はてなキーワード: エンゲル係数とは
円高だから輸出が伸びないのではなく、輸出先に購買力が無いから、輸出が伸びないのである。
円安にする為に、去年の9月に円売り介入をしたが、その結果、どうなったか。輸出したくても、相手先では食料や燃料の高騰によって可処分所得が食われ、工業製品の購入・更新は先送りになっていて、輸出は大幅に減ってしまっている。せっかく円安に誘導したのに、輸出先の在庫がだぶついていて、出荷したくても受け入れてくれない状態となっている。
つまり、通貨の切り下げ競争をやっている相手国に、輸出をする為に同じように通貨の切下げで付き合っても、相手国の消費者はエンゲル係数が上昇している為に購買力が減少し、輸出しても在庫が積み上がるだけで、利益に繋がらないのである。
通貨の切り下げで輸出が伸びて相手国の産業を空洞化させる事ができるのであれば、国際的経済戦争の手法としては有効であるが、相手国に購買力が無い場合や、相手国の国内産業が生産する製品よりも高性能で安価な製品を作り出せない状態では、通貨の切り下げは間違った政策となる。
後進国・中進国は、この間違いを実行してしまい、輸入物資の高騰を発生させ、国内経済を疲弊させてしまい、政情不安を招いている。
食料や燃料といった生活必需品のコストが高騰していて、工業製品に対してお金が回らない状態は、当分続くであろう。工業立国を続けるには、少なくなったお金を吸い取れるだけの信頼性と利便性を実現した製品を供給する事でしか、成立しないわけで、かつ、後進国・中進国に出て行った工場ではコピーできないような製品でなければならない。そういう製品を生産し、そして、国外に余計なお金が流れていかないように、低レベルな製品も国内生産に戻す事が必要となる。
購買力が小さくなっている市場においては、営業マンを送り込み、その国内のメディアに宣伝を流して製品を売るというやり方は、通用しない。市場規模が小さすぎて、営業所や支店を置けるだけの売り上げが維持できないのである。宣伝はインターネットで行い、個人輸入の形で購入して貰うという手法へとならざるを得ない。
宣伝は個別の製品の宣伝だけでなく、企業の信用度を上げる宣伝も同時に行わなければならない。個別の製品の宣伝については、過去の手法が使えるが、企業の信用度を上げる宣伝については、過去の手法は使えない。親戚が従業員になっているとか、本社ビルや工場といった物件が目の前にあるといった信用創造が通用しない顧客に信用してもらうにはどうすれば良いかというと、その企業を支えている株主やユーザーといったソーシャルネットワークの広さ、実存を、その企業のwebにおいてアピールするとなる。インターネット上の既存コンテンツをミラーして、投票によって入れ替えを行っていくという手法は、その手段の中の一つである。
リストラによって親戚が解雇されたとか、工場が廃止されて海外に出て行ったといったことで、社会の中における存在感が希薄になっていくと、外資と信用度に差が無くなり、余計に過酷な競争に巻き込まれるというのが、日本の産業が陥っている失敗の原因の一つと言える。
対策は、企業側だけではなく、政治の側においても、行う必要がある。食料や燃料を生産する方が、はるかに楽なように見えるが、それらで養っていける人員の量には限界がある。日本にとって、工業立国は、当面は過大な人員を食べさせていく為に必要な選択であり、特許権や著作権等の知的財産権や、懲罰的賠償制度、許認可、立地制限といった制度を改廃し、起業を行いえて、しかも、競争が活発化するような産業育成が必要となる。
まずは読んでみてください。
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『とんねるずの、もじもじくんっていうのが
ありますよね。
つるんとした服着てるじゃないですか。
みんなが、あの服なんですよ。
なんか、未来社会みたいなんですよ。
だけど、よく見ると、同じじゃないんですよね。
服のカタチは同じなんだけど、素材がちがうんですよ。
銀色のやつと、
あと、毛のやつと、二種類あるんですよ。
YとIさんと、あとAは、銀なんですよ。
そいで、ASさんとか、Oさんとか、イトイさんとかは、
毛なんですよ』
なに言ってるか、わかりますよね。
早い話が、夢の中の未来人は、おんなじように
もじもじくんみたいな服を着てるけれど、
銀のやつと、毛のやつがいる、と。
ドクターペッパーが好きだったり、
ゲームがすごく好きだったりする人が多いわけ。
一方、毛のやつは、8ビート系というか、
けっこう、この「トダの夢」ってやつは、
ぼくらの周辺ではうけていましてね。
銀と毛、という対比は、
けっこういろんなシチュエーションで、活用できるんです。
銀と毛のちがいはあるわけですよ。
椎名林檎は、銀を飾りにつけた毛、でしょう。
宇多田ヒカルは、毛がついた銀かなぁ。
北島三郎は毛ですね。
藤あや子は、うすい毛。
パンチョ伊東さんは、これはなんと毛なんですねぇ。
イチローはけっこう銀系ですね。
飲み物でも、ビールは毛だけれど、
ごはんはもちろん毛だけれど、パンもけっこう毛。
スナック菓子は、銀です。
この銀と毛の分類というのは、
なんとなく誰でも理解できるような気がするのがおかしい。
なんで、こんなにわかるんだろう。
なにか法則でもあるのだろうか。
もともと、なにか別のスカッとした分類があったのを、
ただ、銀と毛に置き換えただけなのだろうか。
エンゲル係数が、毛係数なのかなぁと思ってもみたが、
どうやら、それもちがう。
そういうと身も蓋ももないが、
毛というのはある種、野生度と言えるのではないか。
毛だから、毛そのもの、として考えるのだ。
すね毛を生やしていたら、毛度は高い。
すね毛を剃っていたら、毛度は低い。
すね毛とは何か?毛とは何か?
