はてなキーワード: 武装蜂起とは
上に追記したんだけど、無理やり殺したら親が国を恨んで武装蜂起したり、世を儚んで死んだりするから、親の生涯税収確保のために生かしておくとかもあるのかも。
自分のイメージでは、愛国心が無くなると常に地方が自治体としての独立を求めて政権と反政権で別れて内乱が始まると思う
まず最初に決起するのはグンマーだろう。ダサイタマもそれ続く。当然、沖縄は中国領琉球になり、北海道はロシア領となるだろう。
愛国心がないんだから当然だ。愛国心無くして、日本に帰属してなきゃいけない理由はないからな。
47の自治体がバラバラに分解され、宗教信者や反政権派、国外スパイは求心力を失った政府に対して武装蜂起するだろう。
そうやっていまだに世界は戦争のなくならない混沌を極めているということを理解してないとは。頭クラクラしてくる。
いや、その混乱を引き起こして自分たちが国を統べるんだと鼻息荒い連中がリベラルだの左翼だの気取ってるのかな。
だとしたら単なるセロリストだぞ?
みんなルーデルとか大好きだけど、ルーデルに撃破されて死んじゃったヒトっているよね。すげえ狙撃主とかエースとか、英雄的な兵士の話って好きなヒト多いけど、彼らにやられてあっさり死んじゃったヒトはいるよね。空戦でも陸戦でも海戦でも格好いい話はあるけど、死んでるヒトももちろん沢山いる。
正規軍だから、とか、勝利側だから、とかってことじゃなくて、戦争での殺人は個人対個人の殺人とは別って考えないといけないよね。そりゃそうだ。そうじゃなきゃ、カーティス・ルメイとかどうすりゃいいの。ひとりで何万人も殺してるじゃない。
末端の兵士の戦争責任ってなんだろうね。難しいよね。やっぱり、戦争を手段として用いた為政者なり立案者が責められるべきってことだよね。東京裁判とかもそういうことでしょ。まあ、勝ったほうは普通は責められないと思うけど、それでもアメリカなんかは「戦争という手段を選んだ」為政者(大統領とかその周辺)に対する非難はあるよね。
何が言いたいかっていうと、ISISのジョンについてなんだけどさ、彼も末端の兵士としての軍務を彼なりの真面目さで全うしようとしてるんじゃないかって気がするんだよね。いや、もちろん、人質をとって首切るとかひどいし、許される行為じゃないと思うけど、そういう方針を立てたのは彼じゃないよね、きっと。誰かがいるんだよ、「正面からぶつかっても勝ち目はないし宣伝にもならないがこういうやり方であれば僅かな殺人で大きな効果を発揮できるはずだ」とかそんなこと考えた奴が。で、それを承認して作戦として採用した奴もいるはずなのね。ちょうど、戦争末期の日本軍で特攻や玉砕を有効な手段と判断した軍人や政治家がいたように。
テロ集団とか言われながらも末端は色々信じて彼らなりに任務を全うしようとしてるんじゃないかな。もちろん、士気の高い低いとか思い込みの強い弱いはあると思うけど。
よく、日本軍に関して「末端の兵士は頑張ったが上が馬鹿だった」みたいな言い方するヒトいるじゃない。あれあれ、あれだよ、きっと。というか、そういうことにしますよってことにしとかないと、遺恨が残るでしょ。そういうことにしとかないと。
話は変わるけど、水滸伝とかって山賊の話だよね。三国志も勝手に蜂起した反乱軍の話。どっちも結構残虐なこともやってる。けど、昔の、それも作り話だからってことで読めちゃうし色々考えたりもするよね。ある種の英雄みたいな感じもあるし。
そういえば、スター・ウォーズも帝国に対しての反乱軍の話だよね。
巨大な支配者に立ち向かう話ってフィクションだとみんな大好きだけど、多分現実にそのつもりで戦ってると思われる集団には冷たいよね。「やり口が汚い」とか「正規軍じゃない」とか、どうかなあ。彼らは彼らで絶望的に勝ち目の無い相手に対して最も効果的な手段を模索してるんじゃないかって気もするんだよね。なんていうか、抑圧的な支配層に虐げられてきたという実感の元の蜂起とそれに呼応する有志って、後になって歴史になった時にどう判断されるんだろうね。砂の煙の物語として語り継がれてしまうような気もしないでもないんだけど、どうだろう。
