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2017-07-18

最近「書く」ことを始めた

家にいるときは筆が進まない。この事実に対していくつかの仮説を立てる。

今日たまたま疲れている。実際に今日は朝から思考活動が常に活発化していて、不快場所にいる時間もあった。(反論)一昨日のほうがストレスは強かったのではないか不快場所で過ごした時間今日よりもずっと長かった。

反論)一昨日はまだ文章を書くという習慣は始まっていなかったので比較対象にすることが間違っている。(余談)一昨日に起きた出来事不快な人混み、サピエンス全史、ギャンブル宗教的体験自殺願望

アルコール摂取した。

そもそも一文目の記述自体が正確ではない。昨日書いていた文章の続きは書くのに難航したが、今日書き始めたこの文章については比較的滞りなく書き続けている。

(新しい解釈)「筆が進まない」という言葉が指すのは文章全般についてではなく、ある程度の一貫性を持った文章のことを指しているのではないか

そろそろ思考スピードに筆記が追いつかなくなってきた。一度、喫煙に行く。

喫煙中に考えたこととその続き。

この文章を誰かに見せたいが、いい「解決方法」が思いつかなかった。

実際には頭のなかで「かいけつほうほう」とは発音せずに「ソリューション」と発音していた。

何故わざわざその語を選んだのか。そして何故文字に起こす段階で「解決方法」に表現をかえたのか。どちらも根底にある理由は同じだ。それは情報量圧縮である

私は物事を頭の中で考えるとき、音声言語思考している。

かいけつほうほう」が8音節なのに対し「ソリューション」は5音節だ。ネイティブ英語なら「so-lu-tion」で3音節で更に短いが、残念ながら頭の中で使っていたのはカタカナの方だ。

文字に起こすときに「解決方法」が選ばれたのも同じで、「ソリューション」や「solution」よりも少ない文字数表現できる。

何故無意識になるべく少ない情報量表現しようとしているのかについては、はっきりした理由は分からない。

本題からは逸れるが、文字に起こす上でコンピューターが扱う情報量においては「解決方法」は2バイト言語で4文字なので8バイト、「solution」は1バイト言語で8文字なので同じく8バイトである。だからどうした。

まだまだ(一貫性があるかはさておき)話を続けることはできるが、キリがないのでこの辺りで止めておく。

実は『この文章を誰かに見せたいが、いい「解決方法」が思いつかなかった。』という部分を書いたころには増田投稿するというアイデアが浮かんでいた。

しかし、その時点で投稿してしまっても大して面白くないな、と思ったのでもう少し量が溜まってから投稿しようと考えた次第である

幸い、ある程度まとまりのある話が書けたので、そのまま投稿するよりも少しは興味を惹ける内容になったかと思う。

最後にこの文章ルーズリーフボールペンで書いたものである。つまり投稿するためには電子データに清書しなければならない。この時点ではパソコンの電源すらついていないので、先が思いやられる。

2017-05-01

神話

サピエンス全史』を読み進めており、もうそろそろ上下読破間近というところにいる。

本書の発端となるのは

生物としての個体能力の低いわたしたち(ホモ・)サピエンスが生き延びた理由には、

サピエンスには虚構=物語想像し、その物語を信頼、共有する能力があることにある」

というものだ。

本書の文脈においてこの「虚構」「物語」は「秩序」「神話」と名を変えていく(大まかにはしょって言っている)。

たとえば

宗教誕生し共有されると、その神の名のもとに人類冒険侵略、残虐行為を犯した。

資本主義誕生すると「消費は善=個人主義」というロマン主義思想が返り咲くとともに、

それらを後押しするかのごとく神話伝導役として「マスコミ」が発達していった。

などなど(実際には本誌において「帝国主義」および「科学への投資」なども含まれるがはしょる)。

これらは「サピエンスの信じる力」により生まれ発展してきたと筆者は言う。

命を捧げるべき神も、死後の幸福世界約束されているとする信仰心もなければ、

荒れ狂う未知なる大海原を越えていこうなどとは誰も思わなかっただろう。

少なくとも個々人の生存時間の中で属する社会に浸透している「約束されているであろう物語=神話」が、

カウンターカルチャーを含め支配していることになる。

人間はおおよそ無知ものだ。

未知なる明日を考えもしないが故に

「『神話』に約束されているであろう明日」を(如何に情熱狂気的であろうとも)ただ漫然と過ごすのだ。

ここで疑問がひとつ頭をもたげる。

神話」(だけでなく「虚構」「物語」「秩序」含め)について先述したんだけど、

神話」すべてが生き残っているわけではないとも考える。

神話」対「神話」で滅びたものがあるはずなんだ。

それでは滅び語り継がれなかった「神話」は間違っていたのか?