それは、「毛もの=獣」度のバロメーターである。
(ほぼ日から抜粋)
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ひっきーへ。
もしホンモノの毛を手に入れた日には、
アメリカでも成功できるかもしれないね。
何が成功か私はしらんけども。
(私は何様だろうね)
毛ふさふさのひっきーの歌、
こりゃあ、聞いてみたいわいな。
ところで、毛を生やすには何をしたらいいんだろうね。
おもいきし誤解されるもんなあ。
なんせ、馬鹿な世間様は見た目からしか判断できないもので・・・。
もし旅にでられるなら、
そう言う意味で、ひっきーの言うとおりつぶやきながらするのもいいかもよん。
生えるといいねえ。
じゃのん♪
???より。
ごめん、言いたいことはわかるけど、正しいかどうか、わかんなかった。
控除そのものは、累進課税制度をとっている、日本では高額納税者側ほど控除による減税額が高く、累進課税よりも、むしろ累進減税じゃない?
中層のために、控除という流れはわからなかった。
控除じゃなくて、定額給付? でも定額給なら、税率をその分下げて、給付付き負の所得税+控除額同じでいいよね?
消費だけ見ても、高額納税者側ほど、エンゲル係数が低いが、控除額が同額だとすると、やはり、恩恵は大きくない?
ごめん、試算しないとわからこのへんの詳細がわからない。もともとVATか、給付しか考えていないので、控除増額に対する試算なんてしてないのですまんね。教えて下さいませ。
>科目別消費税は、帳簿の科目ごとに集計して税率を加算すればよいが(そして、帳簿の科目の数はそんなに多く無い)
各企業の帳簿の科目の分類基準はばらばらで消費税の税率を決める品目と一致するとはいえないので、企業の科目が少ないからといって導入が簡単とはいえないんだよ。日本中の企業の経理システムがすでに統一済みならそういう机上の空論も成り立つが。
>だが、今は、システムが入っていない。であれば、科目別消費税の方が導入しやすいし、だいいち、食料品の税率が0%になれば、おまえら少しは生活楽になるだろ?
軽減税率をやるにも財源が必要。軽減税率をやるなら当然その分ほかの税率は上がる。事務コストも一律税率よりかかる。ぜいたく品にたくさんかければいいというが、もともと買う人が少ないので、国会議員の削減と同様愚民向けのガス抜きにしかならない。財源が少なくてすむように生活必需品の範囲を狭めるほど恩恵は小さくなるし、ぜいたく品の範囲を広げまくれば結局庶民も負担増。それに貧乏人のほうがエンゲル係数が高いといっても消費額自体は金持ちのほうが多いから軽減税率って大して逆進性の緩和にならない。それにそこまで貧乏人の生活が心配なら消費税上げずに所得税を上げればいい。わざわざ軽減税率をやるくらいなら上げないほうがいい。
デフレ不況のときに自国通貨を安くすれば失業へって成長率上がるというのは歴史上いろいろな国で確認されてる。100%じゃないというだろうけど、現状維持やデフレでも円高誘導のほうがいいという根拠はもっとない。
円安の場合は関税のように特定の商品ばかりが高くなるわけじゃないし、金融緩和のほうが将来の消費投資が前倒しされやすくなる点が違う。
平均家庭のエンゲル係数は22%程度だから1割 食料物価があがると、収入は2% 減 年収300万円で 6万円の影響。(500万円なら10万円)この6万円を補える実質メリットは出るの?