いや、個人的にはそもそも人質とったり武装蜂起したりじゃない平和的で民主的な手段で解決しろよって思うんだけど、支配する側がそれほど平和的でも民主的でもなかったりするし、支配する側もされる側も武力でのやりとりに慣れちゃってるっていうのもあるのかもなあ。日本の戦国時代とかもそんな感じだったのかなあ。今となってみるとあのあたりはフセインがでかい顔してたほうがまだましだったんじゃないって気もするよね。
平和を志向する民主社会が他国や地域に対してできることって限られてると思う。風刺とか、まあ分からないでもないけど、どうかなあ。それより、「携行小火器の回収」というか、世界的な刀狩的な何かが必要なんだろうね。あとは回りくどくても格差の縮小と教育なのかなあ。「対抗組織に軍事的な支援を」とかっていうのは新たな武装勢力を生み出すだけ出し遺恨も残しそうだから止めた方がいいって思うけど、アメリカはまたそういうことしちゃうんだろうか。ウクライナとかでも。
ネットを見ていると非常に多くの人が現状を嘆き、憂い、悲しんでいる。モテない、就職できない、対人関係に悩んでいる。そういう人たちを見ると、何か力になれる事はないかと必死になって慰めの言葉を探したり、自分の経験から何かアドバイスできることはないかと推敲を重ねて文章を書いたりしていた。そういう人たちをどうにかして救えないものかと考えないではいられなかったのだ。しかし、この考えは間違いではないかという事を最近考えるようになった。
自分を顧みて自分は何ほどのものぞ、という事だ。高々ネット歴数年の自分のような凡人が、長年ネットに滞在する人々にアドバイスするなんて、釈迦に説法だ。もう議論なんて出尽くしている。定石、反論、オブジェクション、全部ご存知なのだ。知っていて、さらに嘆き、憂い、悲しんでおられるように素人目には見えるだけなのだ。
ネットで悩んでいるように見える人々のニーズの深遠など凡夫にわかるべくもないのだ。そのニーズとは、ただ共感して欲しいだけであったり、おっさんにアドバイスなどして欲しくないというものであったり、美少女からのみアドバイス募集中ということであったり、俺にアドバイスして良いのは東大のみということが前提条件であったり、いやむしろ偉そうにアドバイスする人を地球上から殲滅するのが目的であったり、そのニーズたるやわかろうはずも無い。
果たして自分は、全ての人のニーズを理解しているのかしらん、くらいのことは熟慮して、アドバイスすべきかどうかを吟味する必要がある。
いや、大体そういう人たちに対して、『嘆き、憂い、悲しんでいらっしゃると見ること』自体がおこがましいのだ。何らかの憐憫の情を感じている時点で、お前は何様だという事になる。彼らにとってみれば、そういう憐憫の情こそが、すでに押し付けであり、鬱陶しいものなのだ。
例えば、モテないという人を集めて、理想の国家を建設するという方法を考えてみよう。絶世の美女で性格が良い処女のみを集め、モテない人たちに配布するのだ。もちろん国家のために生まれてきた女の子は国で接収し、モテない男に配布するために英才教育を施す。条件に合う女性が少なくなれば諸外国から略奪するしかない。国民の男子がこれはどうみてもモテるだろという男に成長したら国外に追放するしかない。これはモテない男にとっては良い国かもしれないが女性にとっては言語道断の国だ。
仕事が無いという人には、仕事を与えるしかない。これはもう、武装蜂起して不正で私服を肥やす役人を廃し、適切な仕事のみを残し、企業を全て国営化するしかない。能力の無い人に不平が出ないよう、国民に等しく平等に仕事を与えなくてはならない。デスマーチと呼ばれる過酷な労働が無いよう、週休三日くらいにして給料は全員、年間1000万円。現在これ以上の給料をもらっている人から不満も出るだろうが、国民の5%にも満たないので、民主主義の観点からも無視して良い意見だ。ひょっとしたら給料が足りなくなるかもしれない。しょうがないので、国民の財産は全て没収しよう。給料を支払うので問題ないだろう。変に貯蓄するから景気が後退するのだ。これで、国民全てに遍く仕事が行き渡るはずだ。
あれ? これってどこかでみた事があるような。理想を掲げて世界を席巻して崩壊した社会主義とか、資本主義に飲み込まれつつある共産主義とかいうものでは?
