コーチャブルとは、人がコーチを受けられる状態であるかを意味する言葉。とりわけ、「素直」に言うことを聞くかという意味合いで使われる。これは指導者側に都合のいい言葉だ。相手の反論と自分の失態をすべて「あなたはコーチャブルじゃなかった」で潰せる。
『逆立ちゃブル?』
常に逆立ちであれるかという意味です。視点を変えるという必須スキル、物理的にできない人間には精神的にもできません。だから、人は常に逆立ちであることを目指さないといけないのです。
あぁ、そのような態度を逆立ちゃブルじゃないと言うのです。観点が凝り固まっている。常識を疑え。
ところで、興味深いのは「コーチャブル」と「逆立ちゃブル」の違いですね。シンプルに一点違います。見て分かるか。
あなたが本当に逆立ちしながら反論したなら、私は論破できませんでした。立派に逆立ちしてるのを見りゃ「逆立ちゃブル」としか言えませんからね。
動画を含めたら何十回も彼を観ているが、生で見かけたのは二回である。俺は生観戦は滅多にしないからだ。
初めて見かけたとき、彼は走っていた。汗だくでジョギングして、来るべき日に備えて走っていた。練習中に声をかけるのは、少々迷惑だと思い、俺は声をかけなかった。
次に見かけたのはついさっき。餃子耳にマスクをぶら下げ、何やら沈痛な面持ちで渋谷駅に向かっていた。
恐らく前回「UFCにいこう」と口走ったところをマイクに拾われ、榊原にコッテリしぼられた事が関係しているのではないか。今度は俺が仕事中だったので声をかけられなかった。
日本人としてはトップクラスなのだが、日本人トップクラスという程度では、世界には通じない。
ボクシングもレスリングもそれなりなのだが、彼を特徴づける空手のレベルが低い事が大きな痛手だ。
離れたところからポンと飛び込んでペースを握る事を得意としてるが、離れるには相手を警戒させないといけない。相手を警戒させる手段がないので、彼はそこそこの日本人にしかなれない。
チャンスを待つ辛抱強さもあり、チャンスを与えないしつこさもある。彼に足りないのはチャンスを作る戦略性だ。
距離を取る為にただ離れるのではなく、離れたフリして襲い掛かる戦略性だ。
榊原はイベンターなので、空気を読むように言うだろう。無責任なファンたちも、堀江に空気を読むよう言うだろう。
でも堀江は読まないのではなく読めないのだから、諦めて勝ちを拾え。がんばれがんばれ。
渋谷の街を誰にも気づかれないまま歩く日々を終わりにしよう。
ぶりゅりゅりゅりゅりゅううううううううううううううううううううううう
ぶりいいいいいいいいいいいいいいいぶぶぶぶぼぼぼぼぼぼおおおおおおおおおおおおおお
ぶびぃいいいいいいいいいいいいいいいいいぶしゃああああああああああああああああああああ
痛覚がどうこうは科学的に証明できるのかもしれないけど、人間の豊かな生活のために他の生物を苦しめたり命を奪ったりすることをどれだけ許容するか考えることは結局”価値判断”の領域の話だからね。
増田の書いた
たとえば死刑のときでも「苦痛なく殺すのが人道的」という指針があるわけで、
日本人も多くはそれを支持していると思うんだけどな。
この辺りも全部、価値判断の話だよ。
最後は科学っぽいけど、痛覚に類する反応の有無ではなく”苦痛”というのならそれはやはり主観でしかない。
だからその社会で一般的な感覚を超えて、自分たちの考えを押し付けてくるならやっぱりそれは「宗教やエゴ」という表現が一番しっくりくるよ。
まあ、提案レベルなら社会の側も耳を傾けた方が良いかなとは思うけど、たいてい活動家かぶれのヴィーガンの人は自分の考えを人道だなんだ絶対正義のように語ってくるからウゼーってなる。
それでも女は下方婚しない
下ネタやエロネタを好きな人と嫌いな人が対立しているというよりも、セックスを好きな人と嫌いな人が対立してるという側面の方が時代と共に強まってるんだよなぁ。
「セックスが嫌いだから下ネタやエロネタが好き」という人と、「セックスが好きだから下ネタやエロネタが嫌い」という人がいる、という現象が、段々と共有されつつある。
もともと痩せ型(だいたい178cm/70kg)だったので体型に大した変化はないけど二重跳びができるようになったのと、10分くらいなら跳び続けられるようになったので体力ついたはず