食費の全てが外国に払われてるわけじゃない。カロリーベースの自給率低くても金額ベースで見れば7割くらいが国産。外国産の場合でも物流小売の分は国内に金が行く。食料輸入額はGDPの1%程度。食費が1割上がってもほとんどは国内の誰かの収入が増えることになる。
投資ブームがあるとしても安値のほうが買われやすくなるという事に変わりはない。他の要因があるから為替の影響がなくなるなんて事はないはず。
リーマンショックの後英米の中銀はバランスシート倍増して貨幣供給増やしてる。
http://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sa09-02/s2-09-2-3/s2-09-2-3-11z.html
いくらぐらいまで、円安誘導したいの?あまりに円安誘導しすぎると、ガソリン価格が高沸して工場を回しにくくなるから、限度があるよね。食料品も繊維も、何から何まで輸入してるんだから。
今は、リーマンショック以後の円高トレンドで、円が高くなってる。それを15円ぐらいと仮定すると。このトレンドが終わると135円まで円安が進むことになるけど。
それは耐えられるの?
昔も135円くらいだったこともあるし十分耐えれると思う。もともと輸入依存度も低いし、110円か120円でもなかなかデフレが終わらなかったぐらいだから、むしろそれより小さいと効果が不十分になりそう。為替は相対的に決まるものだからどの値がいいとは言えないが、少なくとも日本がインフレになるまではどんどん安くしたらいい。
さっきっから、AはBである、いや、BはAであるの繰り返しで議論になってないね。
値段差が小さいほうが国産品のほうが買われやすくなるということに変わりはない。
だからといって、経済全体が上向くという保証が無いし、物価が上がれば、消費者の生活は苦しくなるのは事実。
輸入品に関税をかけて、保護貿易をするのとまったく同じ事だし、結局価格差があるから、輸入品が買われないわけじゃない。
具体的に、どの程度まで、内外価格差を均衡させるために、どの程度の円安誘導をしたいの?
平均家庭のエンゲル係数は22%程度だから1割 食料物価があがると、収入は2% 減 年収300万円で 6万円の影響。(500万円なら10万円)
この6万円を補える実質メリットは出るの?
その他食料以外も値上がりするとして、メリットは出るの?
しかも、国内外の食料価格差って1割どこじゃないよね。数百%だし本来。
関連性が立証できない。そもそも数年前は、リーマンショックまでの投資ブームがあるから円安との関係性は言えない。
また、そもそもLDHのように投資をうけると言うことは、その後企業をバラバラに分割されて売却されても文句が言えないという事で
ごめん、何年から、何年までの何年間の話?データーを調べるから、ソースくれ。
いくらぐらいまで、円安誘導したいの?あまりに円安誘導しすぎると、ガソリン価格が高沸して工場を回しにくくなるから、限度があるよね。食料品も繊維も、何から何まで輸入してるんだから。
で、たとえば、120円として。
今は、リーマンショック以後の円高トレンドで、円が高くなってる。それを15円ぐらいと仮定すると。このトレンドが終わると
135円まで円安が進むことになるけど。
それは耐えられるの?
意見にぶれがある気がするよ。
物価は上がってんのか、下がってんのか。
麦は高いけど、被服は安いようだし。
総体としては上がってるって話なのか。
それとも、「日本だけ」が生産性が反映されない「特別に歪な市場」だと言う論理展開なのかね。
日本のエンゲル係数は近年下がっているんだから、その方面での物価は上がってない。
技術の発達を考えれば、例に出たジーンズのように、むしろ物価は下がっているだろう。
暮らせない人が増えているのは、昔だったら普通だった、低いレベルの生活が出来ないだけ。
そのレベルを落さずに、彼らを救済しようとするには、住居など「インフラ側」のデフレが必要だ。
昔だったら長屋しか借りられなかった金額で、普通の物件に住める様にする。
住居に関して物価高だというのなら、日本は「昔から」物価が高かった。
それでも昔は安い物件があったが、今はそれが駆逐されている。
本題とは違う話なのだけど。
石炭→石油のように物事を考えるなら、石油関連は別の雇用を生み出しているわけで、単純に「減る」話ではない。
最初の産業革命から、第二次産業革命やら、近年ではIT革命まで、あまたの革新を経てきたのに、それほど雇用は減っていない。
「新たに雇用が生まれているから」だとするなら、技術革新はあまり雇用に影響が無いことになる。
理由がいまひとつ良くわからない。
って人が、今生活できないのは、CDの値段が上がったからって事はないべ。
小麦の値段とか言うけれど、昔と比べてエンゲル係数が劇的に上がっているとも思えない。
単純に、生活するための水準が上がっていて、その水準が強制されるためであって、物価が上がったからではないと思う。
長屋に住む選択肢は失われて、それなりの借家やアパートにすまなければならなくなったり、その為の入居審査が厳しくなっていたり。
そういう、生活のための水準が上がっている、と私は思っている。
ちょっと前にあった「携帯がなければ仕事も出来ない元生活保護対象者」なんてのも、まさに無駄に高い生活レベルの犠牲者じゃないかね?
と、いうわけで片鱗その1。弁当の見た目が毎日変わる。
月曜1段火曜2段水曜3段木曜4段金曜5段――――。
ああ、「週の初めの方、そんな少なくてあの図体が耐えられるのか?」とご心配のそこな諸兄、安心したまえ。
量はどの曜日も同じだ。つまり、百人一首を一面に並べるか、100枚重ねるかの違いだな。
いやあしかしその量を初めて目にしたときは、奴はピンク色の人外生物の化身じゃないかと思ったぞ俺は。
果たして、涼宮山家のエンゲル係数は如何ほどのものなのか……。調べてみたい気もするな。
片鱗その2。
体育の授業は男女別に行われる――のは先程の会話からわかるだろうが、着替えに関しても当然の如く別である。
女が奇数クラス、男が偶数クラスに移動してすることになっているのだが。
「――――」ぼるんっ。
「げ!?」
「きゃっ!?」
まだ男子が残っているにも関わらず、あんまり嬉しくない擬音を伴ってやおらセーラー服を脱ぎだしやがった!
即座に教室中に響き渡る他の女子の悲鳴悲鳴悲鳴、追い出される男達。まあ当然といえば当然だが何か釈然としない。
それはともかく……どうやら、ハルヒは男子生徒のことをジャガイモくらいにしか思ってないらしい。ういろうのくせに。
「これが、精神的ブラクラ……か……」
片鱗その3。……呆れることに、だ。
ハルヒは、この学校に存在するありとあらゆるクラブに、仮入部していたのだった。
運動部からは例外なく部員から熱心に入部を勧められ、しかしその全てを蹴って毎日参加する部活動を気まぐれに変えた挙げ句、
結局、どこにも入部することは無かった。
相撲部からは是非ウチにも仮入部に来てくれと熱心に勧められたらしいが、何故か翌日部はなくなっていた、とか。というか女子を呼ぶなよ。
何がしたいんだろうなあコイツはよお?
字数制限で文章ぶった切られたので。
http://anond.hatelabo.jp/20080817193348
●論点7
むしろ平時に「かわいそう」の論理を追求する方が、長期的には「かわいそう」な人を増やすのではないか。
共産主義崩壊なんて大袈裟な話は必要なくて、たとえば近代医療の誕生によって駆逐された呪術医療の扱いとか、
ラッダイト運動の時点で生産性が止まっていたらとか、新興産業や技術革新が誕生した時に「かわいそう」だからと
既存の業者を温存していたら、介護産業志望者にとってその助力を必要とする要介護者は、その年齢・状態に達する
までもなく死亡し、社会問題・産業となるほどの数までは至らなかったんじゃなかろーか。要するに最初からお役ご免。
幼少時はもちろん青年期壮年期でさえ生きるのがとても困難な、「かわいそう」な人々の時代で止まっていたかも知れない。
そもそも「かわいそう」に感じる主体は誰なのか、「かわいそう」な相手は本当に「かわいそう」なのかを
考えてもいいはず。企業自身は例とされた百貨店を含め、いずれも利潤を上げる事を目的に活動している。
その意味では競合企業を「かわいそう」な目に遭わせる事を辞さないわけで、あくまで対等な競争の結果
「かわいそう」な状況に陥ったまで。そして企業自身の経営学上の実践としては、潔く市場から退出するか、
経営努力によって「かわいそう」でなくなる(≒相手を「かわいそう」にする)事を目指すかのいずれかとなる。
要するに、「かわいそう」に感じる主体(=個人)の思惑とは別に企業は活動している。百貨店なんて典型的な寡占業種。
では「かわいそう」に感じた主体が、どうしてもその感情の処理をしたい場合はどうか。すぐ思いつくのは「かわいそう」な
企業の顧客となる事だけれど、売れ残るような商品を自腹切って買うのは何となく馬鹿らしいし、仲間集めをしても実質蟷螂の斧。
よって可能であれば行政の働きに期待する事も選択肢として浮上する。けどこの場合、長期的には「かわいそう」な人を
社会全体でもっと増やしてしまう。理屈としては既出だけどもう少し、かつての銀行の護送船団方式を例にしてみる。
護送船団方式は最も弱い金融機関が維持可能なように、金利やサービスなどを行政が細かく規制する事で達成されてきた。
実はそれは同時に最も競争力のある金融機関=強者が、競争を免れ仕事ぶりに比して高い超過利潤を得る事も可能にした。
で、その超過利潤って、結局サービスの受益者である預金者や融資先の企業・家計の負担の事なんだよね。
この場合「かわいそう」の論理は「かわいそう」を他に転嫁しているだけで、弱者でも何でもない連中に援助の手をさしのべただけ。
そして社会全体のリソースの量は(経営革新・合理化が停滞する分)そうでなかった場合よりも下がる。
やがては再分配として割くべき財源も底を突くかもしれない。
他に農林水産業も同様。実際フリーターでもした方がもっと楽に儲かるかも知れないのに、規制を掛け、補助金を注ぎ、
非常に高率な関税を掛ける事で無理矢理維持している。特に穀類なんかはそう。結果、消費者レベルでは非常に高額な
(国際的な食料価格高騰でもまだ輸入した方が安い、しかもそれらは補助金で安くした価格)負担を強いられて、
エンゲル係数の高い層は「かわいそう」な状態に追い込まれている。こうした政策は消費者はもちろん、生産者個人に
とっても長期的には為にならない結果をもたらしている。食糧安保の為と言う人もいるが、異論もあるしここでは議論しない。
また敢えて「大袈裟な話」をすれば、クメール・ルージュが君臨したカンボジアがその代表例と言えるよね。
ブルジョワやインテリ、エンジニアなど高い金融・物的・人的資本を誇る階層を「搾取」の根源として「排除」または転向させ、
近代的な制度や設備を次々に廃棄、他国との交易や援助も拒否し、ほぼ全人民が農民という「理想社会」を建設した。
そこでは全員が平等に生産性が低いから、勝ち負けや格差があるという意味での「かわいそう」な人間はほぼ消失。
しかし結果的には、凄まじい生産性の低下によって餓死者が続出し、またそれを少しでも埋め合わせる為に強制的かつ過重な
労働が営まれ、それが更なる犠牲者増加を招いた。政治的粛清の10倍以上、百万単位の人間が誤った経済観の犠牲者となっている。
無知のヴェールからも到底正当化出来ない、地獄のような社会であった事は間違いない。最近じゃジンバブエも似たようなもん?
シンプルに考えると「かわいそう」の論理は、利益追求が本業でいくらでも換えの利く企業等の事業者ではなく、
本来個人に対して適用すべき話のはず。経済上の競争では敗者は消え去るわけではなく、労働力という資源としてきちんと
再利用できるように、その生活や就業機会をある程度保障・支援する必要がある。しかし(完全な)人権享有主体ではなく、
もちろん資源そのものでもなく、効率本位の存在ながらその意義を否定された衰退産業・企業は、資源の浪費を生み、
社会が利用可能なリソースを減らすという観点から、長期的には退場して、その所有・利用する資源を市場に開放するのが好ましい。
有限な資源は、それをより有効に扱えると考えられる勝ち組企業に集中させるべし。
大雑把に言えば個人さえ救済出来れば何の問題もない。個人への再分配こそ行政の目指すべき使命で、企業にはあくまで競争。
以上から「かわいそう」の論理を経営学講義において差し挟む事は論外として、それを(たとえば経済学上の実験として)
企業間の競争に適用し、行政の使命としてその論理を貫徹させる事は、社会全体はもちろん当人らにも長期的には好ましくないと言える。
あとノロウイルスなんかが蔓延した場合に「かわいそう」だから隔離は止め、なんて事になったらかなり悲惨になりそうだしね。
実際、発生当初何が何だかわからないまま被害が拡大しちゃった所が沢山あったようだけど、それがもっと酷くなる。
そもそも要介護認定という制度がある以上、あるいは医師や他のコメディカルではなく介護労働者にケアさせている時点で、
介護産業自体が大前提として「トリアージ」的論理を含んだ物と言える。専門家がいれば必ずノロの被害が抑えられたって
事もないんだろうけど、その辺の出来る事、出来ない事の区別は重要だと思う。医師ですら時にそうなるんだから、
「燃え尽き」ない為には、全能感をなるべく遠ざけておく方がいいかも知れない。
●論点8?