もしくは、自由も無く、情報も厳しく制限され、インターネットなどもちろん無く、何かの拍子に一族郎党全て粛清される、村人同士が監視しあい、通報しあい、理想を夢見ながら働けど働けど暮らしが楽にならない、極貧に喘ぐ、小太りでメガネのチリチリパーマのおっさんとその一族だけが栄華を尽くすような社会。
今の日本にクーデターを起こしてそんな社会主義や共産主義や独裁政権を打ち立てて、喜ぶ人がいるのだろうか? 誰が救われるのだろうか?
クーデターは極論としても、全ての人を救うなんて、方法が無いのだ。あるという方がどうにかしてる。アルファブロガーが「全ての人を救うたった一つの冴えたやり方」とか「人類遍くみんなを救う3つの方法」とか、釣り記事を書くくらいが関の山だろう。
むしろ、今の日本は社会主義や共産主義や独裁主義とかそういう世界に生きている人たちが、『三つの願い』を願って、それらを叶えてもらったような世界なのだ。
「字の読めない私に、情報(知識)を下さい。勉強をさせて下さい」
「働いた分だけでいいから、お金を下さい」
「自由を下さい」
今、世界に於いてこれだけの願いが叶っている国がどれだけあるのだろうか。
今の日本は、言わば一巡してきたような世界なのだ。モテない人を救うため、仕事が無い人を救うため、クーデターを起こして理想の社会の建設を目指したが、国がとんでもない方向に行ってしまい、民衆が民衆の力で民衆自身の願いを叶えたような社会なのだ。また一からクーデターから起こすような愚を犯せばいいのか。いや、すでに願いは叶えられているはずなのだ。
昔は賢人と呼ばれる為政者が国を治め、民を大事にしておけばそれで良かった。今は情報が溢れていて、誰もが賢人になれる。賢人になった民にはそれぞれの幸せがある。押し付けの幸せは幸せではない。
ネットの世界で悩んでいるように見える人は、すでに色々な選択をしている。今の日本では情報を得ようと思えば、いくらでも得られる。世界経済の知識の代わりにアイマス、法律の知識の代わりに初音ミク、雇用してくれる会社を探す代わりにエヴァンゲリオン、そういう形で常に情報を選択している。これはもう、すでに救われているのだ。
自由の名の元に、超ハッピーなのだ。つまらない仕事でストレスを溜めるよりも、萌えで脳内麻薬を分泌しまくっている方が数百倍は良い、と自ら選択しているのだ。そういう英断を尊重すべきだ。もうすでに救われている。アドバイスの必要は無い。全てわかっていらっしゃって、しかも選択を終えていらっしゃるのだ。
ネットで悩んでいるように見える人に対して、何かをしてあげようとか、こうすべきとアドバイスするとか、する必要はないし、しなかったからと言って気に病む必要は微塵も無い。
放っておいて良いのだ。
彼らを救う必要は無い。