そうではないだろう。

神話」は常に当事者において正しかった。

ただ対抗勢力との兼ね合い(つまり文化的ものを含めての「侵略」)から朽ちていき、結果語り継がれなかっただけだ。

サピエンスは「生まれ神話を信じ強化すること」ができる能力を持つだけで、

「その神話を最強として遍く伝導すること」をできるわけではない。そんなものは時と場合だ。

するとなんだ、「神話」とは。

まったくただの結果論ではなかろうか。そう結論づけていいのではないか

ああ『ドグラ・マグラ』は、夢野久作は全く間違っていなかった。

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

2015-08-06

ダウンサピエンス

進化ってどんな感じなのかなと思って、いろいろ想像してみた。

こんな事が起きたら、人類進化したと言えるのではないかと思った。

 

詳しい人、合ってるかどうかジャッジお願い。

 

ダウン症の人のみに病状が発症しないウイルス蔓延

感染から発症まで10年かかり、発症した時の致死率は100%

空気感染する。

しかダウン症の人だけは発症しない。

20年後には、健常者は絶滅

ダウン症カップルに宿った健常者の胎児ウイルス感染しており、死産になる。

1万年後、なんとかホモサピエンスIQの8割程度にはなった現生人類自分たちをダウンサピエンスと名付け、

ホモサピエンスから進化した人類である定義した。

2010-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20100920200621

いい感じに大風呂敷を広げて、気持ちよくなってるとこにごめんね。

しかしホモ・サピエンスにまで進化すると、子供の成育に非常に時間がかかるようになり、

べつにホモ・サピエンスサピエンスホモ・サピエンスまで進化しなくても、子供の成育に非常に時間がかかる種はいるぞ。

メスだけでは子孫を育てることが困難になってきた。

そのためオスとパートナーになっての子育てが始まった。

メスだけでダメなら、パートナーも巻き添えだって?

少なくとも日本には夜這いというシステム(嫌だけど)があったし、パートナーでなく部落単位での子育てという地域もある。

パートナー子育て」っていう概念は、むしろキリスト教とか西洋的なモンだよ。

こうなると問題が起こる。他のオスの子孫を自分時間を掛けて育ててしまうという問題である。

村落や長屋全体で育てるという意識のあった地域は例外なのかい?

1 他のオスと生殖をしたことのないメスをパートナーに選び

2 その後、そのメスが他のオスと生殖しないようにする

つまり、処女を選び、そして浮気を妨害するというのは、数十万年前から続くDNAに刻み込まれた本能なのである。

DNAには刻み込まれてないだろう…。

少なくとも、他のオスの子を自分が育てるのは嫌だという意思なら、それは社会制度であって、DNAが関与する業ではない。

むしろ浮気するという事実が、パートナーを一人に絞らないで子孫を残そうとする、DNAに刻み込まれた本能だろう。

だからこそ、浮気性なやつはケダモノだと思うんだが…これは別の話。

処女信仰に否を唱えるのは 女 だけの事実

この題目に対して特に反論も同調もしないし、興味もないけど、その根拠についてはダメだしさせてもらう。

2009-02-08

大陸臭は動物

 ~動物臭ことってどんなこと? 他人を気にしないこと~

 動物はそこらに糞尿を垂れる。なぜならば,「他人」という概念がないからだ。

 当たり前のことを書くけど,「人間は何故服を着るの?」ということは大切に問題だ。

 全裸であれば,他人に不快感を与える可能性があるからだ。肉体は,よほど清潔にしていなければ匂いもするし,不潔感もある。

 現代のように毎日シャワーにあびれる環境ではなく,昔のようにこまめにフロに入れない時代であれば,皮膚病もあるし,とにかく清潔ではなく,相手に不快感を与える。それが「清潔にされた特別な美女」でない限り。

 このため,人は衣類を着用する。

 衣類を必要とする理由は,自分のためではなく他人のためだ。

 あなただって,もしも無人島に一人しかいなくて,助けに来る気配もないとする。まわりには動物かいない。気候が温暖であり,岩場やとげのある植物もないようなところだったら,それでも衣類を着るだろうか?

 自分の汗なくすため,こまめに洗濯をするだろうか?

 いま貴方はどんな部屋にすんでいる?