・・・で、倫理を批判応酬の基準に置いている以上、論争当事者の人間性について何か書いてもいいんだけど、
そういうのは本人の認識より第三者の素の反応の方が重要だと思うんで、不要な面倒を呼び込む恐れもあってパス。
他にも何か書きたい論点があるような気はするけど、面倒なので止め。
労働意欲のないニートが一次産業でやってける、あるいはやってけるように面倒みろというのは農家や漁師に失礼で迷惑な話と思うけど。あと衰退産業に労働者を誘導するのがワープア対策になるってことは考えにくい。そんなにもうかる産業なら衰退してないわけで。むしろ自由貿易推進で食費下げたほうがエンゲル係数の高い貧乏人の生活は楽になる。
いくらかやり方に強制的であるとか個人の自由を無視するもんだってのは重々承知の上でのひとつの提案として、その労働力を無駄にしとくのは国家の損失であるなあと思ったわけですよ
労働意欲のない人を押し付けることによる負担とか非効率な分野に誘導して全体の生産性低下とかを考慮すればそういう対策こそが労働力の無駄遣い社会全体にとっての損失じゃないかな。
何で寂れていくかといえば地元の人すら利用したくないような場所になちゃってるからなわけで、その点をスルーしてスーパー百貨店問題視というのは商店街で売ってる住民には良いのかもしれないが、スーぱ百貨店で買う側の住民にとっては都合が悪いだろうね。まあスーパーより商店街のほうが優れた存在であるからして前者つぶしてでも後者救え、スーパー百貨店経営者にたぶらかされて商店街のよさがわからぬ愚民どもを啓蒙せねば!ということなんだろうけども。
つまり一旦失われた田畑や山、川、海・・・そこでの暮らしは簡単には取り戻せないのではないかと危惧してる次第でして
http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd100000.html
それ自体にどうこうと言う感慨はない。
喫煙率の減少を素晴らしいことと考える方々もいるだろう。
だが問題なのは、タバコに消費していたもの、タバコが与えていたものが減っていると言うことは、何かが増えているはずだと言うことだ。
このデータの推移が何に影響を与えているかをみて初めて意味をなす。
例えば喫煙は医療費を増やすという説がある。では医療費は減ったのか?
例えば喫煙はストレスを和らげるという説がある。では精神病患者は増えたのか?
例えば禁煙は食事量を増大させるという話がある。では禁煙車のエンゲル係数は増加したのか?
癌患者は減ったか、税金は減ったのか、国家財政の収入に対する支出は、麻薬常用者の推移は?
これらのデータや情報を全く無視して、禁煙をしなさい、喫煙している人が減るのは良いことだ、タバコは撲滅しろ等と言えるのは愚かしくて仕方がない。
タバコの喫煙率が減って、麻薬の流通量が増えたら元も子もない。
タバコの喫煙利が減って、飲酒量が増えていたらどうするというのか。
今まであった物をなくすと言うことは代用品がないままになくすと言うことはどういう事か。
そんなことも全く考えぬまま検証せぬまま情報を確かめぬまま進んでいく今の状況には恐ろしいものがある。
エンゲル係数を確認するのが怖い。
ここに最初の問題が潜んでる気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20070502173528
一先ず晩酌は置いといて、昼食・夕食代が一日幾ら平均か確認してみ?
都内で年収450万の26歳OL。夜は結構遅い。最近おいしかったのは精進料理。平日は夕飯らしきものは食べない。週末はお酒をのむ。焼酎がすき。太らないように気をつけてる。エンゲル係数を確認するのが怖い。たまに夜遊びをする。夜遊びすると最近は次の日がつぶれてしまう。最近買ったCDはコーネリアス。片思いの人が好きだっていってたので。本当はKASABIANとかが好き。コーネリはだるい。多分振られるわ??。
週末は買い物いく。渋谷のマクドナルドを通ると「マック難民」を思い出す。あそこのマックはトイレで誰か出産しててもおかしくないよ。東京は住宅事情が悪すぎる。最近引っ越したら、また貯金通帳がさみしいことになった。雑誌のマネー特集に載ってるOLはなぜあんなに貯金があるんだろう。