m

2017 ペガサスワールドカップ創設。ジ・エベレスト創設

2020 サウジカップ創設

2020-05-28

anond:20200528112342

“女側は多様なんだから

最初のうちはな ただそんな状況が続けば男も女もみんな一握りの優秀なイケメンの子孫ばかりになって近親交配になるよ

セントサイモン悲劇」で調べると分かる 英国競馬で実際に起きた出来事から

2009-07-27

ブギーポップ以外にあり得ない

このところ、ライトノベル歴史の中で最も重要作品はなんだったんだろう、と考えることがある。

真っ先に銀英伝を挙げる人もいるだろう。

ためらいなくロードスだという人もいるだろう。

スレイヤーズで決まりだと断言する人もいるだろう。

それでもけっきょくこの結論にたどり着く。

ブギーポップ以外にあり得ない、と。

思うにブギーポップの(というか上遠野浩平の)歴史的に重要な特徴のひとつは、

技術的にかなり隙だらけだったことじゃないだろうか。正直、上遠野浩平の文章はお世辞にもうまいとはいえないし。

「笑わない」を読んで、何人かの志ある若者は、「すげえ!」と打ちのめされつつも、

「もっとこう、こんな文章で、こんなキャラで、俺も書きたい!」なんて思ったんじゃないだろうか。

そういう若者の数はたぶん、銀英伝を読んで「俺はこれを超えるスペオペ戦記を書く!」なんて思った気骨ある人間よりはるかに多かったはずだ。

実際んとこ、銀英伝はあれだけ昔の作品なのに、売り上げで勝る後続スペオペ作品は現れていない。

ロードスもそうだ。巻割り売り上げでいうとスレイヤーズはちょい落ちて、オーフェンもちょい落ちて、

以来、ロードスを超える売り上げのファンタジー作品は出現していない。

ブギーが。

ただ、ブギーポップだけが。

その血を広げて、自分を超える子孫を生み出した。

たぶん競走馬でいうと、ロードスはセントサイモンで、ブギーはネアルコだったんだと思う。

 

  

◆◆◆

 

 

色々追記とかトラバブコメにお返事とか。

 

>それじゃブギーだけ大して売れていないとしか言っていないぞw

そうそう。銀英伝、ロードス、スレイヤーズオーフェンなんかと並べたとき、ブギーは一桁落ちる。

でも影響力は絶大だった。直系の子孫から、もっとすごいのが現れた。このエントリはそういう話。

 

ノーザンダンサーがどの作品になるのか気になる

それはもちろん、孫の代に生まれて、ブギーをはるかに上回る実績をあげて、短期間でレーベル間の海を越えてまで血を広げた、

赤毛で小さくて日本刀の切れ味で気性がツンツン荒くて釘宮声でいななく、あれだ。

でもそういう論点で語られることってあまりないんだよね。不思議だ。評論ごころを刺激しない作風だからなんだろうか。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん