2020-07-27

私は以前から大学へ行きたいなら、貸与型の奨学金を最大まで借りてでも行ったほうがいい。行きたいなら、そしてしっかり勉強する覚悟があるなら、何百万と借金をしてでも行く価値がある」ということをネット喧伝してきた。しかし先日、とある大学の偉い先生ネットバトルをしており、お相手が「私はお金がなくて大学に行かなかった!おまえは恵まれている!」のように言ったことに対し、「私は数百万の借金をして大学院進学しけどなw」のように返しており、哀しい気持ちになった。

お金がなくて大学に行けない」というのは、実際のところ「お金」が問題ではないだろう。親がどの程度応援してくれるか?周囲にどの程度情報があるか?様々な要因が、その人の「資本」であり、それが足りない状況が「お金がない」という言葉に集約されてしまうことはよくある。事情は人それぞれあるだろう。

大学先生が、そういうことに想像力もなく、安易マウントを取ってしまう様を非常にグロテスクに感じた。

私は、そんな風にマウントを取る材料にするために、「お金を借りて大学へ行こう!」と喧伝したわけではない。「大学はそれだけ行く価値がある。あなた人生を諦めないで!」と、普段は声の届かない人々へ声を届けたかたからだ。

大学へ行きたくても行けない」ということが、一体どういうことなのか、どうか想像力を持って欲しい。

  • お金がなくて大学に行けないというのもいくつかのケースがある。 生家の家計が厳しくてすぐにでも働いて家族を養わなければならない場合は、働いてお金を稼ぐと同時に、放送大学で...

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