 頻繁に友達や恋人が訪れる部屋ならば,掃除が行き届いてるいることだろう。部屋が不潔であることは,来客に対して失礼であるからだ。

 しかし,誰もこなければ部屋は汚くなる。

 「他人のため」という意識が,人の自律をうながす。

 他人という存在知覚し,理解するからこそ,つまり「社会」という概念があるからこそ,言葉遣いも正確になって誤解のない表現をつかい,几帳面になり,物事にたいして正確になる。

 他人を意識するからこそ,他人に共感するからこそ,他人の権利や心情を理解し,他人の権利を侵害しない。つまり,違法な行為をしない。

 すべて人間だけが持つ能力だ。

 動物には「他の者」という概念がない。世界には自分一体だけだ。だから,誰にも関心を示さないし誰からも関心をもたれないと思っている。

 従って,他人の権利という意識もないから,女が欲しいとおもったら犯すし,空腹になれば盗むし,感情的になれば殴るし,違法な行為をする。

 能動的にしなくても,自分の義務を全うしない。法律に何がかいてあっても,「ただの紙」と思う。

 人間であれば,常に他人の目を意識する。だから,感情的になるような不愉快なことがあっても,社会秩序と自分の権利義務の範囲で行動する。

 動物人間の違いは,「他人の目がある」という意識があるかないか,ということにある。

 だから,私たちは,不潔な格好をしていたり,いつも「へらへら」とわらっている気色の悪い表情の者や,円滑に会話することすらできないほどの無知,その他の「反社会的行為」が起きる。

 結論をいうと,人間犯罪をしないし,動物は「躾」や「鎖」がない限り,必ず犯罪違法行為)をする。

 動物は「ルール」を理解できない。

 自分がそのとき考えたことが「ルール」である。

 動物には意思がない。だから,いきなり性行為を強要したとしても,「嫌だ」という意思がないのだから強姦にならない。

 従って,動物同士には,窃盗強姦もない。「とられたら嫌だ」とか「おかされたら嫌だ」という意思がないからだ。

 しかし,これを人間相手にしたとき深刻な被害が生じる。

 他人の心(犯されたくない,殺されたくない,傷つけられたくない,盗まれたくない等)は,そもそもそこに心があるからこそ,「読みと力」が発達する。

 誰も意思がなければ,共感能力を発達させる必要性がない。

 相手の意思を確認する能力,それが共感能力であり,これは人間前頭葉にあるミラーニューロンによって機能する。

 この前頭葉には,ブロカ野といって言語を司る機能がある。

 言葉とは,相手の表情や筋肉の動きからではなく,より的確に「相手の心」を把握する手段だ。だから,人間だけが言語を発達させた。

 「他人と連携するため」に。

 動物は,一体でいきている。そこに「他人」という概念がない。

 だから,法律も守らないし,法律という意識がそもそも存在しない。他人の所有権という概念を理解できない。そして,たいてい,言葉がろくに話せない。

 単語を発することが出来るが,オウムのように何かを模倣して繰り返すか,コピーのみできる。どれも「不適切」な用法で。

 だから,人間社会言葉を話せない者,聞けない者を人間として認めない。

 (ただし,その人が幼児または動物にかこまれて半生を生きたため言語能力が発達していない場合除く)

 動物世界では,反対に言語を自由にあやつる者を「動物として認めない」。

 さて,以上までは社会科学の立場から論じた。

 自然科学の立場から,「動物」を論じることが今,世界中で起きている。

 事の発端は,「恐怖の大魔王」が世界を滅ぼすという予言のあった1999年,人類起源そのものをかえてしまう発見ポルトガルであったことだ。

 人間サピエンス)と,旧人ネアンデルタール)の混血化石発見されたことだ。

 2002年,米ワシントン大のアラン・テンプルト博士が,人類の常染色体の10座標から,原人旧人の血統を発見した。

 2008年,この研究発表に対して様々な反論がくわえられたが,ついに断念,人類の「混血」が確定した事実となった。

 混血の頻度は,西欧がもっとも低く,ついで東欧中央アジア東アジア,の順となっている。

 ネアンデルタールは,人間に似た形をしているが人間ではない。共食いが大好きだし,空腹になればまず子ども妊婦を殺して食べる。

 感情的になればすぐ相手を殺すし,つまるところ他の動物となんら違いはない。

 ボスの座をめぐって,殺し合いをするチンパンジーの習性と全く違わないし,子どもの脳(栄養価の高い)を食べて空腹を満たすチンパンジー母親となんらかわることはない習性を持つ。

 言語ははなせないが,石器などから人間の真似をすることはできる。勿論,劣化コピーとなる。

 旧人はお互いに交流しないと連携しない。だから,交易はない。たいてい,近親相姦によって子孫を増やす。

 遺伝的に等しいので,近親相姦をしても問題がないのだ。

 進化の速度がはやい人類は,劣性遺伝があるので,近親相関は奇形児の生む確率が高い。しかし,旧人進化の速度が遅くて均一しているので問題ない。

 勿論,「旧人との混血なんて無いはずだ」と感情的にただ叫ぶ者もまだ世界には多い。

 だが,考えてもみてほしい。

 人間であるあなたは,「全て人間だ」つまり自分と同じだと思えるだろうか。「全て」に対して。

 エドマンド・バーク偏見の大切さを論じた。

 人間の「裸の理性」(思いつき)によって為されたことは失敗し,長い歴史時間の積み重ねによって得た英知が,「偏見」にあると論じた。

 確かに,一つや二つ異常をみたところで,人は先入観を抱かない。

 歴史的に連続した「異常」によって,偏見が形成される。偏見は,すぐにはつくられない。

 もちろん,偏見の中にも,時代の変化によって不適切なものが含まれてくる。その場合は,再び時間の経過によってその事象が偏見の中から削除される。

 あなたは,今までの人生の中で,明らかに「人間ではない存在」を多く見たり,或いは新聞ニュースの伝聞で聞いているはずだ。

 犬は犬に対して異常とはおもわない。しかし,人間が犬の行動をもし「人間がしていたら」と思うと,「異常だ」と思う。吠える,噛む,糞尿をたれる。

 しかし,「あれは犬だから」と認識することで自然だと考える。だが,もし犬が形態的に人間とあまりかわらない形をしていて,かつコピーされうような人間言葉をある程度再生できる能力を有した状態で,「犬の行動」をしたらどうなるか。

 「異常」とあなたは感じるだろう。

 なぜならば,人間の中には,吠えたり噛んだりする者はいないからだ。

 しかし,人間の形をしていることに違和感をおぼえる。

 あなたは「視覚」と「偏見」どちらが正しいと思うだろうか?

 あなたの偏見は,人間価値基準での偏見だ。

 参考までに,一つの「事実」を示そう。

 「プレ・ネアンデルタール」というのがいる。これは人間とそっくりだ。何故ならば,人間から分離して別の進化(まはた退化と呼ぶべきか)を遂げてから間がないからだ。

 そして,旧人には渡航能力がない。まだ島と大陸が同じだったとき,または氷河期に海面が凍結していたときに徒歩で移動した。

 従って,原則,アフリカユーラシア大陸にしか旧人はいなかった。

 イギリス日本にも徒歩で移動できるが,島であればそこにいるだけの旧人を殺してしまえば,後から「次は来ない」。

 旧人に接した人間は,どう変化するのだろうか?

 以前まではの内容は,いままで散々日記に書いてきた。過去4年間にわたって書いてきた。

 ここからが,「旧人と接しつづけた人間は,どうなったか?」という新しい考察だ。

 いや,そもそも「なぜ,旧人人間から離れてしまったのか」。

 進化論インテリジェンスデザイン論も,根拠がない。

 人間は猿から進化したといっても,その「進化した様子の化石」がいまだ発見されず,「失われた輪」であり,想像の産物に過ぎない。

 一方で,神などの知的存在人間デザインしたという説も,具体的な根拠がない。進化論ID論も物証がない。

 しかし,私はアラブ人,シナ人,朝鮮人などをみて思うのだ。

 「彼らが,次の旧人ではないか」と。

 次の,というのは現時点で彼らの中にホモサピエンスがいることに違いはない。しかし,明らかに彼らは島嶼部の人類形態的にも試行的にも異なる。

 専門的なことをかくが,島嶼部の人類および「アダム」の時代とされる初期のホモサピエンスの頭示数は81以上-86未満であるのに対して,大陸人類は頭示数が86以上であり,サピエンス形態的に変化しているのだ。学術的には「過短頭」と呼ばれる。

 もはや,目でみて「大陸人間だ」とわかるようになるまで形態的な差が生じてきている。

 ここで私は考えた。

 もし,生まれたときから旧人と共に生活し,それが何世代にもわたってしまえばどうなるのか。

 恐らく,心を持つこと自体不毛であり,精神的につかれてしまう。他人をおもいやる気持ちをもっていても相手は自分を尊重しない。

 愛しても愛されない。守っても守られない。盗まなくても盗まれる。犯さなくても犯される。傷つけられなくても傷つけられる。殺さなくても殺される。

 この時,「他人を思いやる気持ち」(共感能力)を持つ人間は,精神的に疲弊して,やがて死んでしまうのではないか。死ななくても,子孫をつくる気力さえなくなってしまうのではないか。

 こうして,人類の中にも,旧人と共に暮らしてきた者は,「共感能力をなくす」つまり,退化するということで,旧人に対応したのではないか。

 動物に対応する方法は二つあって,動物を殺して統制して飼い慣らすか,或いは自分自身も動物になってしまうことだ。

 能力の高い人間動物を統制して対応し,能力の低い人間は同化したのではないか。その際に,全てを捨ててしまったのではないか。

 つまり「人間性」を。

 朝鮮人,シナ人への偏見は,「非人間性」を持つ。それは今更説明しなくても報道をみればわかる。

 そして,旧人ユーラシア大陸に分布していた。原人も同様だ。

 彼には明らかに退化している。人間としての機能が退化している。「他人を思いやる心」が無い。共感能力が無い。法がない。

 退化することで,自然淘汰を免れ,旧人と共に暮らす進化ベクトルおせんだのではないか。

 ここで一つの答えがある。

 どうして,プレ・ネアンデルタール人間から分離してしまったのか。後期型ネアンデルタールは明らかに人間と違う形態をしているが,初期型ネアンデルタール,つまりプレネアンデルタール人間と極めて似通っている。まだ分離して間がないからだ。

 このため,「進化している」と当初勘違いされた。実際,ネアンデルタールは80万年前に人類から分離して「退化」したのだ。

 なぜ退化したのか。

 そこには「原人」がいた。原人にふれた人間が,「他人を思う心」をなくすことで適応し,それが旧人へと「退化」したのではないか。

 ならば,大陸に住む人類の末路でなはないか。

 彼らは知能の問題から,人間動物を見極める能力を有さない。だから信じては裏切られ,ということを繰り返し,そのうち考えることも信じることもやめて,機能そのものを遺伝から削除した。

 退化した。

 それが生きる術だった。

 島嶼部の人間は,旧人を殺せば次はこないため,人間同士で生活し,人間特有の機能をそのまま進化させた。

 協力すること,信じること,愛すること,理解すること,尊重すること。

 アルフレッド・セイヤー・マハンによれば,シーパワーランドパワーはあきらかに区分することが出来るとする。

 それは地政学上の問題では論じることの出来ない,思想・思考の違いがある。

 ホモサピエンス,つまりアダムの子孫が住む地域は,日本イギリス台湾,およびこれらのイギリス人の子孫が入植した地域に限られる。

 その日本でさえ「人間が混じっている」という状態だ。

 なにしろ,1万年前まで日本大陸は陸続きだったのだから。

 人間人間でいることは,孤独の場合つらいことだ。

 自分が信じても相手は信じてくれない。自分が誠実にしても相手は適当。与えた分だけ相手に着服される。

 そんなことを繰り返していては,自分が死ぬ。だから,死ぬ前に彼らを殺すか,或いは自分自身が「彼らと同じになる」しかない。選択肢は二つしかない。

 私は,旧人を殺すことが正しいと思う。

 それは私の生育環境人間が多かったことが原因していると思う。

 私のこの意思は,ここに矮小ながら発信している。

 あにたは私の意思に共感するだろうか?

 もし共感したならば,もっと私を知って欲しい。私の考えや発想を暗記するほどに知って欲しい。そして私の目的をより理解してほしい。

 それがあなたの利益になるのだから。

 一体だれが,愛のない世界,他人の協力のない世界に生きたいのだろうか?

 この文明は,一人ではできない仕事だ。

 「他人を信じ合い,協力すること」でビルがたつ。製品が出来る。

 人間社会幸福を私たちはしっている。

 これを壊すことなく,維持発展させるには,旧人原人を皆殺しにすることだ。

 その方法は,唯一,私たちが共感能力をもちいてお互いに共感しあうことになる。

 共感すること。それが人間の力だ。

最近は「DISりたい奴の文章を勝手増田転載してブックマーカーに叩かせる」という手法がはやってるらしいので、某所で見かけた電波文を載せてみました。

2007-12-03

ノブレス・オブリージュ (noblesse oblige) ノーブレス・オブリージュ

自らを高貴なるものと位置づけ表明するセンスに

違和感を覚える。


ノーブレス・オブリージュ? - 学校教育を考える

高貴な原子

高貴な分子

高貴なアミノ酸

高貴なタンパク質

高貴な精子

高貴な卵子

高貴な受精卵

高貴な胎児

高貴な赤ちゃん

高貴な Homo sapiens sapiens (ホモ・サピエンスサピエンス


人々の意見が、彼ら自身の性格の告白である。エマーソン

人類は平等である。そこに等差を生じさせるのは

家柄や財産によるのではなく、

ただ徳によるのである。

ヴォルテール


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404 Blog Not Found:書評 - 学者のウソ

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