はてなキーワード: DeathNoteとは
MBTIなる性格診断ツールが流行りだして以来から、長らく疑問だったことが最近自分の中で肚落ちした気がするので述べていこうと思う。
というのも、なにか当たり前のように「MBTI何?」のような質問が飛んでくることが多くて、そのたびにMBTIの名前を借りただけの16診断を何をもってそこまで信頼しているのだろう、とか、なんで当たり前のようにやっている前提なんだ、とか、我ながらひねくれたような気持ちを抱いていたんだけど、そういう人々の一部が、どうしてそんなことを聞くのかが少しわかったような気がしたんだよな(もちろん、流行っているから話題の一つとして提供しているだけの人がいるということは理解したうえで、今後の話を聞いていただけるとありがたい。俺はENTPらしい)
それは、他人と自分との違いに対する理解がものすごくざっくりとしている人がおおい、ということ。これは別に俺が他人をすごく理解できるというわけではなく、むしろ俺はなぜそうなるんだ?と他人との不理解を繰り返して来た側なのだが、その根幹には「そりゃ自分とは違う遺伝子を持ってて違う環境で育っているのだから価値観も能力も違うよな」という、ものすごく当たり前の事実があったからで。
しかしどうやら、ここ最近この常識と思っていたところが常識ではないのではないかと思い始めた。親ガチャ、という単語が流行っていた時にも思っていたのだが、俺がその単語に対して抱いていた「親が違うのであればそこで生まれた子供は自分じゃないんだから、お前はその親のもとでしか生まれることができないのでは?」というような疑問を突き詰めて考えていってたどり着いた結論が、世間の「自分」の定義がものすごく緩いということだった。なんとなく生まれ変わりみたいな思想がもともとある日本だからこそ、「自我」や「魂」のような不変のものが、ただ今はこの器にいるだけ、のような認識をしている人が多いように感じた。つまり自分とは「魂」っていう思考になるんだよな。
そして、それは他者への無理解へとつながってるんじゃないだろうか?例えば、容姿に優れていない人は、容姿が優れている人なりの悩みを一蹴することがあるように。自分なら容姿が優れていたらそんなことで悩まないというような論は、ただお前がブスなうえ想像力がないだけだと思うが、「自分があの器に入っていれば」という理想論的なものがこの無理解的な感情論につながっているように思うんだよな。
つまるところ、本人が自覚的か否かにかかわらず、「俺か、俺以外か」という、ローランド的な分類で人を見ている人がこの世にはある一定数存在するのだと思う。他者がNPCのようなものに見えるのであればそりゃ無責任で無理解な発言も飛び出すよな(勉強できる奴が勉強めっちゃやっても結果出ないやつに対して努力不足に感じるのも自身からの視点しかないからであって)
で、こういう人種にとって、きっとMBTIってものすごい発明だったんじゃないだろうか。いままで自分か、それ以外かっていう二パターン、もっというなら自分と波長が合う人(理解できる人)と理解できない人がいる世界を、少なくとも16種類に分けて見せたんだから。この人はこういう種類の人なんだ、じゃあたしかに私とはこういうところが違うんだろうな、っていう他人に対する不理解を理解するための、大きな手助けになったんじゃないかと思う。だから最初に、この人はどの種類の人なんだろう、を聞こうとするんじゃないだろうか。その人の世界にいる人間は、ポケモンみたいに16種類のタイプ分けがされているのだから、確かに俺も新しいポケモンが出てきたら何タイプか、考えてしまうし。
ただそれが少し、危うくなっている人も時々見かける。そもそも言葉とか分類っていうのは、実態とは必ずずれる。実態はもっとふわふわした気体のようなもので、言葉とか分類とかはがっちりとした固体のようなものだ。あてはめようとすれば必ずはみ出るところがあって、だから俺たちはいろんな表現を尽くして、なるべく実態に近似するように人を評価していく。しかし、MBTIに記述された世界に生きている人にとっては、実態よりも分類が優先されているような気がする。本当は70億の人がいれば70億通りの違いがあるはずなのに。
ガキの頃は嫌いになればそいつのすべてが嫌いだったような単純的な評価しかできなかった俺も、ある程度年を重ねてそれが他人の一面でしかなく、たとえば仲間には情に厚いところがあり、それが翻って俺に対する攻撃性になっていたんだなとか、他人の顔色に敏感なこの人はこういう家庭環境が根幹になっているのだろうかとか、少しだけ世界の解像度が上がったように感じている。
偏見で申し訳ないんだけれど、たぶんMBTIを信じている人とかはこういう文章を読まなそうだから、別にそういう人たちに届いてほしいわけではないけれど、意外と色眼鏡を外してみたら、人は多様で面白いよ、という話をしたかった。最近、DeathNoteのリュークみたいになっている。リゼロの人の人生を追体験できる本、ああいうのすごく面白いよなあ。
コナン、犬夜叉、魔法先生ネギま!、鋼の錬金術師、MAR、るろうに剣心、学園アリス、しゅごキャラ、はじめてのあく、あいこら、クロスゲーム、ツバサクロニクル、マギ、アラタカンガタリ、ムヒョとロージーの魔法律相談事務所、ボーボボ、進撃の巨人
途中で読むのを辞めたの
結界師、銀魂、Dグレ、ハヤテのごとく、トニカクカワイイ、君に届け、アオハライド、神のみぞ知るセカイ、BLEACH、カイジ、絶対可憐チルドレン、電波教師、黒執事、ながされて藍蘭島、SKETDANCE、アホガール、PandoraHearts、ソールイーター、DEATHNOTE、REBORN
多分読んでるのもっとあるけど全部書いたら大変だからここら辺にしとく
恋愛もあって他のこともしてるみたいなやつ
久しぶりに漫画買いたくなってきたけど、どれ買うか決まらねぇ〜
ここ数年は、シリーズ物の漫画は買わなくて、ゲームばっかりしてたからな
ゲームとかだと、そのゲームクリアすればストーリーは終わるからやりやすいんだよね
漫画だといつ連載終わるか分からないし、買っても中途半端なところまでしか読めないから
あ〜でも久しぶり何か漫画が読みたい
返信にも書いたけど一応
コナン、犬夜叉、魔法先生ネギま!、鋼の錬金術師、MAR、るろうに剣心、学園アリス、しゅごキャラ、はじめてのあく、あいこら、クロスゲーム、ツバサクロニクル、マギ、アラタカンガタリ、ムヒョとロージーの魔法律相談事務所、ボーボボ、進撃の巨人、いちご100%
途中で読むのを辞めたの
結界師、銀魂、Dグレ、ハヤテのごとく、トニカクカワイイ、君に届け、アオハライド、神のみぞ知るセカイ、BLEACH、カイジ、絶対可憐チルドレン、電波教師、黒執事、ながされて藍蘭島、SKETDANCE、アホガール、PandoraHearts、ソールイーター、DEATHNOTE、REBORN
多分読んでるのもっとあるけど全部書いたら大変だからここら辺にしとく
恋愛もあって他のこともしてるみたいなやつ
設定厨のたわごとです(前置き)
160cm/41kg みたいなやつ。嫌い
正確には明らかにその数値に沿う体格じゃないのに、数値だけ適当に低くしたプロフィールが嫌い。
Gカップ!と設定し、明らかにムチムチな太ももを描写してるのに上記の数値だったりとかザラである。スポンジ製?
数値だけでは無い、例を挙げる。
DEATHNOTE L:身長 - 179cm 体重 - 50kg みたいな「説得力」を持たせたクソ軽数値はわかる。
(不健康、偏食家、頭脳労働者、推定年齢からなる基礎代謝。そもそも「明らかなガリガリ」として描かれている。説得力がある。)
わざわざ数値を設定しているにも関わらず、中坊の童貞並の知識しか備えてないクリエイター側の理解力の無さも嫌い。
BMI値とか知らないの?身長-110みたいな計算しかしてないのか?シンデレラ体重とか言って、
明らかに難民孤児な体重を設定してるのはただ無知なだけであり、恥でしかない。
女の中から上澄みをさらった上での数値設定だという事は理解している。それを承知の上でもクソ酷いと言わざるを得ない。
体重-**kg理論で設定している奴は上記の例をご覧いただきたい。
前者は「平均、若者に限って言えば平均値より若干多め」ではあるが、後者は「難民」でしかない。骨と皮。頬がこけて鎖骨に水が溜まる数値である。
ファンタジー体重として夢を見せたいのならば、基準値は理解していないといけない。
ホモが嫌いな女子はいません!!
((嫌いではないというだけで、積極的に好んでない人も含む))
初めて聞いた時はなんだそりゃ? だったが、10年前くらいから今で言う腐女子認定されてもおかしくない女性達は、よく男と男のカップリングを表明する時「頭腐ってるからさぁ、ごめーんねー」と言っていたので、それでだなーと素直に納得した。
時は流れ、腐女子と言う言葉はなんだかオタク女子の代名詞にようにも使われてきました。
乙女ロードなどが報道されるようになったため、会社の女性なども気軽に腐女子と言う始末。
なおかつ、ホモネタが好きな女性にも使われるようになったようである。
しかし、私は違うと言いたい。
腐女子は「女子オタク一般」でもなく「ホモ(ネタ)好きな女性」のことでもない。
なんでもかんでも男と男をくっつける女性のことだ!
そのあたりに区別をつけて、身に覚えのない人を腐女子呼ばわりするのはやめて欲しいと思う。
で。
上記にホモネタが嫌いな人はいませんと書いたが、ホモネタというかカップリングが嫌いな女性はいる。
腐女子叩きをする人がいる。
その人が腐女子を叩く理由は○○○先生(某特撮ヒーロー。主婦に大人気)((このファン層の腐女子叩きが一番苛烈だった。炎上させられた友人腐女子にもかなり問題はあったのだが))を男とくっつけるのが嫌なのではない。
○○○先生とは自分が結ばれたいから、他のキャラとくっつけるなという話なのである。
結局は妄想の産物ゆえの行動、腐女子のカップリングと大差はない。
私はどうかというと。
ホモネタははっきり言って好きだが、なんでもかんでも男同士をくっつけるのには閉口するし、お話の中にいい男が出てきたら「これ腐女子向けに書かれてるよね」というのは勘弁して欲しい。
「DeathNote」でそう言われた時にはその他二人で「違う」と大抗議した。
あとオタク女子はエ○が好きだって認識もどうにかして欲しい。これにも閉口。
と書きながらも言葉の概念はいつか変わっていくんだろうなと思います。
大勢が変わったらそれに従い言葉を使うのみです。
でも、今は嫌だ。